震災から5年経って
阪神淡路大震災。その日は長男が生まれてちょうど2週間の早朝でした。
たまたま授乳のために私もパパも起きていて、長男はまだうまくたくさんの量を直接飲むことができなかったので、私は残った母乳を絞り、パパは搾乳した母乳を湯煎して暖めて、ほ乳瓶で長男に飲ませていたときでした。
私の住んでいる徳島県は震度4でしたが、それでも私が今まで体験した地震とは全く違ったものでした。
すぐにおさまるかと思っていたのに揺れ続け、金魚を飼っていた水槽の水がこぼれ始めたので、パパは長男を放り投げるかのように私に渡して、水槽を押さえましたが、水がこぼれるのは止まりませんでした。
私もパパも、四角い壁が菱形にゆがんで見えたのは初めてでした。
なかなか止まらない揺れに思わず、「怖い・・・」と私は小さな声でつぶやきました。
その数秒後やっと揺れがおさまりましたが、しばらく心臓はドキドキしていました。
ふと気づくと、パパが長男に飲ませていたほ乳瓶が見当たらないので探してみると、水槽のすぐ隣に置いてありました。
長男は私に預けたものの、ほ乳瓶は持ったまま水槽に駆け寄ったのだとわかり、パパと少し笑いました。
動揺が残っていて、少しだけ笑うのが精一杯でした。
その数ヶ月後、神戸の親戚の家に行きました。
明石から車を走らせていると、屋根にビニールシートをかぶせた家が続きました。
三ノ宮は市役所やビルが壊れたままで、震災当時のテレビで見た光景のままでした。
一番ひどかったというあたりになったとき、ふと路地裏を見てみると何もない広い空き地が目に入りました。
大通りから入ってすぐに私たちが目にしたものは、一面の焼け野原のような風景でした。
「ここでたくさんの人が亡くなったんだ」と思うと、言葉が出ないくらい胸にこみ上げてくる何とも言えない感情を抱いたのは生まれて初めてでした。
テレビや新聞で見た光景なのに何か違う・・・
それはテレビや新聞では感じることのできない何かでした。
あれから長男の年齢がひとつ増えるたびに私は震災のことを思い出し、「あれから○年経ったんだ」とつぶやきます。
あの時私は何もできなかったけど、せめてこの震災を忘れることなく、日々の生活に活かしていかなければと思っています。