□□ Sorrow □□
 
 

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喫茶店を開くことにしたのはほんの思いつきだった。
 
 

長いことミュージシャンというやくざな仕事をしてきたせいで、今さらふつうに働くことなどとてもできそうになかった。きちんと就職することを考えなかったわけじゃないが、俺がスーツを着こんで会社に行く姿を見たら友人たちは笑うだろうし、自分でも気恥ずかしいものがある。それに、そんなしかつめらしい格好で自分はなにをしたらいいのだろう。
 
 

つてを頼って譲ってもらった店は、駅前の大通りを一本入った商店街の一角にあった。
とにかく古くて狭い。改造のしがいがあったのは確かだが、最初に見に行ったときは正直言って後悔した。元は飲み屋だったというその空間は廃墟のように薄暗くすさんでいて、ぎょっとしたなんてものじゃなかった。
とはいえ、そこそこ人通りのいいこんな場所でただも同然の物件などいくら探してみたって他にはあるまい。そう思うと喉まで出かかった文句も自然に引っ込んでいった。
 
 

元手がぎりぎりだったこともあって、自分ひとりでこの廃墟を改装するはめになった。
が、こんな場所にひとりでいるとどうしても気分が落ち込んでしまうのを止められない。
せめて見てから決めればよかった、と暗澹たる気持ちになるのを振り払いながら、ひと通りの作業を終えてみると、以前の姿が想像もできないくらいしゃれた感じになった。はげかかっていた灰色の壁はやわらかな象牙色に、むきだしのコンクリートだった床には濃いチョコレート色の板を張り、腰板にも同じ色の木材。自分のひいき目だとは思ったが、かなり満足のいく出来ばえだった。
 
 

店の名前は「Sorrow」。
 
 

だいぶ迷ったあげく、そう決めた。
俺が、俺自身の抱えた寂しさに押しつぶされないために。
そして、誰か同じように悲しみを抱えた人がここで癒されるように。僭越な願いではあるけれど。
 
 


 モドル