思い出していくこと


 とりあえず、東京での様子とかオフの私信とかは コチラにアップ。 わやくそになっております。いつものことです。

 昨日、家に帰ってからテレビ見てたり、ラジオ聞いたり、 今朝も朝のテレビとかで、沢山取り上げられていた話題。 阪神大震災から5年が過ぎたという。

 私は直接的な被害はなかったのだけれど、岡山でもかなり揺れた。 棚に置いていた1リットル用の空のポリタンクが私の枕元に落ちて きたりした。ちょっと危なかった。地鳴りのようなのを聞いた。 すぐさまラジオを付けたが、情報は思ったほど届いてはこなかった。 起きてから、なんだか神戸のあたりが大変らしい、ということだけ テレビで見たが、想像を絶する被害だとわかったのは、もっともっと 後のことだった。

 芦屋に住んでいた大学の教授が危機一髪でご存命だったり、 幼馴染みの子が1日早く神戸に行っていれば冷蔵庫の下敷きに なってたかもしれない、とか。友達の知ってる人が被害にあわれたとか、 亡くなった、という話も幾つか聞いた気がする。

 私は当時マスコミ関係のバイトをしていたが、私のバイト先からも 何人もの記者さんやカメラさんが報道の為に神戸に飛んだ。 そういう報道体制に色々と批判の目は集まったが、日本のみならず 世界の目にその震災の被害の大きさを示すことに意義はあったと思う。

 その後、ある団体のボランティアに参加させてもらい、 震災地区にご飯の炊き出しに行った。それまでテレビなどで 見慣れてしまった神戸の街をこの目で見た。凄まじかった。 それまでの神戸の街を私は知らなかったのだが、これがほんの数ヶ月前 まで栄えていた場所であろうか、という感じ。 コンクリートなどの塊がある、という感じだろうか。 改めて、恐ろしい、と。 お汁やご飯を配りに小学校などに出向く。ありがとうありがとうと 感謝の言葉を述べられたが、この程度のことしか私には出来ない、と 複雑な心境になった。こうでもして直接震災の被害に直面してみないと、 いくら隣の県といっても所詮他人事としか捉えないだろう自分の 弱さとかいやらしさとかずるさとか無知とか思い知らされた。

 時間が経つにつれて、ニュースなどでもやはり震災の話題は 少なくなっていき、たまに思い出すかのように新聞や雑誌に特集が 組まれていたり、という感じだったように思う。 忘れてはならないことだろうし、震災の被害を受けられた方からすると 忘れることのできないことだけれど。余程自分にとって大きな 衝撃がないと段々と忘れていくのは仕方のないことだと思う。 だからせめて年に1回でもこの日を迎えたときに、少しでも 思い出していけばいいのではないかと思う。

本日の一枚:山崎まさよし/ド ミ ノ




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