『続きが聞きたい』

 

asano老板、超過滞在で出国できず!

パスポート取り上げで、特区内への通行もならず。

さあ、我等が老板、いったいどうやってこの危機を載りきったのか…?

(以下の内容は,通称“asano老板”氏が、ジオボードに投稿した内容を編集して作成しています。)

 

注1「特区」:深セン経済特別区のこと。一口に深センといっても,特区(経済特別区)内と,特区外に分れています。特区内に入るためには俗に第2ボーダーと呼ばれるイミグレのようなものを通ります。この時、中国人なら「辺(境)防(衛)証」を、外人ならパスポートの提示を求められます。特に中国の人は、誰でも彼でも特別区に入れるわけではありません。外人でも、身分証が提示できなければ同じ事。だから、ボーダーのあたりに密入国斡旋ならぬ密入境斡旋の蛇頭(スネークヘッド)がいます。まあ、「辺防証」は5、60元で買えますが…、偽物が。見つかると罰金100−150元くらい。旧正月開けに特に厳しくチェックされる。

 

国外退去処分 s_asano - 投稿日時:2000年05月27日 22時38分21秒

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どんな事したら国外退去処分になるかは良くわかりませんが、出してもらえなくなっちゃうよりいいです。ちなみに私は過去、(これも昔話で親父臭いですが)ビザの滞在期限を約2ヶ月も超過した事があります。蛇口海関を涼しい顔して出ていこうとして止められました。この件、なんでそうなってその後どうなったかは話すと長くなるので止めときます。聞きたい人いますか?

 

注2「蛇口」:深セン市の東南にある町の名前。香港までフェリーがあり、約一時間でつく。

注3「海関」:中国語です。日本語では,税関。でも、この場合はイミグレが正しいかな。

 

 

 

 続きが聞きたい…その1s_asano - 投稿日時:2000年05月28日 01時29分04秒

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 長くなるので連載にします。まず、なんでそうなったか。

 これも10年ぐらい前ですが、当時某米資企業の香港支社の宝安工場で働いていました。

 ビサの期限が近づき、更新するには一度香港に出て再度蛇口から入国する時に報関員に必要な書類を海関まで持ってきてもらってビサをもらうのが常だったのですが、仕事が忙しいので深センのどっかで更新とか出来ないのかと報関員と香港から来ている管理者に相談したんです。そうしたら任せとけとパスポート持っていかれて数日経っても返してくれません。

 そうこうしている内に期限が来ちゃったので問い詰めたのです。そうしたらパスポートを持ってきて、海関行ってちゃんと聞いてきたが何回も同じビサ取ってるんだから少しぐらい超過したって何の問題もないと言うのです。おまけに大丈夫しょっちゅう接待してるからとも言われました。ほんとかよと思いましたが既に期限は過ぎていて、その上つまらない面倒事(情がらみ、これは超長くなるので割愛)が起こり仕事の忙しさに流されズルズルとなりそろそろ香港に行くべぇと思った時は確か超過40日台の後半だったと思うのです。

 それである日の朝、蛇口に行ってフェリーの切符を買い出国の列に並びました。その時点では言われた事を信じていると言うよりもとっくに忘れていたという感じで、パスポートを出したんです。そしたら勢いに乗ってスタンプが押されるかという時に海関員の表情がギロッと変わり、スタンプを持つ手が止まりました。

、、、ほんとに長いな、以下つづく、待て次号。

 

注4「宝安」:深セン市宝安区の中心地の名前。特区外である。

注5「報関員」:日本で言うところの通関士、または通関担当者。

注6「しょっちゅう接待してる」:人治国家にあっては役人との関係の善し悪しが命。中でも税関との関係作りは書かせなかった“昔”,管理職の仕事が接待オンリーみたいな時代でした。酒とカラオケ。税関から電話があって、「今週はおまえのとこ行くから宜しくな。」,「俺達を接待したいって会社は多いけど、全部の接待は受けられないだろ。接待させてやってるんだぜ、感謝しろよ」みたいな超タカピーな態度。おまけに恐ろしく酒が強い。寄って集って、企業側の人をつぶして楽しんでるような人達です。最近はそういう輩も減ったし、接待なら,ゴルフクラブ買ってやって、ゴルフ教えてやるのが通らいしいです。

