むかしばなし

  かさもり稲荷

 下奥富の大芦の、あるお屋敷の稲荷様は「かさもり稲荷」と呼ばれ、近郷近在では知らぬ人がいないほど有名です。
 昔、はたらきものの孝行息子がおりましたが、ただ一つの悩みは体中におできがあることでした。それで所帯を持つことができません。いろいろな薬を試してみましたが、らちがあきません。困った末に村の古老に相談しましたところ、大芦の稲荷様に願をかけてみろと言われました。
「はじめに泥のだんごをあげ、おできが治りますようにと願をかけ、治った時は、白い米のだんごにするべぇ。」
と教わり、最後の頼みとばかり泥のだんごを持って稲荷様に出かけました。 願かけは、三、七の二十一日間、毎日かかさず泥のだんごをあげましたところ、不思議にも体中のおできが取れていました。それで風習どおり、すぐに白い米のだんごを持ってお礼に出かけました。それで、かさもり稲荷には、今も泥のだんごと白い米のだんごがおかれているそうです。


                          おさんどんに化けたムジナ
 
奥富の道端あたりに悪さをするムジナがおったそうです。ニワトリヲ取ったり、豆俵をほじって食べたりするので村の人たちもほとほと困っておったそうです。
 あるとき、ムジナが悪さをしているところを見つけた男が、とっ捕まえてやろうと追いかけましたが、ムジナはすばしっこく豆俵をつみあげた中へもぐりこんだそうです。そこで、石つぶてを投げると、みごとムジナのお尻に命中しましたが逃げられてしまったそうです。あたりを探してますと、隣に住むおさんどんがやってきて、
「こんばんわ。」
と言って通り過ぎようとしましたが、よく見るとおさんどんのお尻に傷があるらしく痛そうにはっておったそうです。こいつはおかしいと捕まえてみますとやっぱりムジナだったそうです。
「なんのことはねぇ。はっていたのでムジナとすぐわかるべ。」
と、村の人たちは大笑いしたそうです。

                              狐の意趣返し

 下奥富に、働き者の男がいました。
 ある日、いつものように山の近くの畑で仕事をしていた時のことです。木影で昼寝をしている狐を見つけました。
「おっ。気持ちよさそうに寝ているべ。」
男はちょっといたずら心が出まして、小石をポーンと投げつけ
「てぇへーんだ。りょうしがきたぞ。」
狐はびっくり仰天。山の中へ逃げ込みました。日が西に沈みましたので仕事を切り上げ家に帰るときのことでした。道の筋できれいな女の人に出会いました。
「だんなさん。いい床屋がありますから案内します。」
いきました。少し歩いたところの山の近くにポーと明かりのついたところがありました。
「だんなさん、ここですよ。」
男が座り込みますと、急に気もちが良くなりうとうとと眠り始めました。
「もうすぐですよ。」
と、夢見ごこちで聞いておりましたところ、サァーといちじんの風とともにあたりが暗くなりました。
「おーい、おーい。」
と呼ぶものがおります。男がその辺を見ますと、提灯をつけた家の者たちでした。夜中になっても帰ってこないので探しにきたそうです。このときの男の頭は丸坊主になっていました。

                               河童のおくりもの

入間川のタケが淵には「笹井のタケ坊」と言う河童がおったそうです。タケ坊は所沢の久米のまんだら河童と、川島町の井草のケサ坊とたいそう仲がよく毎年お歳暮とお中元には、お互いにおくりものをしていました。
 あるとき、馬方が井草を通りかかったとき、ケサ坊が出てきて
「馬方さん、どっちいくんだ。」
と、聞いたので馬方は、
「おら、これから笹井へいくだよ。」
「じゃ、すまねえがこの手紙、笹井のタケ坊に届けてくれろ。」
とたのみました。馬方は字が読めませんが、手紙をあずかって笹井へやってきました。ところがタケ坊の居所がわかりません。そこで、村の人に
「手紙をあずかってきたけど、どこへ届けたらよかんべぇ。」
と手紙を見せましたところ
「大変だ馬方さん。手紙を届けた者と馬のはらわた進上と書いてあるよ。」
馬方と馬は、危うくタケ坊に喰われてしまうところだったとさ。

                           武蔵野の1本松の道標

万葉集に出てくる入間路は、広い広い荒野でした。江戸時代に入っても雑木林と、ところどころ田畑のある草原でした。
 ある時旅人が通りかかりました。始めてやってきたらしく道をさがしながら歩いておりました。ちょうど下奥富のあたりへきた時、畑仕事をしている人に道を尋ねました。
「越生の方に行きたいのですが。」
「あー、それなら1本松の道標を見れば分かるベー。」と、道標を教えてくれたそうです。それは、武蔵野の1本松の道標と言いまして、寛政2年(1790年)に造られた」石柱でした。東 川越1里半、西 扇町屋1里半、南 三ツ木○○村武蔵野、北 下奥富入り口井柏原越生道と、彫られています。また、「武蔵野は西も東もわからねど、南に北みちしるべかな」と、作者不明のしゃれた歌もあります。越生とは、今の越生町のことで、大きくて彫りもしっかりした道標はめずらしく、現在、国道16号線沿いに建ち、市の史跡で大切な文化財です。

