「僕/Part5」

この前、ある同級生が亡くなった。
その人とは小・中学校が一緒で、小学校では同じクラスにも
なった事がある。
遊んだ事もある。
その人の家にも行った事もある。

身近な人・・・と言うわけでもないけど、実際そういう話を聞くと
ショックである。


「死」というものはものすごく身近にあり、いづれは必ず訪れる人生の終点でもある。
それが遅いか早いかの問題で、いつ自分に降りかかるか分からないものである。


正直、僕は自分に訪れる「死」が怖い。それは、今生きている人生を終えた後の世界が
どういうものかが分からないからである。

死んでも、死後の世界があると知ってるならそれほど恐怖もないだろうが、実際のところ
わからない。

昔の武将は、「死」を「美学」と思っていたらしいが、今は違う。
「死」んだら終わりだ。何もかも。

自分がこの世に未練がなければ何も考えることなくできるだろう。
チョット前ならあったかもしれない。
でも、今は未練がある。たとえ、かっこ悪い人生を今後一生送ることになったとしても、
かっこよく死ぬよりは全然マシだ。這い蹲る人生・・・上等だ。


でも、その場しのぎを選ぶよりは道を切り開かなければそんな人生は楽しくない。
ただ這い蹲るのではなく、立ち向かってくぐらいの苦しさを味わいながら生きていく
ほうが全然いい。

誰かが道を作らないなら、自分が作ればいい。それが良いか悪いかは自分が判断すればいい。
待つぐらいならでしゃばって恥かいた方が気持ちいい。


這い蹲って生きる人ほど、輝いて見えるものだと、僕は思う。