−Baby2− 1993.12.中旬〜
子供は2歳おきに4人くらい欲しい。
結婚当初はそんな無謀なことを考えていた私。
だが2人目になかなか恵まれず、もしかして2人目不妊ってやつかな?
そう思っていた頃、2人目ができていたことがわかった。
これは嬉しかった。
今度は男の子だといいな〜、と漠然と考えていた。
一度経験済みだと、今度はえらい違う生活を送った。
1人目の時は、とにかく何事も慎重で
育児書などを読みまくり、勉強した。
妊婦体操とか言うのも、一生懸命やった。
胎教にいいからと、クラシックを聴いたり(別も聴いてたけど^^;;)
極力精神を穏やかに保とうとしたり...
だが2人目だと、、、、、
音楽なんて本当に自分の好きな音楽ばかり。
重い物は持つし(長女の時も持っていたけど^^;)
インスタントラーメンは食べるし、走るし、自転車には乗るし....etc。
上の子が3歳くらいで、いたずら盛り。
精神を穏やかに、なんて無理な話だった。
上の子が保育園に行くようになると、当時はまだ在宅の仕事もしていなかったので
暇を持て余して、セガサターンのバーチャファイターに燃えて興奮しまくり。
「うわっちょ〜」
「んが〜負けたぁ〜〜〜!」
ひとりで漫才をしていた。
お腹の経過は良好で、私は無理しない程度に普段と同じ生活をしていた。
そして3月の初めくらい、妊娠5ヶ月くらいの時だ。
ダンナの親戚が亡くなり、葬式に出る曾祖母を送り迎えするため
片道1時間くらいの距離を1日2往復したことがあった。
その次の日の夜、私は布団に入ってテレビを見ていた。
忘れもしない、ジャッキーチェーン主演の「ツインドラゴン」だ。
急にお腹が痛くなり、痛みがどんどん増していった。
今はまだ5ヶ月目に入ったばかり。
こんなに頻繁にお腹が張るのはおかしい。
しばらく様子を見たが、いっこうに収まる気配もなく病院へ電話すると
すぐ来て下さい、と言われた。
(映画途中なのに.....)
ダンナに病院へ連れていってもらい、診てもらう。
「この時期ではまだ来ない張りが、かなり強くきてますね。とりあえず注射を打って様子をみましょう。」
張りがおさまる注射を打たれたのに、痛みはおさまらない。
それどころか気分まで悪くなってしまい、吐いてしまうほど具合が悪かった。
結局「切迫早産」ということで、入院となってしまった。
約3週間後に長女の入園式があるのに.....
私は、それが気がかりで仕方ない。
入園式までに必要なバック類をまだ作っていなかったのだ。
「私、すぐ帰らないといけないんです。入園式の準備が...」
「な〜にバカなこと言ってるの。赤ちゃんの方が大事でしょ?」
「それはそうですけど...入園式も出れないとか?^^;;」
「平気平気。田舎の保育園なんて、毎年入園式みたいなのするんだから(笑)」
看護婦さんにそう言われても、頭の中は保育園の準備のことで一杯だった。
しかしグダグダ言っても仕方ない。早く良くなろう。
最初は個室だったが、症状が良くなってきてから移動。
4人部屋で、向かいのベットの人は背もお腹もずいぶん大きい人。
「お腹かなり大きいですね〜?」
ちょっと茶髪のヤンママ風に見えた彼女に、思い切って話しかけてみた。
「ま〜ね。双子だもん(笑)」
「あ、そうなんだ。いろいろ大変だね。」
「見てみる?スイカみたいだよ(笑)」
そう言って彼女はおもむろにパジャマのすそをめくった。(@@)
そこにはいわゆる妊娠線がたくさん出来ていて、まん丸な形はまさにスイカ。
「おっきぃ〜〜〜(笑)」
「だろ?だろ? しかもでべそ(笑)」
彼女とはすぐに仲良くなれた。
私より4歳くらい年下だったけど、背もお腹も気持ちも大きい彼女。
「ほれ、これ食う?」
いつも差し入れがくると、わけてくれたりした。
彼女のおかげで思った以上に楽しかった入院生活。
しかし、その時恐ろしい事件が起こったのである.....
地下鉄サリン事件である。
6時に検温があるため起きてテレビをつけていたら
もう地下鉄サリン事件の話題で持ちきりだった。
たくさんの犠牲者の人が出た。
未だにひげ面教祖は罪を認めていない。
こんな事件だけは、二度と起きて欲しくないものである。
入園式を4日後くらいに控えた日に、私は無事退院できた。
退院した翌日に急いでバックを作り始めた。
気が焦っていたのか、ミシンで自分の手を縫ってしまった(TT
「いったあああぁ〜〜〜〜!!」
そのショックでまた入院騒ぎにならなかったのは、奇跡である。
無事入園式も終わり、また新しい生活が始まった。