                          瞽女宿(ごぜやど)の話

柏原の下宿に毎年瞽女宿をつとめる家がありました。(瞽女とは、村々を回る盲目の女性のことで、村では宿を用意して数日間泊まっていったそうです)娯楽の少なかった昔では、瞽女さんが来るのを楽しみにしていたそうです。
 ある年のこと、瞽女宿をつとめる家に不幸がありまして、突然村はずれのある農家が瞽女宿をつとめることになりました。この、家では毎年不作続きで困っていました。ところが瞽女が泊まったことによって、その年は「サトイモ」がたくさん獲れました。不思議に思い、次の年も宿にしましたところ、前にもまして大豊作となりました。これはやはり瞽女さんのおかげに違いないということになり、それからは毎年瞽女宿をつとめる家は、たいそう栄えたということです。

                             綿貫家の井戸

昔のお話です。
入間川の綿貫家と言えば東北の本間家、大阪の鴻池家とともに、唄に唄われたほどの大大尽だったそうです。
 あるとき、井戸の水を分けてもらいにきた人がおったそうです。すると番頭さんが出てきて
「あー、それはおやすいご用です。わたしのほうには4つの井戸がありますが、どの井戸を使いますか。」
その井戸といいますのは、1つ目は隠居場の合ったとこで、現在の図書館のあたり、2つ目は狭山市駅前の八百屋あたり、3つ目は綿貫家の墓地のあたり、4つ目は徳林寺のあたりだったといわれています。
いまさながら、そのスケールの大きさには驚かされたと言うことです。
 また、ぶっこし(一揆)があったとき、綿貫家では、4つの井戸の中に金銀を隠しておき、家財道具は天岑寺に預けて無事だったことから、お礼にと「葷酒山門に入るを許さず」という石碑を奉納しました。今も山道の入り口に立っています。

                                  耳だれ地蔵さん

狭山市内の各地区(入間川、入間、堀兼、柏原、奥富、水富)には必ずといっていいほど、「耳だれ地蔵さん」と呼ばれる石仏が立っております。竹づっぽに少しお酒を入れて願をかけ、前に上がっている竹づっぽのお酒をいただいてきて悪い耳につけると治るそうです。

                               白い蛇と藏

上奥富の梅の宮神社あたりに、大金持ちも家がありました。藏がたくさんありまして、藏の中には昔から白い蛇が住んでおりました。ところがあるとき家のものが蛇にいたずらをしたそうです。その日から蔵の蛇が急にいなくなり、あんなに栄えていた家が家がたちまち没落してしまったそうです。
いまさらながら白い蛇のありがたさを知り後悔したそうです。

                             丸山弁天と白い蛇

堀兼の新狭山ハイツの丸山にある弁天sまは、昔から銭洗い弁天ともいわれ、たくさんのお参りがあったそうです。また、お社の後ろに大きなケヤキがあって、そのほら穴に白い蛇がおったそうです。毎年お蚕の時期になりますと、
「どうか今年もねずみを退治してくださいませ。」
と、農家の人がたくさん願を掛けに来たそうです縁日は、お正月の初巳の日になっております。

                                オタケ蛇

水富の笹井のタケガ淵には、真っ白で尾の切れた蛇がいたそうです。これを「オタケ蛇」といいまして、この蛇を見たものは、その年運が開けるのだと言ったそうです。

                             三体のお地蔵さん
昔々のお話です。
堀兼の加佐志には「耳だれ地蔵」と呼ばれる有名なお地蔵さんがあります。そのすぐそばに、三体のお地蔵さんがたっておりますが、このお地蔵さんは、村の災難を救ったと言うことで大変感謝されております。
 ある年のこと。加佐志あたりに流行り病が広がり、よく効く薬もなく困り果てていました。
 村の古老に相談しましたところ、
「由緒あるお地蔵さんが、石橋の下に埋もれている。これを掘り起こせばたちどころに病は治まるであろう。」
とのお告げがあったそうです。早速橋の下を掘り起こしました。と、どうでしょう!!立派なお地蔵さんが三体もあらあれましたので早速丁寧に安置しました。するとたちどころに病気は」下火となり、村には平和が戻ったと言うことです。

                                   逃げ水のお話
 昔のお話です。
 京の都より歌をよむ旅の僧が武蔵野の国へやってきたときのことです。ちょうど夏の盛りで、ここ何日かは雨も降らず、草原の武蔵野はカラカラでした。
 箱根ケ崎から宮寺、水野へとやってきたときのことです。林のほうにちらちらと水の流れが見えました。
「やれ助かったワイ。」
と、急いで近づいてみますと水はありません。水は遠くで流れているではありませんか。また近づきますとはるかかなたに逃げていきます。
 不思議な現象をまのあたりに見た僧は
「これが、里人の言う逃げ水か・・・」
と、さっそく歌にすべく、ふところより筆と墨を取り出しました。そのとき墨を少し草むらのなかへこぼしました。ところがこの墨が隣の川越の新河岸川に黒く浮き上がってきたと言うことです。
 このあたりは水にちなんだ伝説がたくさんあります。