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・・・はじめに・・ | ○これを書こうと思った理由 |
・・・ばあばちゃん,その人
| ○これが、「ばあばちゃん」です。 |
・・・外泊の申請
| ○ばあばちゃんを自宅に連れ帰るために・・ |
・・・いざ、自宅へ!
| ○外泊、その日。 |
・・・思わぬアクシデント | ○お年寄りの身体についての再認識 |
・・・トイレ誘導 | ○排泄は介護の中でも大きな問題です。 |
・・・食事と水分補給 | ○水分・・生きるために必要なもの |
・・・施設で生活すること | ○ばあばちゃんからみた老健 |
・・・家族みんなで「介護」する | ○家族みんなで ばあばちゃんの介護をしてみました |
![]() ・・・・在宅介護初チャレンジの私から・・ | ○思った以上に大変な経験でした・・ |
![]() ・・・・さいごに・・・ | ○つぶやき |

<注>文中の会話の方言は、読みやすいように「標準語」に直しておきました。(^O^)
お盆前、母から電話をもらった。
「老健から手紙がきてね、『お盆に泊まりや日帰りで入所のお年寄りをおうちに連れて帰られませんか?』って書いてあってね、どうしようかぁ・・・私は前、トイレでおばあちゃんを抱えて腰痛をやってから、面倒をみる自信がなくて・・』
「そうだねぇ。どうしようねぇ」
と答えながらも、私の気持ちは決まっていた。
(私が面倒を見よう)
「お母さん、私が10月か11月に自宅に帰るから、そのときに私が面倒見るわ」
即、こう答えると、母はうれしそうに
「あんたが手伝ってくれると助かるわぁ・・」
話はとんとん拍子に決まり、今回の「ばあばちゃんの外泊」実行の運びとなった。
大正3年、10月10日生まれの85歳。
私の母が幼い頃私の祖父と結婚。私の母の養母となる。
つまり、私と直接の血のつながりはない。
けれど、私達姉妹は両親が共働きだったため、そのほとんどを祖母に育てられた。
そのため、私達姉妹は両親と同じくらいか、それ以上に祖母のことを思っている。
祖母は若い頃、気丈だったがやさしくおだやかな人だった。
家事,子育ての手伝い、畑仕事をこなし、孫である私達をまるで「宝物」のように大切に育て上げてくれた。
70代中頃まで、家事一般をこなしていた。
80代を過ぎ、母が仕事を辞め家に入ってから、祖母は一気にパワーをなくした。
家事すべてを母に託して、祖母は外に出るのさえおっくうになった感じだった。
そして82か3歳の頃、軽い痴呆症状が現れるようになった。
「押入れに水がたまるから、ティッシュを2箱ちょうだい」
と母の部屋のドアをたたいたり、
「昨日の夜は、泥棒が3人も入って・・」
と意味不明のことを言うようになり、トイレも汚すようになったり、お風呂で転んだり・・。
介護者である私の母は、腰痛と過労のため施設入所を考えずにはいられなかった。
そして、今の老人保健施設への入所となったのである。
なお、老健(以下、「老人保健施設」を「老健」と略する)入所後は痴呆の症状は治まりつつある。
現在、ペースメーカー使用中。
普段、老健では車椅子使用。
独歩も手を引いてゆっくりならば可能。長時間は身体のバランスを壊し足が動かなくなる様子。
老健では、要介助でトイレ使用。
尿漏れの可能性を考え、パットを常時使用している。
実家に帰った翌日、私は祖母のお世話になっている老人保健施設を訪ねた。
ばあばちゃんとの再会は1年ぶりくらいだろうか?
