資料
[校歌] [校章] [歴代同窓会会名] [同窓会名の分析]
| 校歌 |
山形東高等学校校歌
土井 晩翠 作詞
中田 章 作曲
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1. 羽前の三山虚空を凌ぐ 偉大の姿は無言の教へ 霊ある呼吸は我が胸充たし 理想の高きを仰げと宣す |
2. 健児の幾千はぐぐみ来る 山形東高ほまれの歴史 来たるをつづけて遠きにいたし 不朽の勲を残さむ世々に |
3. ああわが紅顔未来の光 望に溢れて日夜に進み 業成るあした雙の肩に 国家の運命ををしく負はむ |
| 校章 |

昭和23年4月、新制高等学校として発足するにあたり制定したもの。
中央の小さい五弁の花は鳥海の高嶺に咲き誇る「鳥海ふすま」で、それを廻る4つの花は、蔵王のお花畑の駒草である。両者共に、天空に高く聳える嶺の上に風雪に耐えて咲く花で、剛毅、忍耐、清浄、優雅を象徴している。
| 歴代同窓会会名 |
| 昭和2年 | 山中40 | 協和会 | 数学の東海林先生はじめ担任団の薦めにより「協和会」の名称になった。 |
| 昭和3年 | 山中41 | 和親会 | 卒業生全員が和やかに親しむようにとの願いを込めて「和親会」とした。 |
| 昭和4年 | 山中42 | 昭光会 | 昭和の御代の光となり、我が国の中心として日本を動かすような人間になることを願った。 |
| 昭和5年 | 山中43 | 金馬会 | 国漢の富樫秀恕先生が命名。中国の未央宮で学者や学生が待機いた場所を金馬門と言ったことから採用した。 |
| 昭和6年 | 山中44 | 孜々会 | 漢文の富樫秀恕先生が「孜々として励む」という語から卒業生を激励する意味で命名してくださった。 |
| 昭和7年 | 山中45 | 暁鶏会 | 昭和7年新年の歌会初めの勅題が「暁鶏」だっため、これをこの年卒業の学年に取り入れて「暁鶏会」とした。 |
| 昭和8年 | 山中46 | 八昭会 | 数学の武田市吉先生が昭和8年卒業より「八昭会」と名付けてくださった。 |
| 昭和9年 | 山中47 | 継久会 | 現在の天皇陛下の生誕が昭和8年12月で、その年度末に卒業したのでそのお名前(継の宮様)の一字をとって命名した。 |
| 昭和10年 | 山中48 | 十友会 | 昭和10年卒業の同期の学友達であることから十友会とした。 |
| 昭和11年 | 山中49 | 昭士会 | 明治維新の志士のように「昭和の志士」たらんとする気概を卒業生の銘々が持っていたので昭志会の命名となった。 |
| 昭和12年 | 山中50 | 五十会 | 山中第50会卒業生であることからそのまま会名を「五十会」とした。 |
| 昭和13年 | 山中51 | 八紘会 | 八紘一宇:全世界は一つのものと共に大東亜共栄圏の思想が一般的になった。 |
| 昭和14年 | 山中52 | 鴻志会 | 大鳥「鴻の鳥」のように大きな志をもって世界に羽ばたいて欲しいとの願いを込めて担任団が命名してくれた。 |
| 昭和15年 | 山中53 | 金鵄会 | 神武天皇が大和平定の時弓矢の先に金の鳶が止まって輝いた古事から戦時中動員になった事から会名とした。 |
| 昭和16年 | 山中54 | 瑞穂会 | 古事記に日本を誉め称えて豊葦原の瑞穂の国、とある古事からとって「瑞穂会」と命名した。 |
| 昭和17年 | 山中55 | 昭南会 | 開戦間もない17年は皇軍の勢い天を衝くものがあり、マレー半島も支配した。シンガポール(昭南市)から会名に |
| 昭和18年 | 山中56 | 青雲会 | 当初「五十六会」と命名したが、卒業して10年後「青雲の志を抱いて山中に入学した」ので、青雲会と改めた。 |
| 昭和19年 | 山中57 | 御楯会 | 万葉集に「今日よりは顧みなくて大君の醜の御楯と出で立つ我は」とあることから御国のために殉ずる心意気で会名に |
| 昭和20年 | 山中58 | 万朶会 | 藤田東湖の“天地正大の気”に「発しては万朶の桜となり」とあることを安達左逸先生に教わり、これを会名とした。 |
| 昭和20年 | 山中58(4) | 銀河会 | 群馬県太田市に勤労動員した我学年は夜間戦闘機「銀河」を製造して祖国の勝利のために挺身した。会名たる所以。 |
| 昭和21年 | 山中59 | 太平会 | 太平洋戦争が始まった翌昭和17年に入学し、戦時中苦楽を共にした学年が戦後第一回生として卒業したので以後の平和な太平の世の中の到来を願って太平会とした。(斎野良吉氏命名、富樫晃全学年主任認可) |
| 昭和21年 | 山中60 | 太平会 | |
| 昭和23年 | 山中61 | 六一会 | 山中最期の第61回卒業生であることから「六一会」とした。(因みに六一なので一六と勘違いして質屋と間違われた事が多くある。) |
| 昭和24年 | 一高1 | 六一会 | |
