classic 2005
著者名 タイトル 出版社 高村薫 新リア王(上・下) 新潮社 姫野カオルコ ハルカ・エイティ 文藝春秋 古川日出男 LOVE 祥伝社 角田光代 この本が、世界に存在することに メディアファクトリー 伊坂幸太郎 魔王 講談社 矢作俊彦 ららら科學の子 文藝春秋 村上春樹 東京奇譚集 新潮社 金城一紀 対話篇 講談社 金城一紀 GO 講談社文庫 堀江敏幸 河岸忘日抄 新潮社 リリー・フランキー 東京タワー オカンとボクと、時々、オトン 扶桑社 中村文則 土の中の子供 新潮社 笙野頼子 金毘羅 集英社 ジョン・ケイシー編 アメリカ新進作家傑作選2004 DHC 金城一紀 SPEED 角川書店 金城一紀 FLY,DADDY,FLY 講談社 山本幸久 はなうた日和 集英社 金城一紀 レヴォリューションNo.3 講談社 嶽本野ばら 下妻物語 完 小学館 嶽本野ばら 下妻物語 小学館文庫 グレイス・ペイリー 人生のちょっとした煩い 文藝春秋 篠田節子 ロズウェルなんか知らない 講談社 奥田英朗 サウスバウンド 角川書店 宮部みゆき 孤宿の人(上・下) 新人物往来社 荒山徹 サラン 哀しみを越えて 文藝春秋 平安寿子 くうねるところすむところ 文藝春秋 鹿島田真希 六〇〇〇度の愛 新潮社 古川日出男 ベルカ、吠えないのか? 文藝春秋 藤野千夜 ベジタブルハイツ物語 光文社 乙川優三郎 むこうだんばら亭 新潮社 村上春樹 象の消滅 新潮社 長嶋有 泣かない女はいない 河出書房新社 清水博子 カギ 集英社 森絵都 いつかパラソルの下で 角川書店 町田康 告白 中央公論新社 デイヴィッド・ベズモーズギス ナターシャ 新潮クレスト・ブックス 西加奈子 さくら 小学館 栗田有起 オテル モル 集英社 P・G・ウッドハウス 比類なきジーヴス 国書刊行会 山田深夜 横須賀Dブルース 寿郎社 山本一力 だいこん 光文社 阿部和重 グランド・フィナーレ 講談社 アリステア・マクラウド 彼方なる歌に耳を澄ませよ 新潮クレスト・ブックス 司馬遼太郎 燃えよ剣 文藝春秋 パトリシア・ハイスミス 回転する世界の静止点 河出書房新社 浅倉卓弥 雪の夜話 中央公論新社 ジークフリート・レンツ 遺失物管理所 新潮クレスト・ブックス いしいしんじ 白の鳥と黒の鳥 角川書店 あさのあつこ バッテリーVI 教育画劇 アンジェラ・カーター ブラック・ヴィーナス 河出書房新社 デヴィッド・マドセン グノーシスの薔薇 角川書店 大道珠貴 素敵 光文社 中島たい子 漢方小説 集英社 三崎亜紀 となり町戦争 集英社 吉川トリコ しゃぼん 新潮社 司馬遼太郎 竜馬がゆく 文春文庫 エドワード・ケアリー アルヴァとイルヴァ 文藝春秋 角田光代 他 Teen Age 双葉社
Teen Age(2005.1.5)
角田光代 他 双葉社
ただ今第一線で活躍している女流作家7名によるアンソロジー。どれも現代を生きる10代の少女(あっ少年もいた)を描いてかなり高レベル。書いているのは角田光代、瀬尾まいこ、藤野千夜、椰月美智子、野中ともそ、島本理生、川上弘美、の7人なんだけれど、もう作家陣を見ただけで「よくぞ集まった!」という感じだよ…。
角田光代「神様のタクシー」はエスカレーター式の女子中学校で寮生活を送るカナが、同室の煙たい上級生「ハミちゃん」の屈託のある同級生への感情を放っておけずに、二人で思い切った行動に出る話。やっぱり角田光代はいいわ〜。ハミちゃんがかなり味のあるキャラクター。
瀬尾まいこ「狐フェスティバル」は、田舎の少年が都会から転入してきた同級生の女の子を土地のイベントに誘うも嫌がられ、違う環境で育つもの同士の反発やそれらを少しずつ克服していく様子を描いている。やっぱり瀬尾まいこは根がいい人ですな…。
藤野千夜「春休みの乱」は、春休みにちょっと変わった力をもつ仲良しの同級生が泊まりに来て、そこに突然見知らぬ男の子からのハガキが届く少女の話。この同級生のしーちゃんが、ちょっと自意識過剰気味で、でも押しが弱くて、独特だけどいそうなキャラ。対する主人公のはるかはわりと超然としてて笑える。ある意味超能力もののハズなのにまったくそういう力は問題にされてないとこがいい。
