ペンタチュード://大学生の活躍でJ1残留まであと1歩

サッカー景気の悪い

40回 改めて言う「感動などないっ・・・!」

東京ヴェルディ、東京ダービーにて終戦_| ̄|○

ここに勝点20のチームが2ついたとして

もし引き分けで勝点を1ずつ分けたとしたら

ま・・・両チームとも助からんやろ

しかし、もしどちらかが勝てば、

そのチームは優勝の可能性を残すことになる。

つまり、恐れずに闘った方が優勝の可能性が高いんよ

福本伸行『カイジ』3巻より

飯尾、ダービー男になる

       \〇ノ ←飯尾
       ヘ□
_| ̄|○    >  ○| ̄|_

お互い勝てば優勝の可能性を残していたのに 引き分けてしまい、両者とも優勝が不可能になったヴェルディとFC東京なわけですが、試合の内容は良かったと思います。個人的には平本→桜井のタイミングで、エムボマ→飯尾の交代をすれば面白いと思ったのですが、まぁ今年の活躍を考えたら、妥当な交代だったと思います。今回の布陣、山田トップ下の右サイドに田中、柳沢が機能していたのは何よりの収穫。来年のことは分からないけど、最終節の市原戦でのリベンジや天皇杯制覇に向けてはプラスの材料だったと言えるでしょう。ファーストステージでペンタくんに負けたときは降格もやむなしと覚悟をしていたのに比べれば、最後の方まで優勝の可能性を残して戦えたセカンドステージは大満足です。今シーズンを振り返るには1試合早いので、この試合の内容に話を戻します。まず、右サイドの改善がキーだったのは言うまでもありません。それは攻撃力アップというだけでなく、守備の安定にも効果があったと思うのです。浦和戦や磐田戦は敵のツートップに対して2人のセンターバックとゴールキーパーの3人で守る2バックでした。これは無謀です。FC東京戦も基本的には2バックでしたが、今回は守備的MFの林や右サイドバックの柳沢も相手のツートップとケリーに対してチェックを行なっていたので、やや安心できるレベルまで守備力が向上したと思うのです。こうした守備意識の向上が、ロペスや米山のオーバーラップを生むのでは? 守備意識を持つことでも攻撃的なサッカーができるはずなので、市原戦でもアグレッシブな試合が見れることを期待します。

サッカーはピッチの中で完結する

感動などないっ・・・!

福本伸行『最強伝説黒沢』1巻より

アスキーアートがズレるらしいので、単行本をスキャナしました。このシーンは最強伝説黒沢の本当に最初のシーンなのですが、本当に衝撃を受けました。だって、ワールドカップのサッカーを見ていて「感動などないっ・・・!」ですからね。正直、そんなことないのでは?と思い、この言葉の真意は何なのかを1年間近く考えていたのですが、最近その答えが朧ながら見えてきたように思えます。感動がないというのは、サッカーがつまらないということではなく、また松本人志の「プロ野球を応援する人間は普段努力していない」的な批判とも微妙に異なる、「サポーターは12番目の選手」という考え方へのアンチテーゼではないかと思うのです。

まずは順を追って、サッカーとは何か?

 サッカーとは何か?その答えは、サッカーのルールに従って行なう競技だと考えています。サッカーはあくまでサッカー。国家間の代理戦争でもないし、サーカスショーでもありません。フィールドに立つ11人と11人、そして監督やコーチ、サブのメンバーなどの限られた人間だけで戦う競技、それがサッカーなのです。

とは言え、どんな優秀な監督、選手をそろえていも勝てるとは限らないのがサッカーの醍醐味と言えます。選手の体調やメンタル面での自己管理、相手の特徴を把握しているか、ピッチの状態や天候、提供されるシューズやユニフォーム、運も味方にする必要があるでしょう。もちろん、そうした要素の中にサポーターという存在が含まれていることは確かです。ただ、それでも良いサッカーをしていた(「勝つ」に必要な準備とプレイをしっかりと行なった)チームが勝つのがサッカーだとさみ〜は考えています。フィールドに立つ11人と11人、そして監督やコーチ、サブのメンバーなどの限られた人間以外のところで勝負が決まったら、それはもうサッカーとは言えないでしょ?

審判の問題を性善説で避けるわけにはいかないので・・・

 サッカーはフィールドに立つ11人と11人が勝負を決めると定義しましたが、審判の存在も無視することはできません。やっぱり審判は重要で、何のルール違反も無くボールがゴールネットを揺らしてもゴールを認めない昨年の高校サッカー岡山県大会の主審・青木隆みたいな人間が存在すると、サッカーの勝敗がサッカー以外のところで左右してしまう可能性は否定できません。ただ、誤審というサッカー以外の要素でサッカーの勝敗が決まる事態はサッカーにとって不幸と言えるでしょう。

 全く話は逸れますが、さみ〜は誤審もサッカーの一部だと思っています。モレノ主審が韓国贔屓と批判されていましたが、正直、あれはサッカーの範囲だと思っていました。ただ、青木隆はねぇ。1年前のことだけど、本当に許せないよ。ただ逆に、あそこまで露骨な誤審が存在すると、それより小さい誤審は許せてしまうような・・・。審判についてはアレコレ言いたいのですが、それを語ると長くなるので、今回はここで終了にしておきます。

サポーターが12番目の選手っておかしくない?