| 昭和24年 | 山中62 | ふたば会 | この学年は、入学は同時だったが卒業時に山中62回卒と一高2回卒に分かれて巣立った。それを若葉が育ち始める双葉になぞらえて命名した。女生徒が初めて入学(5人)した学年でもある。 |
| 昭和25年 | 一高2 | ふたば会 | |
| 昭和23年 | (併設中) 一高1 |
東一会 | 東一会の校友 |
| 昭和26年 | 山東1 | 東一会 | 東高第一回卒業なので東一会になった。併設中は昭和20年に同時に入学し23年に卒業した方々で校友と称している。 |
| 昭和24年 | (併設中) 一高2 |
東友会 | 東友会の校友。 |
| 昭和27年 | 山東2 | 東友会 | 卒業一ヶ月後のクラス会で誰からともなく東高卒の友人同志「東友会」でよいのでは・・・、となり決定した。 |
| 昭和28年 | 山東3 | 東三会 | 非常に単純。東高第三回卒業により「東三会」とした。「父さん会」にも通じる。 |
| 昭和29年 | 山東4 | 東四会 | 東高第四回卒業から、鈴木実、深瀬利吉、大江健の幹事が発案し決定した。女性の参加が多く、その賛同を得た |
| 昭和30年 | 山東5 | 古希会 | 創立70周年の卒業学年なので、学年主任の松木清先生が古希の祝いの二字をとって「古希会」命名してくださった。 |
| 昭和31年 | 山東6 | 六翠会 | 東高第6回卒の六と元の講堂の北側と中庭にあった「あかしや」の木の緑とを合わせ六翠と命名した。記念石塔あり。 |
| 昭和32年 | 山東7 | 一行会 | 入学時300名定員に対して305名が志願し全員合格とした。新聞発表が全員合格の一行だけであったので、一行会とした。 |
| 昭和33年 | 山東8 | 東八会 | 山東第8回卒業生であるため「東八会」と命名された。 |
| 昭和34年 | 山東9 | 東鳩会 | 東高第9回卒業生から9を平和の「鳩」に音を重ね「東鳩会」とした。 |
| 昭和35年 | 山東10 | 東濤会 | 東高第10回卒業生に因み、勢いを象徴する「濤」の文字を「とう」に当てた。 |
| 昭和36年 | 山東11 | 東士会 | 東高第11回卒業生に因み、「十一」を「士」に置き換えた。 |
| 昭和37年 | 山東12 | 東睦会 | 卒業生仲間が「仲睦まじく」ありたいという願いがある。また、卒業担任団に、堤 睦美先生がおられた。 |
| 昭和38年 | 山東13 | 三山会 | 校歌「羽前の三山虚空を凌ぐ」の一節から命名した。 |
| 昭和39年 | 山東14 | 龍雲会 | 東京五輪、東海道新幹線開通を記念し、初の女性卒業担任、大宮先生を祝し、飛龍の勢いを願い細梅先生が命名。 |
| 昭和40年 | 山東15 | 笑龍会 | 学級担任の名字の頭一字ずつを取った。遠藤來二、水戸部欣也哉、高橋宗伸、堤睦水、河田利夫、市川宏。 |
| 昭和41年 | 山東16 | 竹馬会 | 「竹馬の友」に因んで、当時学年主任であった関根喜内先生が命名した。 |
| 昭和42年 | 山東17 | 六七会 | 卒業年昭和四十二年に因み、九九により六七会と命名した。 |
| 昭和43年 | 山東18 | 東哉会 | 卒業会十八回に因んで、「東」と「哉」の文字を用いた。 |
| 昭和44年 | 山東19 | 鵬雲会 | 相撲で横綱大鵬が圧倒的に強かったことに由来する。 |
| 昭和45年 | 山東20 | 翠巒会 | 「緑多き学舎」より命名。当時生徒の遠藤雅晴氏の案が採用された。 |
| 昭和46年 | 山東21 | 四六会 | 卒業年昭和四十六年から四六会と命名。 |
| 昭和47年 | 山東22 | 主一会 | 卒業回「二十二回」の二十二を二十一→「主」と「一」に分け「主一」とした。 |
| 昭和48年 | 山東23 | 志也会 | 子曰、三軍可奪其師也。匹夫不可奪其志也。(論語より)(志也=四八)庄司善助校長が命名。 |
| 昭和49年 | 山東24 | 東翼会 | 山東の東は、太陽が昇り万物が活動を開始する方角。翼は「たすける、とぶ」の意味。四九(よく)年卒業。 |
| 昭和50年 | 山東25 | 九重会 | 「九重」(きゅうじゅう)で卒業90周年を表す。「ここのえ」は高い空を意味し、会員の発展が祈念されている |
| 昭和51年 | 山東26 | 互一会 | 昭和51年の卒業学年。お互いに一つの学び舎で、一つの心で友愛を貫き、一つの目的に向かい励む者の集いである。 |
| 昭和52年 | 山東27 | 東紋会 | こまくさの徴章にかさねて青春の思いを胸に刻んだ者たちのしるし。紋の糸と文は五十二(いとふみ)と読める。 |
| 昭和53年 | 山東28 | 天馬会 | 天は二と八から馬は干支「うま歳」に因んだもの。「天馬空を行く」ように会員の大成を祈念して命名された。 |
| 昭和54年 | 山東29 | 共一会 | 共通一次試験元年を思い出とし、卒業後も「共」に手をとり「一」丸となって頑張っていく決意をあらわした名。 |
