異文化について(インドのカースト制で感じた事)
   (大島 健一) -2004. 2. 8-


 中島先生のように体系だって記述は出来ませんが、 海外生活で感じたことの記憶を辿ってみます。

1.インドでの印象記(1969〜1970)

 昨年、インドでの酒の話を記述しましたが、 約1年半グジャラート州バロダ市に滞在しました。

 この国で一番印象に残る事といえばカースト制度のことです。

 ご存知の通り、バラモン、クシャトリア、バイシャ、スードラの4階級それに不可触賎民です。 仕事上で我々が接したのは上位階級のバラモンとクシャトリアに位置する人達だと思います。 「だと思います」という曖昧な表現は、一々確認をする事は不可能ですし、 知識階級は上位身分に限られていると聞かされていたからです。

 会社での従業員が全て上位2階級に属しているのか定かではありませんが、 少なくとも社員になるのは、 ちゃんとした教育を受けることが出来たそれなりの身分に位置する人達だと思います。 カースト制度では本来職業は世襲ですので、 我々日本人には理解しがたい階級間の差別が公然と存在している。 同じ階級にあっても、さらに細かく仕事別に細分化されているようです。

 例えば、私達の事務所に3人のボーイがおりました。 彼らに仕事をさせる時、 床の掃除はソランキと言う名のボーイ、テーブルを拭くのはサレカールという名のボーイ、 お茶を入れて給仕するのはジョシと言う名のボーイ、 メッセンジャーのボーイ(これは身分が高いらしい)は別にいる(名前は忘れた)といった具合です。 ですから、ソランキにメッセンジャーの仕事命ずるとこれは拒否されるます。 彼はそのような高級(?)な仕事を遂行してはならない身分なのです。 この辺の区別を理解し慣れるのに当初は苦労しました。

 我々日本人は、境遇、貧富の差により教育程度に差が生じる事はあっても、 義務教育を平等に受ける事が出来るし、保証されている。 しかしこの国の貧富の差は我々の想像を超えたレベルにあり、 文盲率は未だ相当に高いと思われます。

 スードラ、不可触賎民に位置する人が全て平等に教育を受けているのか(否!受けていないと思う)。 本当の民主主義はこの国のこの制度下で実現できるのか。 正直、はなはだ疑問に思いました。

 滞在していた当時、人口問題で産児制限が推奨されていて、 政府の奨励の広告が至る所に掲げられておりましたが、 その広告を読めない無知な人々がどんどん子供を増やしていく、 知識階級は産児制限に協力しているのに困った事であると。 これではどうしようもないと嘆いている声をよく耳にしました。

 現在、インドでは、数字に強い国民の能力を生かす道ととして、 理数教育に力を入れていると聞いております。 そして近年は、コンピュータ関連の技術者を海外に輸出(?)しています。 ただこれらの事は、知識階級に関する報道であって、 大半の人々の教育水準、生活改善を表す物差しにはならないと思っています。

 とは言え、抑圧されて人々が、不満分子として世の秩序を乱すのかというと、そうでもない。 当時の日本と同じように先ず安全な国でした。 (嘆かわしい事に、今の日本は陰惨な事件が頻発している、とても治安安全国家といえない)

 そういえば、暴力事件は先ず起こらないし、 外出にも特に犯罪に警戒するよう注意される事もなかった。 東南アジア(特にインドネシア)での緊張感と比べればなんと安全な国だろう。 なのに、ヒンズーとイスラムの宗教対立で暴動が起こる国。 (滞在中に暴動事件に遭遇しました)

 偉大なガンジーが生まれた国。 なのに指導者が度々暗殺される国。 マザーテレサが本当に貧しい人たち生活の中に、 「隣人を思いやる人達の姿」を見て、彼女の天職を見出したという宗教的な土壌のある国。 現在の我々には摩訶不思議なこの制度に人々の精神構造が慣らされているのか、 このカースト制度が浸透して国の秩序が保てる国。 不思議です。僅か1年半の滞在では、どだいこの国を理解する事は無理と言うものでしょうか。

 30数年前の印象を記述しました。今日はこの辺で終わりにします。 また断片的で纏りのないない記述になってしまうと思いますが続編を記すつもりです。 (了)