椰月美智子「イモリのしっぽ」は、クラスメイトよりも一足先に進路を決めて、なんだか宙ぶらりんな気持を持てあます元生物部の女の子の話。この、悩みとも言えないような悩みで知らずため息が出てしまう微妙な10代の気持、わかるよなあ。後輩の家守くんも素敵。ちょっと『図書館の神様』(瀬尾まいこ)の文学部の男の子っぽい。どこがとは言えないけど(笑)。
野中ともそ「ハバナとピアノ、光の尾」はちょっと異色作。ハバナで闇煙草を売る少年が一目惚れした日本人の少女と、彼女が昔愛し合っていたという元ピアニストを探し出す話なんだけど…。成長もので、ちょっと幻想っぽい。
島本理生「inside」はちょっと身構えたところのある女の子が少しずつつきあっている彼に心を開いていく物語。小さなひとつひとつのステップが、大切に大切に描かれている感じ。
川上弘美「一実ちゃんのこと」は設定がどびっくり!友達がクローン人間な予備校生の話ですよー! こんなの川上弘美にしか書けん…(笑)。一実が考えた上に引き起こす事件とその顛末も意外というかなんというか。読み終わったあとの後味がとてもいい。
一つ一つの物語は短くてあっという間に読めてしまうんだけれど、それぞれにあの頃の独特の心情というか、そういうものをうまく捉えていて、かなり上質なアンソロジーだった。しかしみなさんこういう若い子の気持をよく描けるよなあ、と妙に感心したりして。
どれをとってもハズレがなくて、値段を考えてもものすご〜〜〜〜くお得。個人的にはやっぱり角田光代、島本理生、川上弘美がすごくよかったかなあ。
(収録作:角田光代「神様のタクシー」、瀬尾まいこ「狐フェスティバル」、藤野千夜「春休みの乱」、
椰月美智子「イモリのしっぽ」、野中ともそ「ハバナとピアノ、光の尾」、島本理生「inside」、
川上弘美「一実ちゃんのこと」)
アルヴァとイルヴァ(2005.1.11)
エドワード・ケアリー/古屋美登里・訳 文藝春秋
「エントラーラ」という町に住む双子の姉妹・アルヴァとイルヴァ。ふたりは郵便局に勤める両親の元に生まれ、彼女たちの誕生と入れ替わるように父が死んだ後、母の手で育てられる。いつも一緒だった二人は粘土細工で町を作ることに夢中になるが、やがてアルヴァの目は外の世界へ、イルヴァの目は内面へ内面へと向けられてゆく。
やがて二人は決定的に決裂するかと思われたが、その頃町を未曾有の大地震が襲う…。
双子の姉妹・アルヴァとイルヴァの描き方が強烈。外の世界に憧れるアルヴァ、町の中に、部屋の中に、自分の中に閉じこもるイルヴァ。対立したり惹かれあったり離れたり寄り添ったりするふたり。
この本は架空の町である「エントラーラ」の観光案内を兼ねているのだけれど、この町の不思議な存在感も特筆すべきこと。けしてフランスやイタリアのように観光客を吸い寄せるような町ではないんだけれど、ここまで「特にこれといった特徴もない」町をきちんと描き出すというのはある意味、すごいことではなかろうか。
ふたりは「町を救った双子の姉妹」と呼ばれるのだけれど、姉妹自身にはまったく町を救おうという意志はない。彼女たちはそうせずにはいられない必然性ただそれだけから粘土の町を作り続けた。
そして結局、ふたりは救われたのだろうか。つねに外界に心が向いていたアルヴァと内面に向いていたイルヴァ、置いて行かれたのはどちらだったのだろうか。
竜馬がゆく 全8巻(2005.1.28)
司馬遼太郎 文春文庫
日本人なら誰もが知っている、幕末の英雄・坂本竜馬。いやー、恥ずかしながら歴史にとんとうといわたしはこの作品で初めて坂本竜馬をちゃんと知った。竜馬ってホントにすごい人だったのね…。
全8巻となかなかの長編で、最初のうちの竜馬はなんだかぼんやりのらくらとしていて、なかなか話が進まないのがじれったかったのだけれど、巻を追うに連れてストーリーはどんどん加速度的におもしろくなる。もう最終巻は一気読み。暗殺されたことくらいはさすがに知っていたので(苦笑)、「もうすぐ殺されちゃう〜、竜馬!」と最後は心の中で絶叫(笑)。すっかり「小説」を堪能したなあ。