| 昭和55年 | 山東30 | 東翔会 | 広い世界を自由に天翔ける姿を心に描きつつ命名された。羊の文字には、三十が隠れている。 |
| 昭和56年 | 山東31 | 五六会 | 56年卒業する若者たちに、新校舎の五六の柱(大きな柱)たるべく、また、史記の五合六聚に因んで命名された。 |
| 昭和57年 | 山東32 | 槌音会 | 山東百周年記念校舎改築第一年目、新しい時代を予感させる槌の音は、山東生活の思い出として深く刻まれている。 |
| 昭和58年 | 山東33 | 継世会 | 山東高二世紀へ継ぎゆく新校舎から巣立つ第一回生。新しい日本を拓かんとする若者の意気を託した。 |
| 昭和59年 | 山東34 | 双黌会 | 山東一世紀の伝統を培った校舎と、新しい歴史を担いゆく校舎双つの黌に青春を送った学年である。 |
| 昭和60年 | 山東35 | 百東会 | 創立百周年を迎え、母校一世紀の輝かしい伝統につらなることを得た誇りと喜びが込められている。 |
| 昭和61年 | 山東36 | 彗琥会 | ハレー彗星接近の年であり、寅年の卒業である。彗星の流麗さと、琥珀(虎魄)の神秘さ、清廉潔白さに因む。 |
| 昭和62年 | 山東37 | 鴻紀会 | 創立百周年の年に、鴻鴣の志を抱いて入学。一世紀の伝統を踏まえて、さらに大きく羽ばたくことを誓い合った。 |
| 昭和63年 | 山東38 | 東龍会 | 龍は威あり、天に昇り高貴な姿に昇華する。辰歳に卒業し、前途には臥龍昇天を期せんとする熱い思いを込めた。 |
| 平成元年 | 山東39 | 魁成会 | 敢然と世に魁るとの決意と、北斗七星の首魁(第一星)の如く不動に光り輝く心理を探求し、大成を誓い合った。 |
| 平成2年 | 山東40 | 東駿会 | 午歳に卒業し、失踪する駿馬の如くたくましく21世紀に向けて飛躍しようとする熱い思いを込めた。 |
| 平成3年 | 山東41 | 翔洋会 | 揚々たる前途へ向けた、雄々しく羽ばたかんとする熱い気概を込めた。未歳に因み、「羊」の文字をひそませた。 |
| 平成4年 | 山東42 | 志成会 | 平成元年入学。青春のエネルギーの全てを注ぎ、高校における志成り、更なる大志の成就を期する意気を込めた。 |
| 平成5年 | 山東43 | 東鵬会 | 酉歳卒業。鵬は大きな羽摶きの音と共に太平の瑞祥聳をあらわす鳥である。一人ひとりがその鵬たらんと念じた。 |
| 平成6年 | 山東44 | 東皐会 | 皐は白い光のさす大地の意。三年間豊穣の沃土に育まれ、卒業後の明るい希望と豊かな実りを希った。 |
| 平成7年 | 山東45 | 百珠会 | 百十周年卒業。女子百一名入学の学年。珠は「王」と「朱」よりなり、光り輝く玉の如く活躍することを願った。 |
| 平成8年 | 山東46 | 東玲会 | 創立百一周年。「玲」には「王」中に百一(一十一)が含まれ、「令」は透き通った美しい音色を表している。 |
| 平成9年 | 山東47 | 東凌会 | 羽前の三山の如く天高く聳えて他を凌駕し、21世紀に「凌霄之志」を抱いて雄飛せんとする気概を校歌に求めた。 |
| 平成10年 | 山東48 | 天成会 | 中国の「書経」の一節「地平天成」より、平和で心豊かな新世界創造への期待等を託し、平成10(Ten)年に掛けた。 |
| 平成11年 | 山東49 | 東珀会 | |
| 平成12年 | 山東50 | 雙紀会 | |
| 平成13年 | 山東51 | 東暁会 | |
| 平成14年 | 山東52 | 東愛会 |
| 同窓会名の分析 |
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23回登場 |
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6回登場 |
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5回登場 |
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4回登場 |
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3回登場
6文字 |
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2回登場 17文字 |
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1回登場 61文字 |
やはり「東」が多い。(ダントツ)逆に「西南北」は「南」が1回だけ。
数字が多い。一(6回)、六(5回)、八(3回)、三、四、五、十、百(2回)、七、九、万(1回)計27回登場。「一」から「九」までの数字で、なぜか「二」だけは未登場。
鳥に関する文字。鴻、鵬、翔(2回)、鶏、鳩、翼、鵄(1回)計10回登場。