 かなり前置きが長くなってしまいしましたが、ここからが本題です。サポーターがサッカーの勝負を左右してよいのか?という点です。さみ〜は、サポーターの存在がサッカーの勝負に影響を与えるのは問題だと思います。これは誤審と同じで、サッカーに対する冒涜だと考えています。まず、自分が応援するチームへの影響を考えてみましょう。多くのサポーターは、自分が応援することで自軍の選手が勇気付けられると考えているはずです。ただ、これって良く考えると変ですよね。だって、応援で勇気付けられる、パフォーマンスが向上するとしたら、応援がなかった場合にはパフォーマンスが低下するってことでしょ。応援が多い少ないでパフォーマンスが変化するというのはプロフェッショナルのスポーツ選手として失格ではないでしょうか。応援が多かろうが少なかろうが、代表監督や海外クラブのスカウトが視察に来ていても来ていなくても、優勝や降格がかかっていてもいなくても、例え消化試合であっても常に100%のパフォーマンスを発揮するのがプロだと思うのですよ。この点だけは妥協できません。ですから、消化試合だとモチベーションが低い選手を使わず、若手選手を起用するみたいなことがあっても、さみ〜的には問題なし(Jリーグ的には問題があるようですが)といえます。あと、自軍の応援が凄すぎると緊張してしまい、100%のパフォーマンスを発揮できない選手も存在するかも!? そうしたら応援が応援になっていないという、何が何やら分からない状態に! 何はともあれ、応援の有無でパフォーマンスが変化するようではプロとして失格と言えるでしょう。

 次に、サポーターの応援が敵チームにプレッシャーを与えるという考えですが、これもやはりサッカーに対する冒涜と言えるでしょう。まず、応援で相手を威嚇するということは、自分が応援するチームのサッカー選手を信用していないってことでしょ? 信用していない人間を応援するって不思議な行為だと思うのですが・・・。totoやサッカー賭博で穴を狙っているというのなら理解もできるのですが、その辺を応援で敵チームにプレッシャーを与えるという考えを持つサポーターはどう頭の中で整理しているのか本当に謎です。それに、本当に相手チームや審判にプレッシャーを与えてしまったら、それはそれで問題でしょ。一流の選手、審判ならばスタジアムの野次程度でプレイやジャッジが揺らぐとは思いません。ただ、相手チームや審判にプレッシャーを与えることが正当化されるなら、それは買収や八百長もありってところまで行き着くでしょ? それに、ニュースを見れば毎日殺人事件が起きている御時世に、スタジアムの中だからといって「殺す」などの野次が許されていいとは思えないのです。 

以上の点から、サッカーの試合で応援が勝負を左右することを正当化する考え、すなわち「サポーターが12番目の選手」という考えは、正直サッカーへの冒涜とさみ〜は考えています。何もさみ〜は応援するなと言っているのではありません。応援は応援であってサッカーではない。応援をしたからサッカーに勝ったとか、応援したのにサッカーで負けたというように、応援とサッカーを結びつけるなと言いたいのです。応援とサッカーの区別がつかない「12番目の選手」という妄想がエメルソンやゼリッチのメダル強奪の正当化であり(ピッチに乱入したサポーターを警備に突き出さず、手を差し伸べて観客席へと逃がす犯罪幇助)や、ガスサポの花火打ち上げといった事件を引き起こすわけですよ。12番目の選手なんだからピッチに入るのは正当な権利だとか、雰囲気を盛り上げるために花火ぐらい許せよといった考えに行き着くのだろうとさみ〜は考えたわけです。

そして黒沢は一人、決闘に行く

 応援とサッカーは無縁。だからといって、さみ〜がヴェルディを応援しなくなることはありません。だって、贔屓のサッカーチームを応援しながらサッカーを観戦するのって楽しいでしょ? 応援というカタチにとらわれて、サッカーを楽しく観戦できなくなったら、それこそ本末転倒もいいところ。ただ、これだけは勘違いで欲しいのが、応援とサッカーが無縁だからといって、サッカーと無縁な応援(応援に託けた暴走行為)をするのは止めてもらいたい。政治的なスローガンや人種差別の弾幕やゲートフラッグを掲げたいなら、サッカー場ではなく、然るべき場所で行動を行なってもらいたい。マスゲームがやりたいならば北朝鮮やルーマニアで、発炎筒や花火は許可を取って広場でやってくれ。サッカー場はやはり、サッカーを観戦、応援するための場所なのだから。

 最後に、この文章を書いていて気付いたんだけど、黒沢が1人で決闘に行くというのは最初のシーンから決まっていたのかなぁ? 黒沢の決闘は医療班やビデオ班にとっては、どんなに大がかりであっても「他人事」であり 「他人の祭り」もいいところ。そう「感動などないっ・・・!」なのだ。これからって順当に決闘となれば、黒沢が望んでいた「オレのオレによるオレだけの感動」ってことでしょ。1年間かけて初回のテーマに戻るとしたら、それはもう、計算していたとしか考えられないのですが・・・。

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