列車に轢かれそうになった話と自動車運転免許
(大島 健一) -2003.11.28-
中島先生、沼田吉治君の思い出についてを拝読し、
私も列車に轢かれそうになったことを思い出しました。
この体験はその後の私に影響を与えたことなので忘れるはずがなかったのに、
このところ記憶の彼方の出来事としてどこかにしまいこんでおりました。
思い出してまた気を引き締めようと思います。
事故と言うのは本当に偶然と偶然が一致して起こるものだと、この時痛感しました。
列車に轢かれそうになった話
私は、中学時代、豆腐売りのアルバイトをしておりました。
二年生の時、いつものコースで自転車で中学校の近くの踏切を渡っていた時、
疲れていたのか、何か考え事をしていたのだと思います。
何やら大きな声で叫んでいるのに気付き、
ハッと我に返って右を見ると機関車がもう目の前に迫っておりました。
必死でペダルを漕いで前方に進み,本当に間一髪で機関車をやり過ごしました。
本当に轢かれなくて良かったの一言に尽きます。
渡りきった後、安堵感と同時に腰ががくがく、冷や汗びっしょりかきました。
冷静になってから前に進むべきだったか、その場に踏み止まるべきだったか
といろいろ思い返しましたが、
その時はただ咄嗟に無我夢中で前に漕ぎ出した自分がいただけでした。
原因の一つは私が何か考え事をしていたこと。
もう一つは、踏切り番が何かの手違えで遮断機を降ろすのを遅れたか、忘れたことです。
(有人踏切で手動で遮断機を上げ下げしていた時代です)
踏切り番が気が付いて遮断機を降ろそうとしたら、私が踏切りの中にいる。
慌てて列車がくると叫んでいるのに考え事をしている私には聞こえない。
それで間一髪の事態となったわけです。
遮断機を降ろすのを忘れるという滅多にない偶然と、
考え事をして無意識に踏切を渡る偶然の一致がこの危険を生み出したのだと思います。
私には、考え事や、集中していると人に話し掛けられても聞こえない癖があり、
生まれながらのこの性質が危険体験の最大原因だと。
後々まで心に残り、その後の私に影響を与えました。
自動車運転免許
私が車の免許を取ったのは遅く、41才の時です。
それまでは、仕事が忙しく時間が取れないことが理由の一つにありましたが、
最大の理由は、考え事をする性質では事故を起こす可能性が大だと、
車の運転には不向きな人間と自ら決め込んでおりました。
しかし周りの人はみな運転するし、免許なしは骨董品的存在になりつつあることに気付き、
名古屋支店勤務の時免許取得にチャレンジしました。
そんなことですから、免許取り立ての頃は、
左オーライ、右オーライ、信号青直進オーライと声を出して運転しておりました。
今はもう心の中で確認するようになっておりますが、
そろそろ年齢も年齢だし、今一度気を引き締めて運転しなければならないと思います。
栗田君、中島先生の話は初心を思い出させてくれました。(了)