新婚旅行のアクシデント
私たちの新婚旅行は、オーストラリアだった。
ゴールドコースト・メルボルン・シドニーを9日間で周るコースだった。
もう6年以上も前のことを改めて思い出すことにした。
改めて思い出してみると、所々よく覚えていないことがわかる。
ここでは素敵な旅の話ではなく、こんなことがあったということをお話したいと思います。
決して忘れることの出来ない出来事を・・・
そう言えば、このHPでは私がどこに住んでいるのかまだ言っていませんでしたね。
ここで初めて私がどこに住んでいるかお話しましょうね。
私は徳島県に住んでいます。
この話は徳島県に住んでいることが恨めしかったエピソードでもありますね。
とても長い文章になってしまいましたが、最後まで読んでいただければ嬉しいです。
それではごゆっくりご覧下さい。
出発の日、その日の夜大阪空港を発つので、徳島空港から大阪空港行きで、お昼過ぎの飛行機を予約していた。
少し早いけど、まだ買い足さなければならないものもあったので、10時頃家を出たと思う。
もう楽しくて仕方ないという感じで、車の中では「まさか私たちが今からオーストラリアに行くなんてみんな思いもしないよね」なんて話がはずんていた。
そりゃそうだ。 通り過ぎる人が思うはずもない。 それに・・・
だってその日は出発できなかったのだから。
その会話をしていたとき、車がどこを走っていたか今でもはっきりと覚えている。
信号待ちの交差点の景色もはっきりと覚えている。
まさかその言葉とその場所がつらい思い出になるなんて・・・
その日は風と雨が朝から強かった。
でも6月の初めだったし、台風は関係ないので天気予報も気にしていなかった。
徳島空港に着いてみると私たちが乗る便の案内のところに、「天候調査中」という文字が表示されていた。
ロビーのお姉さんに聞いてみると、「出発の30分前まではまだ何とも言えません」という感じだったので待つことにした。
待っても一向に搭乗手続きが始まらないので、またお姉さんに聞いてみた。
すると、「風速が30メートル以上あると離陸できないんです。多分欠航になるかと・・・」
なぬーーーっ それなら初めからそう言ってよぉって感じで慌てて旅行会社に電話をした。
担当者は、「朝の内に出発した方がいいかとお電話したのですが、いらっしゃらなかったので・・・」
電話をかけたのは私が結婚する前に住んでいたマンションじゃないかぁ。姉は今も住んでいるけど仕事で留守に決まってるじゃんかぁ。
その時空港で、偶然にも私たちが婚約指輪と結婚指輪を買ったお店の人に会った。
これからイタリアへ仕入れに行くらしいのだけど、欠航で困っていると話していた。
もちろんフェリーも終日欠航。
こうなったら車で大阪まで行くしかない。
旅行会社の人には、車で向かうので集合時間には遅れるかもしれないと、大阪空港の出発の担当者に電話をしてもらうことにした。
当時、まだ明石大橋はなかったけど、鳴門大橋で淡路島まで渡れば、神戸までフェリーが出ている。
だいたいいつも徳島より淡路島は波がそんなに高くなくて、滅多にフェリーが欠航することはなかったのだ。
淡路島まで行ければなんとかなる。
大阪空港の駐車料金はかかるけどこうなったら仕方がない。車で大阪空港まで行ったことは何度もあるので大丈夫。
私たちはすぐに空港をでで、インターチェンジへ向かった。
ところが・・・
「強風のため、鳴門大橋通行禁止」の文字が・・・ 皮肉にも30分早ければ通れたかもしれなかった。
空港のお姉さんを恨んだ。
もう私たちに残された道はなかった。
全て閉ざされてしまったのだ。
この時ほど、徳島は島国なんだと思い知らされたことは後にも先にもこの時だけだ。 パパもそう思ったに違いない。
当時、関空はまだ出来ておらず、通称伊丹空港からの出発だった。
集合までの交通費はもちろん本人負担だし、そこまでの交通手段が絶たれたといっても関係ない。
大阪空港からオーストラリアへの飛行機が飛び立つことができれば、私達はキャンセルということになってしまう。
朝早い便なら前日から大阪空港の近くのホテルへ泊まることも考えた。
でも私達が乗る予定だった便は夜の7時半頃の出発だ。 その必要はないと判断していた。
パパは、「半分戻ってきたお金でお前だけ行って来い」なんて言うし、新婚早々重苦しいムードになってしまった。
あまりにもショックが強すぎて、今思い出してもその後のことはよく覚えていない。
たしかもう一度徳島空港へ戻って、旅行会社の人と連絡を取ったと思う。
旅行会社の人は私がOL時代に会社に出入りしていた人でよく知っていた。
私は電話をする元気もなかったし、何かしゃべると泣きそうだったので、パパが電話をした。
電話を切ったパパは意味が分からない様子で、「なんか・・・ 日程を追いかけるとか変なこと言ってるぞ」と半信半疑の様子で私に言った。 もちろん私も理解に苦しんだ。
私達2人は、すでに思考能力も破壊されていたのだ。
どうも、私達の行くはずだったツアーを実費で追いかけるということだった。
一生に一度の寿旅行なのだからと、配慮しますということらしく、すぐに手配しますと言うのだ。
わけがわかからないまま、旅行会社に行ってみることにした。
