おやすみなさい

 『背中の羽で飛ぶ事が出来たらどんなに自由なんだろう』
高いところに登ると、いつもこう思う。大空の上を悠然と浮かんでいる雲
には、何の制約も、何の苦しみもないのだろうか……。大空を飛んでいる
鳥たちには、何の制約も、何の苦しみもないのだろうか……。

 ぼくは両手を大きく開いた。そして、背中の羽をはばたかせた。ぼくの
大きな羽は、大きな音を立て、多少羽毛を落としながら大きくはばたいて
いる。今なら飛べる。そう確信した。

 そしてぼくは飛び立った。この高いビルの屋上から。自分の羽を大きく
はばたかせて、大空で浮かぶ雲のもとへ、一心に飛んだ。

 でも、雲が遠ざかって行くのはなぜだ? ぼくは羽をこんなに羽ばたか
せているのに、鳥のように空に浮かんでいないのはなぜだろう? 体は重
力を感じて、下に落ちているのはなぜだ?

 そうか。今わかった。ぼくは逃げ出したかっただけなんだ。この現実か
ら。空に浮かぶ雲のように、大空を飛び回る鳥のように、空を飛んでいれ
ば今から逃げる事なんてわけない。だからぼくの背中には羽が生えたんだ。
空に憧れたんだ。あの何の苦痛も思考もない、雄大でただうかんでいるだ
けの雲のように、あの何の思考も苦痛もない、ただ飛んでいるだけの鳥の
ように、何も考えないで、何も感じないで、ただ空に浮いていたかったん
だ。

 でも、ぼくの羽では空に浮かんでいる事は出来なかったらしい。ぼくは
雲にはなれなかった。ぼくは鳥になれなかった。ぼくはただ落ちて行った。
地面がみるみる近づいてきた。

『ははは。人間が雲や鳥になんてなれるわけないか』

 笑っちゃったよ。そこから先は覚えてないけど。気が付くのが遅すぎた
みたいだね。

 みんな、おやすみなさい。元気でね。