2003年
睦月
1月3日
1月5日
1月7日
1月10日<1>
1月10日<2>
1月13日
1月3日金曜日
午前11時 雪
あけましておめでとうございます。
そしてこのページも開けましておめでたいところでございます。
いや、丁寧語だと面倒でございます。
ていうか日記だから楽な文体でいこう。
自分のために書いていくから。
さて、初日記だからご挨拶的な感じにした方がよいのかもしれないが、
日記だし、とりあえず出来事と考えたことから書くとしよう。
今朝(7時に)、人と会う約束をしていた。
しかしすっかり忘れていて、電話が掛かって駆けつけた。
相手は、長身の髭を生やした四十代の男。名をSさんとしておこう。
Sさんが、とある駅で反米系の署名活動をしていた時に、
僕が署名に参加し、そこで反米反戦話で盛り上がり、
それから時々あって話をする仲になっている。
彼は左翼系のグループに所属し、反戦や、反原発、反成田空港建設などの、
デモンストレーションやディスカッションをやっている。
彼はいつも僕と話をする為に、わざわざ1時間電車に揺られてやってくる。
今日はアメリカのイラク攻撃について話した。
何やらまた日本政府が、アメリカのイラク攻撃に前面協力する為の、
新たな法案を立てようとしているらしい。
またか。
って感じだったが、僕の中ではもう、日本政府の動きは、
一つの自然現象のようなものとして捉えている。
半年くらい前までは、小泉さんやらブッシュさんなどの方針について、
僕の考えを熱く語ったりしていたが、
今では、永田町ニュースも、台風情報と同じ感覚で見ている。
こういう世界ならこういう世界としてそれなりに生きていこうと考えている。
台風が嫌だからと言っても、台風のやってくる地域にいるのなら、
台風がやってきてしまうのは仕方ない。
みんなそう思って、割り切って他にしあわせを探している。
「たいふう?来るの?まあいいんじゃない?」
そういう生き方が僕は好きだ。
しかしこれを戦争など他の問題でも適用すると、誰かの反感を買うことが、しばしばある。
「戦争?テロ?徴兵?まあこんな運命も有りじゃない?」
こんな感じの意見を今朝Sさんにしたら、
「激怒」というよりも「失望」っていう言葉を、彼の全身が語った。
戦争や軍隊というものを馬鹿らしく思う考えはずっと変わらないが、
そんなものに捉われていたら、僕の人生がもったいない。
「政治への関心は、例えばスポーツや音楽への関心というのと、僕の中では変わらない。」
悲観的な意見かもしれないが、こんな感じのことを話すとSさんは、
「戦争とスポーツを一緒にしないでくれ」
と言う。言いたいことは解る。
でも僕は、世界のことを考えるのはしばらく休みたい。
ある人が言った。右翼とか左翼とかあるが、結局どっちも同じようなものだと。
双方とも、政治のあり方について、高い価値や強い関心を持っている人たちだから。
うどんが良いって言う人と、そばが良いっていう人は対立できるが、
うどんが良いっていう人と、演歌が良いって言う人は対立のしようがない。
でも実際に対立しているうどん派とそば派は、
食べ物に高い価値を置いているという点で、仲間みたいなものだ。
同様に、
僕の中で、戦争やら政治やらに興味を示す割合が、以前より小さくなったのだ。
平和ボケで、世間知らずな言い方かもしれないが、
戦争があっても、空襲があっても、しあわせはどこでも探せると僕は信じている。
戦争とやらをなくそうとする運動、その行動自体に実はしあわせを感じている人々も多いだろう。
何か大きいことをやってやろうと目指すその過程にいる人は、幸せだろうと僕は思う。
生まれた瞬間に死の宣告を受けている人生。
その人生と同じように、
しあわせは、
結果ではなく、その過程の中にいっぱい詰まっていると思う。
そして、
それを探しに僕は旅に出る。
そうそう、これは日記だった。
気づくと外は大雪になっている。
おわり。
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1月5日日曜日
午前8時 晴れ
大雪は去った。
僕は新聞配達をしている。
雪は敵だ。
僕の住むところで、3日深夜まで降り続けた雪は、
日付が変わる頃に雨となり、
新聞を配り始める頃にはあがった。
