2003年文月
7月19日
7月20日
7月21日<1>
7月21日<2>
7月22日



7月19日土曜日
午後11時 曇り

今、丁度日付が変わろうとしている。
僕は、21日から半月ほど旅に出る。
まずは屋久島に向かい、その後九州、中国、四国地方を
いろいろ彷徨い歩いて帰ってくるつもりだ。

何をしようとかは特別決めていない。

部屋に積もってしまった読まれていない本を読んだり、
いろんな絵を描いたり、
知らない人に声をかけたり、
これから先、どういう道を開いていくのか考えたり、
昔お世話になった人に手紙を書いたり、
何をするともなくボーっとしたり・・・。

僕はいつも、自分に何かを無理にさせようとしたり、
何かすごいことを期待したりしすぎて、
結局その重荷でこころがつぶされて疲れて、
何もしないで終わることが多いということがわかってきたので、

「明日」という遠い未来のことは
とりあえず置いておいて、

「今」「これから」何をしようかなあと考えて、
いや考えるというよりも「直観」で、
ひらめいたことをやろうと思う。
左脳がどんなに頑張って誠実な道標を設計してくれても、
運命的な風を感じ取っている右脳の突発的なひらめきにはかなわない。

僕は本来そういう人生を望んでいたし、
今も、そうする方が良いと、
僕の右脳はささやいている。

不安定な道を開いていくつもりが、
いつの間にか、自分にいっぱい保険をかけようとしていた。
こういう能力を身につけなくてはとか、
こういう知識を詰め込んでおかなくてはとか、
そうこうしているうちに、
いつの間にか世間体ばかりを気にする人間になっていた。

脳の表面では、周りの目など気にしない人間を気取っていても、
核の部分では、高校を出て、専門学校を卒業しながら、
実家に戻り、アルバイトの生活をしているというのは、
どこか息苦しいようなところもあったのかもしれない。
ニュージーランドで1年間暮らしてくるってのも、
まだ口に出して言っているだけの事で、
まだ何かを成し遂げた訳でもない。
そんな状態で日々を送るのが辛い時期が続いていた。

でも、俗に言うメル友とそんな話をしているうちに、
結局自分が今何をどうすれば良いのか、
何となくわかってきた。
その人は僕の2倍ほど人生を歩んでいる人だけあって、
僕がどんな状態なのかよくわかるようだった。

そんな経緯があって、とりあえず僕は、
まず明後日から始まる冒険に、
脳みそを軽くして臨もうと気合を入れている。

そろそろ寝た方が良いぞと、
右脳のささやきが聞こえる気がするので終わる。
久々の更新だった。

終わり。

7月の一番上に戻る



7月20日日曜日
午後11時 曇り

今、明日からの旅へ向けて準備をしている最中だ。
僕はいつも、準備というのがぎりぎりまでかかる。

本来ならパソコンを開いている場合ではない筈だが、
そういう気分になってしまったというか、
直観がそうさせるので仕方がない。

今日、母親のコーラスグループが参加する合唱祭があった。
母親のグループはなかなかのハーモニーであったが、
他のグループには、お世辞にもとてもそうは言えないものもいくつかあった。

でも、広いホールに立ち、
日々練習に励んできた成果を発表することができる
というのは、
本当に気持ちがいいことなんだろうなと、
どのグループを見ていてもそう感じた。

「自己満足」って言葉があるけど、
自己満足も、共感できる仲間がいるのといないのとでは、
まるで喜びの度合いが違うと思う。
いや、共感できる仲間でなくてもいい。
その自己満足を伝えられる相手がいるだけでもそれは違う。

僕は、新しいゲームの企画なんかを日々考えたりしているのだけれど、
一人用のTVゲームなんかでも、
本当に独りでやっていたら、面白くもなんともない。
様々な方面から何らかの形でゲームとつながっている誰かとの関係の中で、
ゲームをすることに喜びを見出しているのだと思う。
その誰かは、友人であったり、家族であったり、
制作者であったり、ネットや雑誌上のチャンピオンだったりするが、
人が大きな喜びを得るときには、また別な人との関係が必要なのだと思う。

