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初めてのT医大 |
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12月14日(生後17日目)
朝9時頃、主人の実家を出たが、東京の一般道はかなり混雑していて、すぐそこに病院が見えるのに車はさっぱり動かなかった。
約束の11時30分になってしまう、あと200メートルという所で、私はクーハ
ンに娘を入れ走り、病院に駆け込んだ。しかし受付は11時迄とのこと、
「看護婦さんに了解を取ってもらわないと受付できません。」
と冷たく言われる。涙が出そうになるのを押さえて、看護婦さんに話すと、
「聞いています、大丈夫ですよ。」
と受付の人に言ってくれた。
レントゲン、心電図を済ませ待っていると、夫も駆けつけ、まもなく名前が
呼ばれた。
初めて会うT医師は、丁寧に私達の話を聞いてくれ、診察し、エコーで娘の
心臓をみながら難しい顔をし、心電図、レントゲンをみて、
「娘さんの心臓はかなりへばっています。」
と言った。
「新生児期にこんなに早く心不全が進む心室中隔欠損はない、たぶん大動脈の
どこかに異常がある。心電図でもエコーでも左心室が殆ど動いていません、
今日、入院してください。」
まさか今日は入院はないだろうと思っていた私達はびっくりした。そして、
「そんなに悪いのか」
と思い又、不安になった。
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入院 |
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病棟に着くとすぐまりあは、採血や診察などでナースステーションへ連れて
いかれた。夫と二人でしょんぼりロビーで待っていると、主治医のS
医師がや
って来て、
「まりあちゃんは状態が悪いのでICUへ入れました。」
「え、そんなに悪いの?さっきまでおっぱいを飲んでいたのに…。」
「後で、T先生からお話がありますから。」
午後3時頃、T医師よりお話があった。
「左のとう骨動脈からの造影検査の結果、お子さんの大動脈がやはりここで
縮んでいました。」
見せてもらった写真は白く写っている血管が、心臓から出た後一カ所、縄目のように細くなっていた。
「体へ行くはずの血液も又心臓へ戻って来ているので、
かなり心負荷がかかり、心臓がオーバーワークの状態です。
早くここを広げてやらないと命に関わる。」
涙が後から、後から溢れてきて、今ここに座っているのは夢のような気がした。
しかし、手術を行うには心不全がかなりあるので、胸部外科の医師と相談する
とのことだった。 |
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大動脈縮窄複合 |
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『大動脈縮窄複合』、それがまりあの正式な病名だった。心臓から全身へ血液
を送る大動脈が、途中で萎んでしまっている。そのため、全身への血液供給が
十分でないばかりか、心臓と肺に過剰な血液がぐるぐるとどうどう巡りしてい
る。左心室が特に疲れており、心臓の機能を十分果たしていないとのことであ
った。「複合」とは、まりあの場合心室中隔欠損を合併している、という意味だ。
4時頃又部屋へ呼ばれた。今日、手術をすることになった、とのことだった。
「大動脈の狭くなっている所を左のとう骨動脈を持ってきて、
合わせてつなぎ、広げます(subclavial artery flapping )。
それから、心室中隔欠損があり、このままだと、かなりの量の
血液が肺へ行き肺高血圧が起こるので、肺動脈を少し縛る手術を
します(banding)。
今のまりあちゃんの心機能で、手術に耐えられるかどうか
解りませんが、このまま放って置いても事態は悪くなるので
手術をしたいと思います。」
私達はある程度のことを予想していたが、それを遙かに越える事態になっており、私はただ先生の言葉に肯くことしかできなかった。外科のA医師からも手術について、同様の詳しい説明があった。
「フラッピングの手術を行っている間、体循環は20分位、止まるので、
その後、腎機能や、腸管の機能に影響がでることがあります。
それから、多分、輸血を行う。」
と言うこと。ただ、手術自体はかなりの成功率とのことで、少し心強かった。
ここではこういう症例は何回も手術が行われているのだろうなとA医師の口振りから思えた。 |
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手術へ |
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午後5時30分、ICUへ面会へ行くと、まりあは安静のため、眠らされていた。
T医師も、S医師もいた。ほんの数時間離れていただけなのに、そこに眠って
いるわが子は別人のように思えた。点滴が何本かとられ、口には胃チューブ、
心電図の脈拍は140回/分とかなり頻脈であった。
「これはきっと夢に違いない。」
そう思いたい気持ちと、目の前の娘の姿との間で、何も考えられ無かった。
こんなになるまで気づいてやれなかったという後悔の想いと、そして、もしか
したらこのまま二度と会えなくなるかもしれないと言う想いで、絶え間なく涙
が溢れてきた。
「まりちゃん。」
と声をかけると、
「う〜ん」
と少し目を開けそうになり、又、涙が溢れてくる。
「ごめんね、どうして、どうして?私達だけ…。」
手を触ってやったり、背中をなでる事ぐらいしかできなかった。ICUの看護婦
さんからもとても丁寧にオリエンテーションがあったが、混乱していて、返事
しかできなかった。とりあえず、今日は、病院から歩いて5分位の所に泊まる
よう、宿の紹介があった。この現実にしっかり向き合わなくてはと頭では思う
のだが、動揺が治まらず、何か言われるたび、反射的に涙が流れてしまう。私
の感情よりも今はこの子を助けるために、事態は流れているのだから、がんば
らなくては、と思い直し、やっとの事で、そこに座っていた。
午後7時から手術とのことで、6時50分ぐらいに手術室のエレベーターへ消
えていった。とにかく、手術に耐え、又私達の手にまりあが帰ってくることを、
今は願うしかなかった。もう何時間も授乳していない私の胸は、かなり張って
いた。その痛さが、現実の証拠として感じられ、ますます悲しくなった。
夫もみんなに電話連絡をしながら、泣いていた。夫の母は、「まだ、顔も見て
いないのに。」と泣いていたという。私は、電話口にさえでられなかった。
連絡を受け、妹一家がやってきてくれた。妹の顔を見て、又涙が溢れてきて、
しばらく、何も言えずにいた。交代で下のロビーで休むことにし、食事をとっ
た。少しまともに考えられるようになり、「きっと、まりあは帰ってくる。」そ
う思えるようになった。
11時30分手術は無事成功し、終了した。後は本人が、術後どれ位頑張れるか
だった。清とした、CCUへ面会へ行くと、まりあはオープンクベースに横たわ
り、口には挿管チューブ、人工呼吸器がつながり、ベットの周りには点滴や、
心電図やサチュレーションの機械類が並んでいた。眠っているように見えるま
りあ、でも一安心だった。心電図計にはかなり、PVCが見られていたが、尿も
出ているようだし、手術が終わっても、心臓が動いている、と言うことがとて
も嬉しかった。
その後3時まで病院に待機したが、主治医のS 医師から待機解除があり、病
院の近くの宿へ移動した。先生も目が真っ赤だった。「みんながまりあのために
一生懸命がんばってやってくれている。」とてもうれしく、心強かった。
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