しかし路面に積もった雪は、
夜明けの足音とともに凍結し、
街中をアイスリンクに変えた。
そしてお察しの通り、
バイクに大量の新聞を積んだまま、
立て続けに滑って転び、
そのたびに、新聞を氷上に撒き散らした。
相も変わらずバイクを倒したある時、
近くを配っていた別の新聞販売員の方が歩み寄ってきて、
新聞拾いを手伝ってくれた。
京都風の柔らかい関西弁で話し掛けてきた彼は一言、
「がんばりんさい。」
と言って去っていった。
ひとのやさしさを、日本語ではあたたかさとも言う。
そしてその言葉の通り、
ひとにやさしくされると、
身体が温かくなる。
すこし身体が温かくなった僕は再び仕事を再開。
しかし日の出間近、
気持ちの良い青空が広がりだした頃、
本日最大の悲劇が僕を襲う。
坂の中腹にある交差点。
雪と氷の路面にも慣れて、少々のスリップでも上手く凌げるようになっていた。
だがここに隠れていた魔物には、
どうすることも出来なかった。
ゆっくりとバイクを進めていた交差点の中央で、
後輪が横に滑りかけたので、
とりあえずブレーキをかけ、両足を下ろした。
そして再び走り出そうとしたがしかし、
進まない…。
タイヤが氷上で空回りし、全く進まないのだ。
両足で地面を蹴ろうとしても、
足が滑るだけ。
そしてバイクのスロットルを回すたびに、
魔物が引っ張っているかのように、
坂の下の方へ、じわじわと逆走する。
30秒ほど格闘した結末は、
やはりその「氷のすべり台」と化した坂道を、
バイクに乗ったまま逆走し、倒れ、バイクに潰されるというものだった。
さらに挟まれた足を救出し、立ち上がろうとしたその時、
さらに続いているすべり台を、
いくつかの新聞と一緒に仲良く、哀れな姿で下ることとなった。
交差点のほぼ中央に倒れたバイクの周りには、
見えないバリアがしてあるみたいに、
近づくたびに僕は何度もすべり台を繰り返した。
どうにか辿りつけても、
バイクを起き上がらせることは出来なかった。
途方にくれた僕は、仕方なく店に助けを求めた。
携帯電話とは、便利な道具だ。つくったひとに感謝したい。
とりあえず電話に出てくれた店の仲間に助けて欲しいと頼んだが、
車が到着して、中から人がぞろぞろと出てきた時にはまた、感動を覚えた。
一人か二人かが来てくれるだろうと思っていたが、
救助部隊さながらの人数で現れた彼らは、
僕と同じように、「すべり台」に遊ばれたりしていたが、
それでも見事なチームプレイでバイクを救出し、
かなり眩しかった。
人は、ひとりでは生きていけない。
改めて思った。
人のしあわせは、人との関係の中にいつもある。
厳しくも、素晴らしい朝を迎えた。
おわり。
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1月7日火曜日
午前5時 晴れ
昨日久し振りにテニスをした。
3週間振りだ。
僕はメガロスというフィットネスクラブの中にある
テニススクールに、週一回通っている。
今の学校に通い始めた頃、
学校にあるテニス部に仮入部したことがあるが、
新聞配達という仕事柄故に、
授業が終わったら真っ先に下校せねばならない訳で、
即、退部することになった。
しかし、高校時代、テニス馬鹿と呼ばれていたほどテニスが大好きだった僕は、
テニスのない生活など平穏に送ることが出来ず、
そして見つけたのが夜遅くまで営業している、
メガロスというビルディングだった。
で、昨日久々にテニスしてきたわけだが、
やはり身体は正直だった。
3週間も休んでいると、筋力から何まで衰え、
身体が重く、すぐに息が上がってしまう。
二十歳になって、体力が衰えてきたのかもしれない。
コーチの打ってくるボールが妙に速く、そして遠く見える。
とは言ってもやはりスポーツは良いものだ。
今の生活の中で、
時間と日々の嫌なことを忘れられるのは、
テニスをしている時だけだ。
って言うのもちょっと悲しいが。
中学に通っている頃、
僕は毎日が嫌で嫌でどうしようもなかったが、
テニスをやっている時だけは心にゆとりが持てた。
中学には、テニスをしに行っているようなものだった。
昨日テニスをした事で、
また心にゆとりができた感じがする。
学校の方も今日から再開するが、
とりあえず出席する気力は取り戻した。