読んでいて思ったのはやっぱり司馬遼太郎というのは独特だなあ、ということ。話の途中でいきなり「ここまで書いていて筆者は…」と物語の世界から無理矢理引きずり出されることもしばしば。こういうのってわたしは結構鼻白むタイプなのだけれど、不思議とこの作品ではそれがそんなに気にならなかったな。きっとそれは、その作者自身の「物語」もまた、興味深いことが多かったからだろうけれど。まあそれでもこれは誰がやっても通用する手ではないだろうな。
それにしても、現代日本において坂本竜馬はホントに、生まれてくれてよかった、とすべての日本人が感謝しなくちゃいけない人かも。今まで読んでいなかったわたしが言うのはナンだけれど(笑)、こりゃ必読の書でしょう。まあ、知っておくべきかどうかをおいておいても、とにかく面白いし。
ただ、やっぱり知識のないわたしにはこれだけ読んでも幕末はわからない。いや、1作読んだだけで理解できるような時代なんてもちろん皆無ですが。
とりあえず、司馬遼太郎はもう少し読んでおきたいわ。まずは新撰組を描いた『燃えよ剣』あたりから。それから、司馬以外の作家の同時代を描いた作品も。
今まで幕末に特に興味を持ったことってなかったんだけれど、もったいなかった!そう思えただけで感謝感謝。
しゃぼん(2005.1.28)
吉川トリコ 新潮社
新潮社のWEBサイトでやっている「女による女のためのR-18文学賞」の第3回大賞・読者賞ダブル受賞作、らしい。正確には連作短篇集プラスダブル受賞作。この「R-18文学賞」なるものは寡聞にして初めて知った。へええ、今はこんなのもあるんだなあ。ネットからばんばん小説家が生まれる時代ですな。
R-18と言ってもそれほどハードなセックス描写があるわけじゃない。「女の子」の気持をわりと赤裸々に描いて、妖艶と言うよりは「かわいい」感じ。
4つの短篇(1つは中篇かな)が収録されているけれど、どれも自分の立ち位置の定まらない女の子が一生懸命足掻いて、少しずつ自分の足元を固めていくような話で、ラストは結構前向きで、読後感はさわやか。
ただ、さらっと流れすぎてあまり残るものがない。読んでいる時はそれなりに愉しめるんだけれど、こういう「赤裸々な女の心情モノ」って、やっぱりどこかこちらが「ズキッ」とするようなものがほしいのよね…。その境地まではもうちょっと、かな。
とにかくデビュー作なので、でも今後はかなり注目できそう。表題作はもちろん、受賞作の「ねむりひめ」も、かなり主人公の行動が屈折しているんだけれど、その気持はなんとなく理解できちゃうし、女子中学生のセックスを描いた「もうすぐ春が」の読了後のかすかな胸の痛みも、ちょっとくるものがある。なんとなく、そのうちすごいモノを書いてくれそうな…。
次回作に期待大♪
(収録作:「しゃぼん」、「いろとりどろ」、「もうすぐ春が」、「ねむりひめ」)
となり町戦争(2005.1.31)
三崎亜紀 集英社
舞坂町からとなり町を通ってその先の勤め先まで車通勤している「僕」は、ある日仕事から帰って郵便受けに入っていた「広報まいさか」で、舞坂町ととなり町が《戦争》に突入することになったことを知る。しかしいざ《戦争》が始まっても、「僕」の生活はまったく変わることなく流れ、自分が《戦争》のただ中にいる実感はまったく得られない。ほとんど《戦争》のことを忘れていたころ、次の「広報まいさか」が「僕」のもとへ。その表紙には、ごくありきたりな出来事であるかのように「戦死者12名」の文字が…。
そしてそれから数日後、舞阪町役場から「僕」は戦時特別偵察業務従事者に任命される。果たして「僕」にとって《戦争》はリアルなものとなり得るのか。
おもしろかった。
かなりシュールな展開に読者も「僕」と一緒に翻弄される。いつまでたっても見えてこない《戦争》の姿。業務として《戦争》を淡々とこなすお役所の面々。顔の見えない犠牲者。役所の屋上に掲げられている「隣接町との戦争による健全な町づくりを!」のスローガン。
作者が現役の公務員、ということで、いかにもなお役所の仕事っぷりにところどころ挟まれるやたらと細かい資料が妙にリアリティを持っている。
おとしどころがわからなくてどうなるのかと思ったけれど、まさかこういう風に落としてくるとはなあ。
ただ、ラストはどうなんだろう。