祖母の居室は以前と同じ場所だった。
ベッドに横たわるばあばちゃんの顔を覗きこみ「おばあちゃん」と声をかけてみる。
ばあばちゃんの目が大きく見開かれ私を認知し、ばあばちゃんの口からはしっかり私の名前が発せられる。
ばあばちゃんは私のことをしっかりと覚えていてくれた。
このところ、ばあばちゃんに会うたびに
「痴呆の進行により、忘れられていたらどうしよう・・」
という不安にかられる。
「おばあちゃん子」として育った私としては、祖母から忘れられてしまうことが一番辛く、怖いことである。
たとえ祖母が「痴呆」という病におかされているものだと知っていても・・・。
とりあえず、外泊の許可をもらわないと・・と私はスタッフの方に声をかけてみる。
(私)「すみません、祖母を家につれて帰ってもいいものでしょうか?」
(スタッフ)「いつくらいでしょうか?」
(私)
「今日は無理でしょうか?」
(スタッフ)「急には無理です、診察を受けてドクターの許可が必要なんです。」
そうだ!不覚だった!!
うちの職場でも、外泊の前には主治医の許可をとったりしていたっけ。
早速、外泊の申請をする。
そして、ばあばちゃんに「家に帰ろうね」と話をする。
ばあばちゃんは、にこやかに
「家に連れて帰ってくれるの??」
とうれしそう。
あさって迎えに来るからと,祖母に告げひとまずはその場を跡にした。
ばあばちゃん、外泊の朝がやってきた。
私は祖母受け入れのため準備を始めた。
お布団を干し、ポータブルトイレの用意,夜間はおむつ使用なので陰部洗浄のための微温湯を用意・・と思ったら微温湯のかわりになるものがない!!
家庭にあるもので代用といえば、昔の「ママレモン」等の容器。
しかし今の台所用洗剤の容器はコンパクト、しかもちょうど我が家に空き容器はなかった。
う〜ん困った!
そこで、母いわく
「ペットボトルの小さい方の容器のふたに穴をあけてみたら?」
それは名案!と試しにやってみたらこれが最適!
ようし、これ採用!!
予定時間よりもずっと早く老健にお迎えに行く。
祖母の「待ってました」とばかりの嬉しそうな顔。
私もうれしかった。この日を迎えられて・・。
職員さん達の
「いってらっしゃいねぇ」
「ご馳走食べて帰ってきてね」
という優しい微笑みに見送られてその場を跡にする。
ばあばちゃん外泊の始まりだった。
自宅に到着。
家族の優しい笑顔に迎えられるばあばちゃん。
「お世話になります」
そんな挨拶に
「お世話になりますじゃなくて『ただいま』でしょ」
と言い返す私。
ちょっと休憩してお茶を飲まそうと、居間に誘導した。
(祖母は手を引けば歩行が可能、しかし足取りは不安定)
座らせようと思っていた椅子のちょっと手前に障害物があることに気づき、それを横着にも足ではねのけようとした
そのとたん,祖母はバランスを壊し腰をひねり転倒。
「しまった!」
思わぬアクシデントだった。
下が畳だったため、まだ助かったもののそこから祖母を立たせると右手の甲から出血。
皮膚が破けてしまっていた
(お年寄りにはよくあることではあるけれど、不覚だった)
スタートからこの転倒!