12月は、ほとんど学校に行かず、
「学生」ではなく、「新聞屋さん」みたいな日々を送っていたから、
そろそろ学生に戻らねばならない。
それから年賀状もまだ半分だしていないので
そろそろ書くことにしよう。
昨年、担任の先生から借りた本に、
年賀状を十日ほど遅れて出すと、
ちょっと失礼かもしれないが何か際立って良いとか何とかって書いてあった。
確かに、束の中にまぎれているよりもポツンとある方が際立つ。
僕に出してくれた人は、
「全く、遅えなぁ。」
とかおもうかもしれないが、
「年賀状」ではなく、「季節のご挨拶」みたいな手紙だと考えれば、
このくらいのずれはちっとも悪くない。
というのはこっちの勝手な都合だが、
まぁ一枚くらいこういう奴の年賀状が届くのも良いだろう。
年賀状には、一週間前にできたばっかりのこのHPアドレスを入れておいたが、
ここ2,3日、ネットのつながり具合が良くないので、
オフラインで日記なんかは書いているが、
ネット上では更新されていない。
今日中には更新できるようにしよう。
おわり。
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1月10日木曜日
午前7時 晴れ
もう10日か。
今年ももう、「12分の1」の「3分の1」が過ぎたわけか。
つまり元旦から今日までの時を1日と考えると、
36日くらいで1年は終わるのか。
ふむ。
くだらない計算をしてしまったようだ。
さて、とりあえず昨日ゲストブックも作ったとこで、最低限の材料は整った。
もう少し美しくしたい気もするが、
わからないことが多すぎるので、もっと後になるだろう。
メニューに、「ロードオブニュージーランド」というのを入れて、
実はそれをメインにページを作っていく予定だったが、
未だに手をつけていない。
僕は、今年の5月から、ニュージーランドで暮らすことに決めている。
実はそのことが、ホームページ作りの発端でもある。
………中途半端だが、数時間後の日記に続く。
1月10日木曜日
午後10時 晴れ
一度書いてしまったことは、できるだけ書き換えないようにしている。
今朝書いた日記の最後の3行。
自分のための日記のはずが、
明らかに他人を意識した説明をしてしまった。
日記とは言えない表現だ。
いや、
そうでもないかもしれない。
その日、その頃、その時季に自分がどういうことを考え、
どういう因果と経緯で行動を起こしたのか、
はっきり記しておくことは、
後の自分にとって、大きな財産になることもある。
今、小学生の頃の作文を読み返して得るものがあるのと同じように。
てなわけで、
ニュージーランドをめざすことになった経緯を記すとしよう。
僕は、都内のとある専門学校に通い、今年3月、
うまくいけば卒業することになっている。
という背景があり、昨年は2月から、
世間で言うところの就職活動とやらを始めていた。
で、僕は6月までに、魅力を感じた3つの会社を受けたのだが、
そのいずれもお断りされた。
そして僕は、今はまだまだ自分の能力が低すぎることを感じ、
もう少し広い教養を得ようと、
放送大学へ通うことを考えた。
それが昨年8月。
僕の通う専門学校は、そこそこ世間的に信頼されている(決して金だけではない)こともあって、
業界で名の通ったご立派な外部講師の先生がたびたびみえて、
特別講義をして下さっている。
その講師の先生に、僕は自分の作品を見て頂いたりした経緯から、
先生はいろいろ気にかけて下さるようになった。
仮にその先生を「フラットさん」と、ここでは呼ぶことにしよう。
昨年9月に、
フラットさんが学校に来てくださった時に、
前述した就職活動の結果を報告し、
これからのことも話した。
そしてその時は、
「行け!放送大学に行って来い!」
などと力いっぱい声をあげて後押ししてくれたフラットさんだったが、
その後話を続けていると、数分後には態度が変わり、
「俺が紹介してやるからもう一度○○会社に作品を送ってみろ。」
「○○会社の○○さんは俺の友達だから、直接○○さん宛に
俺が推薦したと書いて送れば見てもらえる。」
と、うれしいお言葉を頂いたが、
数日後、1通のメールがフラットさんから届き、
今度はまた別の会社の社長である○○さんに僕のことを話したところ、
