■■畸型楽園 II:幻影の都
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都市王の宮殿の大広間には、新年の朝賀のため国中の貴族が集まっていた。
大陸の東と西を結ぶ交通の要衝にあるこの国は、商業を基盤に繁栄に繁栄を重ねてきた。
四囲に大国を控えながらも滅亡の憂き目にあうこともなかったのは、代々の都市王の力量を示している。
が、僕は、この平和も軍事的な側面で都市王を支えるわが一族あればこそ、と常々教えられて育ってきた。
そう、建国の功臣として高い地位と禄を与えられ、僕の一族はそれに見合う働きを、忠誠を都市王にささげてきた。都市王が僕の名を呼ぶ。
広間中の視線が、僕にあつまる。
年はじめの饗宴につづく叙位任官の席。だれもが王に名をよばれ、より高位の職に任ぜられることを願っている。
僕は震えを抑えながら玉座の間近まですすみ、平伏した。
−僕の訴えは王に届いたのだろうか?
淡い期待である。
都市王は不機嫌な声で、宣下した。「わが国に戻ることはまかりならぬ。そなたは一族の者どもを伴うて、これより先は風に従い、風の吹く先へと世界中を放浪するがよい」
そして王は隣に座る妃を振り返った。何事かをささやく。
大きな羽根飾りで顔の半分を隠した妃は、僕を馬鹿にするように手にした扇をひらひらと振った。「退がれ」
それが、数百年にもわたって王家に忠誠を尽くしてきたわが一族に与えられた、王からの最後の言葉だった。
つまり、僕の訴えはやはり王には届かなかったのである。冤罪だ。
僕は頭を上げて、自分からすべての栄誉を奪った妃の顔を見やった。
高く結い上げた艶やかで豊かな黒髪。
顔は額の羽根飾りと扇で隠され、表情が読み取れないばかりか年齢さえも見て取れない。
襟元からわずかにのぞく首筋の皺が、その年齢を示している。都市王よりかなり年上の女だった。
西方の大国のそのまた向こうにある国の王女。
肌の色も目の色も髪の色も、すべてが僕らと違っていたが、その美しさだけは強く印象づけられた。
彼女から言葉をかけられると、だれもが幸せな気分になった。
若年ながら近隣の国と対等以上にわたりあうあの都市王でさえ、この妃の前ではただの男でしかなかった。僕と都市王とは年が近く、兄弟のように育った。
僕の一族は王国の北辺に領土があり、北方を守護するのが役目だった。
一時衰退していた北方の大国は近年その力を取り戻し、国境を破って幾度も戦いをしかけてきた。
一族の有力な武将たちは、執拗に繰り返される敵の攻撃にたおれていった。
そんななかで僕は小さいころから宮廷に預けられていた。
一族の頭領を継ぐ兄は領地にいて、父に伴われ戦場に出るようになっていた。
万が一のことがおきないとも限らない。
だから僕は戦場を遠く離れた中央にあって、兄にもしものことがあれば頭領を継いで一族を率い、無事に日々が過ぎていくようなら中央で一族を支える。
それが僕に与えられた使命だった。都市王は僕を弟のように扱ってくれた。
年齢が近いだけでなく、お互いの母親が親戚関係にあるせいかもしれない。
都でなに不自由なく暮らしていると、遠い北の地で父や兄が死ぬ思いで戦っているのが嘘のように思われた。
都市王の理想の政治についての話を聞きながら、僕は王を支えて働く自分を思い描き、彼が即位する日を心待ちにしていた。
王に対する忠誠心なら、きっと父祖のだれにも負けない。
けれど、都市王が正式に先王から王位を譲られた年のこと、僕の運命は暗転した。
お前なら信頼できる、そう言って気難しい妃の侍従に僕を任命したのだった。
これまで幾人もの侍従が、その職を辞してきた。だれ一人としてきちんと勤まったことがないのだ。
信頼は、嬉しい。都市王が、お前にまかせる、と言ってくれるのだ。
妃に仕えよ、などという命令でなければどれほど嬉しかったろう。
これから都市王の治世が始まるのだ、僕はいままでどおり都市王の側ちかくにあって、その役に立ちたかった。都市王の即位以来ずっと、浮世離れしたあの女に生け贄のように仕えつづけた、それが僕の青春。
妃が僕を気に入ったのかはわからない。
ささいなことで腹を立て僕を打擲することもしばしばだった。
服が気に入らなければ打つ、髪を結うときに一本でも髪が抜け落ちようものなら手鏡を投げつける、その時まわりにいる者ならだれでもかまわずぶつので、側仕えの女官たちだけでなく僕も巻き添えをくらって、体に傷が絶えなかった。
そのくせして都市王の前では、同じ女とは思えないくらい上品に優雅に笑うのだ。
扇ひとつ持つことさえ大変そうな儚げな風情で。
都市王は僕の傷をさすがに変に思ったらしいが、妃にうまく言いくるめられて追求をやめてしまった。
散々振り回されて、その報酬がこれか?