何かややこしい文法になって何が言いたいのか解らなくなってきたが、
便利な言葉でまとめておこう。

つまりは「一期一会」。

終わり。

7月の一番上に戻る


7月21日月曜日
(9月9日 wrote)

これを書いている現在は9月9日の午後である。
1ヶ月半ほど、ここに日記を更新しなかったが、長旅の記録を是非残しておきたく思い、
今さらながら、ひと月半前の日記をつけることにした。
僕は日頃から、どこに行くにもポケットサイズのノートを携帯していて、
その時その場で感じたことや考えたことなどを紙上に残しているので、
その秘密ノートを見れば、ひと月前の日記を書くなどそう難しいことではない。

まあ毎日日記をつけてたって、結局書いているのは過去のことなんだから、
それを書くのが24時間後だろうが、1200時間後だろうが大して変わらないだろう。
ただ、時が経つほど過去を客観的に見てしまう傾向になるのは否めない。

前置きはこの辺にして、本当の日記に入るとしよう。


7月21日月曜日
(9月9日 wrote)

昨晩から続いていた準備は、結局午前5時までかかった。
70リットルの大きなバックパックだが、大きめのノートパソコンとか数冊の本とか、
普通の登山家が恐らく入れては行かないであろう雑物をあれこれと入れていたので、
なかなかバッグに荷物が収まりきらず、何を置いていくのか考え考え、少しずつ削っていき、
気づくと外は明るくなっていた。

しかし「それでも睡眠は必要だ」と、
今は空いている弟の部屋で眠る体勢になり、
(自分の部屋は散らかりすぎて寝られるスペースが無かった)
一時間半後の7時頃に起きようと目覚ましをセットした……。


起きた。というより起こされた。
時計を見た。
午前10時を回っていた。
やばかった。

昨晩(というか数時間前だが)、
荷物から削除した「10秒チャージ」系のゼリーで朝食を済ませ、
バカデカく膨れ上がったバッグを背負ってよろめきながら、
僕を起こした後リビングで寛いで(くつろいで)いた父に、
駅まで連れて行ってくれと頼み、車に乗り込んだ。

この旅は、『青春18切符』というやつで鈍行を乗り継ぎ、
まずは屋久島を目指すということが決まっていた。
屋久島の宿や、鹿児島港から屋久島への船など、既に予約していて、
今日は午後9時33分京都発の夜行列車にに乗る必要があった。

地元春日部駅から東京駅までは1時間半。
「大きな時刻表」(A4サイズ)を準急列車の中で開き、
東京駅から京都駅までの所要時間を調べた。

調べたと言っても、予め(あらかじめ)乗り継ぐ電車は調べてあって、
しるしを付けておいたので、東京駅と京都駅の「しるし」を見ればいいだけだった。
決めておいた予定時刻は2時間も過ぎてはいたが、
余裕のありすぎる乗り継ぎで、東京駅や京都駅周辺を散策する時間もとっていた為、
事故などが起こらなければ、どうにか間に合いそうな時間だったのでとりあえず安心した。

気がつくと、僕は車内の人の視線を集めていた。
人がひとり入っているかのような縦長のバックパックに
中くらいのリュックを括り(くくり)付け、
腰にはまた大きめのウエストポーチを装着し、
手には「大きい時刻表」を広げているその姿は、
休日の電車内に点在するいくつものグループに話題を提供するのには十分だった。
別にその人たちは僕に興味があるのではなく、
『旅』というテーマで物を語るきっかけに、「僕」を利用しているだけだった。
みんなそういう目をしていた。

「『旅』というテーマで物を語りなさい」
と言われて語れない人は恐らくほとんどいないであろう。
旅の経験とは十人十色で、誰かと似通った体験という方が少ない。
だから人は、自分だけのその思い出を大切にし、
それを語り、
また、それを求めるのかもしれない。

