−祖父の死−  1992.2.5

時期が少々戻るが、身近な人で初めての死だった。
その連絡は朝の6時半ころだった。
秋田で初めての冬を迎えていたのだが、ダンナは年が明けてから
秋田での仕事が少なく、埼玉に住むおじさんの所へ仕事に行っていた。
いわゆる出稼ぎというやつである。

私は慣れない秋田で子供と2人ということもあり、
ダンナの実家で寝泊まりさせてもらっていた。
ダンナの父も一緒に埼玉に行っていたので、
家にはダンナの祖母、母、妹と私たちの女ばかりの5人だった。
連絡を聞いて、私はすぐに新潟へ帰る準備をする事になったのだが
なんせ新潟に帰る電車の数は一日2本。
一本目は7時くらいに発車なので、もう間に合わない。
次はお昼少し前の11時半頃。

埼玉のダンナにも連絡して、喪服はこっちで持って行くので
そのまま新潟に向かって欲しいと告げる。
私たちが新潟に着く時間に、一番近い新幹線で来てくれるようだ。

映画やテレビでしか見たことのないお葬式というものが、本当に大変だと思った。
お祝い事と違って、突然くるものであるから
もちろん準備などはない。
全てをスピーディーにこなしていかなければいけないのだ。
おまけに父の男兄弟は全て関東に住んでいる。
その親戚が家に泊まるので、その準備やら世話も大変だ。

祖父が亡くなってしんみりしているのは、父の女姉妹ばかりだ。
みんなバタバタと準備に追われて、悲しんでる暇もない。
祖母はというと、がっくり力を落としてるかと思ったが
意外にも平気そうであった。

実は、祖父は数年前に病気で片足の膝から下を切断していた。
祖母は年老いた身でトイレや入浴など、1人祖父の面倒をみていた。
正直、疲れきっていたのかも知れない。
だから悲しさよりも、別の気持ちの方が強かったのかも...
祖父は92才の大往生で、足を切断したために体力が落ち老衰で亡くなったのだ。

ところでお葬式が終わった後、地域によっていろいろ差があるらしいのだが
新潟の実家の地域では、親戚などの近い人たちが集まって
料亭などで食事をし、故人の思い出話をしたり、というのがある。
私には父方のいとこが11人いる。
私たち兄姉を入れると、孫だけで総勢14人だ。
私には長女、姉には2人子供がいたのでそれだけで17人。
久しぶりに顔を合わせたいとこと達と、
つい祖父が亡くなったばかりなのに、話に花が咲く。

だが火葬場に行き、煙があがり灰になってしまった祖父の亡骸を見たときは
やはりみんなが涙していた。
60年以上つれそった祖母。
7人の子供達。
14人の孫達。
3人の曾孫。
これだけの人数に見送られていった祖父は幸せではないだろうか。

そう言えば夜、お酒を飲まない私が
会場と家をバスに乗りきれない人の送り迎えしていたとき
なんと、同い年で車屋に勤めるいとこの車にぶつけてしまった。
当然弁償しないといけないのだが、(ちょっぴりだけ)怖い兄がいとこに
「おまえ自分のところ(会社)で、安く直せるんだろ?2万円で勘弁しろ」
と、無理矢理安く交渉していた事は
数人しか知らない事実である。
いとこの車の運転席側のドアはぺしゃんこで、窓も全壊に近かった....^^;;;;

きっと祖父も天国で「あちゃ〜」と言って見守ってくれてるさ(笑;;)