やりきれなくて、僕は唇を噛み締めた。僕にはなにも残っていなかった。とうの昔にすべて失われたようなものだ。
北の大国の攻撃は激しさを増す一方だったが、都市王は援軍を送らなかった。
援軍の要請がなかったから、状況判断が遅れてしまったのだ。
一族は都に遣いを出す暇もなく、壊滅的な打撃を受けていた。
敵の攻撃はやけに迅速でしつこかった。
兄もいとこたちも戦いの中で死んでいき、領地は敵に思うさま蹂躪された。
都市王は慌てて、それまで東方を護っていた一族を僕の一族の代りにあてた。
彼らはよく戦い北の領地をいくらか回復した。領地はそのまま、彼らのものになった。
僕の一族は零落の一途を辿り、敗残の身を僕の元に寄せてきた。北の領地の代りに与えられた土地は一つもない。
城下にあった僕の屋敷は、かつて一族が栄華を誇っていたころのもので、時代がかった豪壮なつくりをしていた。
ひとりで暮らしていたときは淋しさに耐えかねることもあったが、今は人こそ増えたものの淋しさはよけいに深くなったようだった。
先の戦いで左腕をなくした父は日がな一日、ひとり縁に座ってぼんやりとすごしている。
ときおり、頼りない声で死んでいった者たちの名を呼んでいる。
体の傷が癒えても、心がもとどおりになることはないようだった。あの屋敷も、立ち去らねばならない。
王は、この国から出ていけ、と言ったのだ。
屋敷も財産も全て没収されるのだろう。
僕一人に負わされる罪ならまだしも、一族全てに累が及んで、そのうえ、このような満座の中で都市王の誤解を解くことすらできずに官位剥奪の侮辱を受け、もう、立っているのがやっとだった。
羽根飾りで顔の半分を覆い隠した妃の、唇が動いた。
僕におぞましい罪をそそのかしたあの時と同じ、禍々しいほどに赤い、その唇。「きこえなかったのか。退がれと言うておるのじゃ」
馬鹿にするな。
僕は昂然と頭を上げた。女を睨み据える。
僕の身柄は僕の良心が預かった。お前などが裁くものではない。
あの決断は間違いだったのか?
結局、僕は一族の再興どころか、彼らからすべてを奪い去ることになってしまった。
この罪は、だれにいわれずとも、この自分が一番よく分かっている。この女とかわしたばかげた問答が思い出される。
そそのかされた罪は決して軽いものではない。僕は即座に断った。
(そのようなことはできませぬ!)
女はわざとらしい溜め息を吐いた。
(そう、・・・ではお前の栄えある一族もこれまでじゃな。)
そして意味ありげに僕を見る。
なにを言わんとしているかを悟り僕の顔は蒼ざめ、それでもこの女の言うことに従うことはできなかった。
僕がいま仕えているのはこの女でも、本当の主人は都市王であったから。玉座に座る都市王の姿が、次第に霞んでゆく。
頬を涙が伝わるのがわかったが、どうしようもなかった。
都市王が眉をひそめた。
どうしてあなたは僕の言うことを信じてくださらなかったのだろう。
どうして、あの女の言葉をああも簡単に聞きいれてしまわれたのだろう。
涙で見えなくとも、これが最後になるのならあなたの姿をこの眼に、心に刻みつけておきたい。
隣で父が小刻みに震えながら王と妃に最敬礼をするのが、ぼやけた視界の隅に映った。
* * * * *
風に従え、という王の言葉どおりに我々一族は放浪の旅に出た。
この国では、風はいつだって東から吹いてくる。都市王の都はどんどん遠くなり、そうして我々を西へ西へと追い立ててきた。「・・・海、だ・・・」
風に追われ続けたながいながい旅の末、我々はとうとう世界の西の果てまでやってきた。
ここまでくるあいだに一族の人間はひとり減り、ふたり減り、いまや10人にも満たなかった。
もう、いいだろう?
