2003年皐月
5月3日
5月4日
5月5日

5月18日
5月20日



5月3日土曜日
 晴れ


親しい友人たちとボウリングをした。
実は結構ボウリング好きである。

仮にこの親しい友人を、「タケゾー」と「ジョウイチロー」としておこう。
彼らと3人で会うときは必ず、
まず最初に「ボウリング3ゲーム」
という黙認ルールがある。

普段はボウリングのことなど
一番下の引き出しの奥にしまいこんでいるが、
14ポンドのボールに3本の指を差し込んだ瞬間から、
頭の中はボウリングファイルであふれかえる。

ボウリングは物理学だ。

3ゲームもやっているといつも大抵、
マイボールを輝かせ、遠く10本のピンを独りで見つめている、
イカニモな男が近くのレーンに現れる。

彼らはそれぞれスタイルに違いはあるものの、
妖しげなアームから放たれるボールはとんでもない残像を焼き付けて
白いピンの待ち構える暗い穴に吸い込まれていく。

彼らの放つ特殊なボールの動きと、
それを生み出す投法の関係を物理学的に考察し、
友人たちとディスカッションしながらそのボールを我が物とするのが、
僕流のボウリングの楽しみ方なのだ。
スコアはいづれ後からついてくるものだ。
そう、
僕は自分の人生でもそういう生き方をしたいと日々心掛けている。
すぐ目の前に建てられる一瞬の名誉の為ではなく、
自分の中で確実に育っていく虚像ではない本質的な新しい芽をつくる為に、
僕は自分で自分の能力を、良くも悪くも認めながら道を開いていく。

終わり。

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5月4日日曜日
 晴れ


昨日のメンバーと、「カタン」と「モノポリー」で勝負した。
「カタン」、「モノポリー」というのはボードゲームの名前だ。
特にカタンの方は、僕が今目標として神棚に祀っているくらい偉大なゲームなのだ。
と言いたいところだが我が家には神棚なるものが存在しない為、
テキトーなところに置いてある。

そんなことはどうでもいいが、いやカタンの話はどうでもよくないが、
とにかくカタンは究極のゲームなのだ。
でも語りだしたら長くなるので新メニューを作って
そちらで勝手に語るとしよう。
ひとことだけ言っておきたいことは、

「カタン」というゲームは、流行のTVゲームや、
トレーディングカードのオマケみたいなカードゲームなんかとは違って、
能動的なゲームだということだ。
プレイする人の人格がそこには見える。
誰がやっても同じ結果が残るような、単なる作業に終わるゲームとは違う。
僕は最近流行のそういうゲームが溢れていることに深く失望し、
その世界を自分の手でいつかきっと打開してやろうと思い、
日々、ゲームと人の幸せについて考えているところだが、
この「カタン」には嫉妬せずにはいられなかった。

おっと、ひとことが広がりすぎてしまった。
続きが書きづらくなったので今日は終わろう。
また来月、同じメンバーで同じタイムテーブルを組むだろう。たぶん。
ていうか僕の研究のために無理やり付き合ってもらう。
いつか僕が「カタン」を超える日まで。

終わり。

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5月5日月曜日
午後11時 晴れだと思う


今日はこどもの日
だった。
「子どもの幸福をはかり祝う日」らしい。

子どもの幸福か……。

あまり考えたことはなかったが、
そう言われると「こいのぼり」の意味もわかる気がする。
「子どもの幸福をはかる」
つまり「子どもの将来を考える」
そして「登竜門」昇っていく「こいのぼり」

ってこんなことに今さら納得してもしようがないが、
とりあえず僕は今日、
成人して初めてこどもの日に
遭遇した。

気分はどうかと自分に問うても、
別に去年と何も変わっちゃいない。
しいて言えば、
こんなことを僕が考えている、考えていたという記録を、
他人が覗ける場所に残しているっていうことは、
まあ去年とは違う。
そんなところだからとりあえずは、
来年のまた違った自分の気分に期待するとしよう。

終わり。

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5月18日日曜日
午後7時 曇りのようだ


今日はぼーっとして過ごした。
まるで昨日の充実感が嘘のように。
たまにはこういう日があってもいいが、
繰り返さぬようコントロールしよう。

日付が変わる前に家を出て仕事に行かねばならないので、
これからひと眠りするとしよう。

連休はすぐに去ってしまうものだ。
いや、
ネガティヴではだめだ。
では、
さあひと眠りしたらまた新しい一週間が始まるぞー!
ってこんなとこだろうか。

まあとりあえず、
良くも悪くも明日は来る。
おやすみなさい。

終わり。

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5月20日火曜日
午後7時 雷雨の真っ只中


今、雷雨の真っ只中にいる。
僕の記憶では、今年初めて雷の音を聞いた。

雷に関して、僕に嫌な経験がないせいか、
何だか激しい雷雨が起こるとワクワクしてしまう。

かつて雷雨に苦い経験をした人たちは、
その都度憂鬱な気分になるのかもしれないが、
とりあえず今のところ、僕にとって雷雨の到来は、プラスのベクトルを呼ぶ。
何か今抱えている混沌とした気分をすべて
ぶち壊し、洗い流してくれるような気がして。

僕が中学生の頃、3年間音楽を教えてくださった先生は、
結構なカミナリ好き一家で、
食事中などでも雷が鳴り出すとまず、
明かりを消し、カーテンを開け、静まり返り、
窓辺で雷の音と光を楽しみながら食事を続けるとかよく話していた。

そこまで僕はカミナリ好きではなく、
きちんと思い出してみれば、新聞を配っていた頃なんかは
よくひどい目に合わされたものだ。
でもその頃でもやはり夏の豪雨は、
どこか清々しく(すがすがしく)、混沌とした空気をすべて、
きれいさっぱり洗い流してくれるような気がした。

最近妙に意味深な夢をよく見る。
明らかに僕の未来を暗示しているような、
希望と不安が入り混じった映像。
しかし大抵、夢の中でもリアルに残るのは、
その不安の誇張された部分だ。

夢というのは面白いもので、
実際にこの身をもって体験したものではないのに、
ただ自分の頭の中だけで起きたことなのに、
時にそれは、実体験のように記憶に刻まれる。
そしてその記憶は、
現実世界での己の行動に影響を及ぼすことがある。

夢………。

奥深き領域。

なぜ、将来の希望と、寝ている間に見える映像が、
同じ言葉で表現されるのか。

ちなみに英語でも、同じdreamを用いる。

将来の希望とは所詮、夢のように儚い(はかない)ものなのか。
それとも寝ている間に見える映像は、将来に希望の光を導き出してくれるのか。

「夢のような」という言葉も、実はいろんな意味を持っていたりする。
「儚い」という言葉にも夢という字が内在していたりする。
夢―。何なんだろう。

まあそんなことはさておき、
雷雨を苦い思い出に取り込まぬよう、
僕はパソコンのコードをコンセントから抜いた。

終わり。

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