私は一瞬ブルーになった。
そして自分の横着さを悔いた。
傷は3cmばかり。姉と二人で消毒、処置をする。
思った以上の出血に、私は自分が卒倒しそうだった。(血とか傷とかいまだに苦手だったりする)
いつもいつも「おとしよりに危険のないように・・」
と思って介護の仕事をしてきたというのに・・。
「痛くないから・・」
「大丈夫だからね」
祖母のその言葉に平謝りしたけれど、自分自身が一番つらかった。
「おばあちゃん、本当にごめんなさい」
そして祖母に身を持って,お年寄りの身体のもろさを知らせられたのでした。
1泊2日、約28時間を自宅で過ごしてもらって、トイレ誘導の数は18回に及んだ。
私の家は和風建築でベッドもなかったので、ポータブルトイレまでの誘導はかなりの重労働になった。
布団から起し→座らせ→立たせ→1メートルほどの距離を歩いてもらって、ポータブルトイレに座ってもらい排尿。
文章でまとめると
「たったこれだけ??」
と思ってしまうほどあっさりだけど、その実とても大変な事だった。
慣れないということ、
(私が今勤務しているフロア−は、ポータブルトイレ介助はもちろん、移乗(トランスファー)もないため、老人さんを抱える事,手を引いて歩かせるその感覚さえ失いつつあるため)
が最も大きく、変に力が入ってしまいあげくに,
腰痛を引き起こしてしまう有様
(私は、この仕事を始めて7年間で腰痛に悩んだ事なんでほとんどなかったというのに)
トイレ誘導10回目くらいからは、自分の腰の痛みと戦いながらと言った感じになってしまった。
夜間も老健では普段「おむつ使用」とのことだったけれど、この外泊では私がトイレ誘導をした。
祖母に安眠をさせてあげたいという思いで,当初私は3時間おきに目覚まし時計をセットして起き、祖母を「トイレに行こうか?」と誘う予定にしていた。
そうしないと、たぶん優しい祖母は声をかけるのをためらって、私に「トイレに座らせて・・」とは言えないだろうと思って。
ところが祖母は,私の予想を反して、尿意を催すと私の名前を大きな声でしっかり呼んでくれたのだ。
その祖母の声に答えてトイレ誘導する事4回(夜間)
夜勤に慣れた私にとって
「こんなこったぁ何ともない!」
ってかっこよく言いたいところだけど、やっぱりつらい!
家庭で介護をしている家族の方の苦労をひしひしと感じたのでした。
老健を出るときに、職員さんに「お茶だけは飲ませてあげてください。脱水になると熱が出ますから」
と念を押された。
私も普段仕事で1番気をつけている事だったので、そのことはよくよくわかっていた。
私の職場では、水分補給時、食事時と毎回150CCを飲んでいただいている。
何気にそれを繰返してきて今回、祖母にお茶を勧めていてはたと気がついた。
「150CCを飲んでもらうことの難しさ」そしてそれをむりむり勧めることの難しさ。
祖母を説得してかなり無理してお茶を飲んでもらう。
「これ飲まないとね、熱が出るからお願いね」
と頭を下げて・・・。
祖母もそんな私を察してか自分からすすんで湯のみを口に運んでくれる。
助かる〜。
それにしてもお年寄りに無理に食事や水分を勧めることの難しい事、つらいこと。
だからと言って
「無理して飲まなくていいのよ」
と声をかける事は簡単だけど、それによって引き起こされるリスクは大きい。
水分不足、つまり脱水から起きる発熱、意識障害等々。
やはり水分不足は怖い。
食事に関しては、家では食事、おかず、どれも少しづつしか食べなかったが、老健ではすべて大盛りで出され、いつも食べきれないほど出るという。
半分で残そうとすると職員さんに
「もっと食べないと!」
と叱られ,食べさせられると悲しそうな顔。
私も職場で無理して食事を勧める・・ということは身に覚えがあるのでどきんとする。
(このとき以降、より老人さんの意思を尊重して食事介助するように心がけています)
介護者としては、少しでも多くのものを食べていただいて栄養をとってもらえたら・・と思いでいっぱいなのだ。
介護する側、される側、思いの反する事は一番難しい。
祖母は記憶力、記銘力ともにかなり保たれていた。
老健の職員さんの名前もほぼ確実にわかるし、施設の生活時間(何時に起床で何時に食事だとか)もしっかりわかっていた。
少し妄想やめいたものは混じっていたけれど、会話もきちんとできた。
