−入院と手術− 1993.1.15〜
東京でのオーディオ関係の仕事から一変して、左官屋の仕事を始めたダンナ。
左官屋は、コンクリートを塗ったりタイルを貼ったりと
腰をかがめる作業も多く、重い物を持つことが多い。
背も他の職人さんよりは高いし、全然がっちり体型でないダンナ。
よけい中腰が辛かったのだろう。
しだいに腰痛を訴えるようになった。
病院に行くと「椎間板ヘルニア」ということだった。
何度も聞いたことはあったが、まさか自分のダンナがこんなんになるとは^^;;
私の職場の人に話してみると「労災病院がいいよ」と勧められた。
だが、何十年もこの地に住むダンナの親は
「あそこよりO整骨院の方がいい」
と、あっさり私の意見は却下されてダンナはO整骨院に通うことに。
そして数ヶ月経つのにさほどよくもならず、とうとう足のしびれまで訴えてきた。
「なんかね〜、労災病院がいいらしいよ。行って診てもらうといいよ」
サラッとダンナの親が言ったときは、正直(前に私がそう言ったじゃない...)
のどまで言葉がでかかったのを、無理矢理飲み込んだ。
そしてその病院を訪れ、すぐではなくても入院して手術した方がいいと言われた。
それまでの間は、ブロック注射という
骨だかに痛い注射を打って、痛みを耐えさせるようだ。
予約はしたものの、そこの整形外科はとても混んでいて、緊急でないなら
予約をしてからベッドの順番が来るのは、数ヶ月先になると言われた。
ベッドが開くまでの間に、ダンナの親が
「(宮城県の)気仙沼に腕のいい整体の先生がいる。
泊まりでないと行けないけど、お金出してあげるから行ってくるといいよ」
泊まりがけで整体に行って戻ってくると、本当に調子がいいらしい。
そんな時病院からベッドが開いたと連絡が来たが、断ってしまった。
そして、整体から戻ってきてそれほど経ってないと思ったが
「やっぱり痛い...」
どうもその整体は、完全に治る人もいるかもしれないが、
うちのダンナには一時しのぎでしかなかったようだ。
仕方なくまた病院にベッドの申し込みを.....^^;;
痛いと言い出してから、一年も経過してようやく入院することになった。
ちょうど成人式の日に入院したのを覚えている。
同じ病室の人はみんな年輩の人ばかりだったし、
整形外科に入院してる人は、ヘルニアの人が本当に多かったのだが
ヘルニアで入院してる人ではダンナが一番若かったと思う。
入院してもすぐに手術というわけではなくて、いろんな検査をして
およそ2週間後くらいに手術になると言われた。
手術の後の数日間は動けないので、泊まりがけで付き添いが必要ということだ。
子供もまだ小さかったし、悩むところだったが
全ての世話をしないといけないので、やはり私がやるしかないだろう。
子供はダンナの親がみてくれることになった。
私の荷物もかなりのもので、
付き添いの人の布団を病院で借りると、1日800円だったかかかると言うし
家から毛布やら何やら、いろんな物を運んできた。
食事は出ないので、病院の食堂か売店で売ってるパンなどだ。
その病院はかなり市のはずれにあり、(地名が軽井沢というのが笑える)
周りにはほとんどお店はない。
付き添いの1週間ほど、それでしのがなければいかなかった。
入院しておよそ2週間後の2月の初め、手術は行われた。
予定の時間をかなり過ぎて心配したが、無事終了。
病室に戻って来たときは、まだ麻酔が効いていて眠っていた。
目が覚めてからが大変だというのは覚悟していた。
とにかく寝たきりになるので、食事から何から全ての世話をするわけだ。
ようやく麻酔がきれて、目を覚ました一言目が「痛い.....」だった。
その痛みは私には想像できなかった。
背中に約20cmほどの傷跡が残っているそうだ。
執刀医の先生が後で説明に来てくれた。
予定外の時間がかかった理由を話してくれた。
「いやぁ、手術した場所をその人の脂肪で埋めて縫合するんですけどね
とにかく痩せていらっしゃるでしょ。
脂肪が無くてね〜^^;;;;いろんな部位からかき集めたんですよ^^;;」
なるほど〜〜
言ってくれれば、私の脂肪をいくらでも寄付したのに〜(笑)
起きあがれるようになるまで4.5日だったかな?
その後に、歩行器を使って歩く練習。
歩行器をはずして自力で歩くようになるまでは、更に日にちがかかった。
入院してる患者さんは、それぞれに暇つぶしのような趣味を持ってる人が多かった。
ビーズ手芸のような物をする人、読書、折り紙、クロスワードパズル、編み物など。
私も暇な時間もあったので、編み物をしたりして時間をつぶしていたが
ダンナもただ寝てるだけで、暇の極度にいた。
「オレも編み物やってみる、教えて」
「ウソォ〜!マジ?(笑)」
「だって暇だもん」
本などはあっという間に読んでしまうし、かと言ってすぐに新しい本を仕入れるわけにもいかない。
ということで、ダンナに編み物を教えることに。
男の人でもビーズ手芸をやってる人が数人いたので、編み物くらい珍しくないかな?
しかし私たちが編み物をしてる姿が面白かったのか、
隣の病室からからかいに来るおやじ達もいた。
しかし....
なかなか覚えてくれないんだよね。
初めてやることだし、仕方ないのは分かるんだけど
ダンナの体質には合わないんではないだろうか?(笑)
もともと細かい作業を続けてやることがダンナは苦手。
「今度こそはやり遂げる!」と意気込んでジグソーパズルを買ったこともあったが
「もういい(笑)」と放り投げる。
ダンナが苦労に苦労を重ねて出来た作品は、自分のタバコ入れであった。
退院してから、一度でも「また編み物やる」と言う言葉は聞いたことがない。
なんか内容が中途半端だな^^;;;
しかし手術が終わり、その部分は大丈夫でも他は痛くなる可能性はありますよ。
と、言われた通り、毎年毎年ダンナは腰を押さえて病院に行く。
また手術にならなければいいんだけどね〜^^;