インドでのお酒の思い出
      (大島 健一) -2003. 9.26-


 私がインドに行ったのは入社後4年ですから、すでに30余年も昔のことです。私は S40年入社と同時に、川崎の工場でアンモニア製造プラント建設に、プロセスエン ジニア(大学で化学工学を専攻しました)として従事しました。当時としては英国か ら技術導入した最新鋭の製造プロセスでした。その後、その建設を担当したプラント メーカーが同技術のものをインドで建設しその関係から技術指導の要請があったので す。インドの北西GUJARAT(グジャラート) 州のBARODA(バローダ)市に当社とほ ぼ同規模のプラントが建設され、そのスタートアップの技術指導ということで、S4 4年からプジェクトチームの1員として1年半滞在しました。今は海外赴任なんて珍 しくもありませんがその当時では画期的なことで工場挙げての壮行会で送り出された の思い出します。

 まだ長距離を飛ぶジャンボ機がない時代、途中、香港、バンコク、カルカッタ、ボン ベイ(今はムバイ)と給油しながら、確か16時間位かかったと思います。カルカッ タの空港についた時には、その暑さと、なんとも言えぬ異様な匂い、空港内のバスの 手垢に塗れたつり革を見た時、これからこんな環境に身をおくのかと正直、吃驚仰天 でした。今は大分変わってそんな不潔感はないようですが、当時はまだまだ国際空港 としては不十分な管理だったのだと思います。

 仕事のことはさて置き、インドでの生活では一番困ったのは食べ物とお酒です。先ず お酒の話、インドでは宗教(ヒンズー、イスラム)上の理由からだと思いますが州に よって扱われ方が違います。大抵の州は法律によって禁じられています。私達が住ん だグジャラート州は不運なことに禁酒の州でした。ですから飲食店、ホテル何処に 行ってもお酒を飲ませてくれるところはありません。お酒類はLiquor Permissionと 称する許可証を受け、それに従って管理されます。主に外国人のための特別な許可と 聞いていましたが、(インド人でも許可を持っている人もいたようです?)酒がない と生きていけない中毒患者みたいな扱いで、成年男子はビール 1ダース/月(ウィ スキーだと一本だったと記憶しています)が限度で、管理する役人がいるお店で購入 するのです。インド人はお酒は飲みません。催し事があっても、アップルジュース、 コーラ、ファンタでココナッツをつまむ程度です。そのような土地柄ですので、外で 酒は飲まず、自宅で飲むこととされていました。酒に酔って外部をふらふら歩くと、 インド人に取り囲まれぞと脅かされておりました。

 暑い国です。我々日本人は仕事が終わってから、どうしてもビールが飲みたい。段々 慣らされていきましたが、最初の頃は美味しいビールが飲みたいなあといつも枯渇状 態でした。とは言うものの世の中やはり必要なところには商いが生ずるもの、我々を 目当てにヤミ酒を扱う業者がちゃんと出没して得体の知れぬウィスキー、濁ったジン などが持ち込まれました。メチルが入っているかもしれないなどと気にしながらも仲 間と飲んだのことも今思えば楽しい思い出です。そんな境遇でしたので、日本からの 慰問品にこっそり日本酒が入っていると、それはそれは大変嬉しい贈り物、瞬く間に 平らげてしまう有様でした。滞在中に外で酒を飲んだのは、2回ほどボンベイに行っ た時、ホテルで飲んだきりです。ボンベイは国際級のホテルのみで飲酒できたと記憶 しております。このお酒事情も30年以上も前の話ですから、今は少しは規制もゆる くなっているかもしれませんが、信教上からくる規制なので、大きく改善(?)され ていることはないでしょう。

 そんなこんなで、お酒を味わう余裕なんて皆無でありました。日本には四季があり、 それぞれの季節に合った酒が飲めるこれは大変幸せなことです。気温が乾期は常に4 2度あり、冬場で一番低い時でも17、8度です。宗教上の酒を受け入れないのが一 番の理由ですが、この気候では体が熱くなるお酒は嗜好に合わないのか、インド人は お酒の習慣がありません。それから面白い話として、人間の体感温度は気候によって 左右されるのだ思います。日本人には快適な17、8度ではインド人は、マフラーをし て寒い寒いといっております。

 書き出すと長くなってしまいます。いいかげんに終わりにしなければなりませんね。 最後に食べ物について。 これも、苦労話になってしまいますので簡単に。菜食主義の国です。宗教上、牛(ヒ ンズー教)はおろか豚(イスラム教)も一切口に入りません。 我々外国人のために、まれに水牛の肉が用意されましたが、肉類と言えばチキンのみ といっていいでしょう。本当に我々が一番美味しいと思ったのは、日本からのインス タントラーメンです。これが最高の食事でした。これも長い船旅で運ばれてくるの で、船倉の中で虫が湧いていまうのです。それを除きながら食べるのですがそんなも のでも皆の大好物、今思い返すと気持ちが悪くなりますが人間その気になれば何でも 食べられるものです。 日清食品の創業者 何々 百福さんに感謝!感謝!です。

 カースト制の国、これも我々が社会科で学んだ階級よりもっと細分化している国、菜 食主義者も厳密な人から、卵まではは食べてよい人、チキンも食べてよい人がいるこ と。想像以上に貧富の差が激しかった実感。家がなく路上で寝そべる人。身近に見た ハンセン氏病患者、牛ならぬ路上で放し飼いの山羊、それらの糞の匂い。 どれもこれも最初は驚きの連続でありましたが、住むにつれて異様だった匂いも気に ならなくなりました。

 インドを去るときこの国の10年後はどうなっているだろう。経済的に発展することが あるのだろうかととても気がかりでありました。 その国が今は、コンピュータのプログラマー、ソフト技術者を世界に輸出(?)して います。 あの国の大半の人の生活レベルはどれくらい向上したのか興味あるところです。

 9/16に、一緒にインドに行った仲間と懇親の会を持ちました。今でも若き日に同じ釜 の飯を食った仲間として年一回程度集まるのですが、 全員暇になったら、一度ツアーを組んでBARODAに行って見ようかと、どれくら い変わったか見てみたいものだと話が盛り上がりました。 実現するかどうかは分かりませんが、皆その気になっています。(皆、年とともにや や懐古調になってきました。)

 なんだか長々と苦労話ばかリをしている便りになってしまいました。今日はこの辺で 終わりにします。(了)