祖母は職員さんひとりひとりの性格なんかも理解していて
「○○さんは、若いけれどしっかりした看護婦さん」
だとか
「男の職員さんは女の人よりも優しくてまめな人がいるよ」
といった感じで話してくれた。
祖母が老健で生活するようになって1年。
「老健での生活はどう?」と尋ねると、
「職員さんはみんないい人」と答える。
行事も多いらしく
「春にはバスに乗ってしょうぶの花を見せにつれて行ってもらった」
とうれしそうに話してくれる。
排泄に関することに関しては、私以外の家族はなかなか抵抗があるようだったけれど、それ以外については家族みんなで祖母の介護ができたと思う。
小さなたっちゅんも
「自分にできる事はないか?」
探してお手伝いしてくれた。
結果・・
たっちゅん・・・排尿時のポータブルトイレのふたをあける(「たっちゅん、ばあばちゃんトイレだよ〜」と叫ぶとどこからともなく現れてポータブルトイレのふたをあけてくれた)、
散歩の時の車椅子押し、
話し相手(ばあばちゃんのお布団に入ってばあばちゃんに抱きついたり、「チュ」したり、お話したり)
父・・・ポータブルトイレ使用後の処理、洗い。
母・・・話し相手、祖母に合う食事作り
姉・・トイレ介助のヘルプ、散歩付き添い
祖母は「みんなによくしてもらって・・」と始終笑顔。
家族みんなで協力し合って介護する事の大切さをひしひしと感じた。
やはり、介護はだれか一人の力でできるものではない。
1泊2日の終わりの時間、祖母は寂しそうな顔で
「もう、(老健には)帰りたくなくなった」とつぶやいた。
短時間だからこそ、これだけきめ細やかな介護ができたのかもしれないし、今回介護できたから次回もできるとは限らないので、
「又今度、おばあちゃんの状態がよかったら家に連れて帰るからね」
と約束した。
又、こんな機会に恵まれることの願いながら・・。
やはり、家庭介護するなら和風建築より洋風の方がふさわしいとつくづく思った。
和の家である我が家では、家の中で車椅子を使用するのは不可能だった。
そして古い家でもあるので、段差だらけで祖母の手を引いて歩く事すら恐怖だった。
ベッドもないため、祖母をポータプルトイレに誘導するのさえ厳しく、例えばこの状態で家庭介護を続けるなら、介護者が腰痛を起すのも「時間の問題」といった感じ。
ヘルパーさん等、在宅で介護をされている方々は、こんなにも厳しい状況なのかと思うと、頭の下がる思いだった。
現状では,家庭介護は24時間ほぼ家族や親族の肩にかかっている。
たった2日間でも弱音を吐いてしまいそうなのに24時間が限りなく続くとなると家族は心身ともに疲れてしまう事になるだろう・・・。
家庭介護が長期にわたる家には、介護者にせめて夜7,8時間の睡眠時間がとれるように「夜間巡回ヘルパー」の必要性を心から感じた。
2日間だったけれど、私にとってほんとに勉強になりました。
貴重な経験でした。
祖母を介護した2日間をこのHPに載せたのは、高齢社会がいやでも自分に歩み寄っていることを感じ,真剣にこのことについて考えなくてはならないとしみじみと思ったからでした。
私は、実家から遠く離れて暮らしているので、祖母と会えるのは多くても年に2回ほど。
私の大好きだった祖母は、会うたびに衰えていきます。
私たち姉妹を育て、私たちが病気をしたときは夜通し気遣ってくれた祖母も,今や手さえ満足に動かせなくなってしまいました。
コミュニケーションもしだいにとりにくくなり、今度会うときには私の名前すら忘れているかもしれません。
それでも、私は祖母が大好きです。
私をいつもいつも思ってくれた祖母ですから・・・
昨日、たっちゅんと「ばあばちゃん」の話をしました。
たっちゅんは、寝たきりになってしまっても「ばあばちゃんが大好きだよ」と言ってくれます。
たっちゅんが生まれたての頃、長い時間たっちゅんを抱っこして「子守唄」を歌っていたばあばちゃん。
私はいつも、私の好きなばあちゃんの事をたっちゅんにも好きでいて欲しいから、昔の元気だった頃のばあばちゃんの話をします。
私の職場につれて行って「お年寄りのあたたかさ」も教えています。
たっちゅんは(本気かどうかはわからないけれど)
「大きくなったら、ははちゃんの会社で働く」
と言ってくれます。
少し嬉しい母なのです。
ばあばちゃん、今回の経験を通して得た事は必ず今後いかしていきますね。ありがとう!
