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〜19歳から22歳(大学入学から現在まで)〜 |
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19歳(大学1年)・・・S大学に入学。大学入学と同時に受験勉強中にお世話になっていたM塾で講師のバイトを始める。学校では4年間苦楽を共にする5人の友達と出会う。入学した時に同じクラスだった。福岡・福岡南部・佐賀・香川・岡山・・・とみんな出身地がばらばらなのが面白い。学校生活にも慣れたころ、クラスの友達10人で車2台を連ねて熊本へイチゴ狩りに行った。若かったなぁ〜♪ ★サークル活動では好きな英語に関わりたいと思い、ESS部に入部するが、バイトとなかなか時間がかみ合わず、ほとんど幽霊部員状態。まだまだ未熟で自分の時間の使い方がわかっていなかったようだ。 ★5月頃から暇を見つけて自動車学校に通い初め、8月15日に普通免許を取得。その後、近くのバイク屋でカブ号を購入し、どこに行くにもカブ号を使うようになる。 20歳(大学2年)・・・少しづつ就職を意識して、英検やTOEICなどの試験を受けるようになる。英検では高校卒業レベルの2級に無事合格し、2単位を取得できたので少し得したような気がした。一方TOEICはとても公表できるような得点ではございません。 ★1月には無事成人を迎えることができた。成人の日は中学時代の友達や高校時代の友達に再会し昔を懐かしんだ。成人式の後は高校時代の陸上部のメンバーと、スーツ姿で焼肉を食べに行ったのを覚えている。本当に久々の再会だったので、成人式というより同窓会のような雰囲気だった。 ★この年の秋、友達と湯布院へ日帰り温泉旅行に行った。「下ん湯」は究極の露天風呂だった。帰りに駐車場のおばちゃんに饅頭をもらったのが妙に田舎っぽくて印象的だった。湯布院は温泉があるせいか、そこに住む人もほのぼのとしているようだった。 ★大学2年の後半あたりから、ほぼ幽霊部員状態だったサークル活動に参加するようになる。さすがに自分たちの代が中心になるとわかれば知らん顔はできない。今までサークルに迷惑掛けっぱなしだったので、幽霊だったことをチョイト後悔・・・ごめんなさい。ESSではディスカッションのセクションに混ざって活動に参加するようになるが、今まで幽霊だったことがたたって全く歯が立たなかった。部内での担当はデイリー活動係と機関誌(部員の紹介雑誌作り)係りということに決定。こうして、大学2年目が終わった。 21歳(大学3年)・・・前半はサークルとバイト中心の生活が続く。サークルでは夏前に全く歯が立たなかったディスカッションセクションから、スピーチセクションに移って活動を始める。こちらもすごく遅いデビューになってしまい、ほぼ新入部員同然だった。まったくサークルには迷惑掛けっぱなしである・・・ごめんなさい。毎週月曜日の全体活動だったデイリーは、TOEICリスニング対策を担当した。日頃バイトで培ったテスト対策プリント作りの技術を活かして、毎週週末はネタづくり。でもこれは結構面白かった。ここにきてやっとサークル内での自分の居場所を見つけられたようだった。機関誌も無事完成し、自分なりに納得のいくものに仕上がった。活動で印象に残っているのは、最後のインナースピーチコンテスト。スピーチのセク長が3年最後の発表の場として、部内のスピーチコンテストを企画してくれた。ここで初めて自分で英語のスピーチを作って発表し、なんと優勝してしまった。これはいままでもらったどんな賞よりも思い出になるものとなった。本当に嬉しかった。1月にはサークルを引退。幽霊部員で迷惑をかけ続けていたので、何度も辞めようと思ったサークルだったが、このとき本当に辞めなくてよかったと思い、自分みたいな未熟ものをサークルに残してくれた先輩をはじめとする部員のみんなに心から感謝した。 ★夏休みには市役所でのインターンシップを経験した。商店街調査などに同行させてもらい、公務員の仕事の一部を体験させてもらった。報告書の作成が大変だったなぁ〜。 ★12月の初め、ゼミで韓国の釜山へ行った。目的は姉妹校の日本語学科の学生との交流だった。韓国の学生はとにかくエネルギッシュで日本語も頑張っていた。交通マナーは日本のほうが良かったが、焼肉は韓国のほうが断然うまかった。途中、自由行動の時にグループとはぐれてしまい、モリモリと2人で何も分からない韓国の街をウロウロしたり、地下鉄に乗ったりした。周りはもちろんハングル文字ばかりで、何がなんだかわからなかったが、良い経験になった。その日の昼ご飯は日本でもおなじみ「マクドナルド」に挑戦。恐る恐る店員さんにカタコト英語で注文すると、「日本人ですか〜?」と日本語で話してくれたのでびっくり!日本では有り得ないことだと思った。言葉の国際化は日本よりも韓国のほうが進んでいるようだ。そして、韓国(釜山)の若者は日本人が考えているより、日本に対して好意的だということも感じることができ、西洋も大切にすべきだが、日本の周辺のアジアの国々に目を向けていくことも大事だと考えるようになった。外国へ行くと視野が広がるとよく言われるが、たった2〜3日でもそれを痛いほど感じることができた。 ★夏休みが明けた頃から、学校内で就職ガイダンスや就職対策講座が本格的に始まった。この時点でまだ将来の方向が定まらず、結局公務員の勉強をしながら就職活動をすることになる。冬休みは就職対策講座とバイトに明け暮れた。2月1日には県内の合同企業説明会に参加し、ここから就職活動が始まる。とにかく興味のある会社にエントリーシートを出し、自己分析をしたりして自分に合う会社を見つけようと必死だった。こうして、大学3年目が終わった。 22歳(大学4年)・・・就職活動で近くは福岡・広島から、遠くは東京にも何度か足を運んだ。偶然新幹線に乗るときにモリモリに会ったり、広島で就職活動中のじっちゃんに会ったとき、すごくほっとしたことが印象に残っている。4月の終わりには1社から内定をもらうことができ、少し安心。そして、4月の末には学校の掲示板で見つけたある地元の物流会社に興味を持ち、試験を受けることになる。そして、6月にその会社から無事内定をもらうことができ、ゼミで勉強していたアジア関連のことや自分自身の将来設計を考えたうえで、その会社に入社することに決めた。こうして約5ヶ月の就職活動が終わった。11月頃からは本格的に卒論の資料集めと執筆開始!論文集にも応募した。1月半ばに内定先から連絡があり、バイトで仕事を体験することになる。2月〜3月にかけては、唐津旅行、沖縄旅行、湯布院旅行、阿蘇のゼミ旅行、そして、アメリカ旅行など、学生最後の思い出作りに励んだ。3月16日には4年間続けたM塾のアルバイトを終了。本当にお世話になりました〜!3月25日は卒業式。なんと論文集で最優秀賞を受賞!最後の最後にびっくりな出来事だった。EIJI先生ありがとうございました〜!こうして4年間のい大学生活が終わった。この4年間は自分にとって間違いなく貴重な時間だった。たくさんの出会いがあって、自分自身も大きく成長できたと思う。これからどんなサラリーマン人生が待っているのでしょ〜ねぇ〜♪ |