そして芭蕉の言ったように、
生きることは旅であると感じている人も多いのだと思う。

―――。
とりあえず電車内に戻ろう。

準急は北千住駅に着き、営団日比谷線に乗り換える。
1階から3階へ、階段を駆け上がる。
僕の足には、かなりの負荷がかかった。
電車を待つホームで、僕は迷わず端まで歩き、
電車に乗るなり壁にバックパックを向けて立った。

午前11時という中途半端な時間帯だが、
休日ということもあって、都心へ向かう列車は結構な混雑振りだ。
通勤ラッシュのような乗車率120%とまではいかないが、
その日比谷線列車には、100%ほどは乗っていただろう。
デカいバックパックを背負った僕は、明らかに邪魔者だった。
八王子から春日部に帰った時の車内、
一人で3人分ほどのテリトリーを展開していた時のことを思い出した。
何だかすごく悪いことをしているような気がして俯いて(うつむいて)いると、
近くにいた小学生くらいの男の子が、運転席の扉の窓から景色を覗きたがっているようだったので、
それを咎めて(とがめて)いるその子の母親に、
「場所、代わりましょうか?」と声をかけた。
「どうもすみません。」とその母親は答え、ちょっぴり場所をチェンジした時、
何とか悪い人のイメージが消せたと、
ちっぽけな自己満足をした。

最近僕は、知らない人に話しかけるっていうのが、
みうらじゅん風に言うところの「マイブーム」というやつである。
昔あるドラマの中で田村正和も言っていた。
「旅の醍醐味は人との出会いだ」と。
別に田村正和でなくとも言っている人は大勢いるが。
とりあえず日比谷線列車内で出会った親子は、
この旅の、出会い第1号となった。


山手線に乗り換え、時刻表を広げる。
わりと空いている車内。
東京駅までのわずかな時間、東海道本線の出発時刻を急いで調べようと、
普段わりとスローリーな僕だが、ギアを上げて時刻表に襲いかかった。
周りで僕を見ている人がいたら、きっと鉄道マニアに思われただろう。
時刻表と腕時計を見てみると、
東京駅について間に合うかどうかの瀬戸際の列車が一本あった。
それを逃せば次は13分後。
しかしその13分が、後々乗り換えていく中で、大きくなるかもわからない。

「果たして間に合うか!?」
東京駅に着いた!
かなりきわどい!
ダッシュで階段を駆け下りる!
そしてまた上る!
電車が停まっていた!
こ、これか!?
間に合ったー!
そして時計を見る。
時間を過ぎている。が、出発しない。
も、もしや列車を間違えたのか!?

そうではなかった。
時計が3分早かったのだ。
いつもわざと時計を数分進めているのに、しょっちゅう忘れてしまう。
まあ良かったよかった。
熱海まではこれでのんびり寛いで(くつろいで)行ける。
熱海に着くのは2時間後。天気もよく、景色も綺麗だった。

海も、広大で綺麗な水平線が見えた。
地球は丸かった。

この大海から見れば、こんな自分などちっぽけなものだな。
などと俗な感想が思考回路を支配していた。
しかし、人に2種類あるとして、
海を見てそこに自分を見られる人と見られない人、
その前者に自分がいるのは幸せだと思った。

いつか、喫茶店に一人でいた時、
「感動ごっこ」というものを突如思いついてやったことがあった。
テーブルに置かれたグラスから、水滴が流れ落ちるさまを見て、
何らかの比喩を無理矢理使って俳句やら詩やらを作った。
感動があったから詩を書くわけではない。
詩を書く為に、わざと感動してみたのだ。
正に「感動ごっこ」。

眼前に広がる大海に、何度も見たことのある大海に、
自然にでもわざとでも、感動できる自分が今ここにいるというのが嬉しかった。


熱海で乗り換えるつもりだったが、終点の沼津までとりあえず乗って行くことにした。
そして時刻表を開いてみると、沼津までその列車で行けば、
熱海で乗り換えるよりも早い列車に乗れることを発見した。
すると何だか時刻表を調べるのが楽しくなってきて、
鉄道マニアの気持ちが少しわかったような気がした。
高校時代、鉄道マニアだった後輩が、毎日昼休みに図書室にやってきて、
嬉しそうに、かつ真剣に、毎日毎日時刻表を読んでいた光景を思い出した。
なるほどな〜。
何がなるほどなのかよくわからないが。

