世論


9月20日
"LIVE STRONG"


久しぶりに冷え込んだ朝だった。セーターの上からフーディーを着込み学校へ。昼前にはセーターはいらなくなったけども。

"colossal failures of judgment" ケリー氏がブッシュ大統領の政策を揶揄して曰く。
「途方もない判断ミス」。はて。米国の政策に判断ミスがあったであろうか。
「ミスを装って批判される事を織り込み済みの故意」なら多々お見受けするんですけど。

で、熱っぽく演説するケリーさんの左手首に見え隠れする黄色のバンド。

アメリカの英雄、ランス・アームストロングの癌患者基金賛同者の証。
かくいう私もしているわけですが。

"LIVE STRONG" 前人未到の6連覇を成し遂げた男の言葉、説得力があります。
困難を乗り越え、その先の栄光を手にした英雄。人々は賞賛の辞を惜しみません。
お前こそがアメリカンヒーローだと。

この黄色のバンド。つけている人をしばしば目にします。
土地柄でしょうか。それこそ老若男女問わず。
バンドをしているもの同士、ちょっとした連帯感が生まれます。
「あ、君も」 「あ、アナタも」
「先生もですか」 「実は私も」

こうした記号性による連帯というのはしばしば見受けられます。
黄色のリボン。戦地に送り込まれる部隊を支持しようではないか、という趣旨のもの。
特に車のトランクの辺りに黄色いリボンのステッカーを貼っている車がよく走っています。
黄色いリボンは雄弁に語ります。

「私はリベラルな賢いアメリカ人。戦争は反対。
 でも、従軍している人たちには他に選択肢がないじゃない。それが仕事なんだし。
 だから、戦争の是非はおいといて、私は彼らをサポートするわ。」

いかにも東海岸のアメリカ人が好みそうなお題目です。
事実そうした人たちが黄色いリボンをつけ、彼らの中での愛国心を表現し、
周囲の人と共有しようと試みているように感じる今日この頃。

でも、ですよ。
そういった具体性のないお題目に基づく連帯って無責任じゃないの?
聞こえの良い主張には、本質から目を逸らせようとする意図があるもの。
部隊を支持するのは、よしとしよう。
では、その部隊は何処に送り込まれているんだい?
戦地だろ。それもアメリカが戦地に仕立て上げたところだ。
問題の根本はそこだったはずじゃないの。

戦争の是非を問いただすことを許容しない今のアメリカの雰囲気。
それに閉塞感を覚えた一部の人々が見出した苦肉の策。
目の前に横たわる問題から目を背けきれない人々の良心をなだめる免罪符。
黄色いリボン。

戦争反対を叫んでも、自分の無力を思い知るだけ。
そんな時、手頃なお題目で妥協したくなる誘惑に駆られる。
人とは弱いもの。これもまた必然でしょうか。
しかし、です。
自国が戦争に加担している事を快く思う人は少ないでしょう。
問題の本質は、戦争をいかにして止めさせるべきか、であるわけで。
ここからの逃避は戦争責任を意味するのではないかと。
未必の故意、てね。

戦争という「途方もない」問題と向き合う事は、誰にとっても非常に辛く厳しいことですな。
烏合の衆に紛れられれば、どんなに楽か。
でも。だからこそ。
そこから逃げ出さず、向き合う事が必要なんじゃないか、と思うわけです。
さもなくば、「あっち側」の人間の肩をもつ事になる、という自戒を込めて。

"LIVE STRONG"
「一人になっても、正義を守れ」

強く生きるってタイヘンだね、ランス。