お仕事奮闘記
キャバクラ版
とっても大昔(^^;に某繁華街でなかなか本格的な水商売であるキャバクラにおつとめしていたのである!
これが今のお水なるベースとなっていると言っても過言ではなかろう(^o^)
交際費がかさみその絡みからつき合いなどのローンが増え、実家にて雨風をしのげる生活を送っていたにもかかわらず収入のやりくりができなくなってきたことが発端であった。
もともと興味ある仕事であったし深夜までの居酒屋経験からか、もっと高時給で働きたいという思いに駆られて親に内緒で働きだしたのである。
まだまだ週休2日の会社体制が成り立っていなかったので、繰り出して飲むというと土曜日になる。
翌日曜日はわたしも休日であったので、AM5時まで目一杯にそこで従事していたのであった(笑)
そこでチーママ的存在の女性から、勤務初日に付けられた源氏名は”あかね”であった。
なんともダサくて(死語)ホットな名前であり、恥ずかしかったが密かに気に入っていた。
10人くらいの女の子が常時待機っていた。
半数は日本人であり、また残りの半数はブラジル・中国・フィリピンなどの外人が働いていた。
単なるスナックと思って採用の申し入れをしたのだったが、どうやらキャバクラというトコであると気づくのであった。
指名制度やドリンクバック、同伴、バンス(ピンクじゃないのに^^;)など女の子の給与に関係するシステムが細かく確立していた。
ドリンクバックなんて知らなかったわたしは、お客さまに「なんか飲んでいいよぉー」って、言われてそれが料金(給料)としてカウントされるということにちょっと驚くのであった。
店内は10卓以上あっただろうか、なかなか広めのステージもミラーボールに照らされていた。
そこではお客さんとデュエットしたり、女の子同士でハモったり振りをしたりという魅せ場となっていた。
酒飲み相手は初体験であったので、なんの業を持っていないわたしは持ち前の明るさくらいしかない。
そこで!
元バイト先のCD&ビデオレンタル屋に通い、デュエット特集なるCDをこっそりと無料レンタル(レンタルと言わないなぁ〜)をしてカラオケの拾得に励むのだった(^^;
このワザは、なかなかOLしていても、水商売でも役立つことと成り得たのである!
そこそこメジャーな(古くても可)だったら、わたしにお任せあれという具合になったのだ。
高校生時代あたりから帰宅時間も遅くなりがちとなり、夏休みには暗黙了解(?)の家出をするという具合な生活となっていた。
平屋なる自室の窓からこっそり深夜の外出をすることもある。
親からの無言の反撃だってあったのだ(笑)
わたしの外出/外泊がいつの間にかバレてしまい、自室に侵入できないようにと扉に鍵をつけられてしまったことだろう(^^;汗
これには、感嘆しながらも焦ったのである。その繰り返しの果てに”暗黙”を勝ち取ったのだ(笑)
朝の5時過ぎに帰宅しようと、文句らしい発言を浴びせられることはないに等しくなった。
まだまだ景気が良かった為、そこそこの人種はそんな店に出入りしていた。
お勤めしだした頃は、常連の優しいお客に「このお客さんは優しいから、教えてもらいなさぁい」と、店長に導かれて席につくこともあった。
客層はいろいろであり、看板屋やいちゃもんを付ける”ヤ”のつく自由業の方への接客には苦労が堪えない(^^;
店の看板を壊した、と豪語している人がどうして客として入ってくるのだろうか。
また、そのとりもちなのか看板屋が「ここぞ!」と介入してくるのも始末が悪い。
月末からの勤務であったので、働いた分の数千円は手にすることができた。
過労という無理がたたったのであろう、1ヶ月強しか勤務することができなく入院してしまったのである。
入院という急な出来事のため、店にはなんの連絡もせず日々が過ぎてしまった。
退院した後給料をもらいに足を運んだが、わたしの1ヶ月分の給料の支払いはしてくれなかった。
店長曰く「まだ計算してない/事務員がいない/金庫の番号がわかない」等の理由をつけて・・・