注7「海関員」:イミグレの役人の事。

 

 

続きが聞きたい…その2 s_asano - 投稿日時:2000年05月28日 19時12分48秒

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出境のスタンプは押される事なく卓上に置かれました。

 海関員は食い入る様にビサのページを見ています。その後ふっと鼻で笑って私を見上げ、中国語わかる?と聞かれました。当時の中国語レベルはそりゃひどいもんでしたので私は一点ゝと答えたはずです。(今でもひどいモンですけど)そこで海関員は奥の方に声をかけもう一人が出てきました。同じフェリーに乗る人達はとっくに通関して乗船を待ってます。

 一人残された私はやっと状況が把握できたという感じ。奥から出てきた海関員は私のパスポートを渡され一瞥するなりしばし考えはじめました。日付と日数を暗算してるのでしょう、その後「えっ」と表情を変え最初の一人が「なっ」と合いの手を入れると二人同時に苦笑を始めました。

彼らの笑いは私の「あの〜船が出ちゃうんですけど」で爆笑に変わります。しかし、この後の彼らの対応は私の中国生活の中でもかなりの好印象として残っています。

、、、つづく。

 

注8「一点ゝ」中国語です。少し、という意味。

 

 

続きが聞きたい…その3s_asano - 投稿日時:2000年05月28日 23時31分38秒

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「あの船で香港行くのは無理だね、大体なんでこんなに超過しちゃったの」私は事情を説明しました。

 「そりゃ俺達だって一日二日だったら目ぇつむってやるよ、でもいくらなんだって殆ど2ヵ月じゃない、、これじゃ〜」そんな会話のあと私を含めた3人で腕を組んでしばらく唸ってました。船は出て行き出国カウンターはその3人だけです。

 「どうすれば良いのでしょう」私が聞くと、「うん、こう言う事はもう海関じゃ処理できないんだ、公安局に行ってもらうしかないね」ええ〜公安?「そう深セン市内の公安局、そこの外事科(だったと思う)」私はメモ用紙を出して書こうとすると「書いてやるよ」と言ってメモ用紙に行くべき所の名称を書いてくれました。

 「じゃあここへ行ってみます」「うん、でも今日は休日だからな、行くんならそこからタクシー乗ってその紙見せればいいよ」「謝謝!」と言って去る私に「きおつけてな〜」と声をかけてくれました。事の重大さがわかった私にはまるで日本で警官に道を聞いたような感じの海関員の対応が実に励みになりました。 それまで海関と言えば飲み食い暴れると言う野武士のようなイメージしかなかったのですがあんな人達もいるのかと思いました。

 さて、さすがに公安と聞くと私も尻込みしてしまい、その後はまっすぐ帰りました。ハッキリしている事はその他多くの人民同様出国できなくなってしまった。なんとなく密航して香港に行く連中の気持ちがわかるような気もしたものです。部屋に戻り、ビサが切れてるんだから不法滞在だよな、だから公安かぁ要するに自首するわけだよな、、と考えると妙にぞっとしました。

 で、翌日工場の職員に付き添ってもらって公安局へ行く事になりました。ひょっとして留置されるのではと思い、カップラーメンと文庫本を一冊持って。、、以下つづく。

 ここから出国するまでが長いんですよ、たらい回しにされて、、ごめんなさいほんとに長くて。

 

注9「一日二日だったら目ぇつむってやる」:本当です。ただし、その日の気分による。

注10「深セン市内の公安局、そこの外事科」:深セン市内の地王大廈のそば。詳しい住所はまた今度。

注11「人民同様出国できなくなってしまった。」:パスポート取得はわずか100元。(2000年6月1日からは200元)。ただ,個人での申請には気の遠くなるような時間と労力がかかる。旅行会社に頼むと鬼のように高い。

人民の出国に付いては、新たに掲載予定の『香港への長い道』をどうぞ。

 

 

続きが聞きたい…その4s_asano - 投稿日時:2000年05月31日 22時23分55秒

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公安局へ向かう車中(中型バス)の心境は尋常なものではありません。