私は旅行会社の人に会いたくない心境だったので、パパだけ中に入ってもらい、私は車の中で待っていた。
数分後、話が終わったらしくパパと一緒に旅行会社の人が雨の中傘をさしてでてきてくれた。
私はおじぎをするのがやっとだったけど、とても気の毒そうな顔をしていた旅行会社の人の顔は覚えている。
パパがもらってきた日程表をみると、明日の予定が書かれていた。
明日の夜、成田からの飛行機に乗るらしい。
「明日の朝、飛行機で東京まで行きますか?」と聞かれたパパは、「もう恐ろしいので車で大阪まで行きます」と言ったらしい。
この時はもう夕方だった気がする。
お昼に何を食べたのか、どう過ごしたのか、全く覚えていない。
ただ、家に帰る気にはなれなかったので、鳴門大橋開通まで姉のマンションで待つことにした。
神戸にパパの叔母がいるので、そこに車を置かせてもらい、電車とバスで大阪空港まで行く事にした。
そのご夫婦には結婚式で媒酌人を務めて頂いたし、結婚前から何度か私も行ったことがあった。
何時になるかわからないのに泊めて下さるというので、開通次第向かうことにしていた。
姉のマンションでも、(と言っても、ほんの2,3日前まで私も住んでいたのだけど) 夜何を食べたのか覚えていない。
とにかく、窓際で2人じっと外を眺めていたのだけはよく覚えている。
時間だけが過ぎていき、とうとう大阪空港から私達も乗るはずだった飛行機が何事もなくオーストラリアへ旅立つ時間も過ぎた。
インターチェンジへ電話をしても、まだ開通の兆しはなかった。
やっと開通することになったのは、夜の8時を過ぎていた。
とにかく本州まで渡ろう! とにかく徳島を出て安心したかった。
神戸の家についたのは、夜の11時半を過ぎていたと思う。
起きて待っていてくれた。
ここまでくれば後は陸続きだ。 私達はやっと落ち着きを戻しつつあった。
神戸のおじさんとおばさんは、「またすぐ会えてうれしいよ」とか、「よりいっそう忘れられない新婚旅行になるね」と慰めてくれた。
翌朝、たまたま大阪に出張だったおじさんと一緒に三宮まで電車に乗った。
通勤時間を少し過ぎているとはいえ、大きなスーツケースをガラガラと持ち歩くのはちょっと恥ずかしかった。
三宮でおじさんとは別れて、そこから直通のバスで空港へ行った。
受付のカウンターで早々に手続きを済ませる。 あまり私達の事情を知らないようで、「何か変更があったんですか?」と旅行の間中、現地の係りの方に会う度に言われることになる。
大阪空港から成田空港へ向かう。
満席だったらしく、私達は今まで乗ったことのない一番前のいい席だった。
キャンセル待ちで特別に優遇してもらったんだなということがわかった。
お昼頃成田に着いたが、オーストラリアへ向かう飛行機は夜の9時頃の出発だった。
大阪空港ですでに出国手続きをしているので、外に出ることも出来ず、限られた範囲だけしか行動できなかった。
それでも決して飽きることもなく、新しいウィングが出来たばかりらしく綺麗だったし、飛行機を眺めたり、初めての成田を満喫した。
売店で買ったごませんべいを2人でバリバリ食べた。 おいしかった。
何より、ここまで来た安心感が私達にはあった。
もう私達は、ツアーの遅れをそれほど気にしなくなっていた。
本来のスケジュールでは、今日は定番のコアラの抱っこに、おいしいシーフードの夕食のはず。
不思議と悔しさはなかった。 なんとか追いつき、人一倍楽しむことだけを考えていたように思う。
そしてやっと出発。やっと日本から離れられる。
朝にはシドニーだ。 空席がたくさんあって広々と眠れた。
そして翌朝シドニーへ。 そこからまた飛行機でブリスベーンまで行き、そこからはゴールドコーストまで貸し切りの車だった。
運転手さんがオーストラリアのことをたくさん説明してくれた。
私はホッとしたのか途中で寝てしまったけど・・・
ゴールドコーストの滞在が一日短くなったけど、終わったはずのシーフードの夕食をずらしてもらったりと満喫できた。
一日早く愛媛からこのツアーに参加したというご夫婦もいた。
一日違いでこんなことになるなんて・・・
その後は無事にスケジュールをこなし、新婚旅行は終わった。
数日後、旅行会社から一通の請求書が届いた。
詳しい明細などはなかったので、何にいくらとかは全くわからなかったけど、たしか5万円近くの請求だった。
まる一日つぶれた上にさらにお金を払わなければならないなんて切ないところだけど、こんなアクシデントの中でも楽しめたのだから不幸中の幸いとでも言うべきなのだろう。
ただ一つ心残りなのは、オーストラリアに来て定番のコアラの抱っこが出来なかったということだ。
数ヶ月後、オーストラリアに新婚旅行に行ったというパパの友人から、コアラを抱っこした写真入りのハガキが届いたときはちょっとショックだった。
そして、私達の珍道中は、私のOL時代の会社の人もみんな知っていた。
もちろん、出入りしている旅行会社の人がしゃべったのだ。
社長までもが、「大変だったらしいなぁ」と言ったもの。
それから数年、毎年風の強い日があると、私達はこの出来事を思い出さずにはいられない。
そして、私達みたいな人たちがいないことを祈りながら・・・