接近困難な入所者?










「このタオルはかえてもらってない!」
「いいえ、さっき交換しましたよ、ほらさっきのタオルは青で新しいのは赤」

夜勤の朝,入所者の口元に置くタオルを新しいものに交換する。
Iさんの場合,下半身がまったく不自由で動かない。
ほぼ寝たきりの生活も素何十年と相当長いということだった。
朝の職員の手薄なのも知ってか、Iさんからの申し出により朝は居室配膳(自分のお部屋で食事をとっていただくこと、他の方たちは食堂で)となっていたため、タオル交換を「うっかり忘れた」ということはまずありえなかった。

これはIさんお得意の(おっと、失礼しました)「新人いじめ」だった。
私が今の仕事についた1年目の出来事だった。

これだけじゃなかった。
Iさんは俳句作りがお好きだったが,手も不自由であったため自力ではできた句を書きとめることはできなかった。
それでよく代筆を頼まれた。
「Iさんはいいですね。俳句が趣味なんて・・難しいでしょう?」
こう話しかけると
「あんたたちみたいに俳句の理解できない人達には,難しいだろうなァ」
露骨にこう言われた。
つめ切りで,誤って少し深爪してしまっただけで
「もういい、やらんでいい、あっちへいけ!」
と罵声をあびせられたり
トランスファー(【ベッドから車椅子等への】移乗のやり方がちょっと悪いと
「もう2度と,車椅子には乗らん!」
と怒鳴られたり、今思い出してもそういう思い出にはつきないほどだった。

だから、私はIさんが他のフロア−に移られることを聞いたときは、正直ちょっとだけほっとした。
「Iさんから免れる・・」
当時はもう,就職3年目くらいになってきていたから、Iさんからの攻撃は少なくなっては来ていたけれど,以前味わったいやな思いを振り返るとどうしてもIさんに対して好意は抱けなかった。
それから、私の中でIさんの記憶が少しづつ少しづつ消えて行った。



ところがその翌年、私自身がフロア−異動となった。
しかも、行く先はIさんのいるフロア−だった。
久しぶりに見るIさんは一見すると以前と変わらない感じだった。
そのお顔つきも相変わらず気難しそうで・・・。
私は、以前の苦い思い出をしっかりと思い出してしまった。
それでも、 仕事を通してIさんに接するのだからIさんを避けて通るわけにはいかない。
神様(?)は私の過去を知ってか,知らずか私をIさんの居室担当に(1部屋に4人づついるお年寄りの居室を、できるだけ主になって世話すること)・・・
いささか、ショックを感じながらも、私は自分もIさんもあれから歳をとったんだし・・と期待してIさんに近づいた。
「Iさん、覚えています?前のフロア−でもご一緒しましたよね。」
「忘れちゃいました?」
と私。
「覚えてるよ」
愛想笑いのIさん。
「今日から,このフロア−の勤務になりました。Iさんのお部屋の担当にもなりましたので,何かあったら遠慮なく言ってくださいね」
にこり・・とIさん。
話をした感じ、Iさんは以前ほどのパワーがなくなっている感じだった。
歳のせいなのか,体調のせいなのか????



Iさんとフロア−を別にしていた間,私は少しづつ「相手にあわせる介護」が理解できるようになってきていたので、Iさんに接するにも「なんとかやっていけるだろう」という自信がついてきていた。
そのためなのか、Iさんの担当としてそれなりにIさんのお世話ができるようになっていた(気がする)
少しづつ自分のこともIさんに話して見た。
Iさんには私の子どもと同じくらいのお孫さんがいらっしゃったので、そのくらいの子どもについてや、最近のニュース、私の夢。
Iさんのことが段々身近に感じるようになってきた。
そしてIさんんが、だんだん私に心を許してくれるようになってきた。

やはり体調の悪い時,気分の乗らない日は以前のように近寄ることすら嫌がられてしまったけれど、いつからか私の顔をしっかり覚えて,個人的なお願いまでされるようになった。

とある日、私は仕事でどっと疲れていた。
なんか仕事に対して自信をなくし,元気のない顔をしていたと思う
Iさんにこう言って見た。
「Iさん、私はこの仕事が自分に向かないんじゃないかと思うことがあるんだぁ」
Iさんはじっと私を見て
「寮母さん(私のこと)はやさしいから大丈夫。この仕事に向いてるよ。がんばって・・」
とてもやさしい笑顔だった。
笑顔のIさんは本当にいい顔だった。
こっちまで笑顔に変えるほどのとにかく印象的なものだった。



それから2年の月日が流れた。

Iさんの体調の優れない日が続いた。
Iさんの心臓はかなり弱ってきており、ペースメーカーの埋め込みが必要だということだった。
Iさんは入院加療を必要としたが、それを拒否された。
もちろんペースメーカーの埋め込みも拒否。
「もう、このままここで死んでいくから・・・」
確か,こんな風に主治医に伝えられたと聞いた。



ナースからの毎日の申し送りで、Iさんの体調の変化が毎日伝えられるようになり、Iさんの体調は日に日に悪化していた。
今や,土色に変わったIさんの顔色と全身のむくみ、身体からじわじわとあふれる滲出液、近寄って話しかけてもIさんはうなづくのがやっとといった感じになってきた。
先輩寮母が枕もとでIさんに入院を勧めた。
しかし、Iさんは首を横に振るばかり・・。
「このまま、ここで」



彼の望みが叶いますように・・
たとえここで「死」を迎えることになっても、最後まで責任持って見守りたい。
いつしか残酷かもしれないけれど、私はそうおもうようになっていた自分に気がついた。

そう思ってはいても、夜勤の巡視はドキドキだった。
Iさんの側に近寄り、呼吸を確かめるまで不安で不安で胸がはりさけてしまいそうだった。
Iさんの静かな願いだけが,私の心の救いだった。



それから何日もたたないうちに、Iさんは緊急入院となった。
本人の意志は尊重されていたが、主治医の説得でIさんはなんとか入院を承諾されたらしい。



12月、いや1月のある日、Iさんはついにこの世から旅立たれた。
冬のとてもとても寒い日だった。
その寝顔は静かで,おだやかなものだったと後日耳にした。
ちょっとだけほっとした。



今もIさんのベッドのあった場所に行くとIさんを思い出す。
社会福祉士の勉強をしていた時確か「接近困難なクライエント」について学んだ。
Iさんはその1人だったかもしれないなぁ・・ふとそう思った。



Iさんと過ごした時間。
長いようで短かったその時間
私はIさんを通して多くのことを学んだ。
「信じていれば,相手にきっと思いが通じる」
「苦手(人も物も,仕事も)を避けて通らない」
自分にとってこれが1番の収穫だったかなぁ??



Iさん、天国でも俳句読んでいますか?
私はこの仕事を始めて年目、少しだけ相手を思いやる介護ができるようになった気がしています。
ありがとう・・・
色々なことを教えてくださって・・