 なぜって公安に対してはとてつもない恐怖感が当時からあったのです。海関が野武士なら公安はショッカーかゲシュタポといったところでしょうか、その巣窟へ乗り込むわけですから全身萎縮しきってます。きっと建物の中には拷問道具が無造作に散在し、間違って部屋を開けようものなら全身ムチで打たれた傷だらけの人がつるされた壁を奥に、手前にはくわえタバコでポーカーを打つ公安員がギロッとこちらをにらむ、、。そんな空想が何度も頭をよぎりました。

 前日に日本の日中旅行社に知り合いがいるいる方にFAXでアドバイスを頼んだところ当日の朝、殴り書きのような字で”公安は絶対に怒らせるな”と実に端的な返事をもらった事や、本当は文庫本の他に愛用のウォークマンを持っていこうとしたところ、そんなの持っていったらとられちゃうよ、本も女の子の写真が出ているものはやめたほうがいいという周囲の忠告が一層恐怖心をあおったものです。

 実に長く感じた車中ですが、目的地の付近で付き添いの女の子がバスを停め、徒歩数分で到着。

 ところが中へ入りますと、かなり想像とかけ離れた雰囲気に唖然としました。もちろん制服の公安員も闊歩していますが、ほとんど市役所のような雰囲気です。職員の机に置かれた特大インスタントコーヒーのビンに入れられたお茶が妙に気持ちを和らげました。肝心のビサの件は付き添いの女の子が早速話し始めてくれましたが、聞いていてもかなり知らない単語が連発されるのでよくわかりません。何か政府がどうのこうのハンコがどうした営業証?とあまり私個人とは関係ない方へ話が行ってるようで。

 話が一通り終わると、今日は一旦帰ると言います。何でも私のビサを発行するのに手続きをした企業の証明とその地域の人民政府の各部門のハンコを持ってこいと言う内容だったと思います。そうなると一旦引き上げなくてはなりません。ところが私はいや〜な予感がしました。そう言った行政相手の仕事はこの話の発端になった連中が担当しているのです。そう、人のパスポート持っていってほったらかしにした連中です。

 、、すいませんまた続きます。

 

注12「公安は絶対怒らせるな」;説明不要だったかも。

注13「インスタントコーヒーのビン」:ネスカフェのお徳用サイズの瓶です。これにお茶を入れ、蓋をすれば倒れてもお茶がこぼれないのでオフィスでも、旅行でも、長距離バスの運ちゃんにも愛用されてます。

注14「営業証?」:営業登記証(営業執照、つまり営業ライセンス)のことと思われる。すべての企業は工商局にてこれを取得する。さもなきゃ営業できない。そして、毎年3−4月に年度検査なるものを受ける。これには、法人代表社名、営業範囲、登録資本金額,営業許可年限などが書いてある。商談する時は、まず相手側のこの内容を確認しましょう。営業範囲外の商品なんか扱ってたらちょっと危ない?

注15「政府のハンコ」:ハンコ一つもらうのが、これまた大変な仕事。詳しくは『香港への長い道』をどうぞ。

 

 

 

続きが聞きたい…その5s_asano - 投稿日時:2000年06月03日 02時03分44秒

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悪い予感は当るものです。

 ”モウマンタイ”の余韻を残し、赤いパスポートは再び私の手元を離れました。

 ここで地理的な状況も合わせてご説明しますと、当時その会社は南頭、宝安、広州に工場があり、製品は南頭に集められて出荷されていました。南頭の工場が管理面での拠点になっており、私のビサに関する手続きもそこの合同に基づき申請されていましたので、そこで海関や行政面を担当する香港人管理者に処理を委ねるのは組織的に見れば自然な成り行きです。

 が、なんでこんな羽目になったかと言えば発端はそいつらにあるわけです。最も気になるのは私のいる宝安と南頭の間には深セン経済特区を分ける関所とそれを結ぶバリケードのような柵がデーンとのたうっていて、パスポートを持たない私はその関所を通る事ができません。当然ながら連日経過を確認します。最初は烈火のような催促に愛想の良い対応も返して来ましたが、次第に相手の語調も荒くなり、やれ忙しいだ少しは反省しろ役人は始末書ぐらい書いたらどうだと言っているだのと文句を言い始めとうとう電話にも出なくなりました。