ここは都市王の支配する土地ではない。そろそろここで落ち着いてもいいだろう?
我々を追放したあの妃も数年前に亡くなったと聞く。
妃に骨抜きだった都市王も今ではすっかり年老いたことだろう。
僕は自分の手を見つめた。
脂をなくして渇き、骨が浮き出た、手。僕も老いたのだ。金色に輝く懐かしい都。
あの都での、そして北の領地での失われたすべての栄華のかわりに、ここでささやかな楽土を夢見るため、我々は、−−僕はもう自分を赦してもいいだろう?・・・・・・僕は生まれてはじめて見る海にしばらく見惚れていた。
だれも、声もなかった。
波がしずかに寄せては返す。
海は空の蒼を溶かし込んで、どこまでも青かった。
風は不思議な香りをしていた。突然、女が高い声で笑い出した。
狂ったようにひとしきり笑い、そうして東の風に押されるように寄せる波をかきわけ、海の中へと入っていった。
女は海に呑まれた。
その頭が波間に沈んだのと時を同じくして、どこからか、微かな楽の音が聞こえてきた。
穏やかな海が、ざあっ、・・・と波立ち、彼方の海の上が白く光った。
光はゆっくりと浜辺に近づいてきた。
白い光は霧のように晴れていき、その消えたあとには薔薇色の回廊があらわれた。
回廊には亜麻色の髪の乙女が三人、立っていた。
ひとりは唄を歌い、ほかのふたりは竪琴を弾いている。
久しく雅やかなことから離れているものにとって、それはいかばかり誘惑的に耳に響いたことか。
やがて、薔薇色の回廊は波間にその姿を沈めていった。
我々は、回廊に追いすがって、次々と誘われるように海に入った。
皆は感嘆の溜め息をもらした。僕は思わず目をみはった。重厚で荘重な欅の壁の大広間、壁の中段にはめ込まれた細長い鏡、花鳥図が飾る16本の柱、それぞれの柱の前に置かれた大燭台、正面に張られた西域の豪奢な織物、そして、威儀をただして並ぶ貴族たち、・・・
その中に知った顔を見つけて僕はまた、驚いた。
どういうことだ。
これはたしかに都市王の謁見の間だった。
何度も出入りしているのだ、間違うはずはない。だが信じられない。
僕はもう一度、広間の正面に目を走らせた。
玉座にゆったりとかけていたのは、あのころと変わらぬ青年のままの、都市王。
僕は、時を溯ったのか?
王はすっ、と座を立ち、僕に笑いかけた。
「おかえり」
深く優しい声が、こころに沁みわたる。
僕は都市王にかけよろうとした。
が、すんでのところで、思いとどまった。
嘘だ。これはうそなのだ。
僕は目をごしごしと強くこすった。こんなこと、あるはずがない。
僕は確かに年老いた。これまでの幾歳月、懐かしい故国をおもいながら旅を続けてきた。
あの苦しい日々が幻だったとは思えない。「贖罪の日々は終わった」
「我々は赦されたのだ、失われた栄誉が再びこの手に戻るのだ」一族の者たちが狂喜して叫ぶ声が広間にこだまする。
僕は祈る思いで、そっと目を見開いた。・・・・・・やはり、嘘だったじゃないか。
ここは淡い日のさす海の底、僕の目が見たものは、死んだ珊瑚の群れと沈没船の舳先に座る黒衣の妖女。
女のまわりにはおびただしい人骨。
あやかしの女に惑わされて海に入った者たちの骨でもあろう。
彼女は愚かしい幻夢からいまだ覚めずにいる一族の者たちを、楽しそうに見ていた。
だが、幻でもなんでもいいのだ。
僕も彼らと同じ夢を見ていたかった。
あの懐かしい広間を、人々を、王の顔を、見ていたかった。
あなたに赦されたのだと、思いたかった。
あやかしの女は、一人夢に入り込めずにいる僕に気づくと、憐れむように目を細めた。
肺を満たす水の重さに僕は力なく、くずおれた。
喉から空気が逃げ出していく。
光はひどく遠かった。
fin. 99/02/14