お仕事奮闘記

派遣OL その5 千葉県佐倉市の千葉T○T○


成田の職安に行って求人票から割り出した会社だったのに、待遇というか妙な組織でがっかりしてしまった。
だって、その会社(仮にA社としよう)からは月給をもらうだけなのだ。
ボーナスや制服・社会保険などは他の違う会社(以後、B社)からもらうハメになって、どちらの会社に所属してるのか分からないという曖昧さだった(派遣先には、制服の会社という明示らしい)。
その(曖昧な)会社の社長でもあり、直属の上司(グループ長)が勤務していたときはまだ良かった。
しかし、その上司はべつの派遣会社(以後、C社)の社員であるといった複雑さなのだ。
わたしはその年寄りな上司に気に入られていた。
だが、その別会社A社の経営のことがバレたらしく、わたしが入社して半年と経たない間に退職してしまったのだ。

これまた大変で、その上司に代わるべくグループ長となったのが対立していたC社の人物だったので、ことごとくわたしは意地悪をされて厳しい環境下で仕事をすることとなった。
まだまだ若い小娘であったわたし(謎)は、課長の前で泣い訴えたりしまった。
意地悪した上司に対しても、勢いで辞めるとまで発言してしまう始末。
同じグループに所属しているおばちゃんなる方(建築士2級取得している、意地悪上司と同じC社所属)にも気遣いやら慰めの言葉をかけられたが、大泣きしてしゃくりあげているわたしには無駄なことでしかなかった。

そんなことがあった翌日は休日だった為、出勤の必要はなかったのでゆっくりしていたのである。
そこへ年寄りなる元上司から自宅に電話が入り、苦労代ということで月給を来月から2万円支払うということを言われてしまった。
現金なるわたしは、2つ返事で辞めるということを撤回してルンルンした気持ちに早変わりした。

翌出勤日は、あんな恥ずかしい行為をしたにもかかわらず意地悪上司にしっかりと詫びた。
心配していた方々や課長などにも同様に・・・
その陰で、親しい同僚などに「苦労代2万円のベースアップなんだ〜。あんな馬鹿な上司にだってヘコヘコしちゃうモン」と言いまくっていたのである(笑)

忍耐のせいか(?)、面倒な仕事をしながらちょっとした現場の仕事もさせてもらえるようになった。
それが入社して2年経過した頃だった。
わたしもそれなりに存在を認められていたのかな、と思う。
機嫌が悪いときにはCAD室にこもったり、話しかけられないようにドラフターの角度を上げて人を遠ざけるような態度をとっていた。

幕張への出張を命ぜられたときは、ちょっと得意になってしまう。
本社から特別出向していた学卒の人物と一緒だった。
彼は、前の会社でSunを経験してきたらしい。
細身ではあったがイマイチわたしのタイプではなかった(そんなコト関係なかろうが^^;)。
係が同じということで、仕事面やプライベートな話題をする仲だった。
彼は日常に潤いを求めて、ピアノを習い出した。また、「女の子、紹介してー」などといった具合だ。
事務員が多いわりには、彼はターゲットにされている感じを受けなかった(タイプじゃない、というのはわたしだけじゃなかった、のか?)。

工場勤務をそこそこ経験していたわたしは、この会社でなかなか無税なる余録な収入を得ることができた。
パテントとまでいかないが、”改善提案”なる書類を作成して利益率や作業効率のアップを書類として作成したものを提出するというものだ。
ABCなどその判定によって余録としての金額も違うが、C判定でも500円もらえる。
ちょっとした小遣い稼ぎには、もってこいだ。
ちょこちょこっと最もらしい文章や図柄など添付したり記入したりすれば、だいたいがBくらいになっていた(^^;

また、QC(クォリティコントロール)という、勤務外作業改善の討論及び検討といった活動もやった(ちょっと本格的?)。
今まで勤務した会社の中では最も盛んで、発表会をわざわざ勤務時間内に設けるほどだった
年寄りの多い部署だったので、お茶出しや会議室の予約・書記など細かい作業はわたしの仕事となった。
勿論わたしの仕事を妨げる要素となる。
その反面、係長などに頼りにされるたりもする(^o^)

この工場では、住宅設備であるユニットバスが製造されている。
親会社が九州ということもあって、本社から特別出向している出世予備軍がいたりする。
どくとくの九州訛りをしゃべる人も少なきにあらず。
比較的新しく工場内に作られたその部屋は、3つの部が1フロアーとして稼働していた。
遅刻しそうになると、駐車場から走り階段を駆け上がって4Fまで7分くらいだろう(工場なので普通の6階くらいに相当する)。
今でこそ、高速道路に常設されつつある感応式洗面台や”音姫”もここでは日常となったのだ(笑)
120人以上がデスクなりドラフターと一緒に収容されている。
わたしたちのような外注は5.6社派遣として勤務している。
CAD室には60台くらいあろうかというOA機器。
そのほとんどがIBM製のCADであり、たった2台がME-10である。
2つの部で共有している、これまた2台のJ-STAR。
10台くらいだった社内端末。
申し訳みたいに、たった1台のパソコンがある程度である。

光ディスクが導入されたときは、インストラクターにちょっとした発言をしてみたりもする。
(たいがいインストラクターは女性である)「○△社さんのは□◇ができるんですけど、こちらのはできないみたいですよねぇ?」など、と。
とかく大きな会社にお勤めの会社員は、いろいろと知らないことが多かったりする。
「え〜、光ディスクやったことがあるのぉ?」などと言う人もいたり、する。
そんな意外そうな言われ方をするたんびに、「こちとら学もコネもなくたって派遣は長いし、色々出向してるんだよ〜」と言いたくなるのだった(^^;

某コピーメーカーのJ-STARとYHP(ホームページではない^^;)のME-10なるOA機器、光ディスク(これまたコピーメーカー)を拾得した。
マウスクリックやキーボード入力もCADやワープロ検定のお陰で慣れたものだった。
しかしここで気になるのは、未だにロータス123などパソコンのオフィス系ソフトをこの会社でも触らせてもらえないことだ。
随分と細かい本当の業務以外の仕事もしてきているつもりだったが、どの会社にも事務員という方が存在しているせいか、外注という立場からだろうかパソコンへのタッチは許可がでない。
せいぜい簡単なプリントアウトが関の山だ(^^;
初めて見るレーザープリンターには、感動したものだった(笑)

わたしが退職を考えているあたりで、上司は会社を休むことが多くなっていた。
グループ長である、という重圧からなのだろうか。
切れ痔になるのではないか(ケツの穴が小さい)というぐらいに神経質であったためであろうか。
図面のタイトルの英数文字はテンプレートの使用を命じたり、文字の曲線以外(縦線及び横線)は定規を使って書け、なんていう細かさだったのだ。
おまけに課で使っているコピー機が汚れているのを、一所懸命にティシュでフキフキしているのである。
目に見えて、細かく気になってしまう様が現れていた。

そんな上司の馬鹿さにも飽きた頃に、わざと周囲にわたしが退職する意向をしゃべる。
人数が多いということはそれだけ噂というものは、瞬く間に広がるのである。
案の定、ボーナスをもらっていたり制服を貸与されている会社の専務から呼び出しがかかりわたしは退職する旨を伝えたのであった。
冬のボーナスをもらって、である。


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