 そうこうしているうちに一週間が過ぎ、また休日です。

 日ざしの強い午後、散歩に出ましたが足は自然と関所の方へ向かいます。いつもなら蛇口の方へ買い物に行くのですが、しかたがありません。散歩コースは柵に沿った小道へと向かいました。時おり柵に手をかけ向こう側を望み、とうとうここからも出られなくなったか、、。と、自分の置かれた境遇を思い知らされたものです。

 その翌日だったと憶えていますが、嫌な事は重なるものです。突然、出張で広州へ行くことになりました。ああ悲惨、パスポート無いんだからどこに泊まれって言うのよ、、。

 と言うわけでまだ続きます。

 

注16「モウマンタイ」:広東語です。No Problemの意。香港人のこの一言に泣いた人数知れず。

注17「南頭」:特区内でしたっけ?宝安区の貨物はすべて、ここの税関の管轄になります。

 

 

 

続きが聞きたい…その6 s_asano - 投稿日時:2000年06月06日 02時31分13秒

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 私の管理していた生産ラインは数ヶ月後に広州への移転が決まっていました。ですから当時は月に一回ぐらいは定期的に出張していたのですが、ビサの騒ぎでころりと忘れていたようです。

 その日は丁度午後、香港から4人ほど人が来てその後広州へ行くので一緒に行かないかと声をかけられ、そういえばと思い出しました。しかしパスポートがありません。事情を話すと例の香港人管理者に対する自分たちの小言も含み同情してくれて、泊まる場所なら心配ない、招待所があるじゃないか何かあっても自分達がついていると強く誘われました。招待所かそういえば聞いた事があるな、いずれにしろそろそろ広州へは行かなければならないので不法滞在の国籍不明者にとっては一人で行くよりは実に心強い誘いです。

 私を含めて5人、よく考えてみれば私は列車にも乗れないのでタクシーで行きました。それも2台で。途中検問に引っかかりましたがビサの関係で今パスポートが無いのだ身元は自分たちが保証すると公安相手にそれは熱の入った説得をしてくれて事なきを得ました。

 2台のタクシーが待ち合わせの中国大酒店についたときは9時近かったと思います。夕食を取り、その後工場のある客村へ。招待所は確かにありました。しかし正確には招待所跡と言ったほうが正しいでしょう、その時点では香港の管理者と工場の幹部職員が一部をドミトリとして使い、廊下に並ぶその他の部屋は物置となっていました。ここに泊めろったってな〜と工場側の香港人はしぶい対応です。

 また全員でうでを組んで唸り始めました。

 私はホテルに行って他の4人がチェックインしたら自分は付き添うふりして部屋に入るからと提案しました。そこでよく泊まっていた江南大酒店に行き、彼らがチェックインする間ロビーをブラブラしていました。ところがさあ部屋へ上がろうとした時に早くも計画は崩れました。すでに時間は12時近く、エレベーターの前では部屋のキイと客の確認取ってるじゃないですか。そこで機転を利かし唖然とする4人に先に部屋へ上がり、後で一人だけ鍵を二つ持って降りてきてくれと頼みました。

 迎えの一人が降りてくるまでロビーに残された時間は実に長く感じられたものです。何とかキイを手にし、無事部屋へたどり着くことができましたがベッドはありません。私は二つあるベッドカバーの一つを下に敷きもう一つをかけて床につきました。

 、、ごめんなさいまたつづきます、、。

 

注18「パスポートがありません」;ホテルに泊まるとき、パスポートの提示が必要。

注19「招待所」:企業が来客用に持っている宿泊施設。これならパスポートは不用。

 

注20「列車にも乗れない」:列車のチケットを買うにも身分証の提示が必要。

注21「検問」:何せ山賊やら、バスジャックやら、身分証不携帯で田舎から出てきて悪事を働く人やら多いので国道のあちこちで、省境で、市境で,はたまたよく分らんところで、車を止められて、身分証をチェックされる時代があった。本当、昔ですねぇ、老板。今でも、高速バスに乗ると、安全の為、乗客全員の顔をバス会社の人がビデオに撮ります。たまに、公安の身分証チェックもあります。防弾服着て、機関銃を持った人がドアのところで入り口塞いで、残りの2、3人が検査します。

注22「中国大酒店」:広州にある5つ星ホテル。

注23「江南大酒店」:広州にある4つ星ホテル。

注24「部屋のキイと客の確認」:中国のホテルでは、来客は午後11時過ぎは部屋に残っていてはいけません。残ってると、服務員が「帰れ」と電話してきます。売春と犯罪防止の為。また、中国人の男女が同じ部屋に泊まるときには、「結婚証明書」の提示が必要です。それを持たずに、午前0時過ぎに同じ部屋にいると、それだけで売春とみなされます。午前0時過ぎに、奥様でない中国女性と一緒にいると公安にしょっ引かれますのでご注意を!

