異文化について(インド印象記−続き)
   (大島 健一) -2004. 2.12-


 先回、カースト制について記述しましたが、以下は私の独断と偏見に基づく印象記です。 悪しからずご理解賜りたく。

 この制度があるからといって仕事をする上で、何か支障があるかというと、 「知識階級に属している人たちと一緒にやっているので、支障など全くありません」 というのが答えになります。

 しかし、大半の人が、生まれながらにして就くべき職業が制限されているとしたら、 私だったらやり切れないなあ。 壁を乗り越えて己の進むべき道を見出す人はいるのかもしれないが、 それには相当のエネルギーを持ち合わせていないと。 そんな風に勝手に想像してしまいます。 単純にイコールではないと思うが、なにやら、士農工商時代の日本が思い浮かびます。 もっとキツイのではないか。

 明治維新以後、過ちを犯しながらも結果として運良く近代化を推し進め、 戦後、国民一億、皆、汗水流して生活基盤の向上を目指し、総て中流感覚(錯覚?)になった日本。

 植民地時代を経て、今も富める者、貧しき者を、上流、中流、下流、それ以下の層で住み分け、 宗教的、哲学的土壌によるためか実に平和に(騒乱なくと言うべきか?)生活が営まれているこの国。 独裁者がいないから、抑圧しているのではないから、上手くいっているのか。 それぞれ歩んできた歴史に起因するものと片付ければそれまでだが、 「抑圧されていないが、公平、平等ではない」というのが日本人である私の感想です。 (ある程度の不公平、不平等はどこの国にもあるが)

 以上30数年前の印象記ですので、現在のインドとはかなり状況は変わっているとは思いますが、 カースト制が今なお残っていることを考えると、生活水準は向上しても似たり寄ったりかなと思います。 総ての人々が平等に教育を受け、 自由に自分の道を選べる(従う道を選ぶのも自由だが)インドであることを願うものです。

その他思い出すままに:

結婚
   同一カーストでの婚姻しか許されない。家と家の色彩が強い。 ゆえに結婚するためには、多額のお金を準備し(貯え)なければ出来ないと言っていた。

左手は不浄の手。
 トイレでは左手で紙を使わず拭い、その後、水で洗う習慣なのでにそう言われる。 総ての人がそうではないにしろ、労働者階級の女性達は皆、水を入れた空き缶を持っていました。 不思議に思っていましたが、どこかで用を足した後で手を洗うためと聞きました。

PUSH(押す)してはいけない。
 何かあってもぐるりと取り囲むだけで暴力を振るわない国民性。言葉でやり合う習慣がある。 手で押されることを嫌うし、暴力を振るったとみなされることがあるので注意するよう言われました。

肥満は金持ちの証?
 インドの女性はサーリーでスタイルよく見えるが、金持ちほど下腹が出ているのだそうです。 それが金持ちの証と言うが、これは眉唾ものの話、真偽のほどは分かりません。 ただし、気候と菜食主義のせいか全体に痩せている。 私もその頃60キロぐらいしかなかったが、痩せではない、立派な体格と思われた。 宿舎の近くの小屋で生活していた子供達、貧しく本当に痩せていた。

抱えきれないほどのバナナどっさり1ルピー(当時約50円)、
コーラも一本1ルピーの物価に驚く

 当たり前だが生活必需品は安い。嗜好品は高いと思った。 工事関係労働者の日当2ルピー(100円)と比較して見ると理解できる。

インド人の肌の色
 インドは単一民族ではない。アーリア系(支配民族)、ドラヴィタ系、等々多民族国家である。 白色、黄色、褐色、黒色。日本人と殆ど変わらない肌の人もいる。

服装も正装すると様々です。
 インドというとターバン(シーク族)を連想するが、バロダ市では多くは見かけませんでした。 ちなみに、シーク族は戦闘民族で、軍の幹部はシーク出身が多いと聞きました。(カースト制?)

宗教
 多神教が主流。イスラム(一神教)の勢力も大きいが。 宗教について現地の人と議論はご法度であると注意されていましたので、全くは話しませんだした。

言語
 国語はヒンズー語、公用は英語。 知識階級は最低4つ使い分けるとと聞きました。 ヒンズー語、英語、生まれた州の言語、働いている州の言語

インド国歌
 多民族、多宗教国家なので、統一、一体感を出すためか歌詞の中に全ての州名が入っています。 今は、実施しているかどうか分かりませんが、国威高揚のためか、 映画の上映の際、始めと最後に国旗が映し出され国歌が流されました。 お蔭で、私は知らないうちにインド国歌を覚えてしまいました。 (日本で君が代を流したら、社会問題になること必至ですね。) クラス会などで機会あればご披露?します。

インド人社員気質
 やはりなかなか自分の非は認めない。必ず自己主張をします。 自分を抑えるのはもしかしたら日本人だけの習慣かもしれない。 日本も有言実行、自己主張が現在求められている。 私は不言実行のほうが好きですが、そうも言ってられない時代になりました。

以上思いつくまま、列挙しました。 (了)