お仕事奮闘記

派遣OL その3 栃木県佐野市 新○和


特殊車両の後ろを走行しているときに、今でも気になってロゴを見つけてしまう。
「ああ、これは新○和か/TA◇ANOか」などと(^^;)
退院後の復活先となったのである。

わたしは高所作業車なる部署に配属された。
ここで辛かったのが、女性との対人面であろう!
最初は、同じ会社から派遣されている女性に親しみを持ってもらえなかったせいだ。
もともと悪友の紹介でこの会社に興味を持ち勤務したわたしだったが、その悪友とこちらの女性との間にひともめあったらしく、わたしの受け入れを拒んでのことだった(こんなことがあるから、女性の多い職場は困るんだよな〜)。
どちらかというと、ホットでださいイメージの女性グループであった。

もう1つのグループは、わたしと同世代であろかという女性陣で、オシャレではあったが、意地の悪そうな顔でちょっとイイ女ぶりを鼻にかけているといった感じがした。

べつに気にすることもなく、わたしは独りロッカールームでお弁当を食べたり、階下にいる同じ会社の男性社員と食事する日々がかなりに及んだ。
この会社で初めてOLである証とも言える、千×会なる通販に出会うこととなった。
独りで食事をする派遣社員にも、ちゃんとそのカタログは回ってきた。
しかし、「とりまとめ役」なる女性と親しいわけではない。
でもこの方のフランクさで、この会社でのOL生活というか人間関係がまともになっていったのである。

10時と3時には、必ず女性がその部屋全ての男性陣(そのフロアーは約100人いる^^;)に好みのお茶を入れる。
交代制で湯飲み洗いもする。
ひとりで作業するわけないから、会話もする。
やはり女性である以上、OLであるからこそ、給湯室での会話は重要である。
ここでの潤滑なる会話のお陰で、仕事のスムーズさに影響を及ぼすのだった。

CADオペに興味を抱いたことを社長が配慮してか、そこでもドラフターとCADの両方で図面作成をすることができた。
とは言っても、白髪のガンコなる独り作業といったところであろう課長着きのトレースの仕事が中心である。
メモ紙になぐり描きしたものを図面に起こすことだった(笑)
ここで大切かつ困難なのは、図面1つ1つの部材の重心を求めなければいけない。
理屈として頭の中に入れることが、なんとも苦労したことだった。
わたしと同じように課長のもとで働いていた学卒の男性と親しくなり、いつも独断なる課長のことを笑っていたのだった。
若干背が低かったが、ルックスが良く真面目で意外と明るかった(しかし、意地悪女性陣が目をつけているようだった(^^;彼女たちがいなければ、もっとスリスリしていたんだと思う)。
仕事面に於いてよく相談したり、教えてもらったりしたのである。

ここにもコピー室なる部屋が存在していて、堅物のじいさんがそこの番人である。
マイクロフィルムとして縮小された図面が、コピー室に保管されているのである。
古い部品の資料図面を探す作業が、ちょいとばかり大変だった。
なかなか得意の愛想にも、反応してくれない。マイペースなようだった。
わたしは彼のご機嫌を見ながら、コピー仕事の隙を狙って作業させてもらったのである。
ともあれ、図面探しを手伝ってくれることもしばしばしてくれた。

この会社は日△のCADが導入されており、帰郷が重なると同系列会社で働く弟と良く激論したものだった。
I◇M社のそれに慣れていたので、若干面食らった点も多々ある。
しかし、OA機器なんてほとんど一緒という概念がわたしの中にあったのだ。
当時、我が姉弟は同じような業種で仕事をしていたのである(^^;)
弟は、コンピュータの基盤の設計を行っていた。
わたしも弟も数年その業務に携わっているということで、現場のおじちゃんからのクレームや他の設計部門とのやりとりなどグチの言い合いをしたものだった。

ここでも新たなるOA機器として、某コピーメーカーの光ディスクを触らせてもらうことができた。
膨大な図面を一発で見つけ出すことが可能なのだ。
ただし、読み込んで登録されているものだけに過ぎない(^^;)
それが意地悪な女性陣の陣地にあることも、作業に支障をきたす。
どうひいき目にとっても、発言にトゲがある。
「そんなんも分かんないの〜」と、教えてくれるでもなかった(初めて使う機械なのに;;;)。

毎週月曜日、始業前に工場の敷地で行われるラジオ体操・お話が面倒で苦痛だった。
冬は寒いし、夏はボーっとのぼせてしまうようなコンクリートの上で、ただただ立っていなければならない。
締め文句として「0災でいこう!」と、台の上でお偉いさんが叫ぶ。
左手を腰にあて、右腕前に人差し指ででナニかを指し示すかのようなジェスチャー付きで。
それに対して、集合した者たちが「よし!」と言うのである’(もちろん同じポーズをとる)。
最初はなにを言っているかもわからなかったが、工場の至る所に標語が掲示されているのであった(笑)
災害(労災)のないように、確認の意味で行うらしい(謎)

2ヶ月近くの入院生活ですっかり出不精(デブに変貌していた^^当時、ウエスト67)・内向的な性格になってしまっていたが、この会社での1年がわたしをもとの性格に回復してくれてた。
わたしが退社するに至っては、数名の女子だけでお好み焼き屋とカラオケのセットなる送迎会を催してくれた。
いろいろな意味で感謝の思いを込めて、ハンカチを送ったわたしであった。


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