 

 

 

続きが聞きたい_その7s_asano - 投稿日時:2000年06月11日 20時51分08秒

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ベッドカバーの寝心地は悪くはありませんでした。

 同室の二人が発する落雷のようないびきが無ければキャンプに行ったような気分で翌朝をむかえられたはずです。起床して身支度をし、各自の歩調が合わないのか朝食に行ったのは9時を過ぎていたと思います。その上朝食はなんと飲茶。寝不足でぼんやりした頭にしるこのようなお茶を流し込んで彼らの食事を眺めつつ思いました。こいつら燃費悪ぅ〜、、。飲み食いくっちゃべリで一時間以上、その後チェックアウトしてタクシーに乗り、Miekoさんのいる中山大学の前を通って客村へ。

 大体昨夜の中国大酒店>客村>江南大酒店のコースだって広州にいた人ならえらく無駄な道順だって思うでしょう、まるで三角関数の試験にでてくるような位置関係ですから。私もだんだんかなり真剣にやばいなーと感じ始めました。とにかくこんなのんきな連中まともに頼ってたら本当に強制送還されかねない。そこでまず彼らと別れ際に香港で誇大に私のことを報告するように頼みました。彼らは直通車で帰り、私はトラックの助手席に乗って帰ったと憶えています。

 次の日、私のパスポートを持っているであろう香港人にFAXを出しました。内容は、昨日広州で日本領事館に行ってきた。このままだ国際的にとんでもない事になるそうなので直ちにパスポートを返すように。と言う文面で頭にCC:香港のゼネラルマネージャーの名前にしておきました。本当は香港へはFAXして無かったのですが、FAXに対しては何の反応もなく赤いパスポートはその日のうちに私の手元に戻りました。次に香港の方と連絡をとり、報関員に営業証の写しを持たせて私を役所に連れて行くように手配を頼みます。

 それとなんか言ってたな、始末書だと?書いてやろうじゃないかと思い、情けない事ですが代筆を頼みました。だって今でもひどいものですが、当時は中国語に関してはほとんど文盲状態だったんです。通訳もないのに良く仕事できたなーと今でも思いますけど、基本的に工程師なので要は図面と数字が分ればいいんです(ほんとかよ、、、)。さて、パスポート、営業証(写し)、始末書そして報関員と揃いましたので、ついに私みずから役所へハンコもらいに行く事になります。

 、、、次号、たぶん最終回。

 

注25「中山大学」:革命の父“孫文”先生が広州に創設した大学。我が母校。

注26「直通車」:広州・香港をダイレクトで繋いでいる列車。広州で出国手続きをして、香港のカオルーンについてから入国手続きをする。前は3時間半ぐらいかかったけど、今ならなんと1時間45分ほど。

注27「工程師」:中国語です。エンジニアの事。もう、老板,ちゃんと日本語覚えてますか?

 

 

 

続きが聞きたい_最終回 a_asano - 投稿日時:2000年06月18日 19時21分40秒

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 関所を通り経済特区へ入る、どうって事ではないのですがそのときは今でも忘れがたい充実感を覚えました。

 バスが深セン市内と蛇口方向へ分かれる所で報関員と待ち合わせをし、南山人民政府(だったと思う)へ向かいます。入る前に看板の横に中国共産党支部とか書かれているので、一瞬たじろぎましたが報関員に促されて中へ。どの部署へ行ったかはもう忘れてしまいましたが、最初は3階ぐらいへ上がったと思います。会議中との事で暫く待たされましたが、その間報関員と話をするうちに私は愕然としました。まさかとは思いましたが、例の香港人から一切の指示を受けなかったとの事。つまりず〜とほったらかしにされていたのです。なにが始末書だ、、。

