世論


9月27日
Pocky-ism

扇風機、常時運転中。
涼しかったり、蒸したり。
季節の変わり目、でしょうか。

ワタクシ、間食が嫌いでした。
なぜ過去形かと申しますと、
最早、間食無しでは生きては行けない体
になってしまったからです。

食生活が乱れるのは一人暮らしの常、です。
日本での一人暮らしも惨憺たるモノでした。
意外と料理には気力が要ります。
疲れた体に鞭を打って
自分のために飯を作るのは
なかなかどうして難しい事なのです。

一人暮らし故、
他の人の御飯を考える必要がない
というのも大きな要因でしょう。
己の空腹と疲労を天秤に掛けると、
十中八九、「寝ちまえ!」という結論に達します。

どうしても空腹が収まらなければ、
そこは便利の国、ニッポン。
コンビニに行けば解決です。
毎日、では辛いでしょうが
その場しのぎ、には十二分な量と質。

そうした恩恵にあやかれない米国生活。
自分が可愛いなら、自炊か断食です。
さもなくば、典型的米国人の体型をもれなく獲得するハメになるからです。
美味くもない食事で健康が蝕まれる不条理。
僕には我慢できません。

それでも、机に向かっているとき
無性に何かを口にしたくなる瞬間が訪れたりします。
そんな時、僕は日本製のお菓子を嗜むのです。
特にチョコレート菓子を。

所謂ジャンク・フードが嫌いだったワタクシ。
しかしながらチョコレートは大好き。
それはもう食べ過ぎに気をつけるほど。
で、米国で直面したチョコレート危機。
ないんです。食べられるチョコレートが無い。どこにも。
手に取るモノすべてが口に合わないという無情。

味もさることながら、
その知性のかけらすら感じさせない包装に
完全に拒否反応を起こしてしまいました。
指先にベットリ付いた溶けたチョコレートを見て
「二度と買うか!」と心に誓った去年の秋。

そんな僕が見つけたオアシス。
それが我が日本国製造のチョコレート菓子たちなのです。
ココ米国でもそこそこの値段で手に入れることができます。
米国製のチョコレートに払うことを考えれば安いものです。
味も昔から慣れ親しんだもの。
確かに望郷の思いもあるかもしれません。
しかしその本質は別のところにあるのです。

ポッキーを見るとき、僕のココロは癒されます。
チョコレートで繊細にコーティングされた華奢なボディに、ではなく
チョコレートがかかっていない部位に、です。
これこそ日本人的心遣いの一端、だからです。
食べる人のことを思い浮かべてモノを作るという姿勢。
米国菓子業界が100年たっても到達する事のできない高み。

だから僕は言いたい。
ポッキーの半分はニホンジンの英知でできている、と。


グリコさん。
ポッキー一年分、いつでも受け付けます。