沼津での乗り換え時間は2分だった。
ホームに降りると、階段は遥か彼方にあった。
降りる人々で混雑したホームを早足で進み、階段を駆け下りる。
しかし、どこ方面っていうホームが正しいのか解らず、
勘を頼りに奥のホームへ階段を駆け上がった。
列車が停まっていた。
息を切らしたままそれに乗り込んだ。
しかし出発しない。
嫌な予感がした。
直感的にそこを脱出した。
今度の直感は当たっていた。
その列車は御殿場線国府津行き。
危うくとんでもないところに連れて行かれるところだった。
以後気をつけよう。
結局熱海で乗り換えても乗れた列車が20分後に現れそれに乗り込んだ。

沼津から浜松までは2時間ほど。意外と遠い。
東京ー熱海間は、旅行者っぽい人が目立っていたが、
こっちは地元の学生なども多かった。
丁度部活の大会などがある時期なのだろう。
それっぽいグループを結構見かけた。

浜松で再び乗り換え、豊橋に着いてみると、
沼津で乗り継ぎ成功した時と結局この先変わらなかったことに気づいた。
今度は豊橋で乗り換え時間2分となったが、
もう失敗はしなかった。
豊橋から米原までは、新快速というやつで2時間ちょっとだった。
『青春18切符』は、とりあえず快速には乗れる。特急券が要らないから。
米原に着くともう、空は暗くなっていた。

米原から乗った新快速は、ガラガラだった。
そして車内はとても綺麗だった。窓が全て鏡のようだった。
さすが快速というだけある。
しかし新快速は、いつまで「新」なのだろうか、とくだらないことを考えたりした。
新基礎英語もそうだよな〜。などと考えている僕は、
もう今朝の焦っていた僕など想像もできないくらいに余裕ありありの思考回路だった。
もう1時間もしないうちに京都に着く。
晩御飯を摂る時間も充分ある。

そして京都に着いた。
午後8時15分。
駅の外に出たりして食事するところを探してみたが、
結局駅のホームの立ち食いそばにした。
荷物があまりにも巨大で、レストランなどには入るのが億劫(おっくう)だったからだ。
コンビニで明日の朝食を買い、
ホームで臨時夜行快速ムーンライト九州を待った。
まだ結構時間があった。

ホームでしばらく列車を待っていると、
黒人の大男が階段を下りてきて、何やらきょろきょろと慌しい。
僕は心の中で、
「May I help you?」
と呟いた。

すると大男は、僕のテレパシーを感じ取ったか表情を読んだか知らないが、
僕にずんずん近づいてきて、
「コノデンシャ、Osaka、イク?」
と日本語で話してきたので、
「あ〜大阪に行けますよ。」
と即答した。
今いるホームには、大阪方面に行く列車しか入ってこない。
彼は列車のドアに歩みかけて振り返り、
「アリガト。」と言い、
僕は日本風のスマイルで、日本の文化を見せてあげた。
気分がよかった。

ムーンライト九州は京都駅発だったが、
予定発時刻が近づいてもなかなか姿を現さなかった。
ホームが違うのか?
ムーンライト九州は、青春18切符が使える7月20日から9月10日までの期間だけ
臨時に走っている夜行快速の為、ホームの時刻表には載っておらず、
どのホームから出るのかわからなかった。
気がつくと、僕と同じようにホームの電光掲示板を見上げている旅人風の青年がいた。
声をかけた。
「ムーンライトですか?」
「は、はい。そうです。」
と、青年。
彼は東京の友人に会って、長崎に帰るところだと言っていた。
いろいろ世間話をした後、
電光掲示板が、ムーンライトはこのホームではないことを示したので、
彼と一緒に階段を上り、隣のホームへ降りると
既にヤツは平然と停車していた。