 会議が終わり、数人が出てきました。当時の私はまだ20代後半で殆どの人が学生と間違えるくらいでしたので、職員たちからの対応も親しげです。中には日本語を勉強しているとの事で片言の日本語で話し掛けてくる人もいました。そこで身の上に関して多くは語らず、せっかく書いた始末書の効果を試しますがこれは大ウケでした。書けとも言ってないのにこんなもん用意してくるなんて若いのにやはり日本人は礼儀正しい云々、賛辞が並べられたせいか報関員まで照れくさそうでした。と言うわけで最初の部署はそれでクリアーし、最後は一階でした。そこは報関員がかなり親しそうでしたので外経工商関係の部門なのでしょう、事前に連絡が取れていたらしく他はどうだったと聞くなり私には特に事情を聞かず、ハンコと署名を済ませました。

 翌日,今度は一人で公安局へ向かいました、一応カップラーメンも持って。

 ところが中へ入りはてと気がつきました。どこへ行けば良いんだっけ?前回は付き添いがいて行くべきところにたどり着きましたが、具体的にどこへ行ったかはわかりません。そこで赤いパスポート(始末書がはさんである)を出して、すいません超過滞在なんですぅ〜と尋ねたら、ああ外国人は4階へ行ってといわれました(これも確か4階だったと思います)。はてこないだは階段なんて上がらなかったけどと思い、上がってみると突然光景が変わりました。下のいかにも役所といった様子がいきなり安ホテルのロビーみたいになったのです。既に日本人が一組いてソファーに座っています。奥の方に、これも木賃宿の帳場みたいなカウンターがあり、痩せて小柄な公安の制服を着た初老のおじさんが中に立っています。

 私はパスポートその他をその人に出し、すいません超過滞在なんですぅ〜のくだりを言いました。その人はパスポート、その他の書類を確認するとビサのページを見始めましたので、すかさずまだ開いていない始末書を指し、あっこれ始末書ですと促しました。始末書を読み終えるなりその人は力強くうんっとうなづき書面をカウンターの上に置くと再びビサを見ました。暫くして今度はカウンターの横、奥の壁を見始めました。ちょっとおじさん何みてんのよと思い覗いたのですが、なんか価格表みたいのがあったような気がしました。じゃあ座って待っててと言われ、確かその他書類はカウンターの上に置いたままパスポートを奥へ持っていったと憶えたいます。

 私はソファーに座り待ちました。

 まず先の日本人一組が呼ばれ、互いにこれでもういいんですねとか言いながら去っていきました。次は私です。さっきのおじさんではなくおばさんが出てきて私の合冊増頁で肥大したパスポートを持っています。ハイ、アサノサ〜ンと呼ばれて出て行くといきなりアクセントのおかしい日本語で金額を言われました。罰金です。確かHK500前後じゃなかったな、それでパスポートには新しいページに特区内用のビサと同じ大きさの15日間以内という臨時のビサが捺されました。ハンコの捺された書類などは手元に残ってしまったと憶えています。

 要するに金か、、と思い、ひょッとして最初から一人で来て上に上がっていけばこんな苦労はしないで済んだのではとも思いました、これは良く判りませんけど。まあいい、15日以内に出国すればいいのだからと思い、その日は帰って遅い昼食をカップラーメンで済ませました。勿論その数日後にめでたく出国はできました。、、、終わり。

 どうもお疲れ様でした、次回作に乞うご期待。

 

注28「関所」:俗に第2ボーダーと言われているところ

注29「始末書」:仕事が忙しく、うっかりして出国期限が過ぎてしまいました。申し訳ありません。どうか、出国させて下さい。と書けばOK。中国語で“因工作繁忙,疎忽出国期限…”と書いて、署名して、日付書いて会社のハンコを押してもらう。

注30「外経」:対外経済発展局のこと

注31「工商」:工商局のこと。

注32「外国人は4階へ」:今でも、同じです。居留書取得で行きました。

注33「合冊増頁」:増冊のこと。

注34「罰金」:97年、東莞の公安では超過1日につき罰金500元でした。プラス、ビザ発給代。

注35「最初から…」:そうですね。超過滞在の場合、必ず本人が出頭しなければなりません。通訳を頼むのは必要でも、すべてを人任せにしたままでは、絶対に出国できません。