ぜひ会って欲しいという話になったということだった。
この○○さんは、仮に「ウォーターさん」としておこう。
そして10月、ウォーターさんと数度のメール交換を経て、
お会いできる日がやってきた。
ウォーターさんの会社で、90分ばかりお話をした中で、
僕は、自分の身体を海外に連れ出さねばならなくなるいくつかの言葉を、
小さかったその身体に………、
ぶつけられた。
「もったいないよ。今、会社に入っちゃったら。」
「まだ若いし、もっと色々経験した方がいいよ。」
「まだやりたいことが、はっきりカタチになって見えてないみたいだから。」
「今、会社に入っても始めのうちはやる仕事がなくて困るんじゃないかな。」
「今、業界に入ったら、今もっている考えや何かが、
その世界に小さくまとめられて潰されてしまうかもしれない。」
「僕にもそういう時期があった。自分は何をすれば良いのか。」
「僕は大学2年の頃、英語もろくに話せないのに独りニューヨークへ飛び、
そこで1ヶ月住んだ。そしてその時、そこでは自分に
ほとんど価値がないということを感じさせられた。」
「旅は良いよ。」
「僕は借金してでも旅したからね。」
「何でもいい。何かもっと広い世界を見てきて、それからもう一度会おう。」
これは海外進出しかない。
そう思った。
会社の玄関口まで送ってくれたウォーターさんは、
「今度会える日を、楽しみにしているよ」
というようなことを言って、
がっちりと握手をし、そして別れた。
ウォーターさんが、誰かと会った時に必ず握手をすることは、本や雑誌などで知っていた。
がっちりと握られたその手は、
大きくて分厚く、「職人の手」みたいだった。
その時の握力は、今でも僕の小さな右手に残っている。
そしてその少し後、
仕事仲間から、「ワーキングホリデー」なるものの存在を聞かされた。
働くことが許される、観光ビザのようなものだ。
「ワーキングホリデー」については、近々開設予定の、「ロードオブニュージーランド」で
具体的に説明していくとして、
その「ワーキングホリデー」が何ものか調べに、
僕は図書館へ足を運んだ。
そこでたまたま見つけたのが、ていうかあったのが、
『ニュージーランドdeワーキングホリデー』とかいう本。
その本であっさりニュージーランドに魅せられてしまった僕は、
その地で1年間、英語を学びながら、カルチャーショックでも受けようかと思い立ち、
僕のニュージーランド行きは決定した。
そして僕は、ウォーターさんやフラットさんが楽しみにしたりして下さっている何千倍以上に、
僕自身が変わっていくことを楽しみにしている。
おわり。
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1月13日月曜日
正午 晴れ
人はどうして、感動すると涙がにじむのだろう。
さっき、成人式に行ってきた。
今は、H2Oの『思い出がいっぱい』を流しながらパソコンに向かっている。
「大人の階段昇る君はまだ、シンデレラさ」
だってさ。
先日、スーツのクリーニングをお店に頼みに行ったが、
仕上がりが13日夕方とのことだったので、
ストリートカジュアルな格好で式に出席した。
埼玉の実家には帰らず、現在住んでいる町の式に出席したのだが、
99%を超える成人が、ある意味民族衣装のようなダーク色のスーツ姿か、
女性ならわた飴みたいな白いモアモワを首にまいた和服姿。
僕はあの白いモアモワを、成人の日にしか見たことがない。
あれは何故、ああいうカタチでああいうものなのか。
ってそういうモノに問題提起したらキリがないけど、
「そういえば、なんでこれはこうなんだろう」
っていうのを考えるのは結構おもしろかったりする。
普段当たり前のように触れているものには、
「これはこういうカタチ」という「決まりごと」みたいなものがあっても、
それに「決まりごと」があることにすら気づかずに過ごしている。
例えば、今見ているパソコンの画面は四角だ。
何故そうなのかなどと、普段は考えない。閃かない(ひらめかない)。
指先は丸いが、キーボードは大抵、四角い。
昨日ちょっぴり贅沢して買った「メグミルク」のパックは赤だったが、多くの牛乳パックは青い。
牛乳は白い。これは前例と意味合いが変わるが。
こういう見過ごしている「決まりごと」を見つけたりすると、