青年と別れ、車内に入る。
特急ではないが、ムーンライト九州は全席指定だ。
しかしそれにしても、ガラガラだった。
今日乗り継いできたどの列車よりも空いていた。
指定席にする意味がほとんどない。
まあ京都発だから、大阪辺りで結構乗ってくるのだろうと思ったが、
パラパラと乗ってきただけ。
乗客は皆、初めのうちは遠慮して小さく乗っていたが、
すぐに隣の席を荷物置き場にし始め、
堂々と二席分使っていた。
もちろん僕も。

しかし夜行列車といえば寝台のイメージがあるが、
あくまでただの夜行快速。
座席は特急列車のような配置だが、
布団も何もない。
夜中でも走っているただの列車。

博多駅に着くのは午前7時27分。
そして博多駅バスセンターから7時43分の高速バスに乗らねばならない。
明日も朝から精神を削るのか……。

ほとんど座った状態で、眠れそうになかったが、
今朝あまり寝ていなかったり、一日中列車を乗り継いで疲れていたので
(とは言っても今もなお列車の中だが)、
意外と眠れた。

終わり。

7月の一番上に戻る。


7月22日火曜日
(9月10日 wrote)

目が覚めたのは午前5時過ぎ。
周りが少し騒がしくなり、窓から明かりが入ってきていた。
しかし外は雨がぱらついているようだった。
のんびりと顔を洗って軽い食事をして歯をゆっくり磨いて…。
時間が有り余って暇だった。

小倉駅のホームで、こちらにカメラを向けている少年を見た。
まだ午前6時だというのに、熱心な鉄道ファンだ。

ようやく僕の頭が目覚めてきた。
今日の夕方には、屋久島に着いているはずだ。
気合が入った。

青春18切符がありながら、博多から鹿児島までバスで行くことに決めたのは、
九州の鉄道は単線が多く、とても鈍行を乗り継いで縦断できるようなところではないからだ。
調べてみると、鈍行では途中、1時間待ちという場所が2,3ヶ所あった。
そんな面倒で退屈なことはしたくない。
それにバスは、特急などで行くのと時間に大差がないわりに結構安い。

列車は折尾駅を過ぎ、次はもう博多駅だった。
とは言ってもあと1時間ある。
僕は「大きい時刻表」に記載されていた博多駅内の地図を睨み、
バス乗り場がある、「福岡交通センター」までの最短ルートを探し、
頭の中で何度もシミュレートしてみた。

タイムリミットは16分。
果たしてその16分間でホームを駆け下り、改札を出て、
交通センターに辿り着き、無事にバスに乗ることはできるのか!?
ちょっとでも駅で迷ったらバスは行ってしまうだろう。

そして
運命の扉が開いた。

シナリオ通りに階段を駆け下り、「中央出口」へ向かった。
しかし、そこには自動改札機しかなかった。
青春18切符ではここから出られない!
焦った。
と思っていたが意外と冷静だった。
駅員がいるのは「中央口」だと看板に書いてあったのを見つけ、
すぐさま引き換えし、同じような名前の「中央口」から脱出した。

外に出て、福岡交通センターへ駆け込む。
ただのターミナルかと思っていたが、
それは建物だった。ビルディングだ。
とにかく中に入って情報収集し、鹿児島方面は3階の乗り場から出るらしいことがわかった。
時計を見た。
3分進んでいる僕の時計は、充分余裕があることを示していた。
ふう…。

それにしても、随分と立派なバス乗り場だこと。

バスは予定時刻を過ぎてやってきた。
バスに乗り込んだ。
荷物を降ろし、腰を下ろし、やっと肩の力が抜けた。
鹿児島までは4時間ある。
4時間もゆったりとしたバスの中で過ごせるなんて、すごく幸せだった。
昨日は常に時刻表を抱えて歩いていたから。
ゆったりと座っていられる身体以上に、頭を使わなくていいというのが良かった。

眺めも素晴らしかった。
小倉では雨がぱらついていたのに、
博多は青空が広がっていた。
あちこちに水溜りは見えたが、3,4日前にテレビで見た大洪水の爪跡は見られなかった。
あの豪雨がちょっとずれていたら、僕は大変な目にあっていた。

バスは青空の下を進んだ。

  


つづく……。