水谷寺慈安さんの活動が日本の新聞に紹介されました


第二次大戦後、戦時中に徴用工として日本へ強制連行されたと思われる人々をたくさんのせた船が朝鮮へ帰国する途中、長崎県壱岐の港で転覆するという事故がおきました。この事故で160人以上の韓国・朝鮮の方々が亡くなりました。

67年には壱岐の有志が朝鮮半島側に慰霊碑をたて、地元の天徳寺が供養を続けてきましたが、このたび慈安さんらがこの天徳寺を訪れ、合同供養を行った後、位牌を祖国へ持ちかえりました。

読売新聞、1998年12月

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