ちょっぴりうれしくなったりする。
そしてまた、何故そんな事でうれしくなるのかなどと考え、
繰り返し、やはりキリがない。
まあしかし「道具」には機能性や生産性を考慮したゆえの
カタチや何かがあったりするが、
「美」 というものは一体何なのか、
それはいつも曖昧な答えしか出ずに終わる。
「好き嫌い」、「個性」、「ひとそれぞれ」なんて言葉でも
処理されることがある「美」であるが、
「センス」という言葉もあるように、
ひとの共感を集める、まさしく真の「美」もある。
「素晴らしい芸術」
それに出会うと、
どうして感動せずにはいられないのか。
わからない。
今日の成人式。
地元の高校の吹奏楽部の方々が演奏してくださった。
なんでも彼らは、都大会、全国大会のさらに上の
ウィーンのナントカ大会に出場し、ナントカ大賞を受賞したほどの実力なのだそうだ。
そして確かに、いや、肩書きでは表せないほど彼らのみせてくれた魂は、
すさまじかった。
僕は、すさまじいモノを見たり聴いたり五感や六感で感じ取ると、
いつも寒気がして鳥肌が立つ。背中から首、そして頬にまで立って、
さらにそれ以上になると目頭が熱くなり、涙が滲む(にじむ)。
今日は久々に、その、いわゆる感動という奴が、
僕の体から目を覚ました。
それは、成人式のプログラム上では、アトラクションとかいう名の時間枠だった。
まずはじめには、子供だましなイリュージョン風の演劇系ダンスが繰り広げられたが、
その劇のバックにある薄い暗幕の裏では、
吹奏楽部の壮大なバックグラウンドミュージックが奏でられた。
演劇とBGMと、どっちがメインなのかわからなくなるほど、
その立体的な音色は、
暗幕を突き破って僕の心臓辺りに突き刺さり、
背中から全身に響き渡っていった。
ディズニー系の曲をうまくつなぎ合わせて壮大な演奏は続いたが、
やはり僕の眼には、演劇ダンスではなく見えない吹奏楽部の音しか映らなかった。
ひとまず劇が終わり、ミッキーマウスもどきの衆が舞台横に流れていった。
これでアトラクションとやらは終わったのかと思っていると、
これから吹奏楽部の演奏が始まるという司会者の声が入った。
なんとたった今僕の全身を揺さぶった音色と響きは、単なる前座かプロローグだった。
これから始まる物語のためのプロローグ。
そしてそれは始まった。
まずは映画「マスク」のテーマ曲にクールなダンスとやらを付けてみせてくれた。
その後に、青森のねぶたと静岡清水のかっぽれだったかそんな感じの祭りの融合曲をみせてくれた。
「クールなダンス」?、ほう、見せてもらおうか。
などと偉そうに足を組んで構えていたが、
「クールなダンス」。それは本気の「ホンキ」だった。
音楽隊の前に横一列に並んで座った15名の体が、
文明堂のCFみたいに連動して動き出し、
その手足がすばやく大きく動き回るその様は、からくり人形のようであり、
それでいて彼らの瞳は一つひとつ、確実に生きていた。
バックから覆い被さってくる大音響と彼らのダンスは、お互いに引き立てあった。
「ホンキ」と「ホンキ」のぶつかり合い。
続いての「ねぶた&かっぽれ融合曲」では、
指揮者を努める先生もはっぴ姿で現れ、楽器の奏者たちも皆、
狭い舞台上でお祭り騒ぎをやってみせた。
ビッグなホルンやコントラバスまでも方にかつぎ上げ、
掛け声を上げるその姿は、本当に光を放っているように見えた。
そして舞台上の高校生たちは皆、カッコよく、キレイだった。
さっきまでケータイに向かって話し掛けていたり、歩き回ったり、大声で話していた成人たちも、
舞台から打ち出されたバズーカ砲の迫力に、
息をするのも忘れているような状態に見えた。
感動すると、どうして鳥肌が立つのだろう。
どうして涙が滲むのだろう。
そんなことは置いておいてもとりあえずは、
今日、高校生の方々から魅せつけられた本気の「ホンキ」に、
身の内から湧き上がってくるやる気パワーをもらったそのことを、
どの角度からこねくり回しても、
あの時の高校生の輝きと僕が手にしたパワーは変わらない。
「美」
とりあえずその条件の中に、
「ホンキ」の魂が泳いでいることを、
今日は見つけることができた。
終わり。
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