妙に感傷的だけれど、結局のところ「僕」にとって《戦争》はなかったのと同じことなんだろうか。ずっと受け身だった主人公が初めて能動的に行動するとき、その原動力に《戦争》はどれほど影響を与えたんだろうか。
たとえ自分が誰かを犠牲にしていたとしても、その犠牲を知らないままでいたとしたら、その犠牲はなかったのと同じことだ、という主人公の言葉には何の皮肉も感じられない。
それが、一番怖かった。
漢方小説(2005.2.2)
中島たい子 集英社
昔の彼氏が結婚すると知ってから体の震えを起こすようになったみのり。救急車で運ばれた病院でも、その後巡った複数の病院でもつねに原因は不明のままだったが、行き着いた漢方診療所で初めて、彼女は自分の症状を理解してくれる医者に巡り会う。
少しずつ心と体のバランスを取り戻していくみのりと、彼女の飲み友達の様子がふんわりと描かれている。みのりの漢方治療がじんわりと読み手のこちらにも沁みてくるような感じ。
ただ、さらさらさらーっと読み進めて気がついたら終わっていた、という印象は否めなかった。どこにもつっかかることなく読み進められる、というのはある意味上手い、ということだと思うのだけれど、なんとなく、もうこの手の話はいいなあ、と思う自分もいるんだよね…。
たぶん、どこかに何か「強烈」なものがある小説が好きなんだろうな、わたしは。
素敵(2005.2.3)
大道珠貴 光文社
ごめんなさい。と、最初に謝ってしまおう。
なんだか全然よさがわからなかったわ…。
帯に「芥川賞作家が不仲な夫婦の微妙な愛など、不思議な関係を描く全5編。」とある。ううーん、微妙な愛? 不思議な関係?
娘とぎくしゃくしてしまう母親の話や、長年連れ添って馴れ合いのようになっている夫婦の関係。夜遊びを繰り返す女子高生。まあ、親がヤクザで、好きでもない男となぜかずるずる付き合い続けてしまう女の子の話はちょっと異色だけれど、あとはごくありふれた人間関係を簡潔にするでもなく大袈裟にするでもなく切り取った短篇が続く。この「等身大」な感覚が、希有と言えば希有なのかな。
会話がバリバリの九州弁ですすむこともあり、なんとなく読んでいてほんわかとすることは確か。ただ、そこにあるのは読んで清々しくなるような物語でもなければ胸が痛むような物語でもない。
ほんとにその辺の人間関係を無作為に切り取って、ポン、と置かれた感じで、えっこれどうしたらいいの?とうろたえてしまった。
まだまだ読み手としての力量が足りないということなんだろうか…。
妙に落ち込んでしまった(笑)。
(収録作:「純白」、「素敵」、「一泊」、「走る」、「カバくん」)
グノーシスの薔薇(2005.2.7)
デヴィッド・マドセン/大久保謙・訳 角川書店
帯には「『薔薇の名前』の荘厳さに『ダ・ヴィンチ・コード』の面白さが出会った!」とあるけれど、少なくとも『ダ・ヴィンチ〜』のようなジェットコースターストーリーを期待すると肩すかしをくう。そんな作品じゃないよね…??
ルネサンス期のイタリア。ローマ教皇レオ十世に仕える「小人」のペッペが辿ってきた数奇な運命。
貧しいワイン売りの息子として虐げられた日々から救い出してくれたのは美しいラウラ。彼女から受けたグノーシスの教えはペッペに染み渡る。しかし彼女はやがて異端審問員に捕らえられ、ペッペはフリークショーに売り渡される…。
これはもしかするとかなり好き嫌いが分かれるかもしれない。
けれど、個人的にはかなり好き。
物語はペッペの手記という形で綴られるのだけれど、実に高尚な文章でエログロな内容が語られるのよね…。実際、わたしはこの作品で初めて知った日本語がたくさんあって、それがまた新鮮で嬉しかった。しかし翻訳小説で日本語を勉強するなんて、なんとなく…(笑)。
ラファエロやダ・ヴィンチといったルネサンスの有名人もペッペの手にかかると品性も何もあったもんじゃない。けれどこの下品さが、文章の上品さと妙にずれていない。
醜い小人のペッペがグノーシス主義者になっていくのは非常に説得力があるし、彼がラウラを心から愛するのもよくわかる。ただ、ペッペの人生の重要人物・レオ十世とペッペとの繋がりみたいなものはもう少し書き込んでほしかったかな…。
ともかく、個人的にはペッペの人生に共感しながら、よく知らなかったグノーシス主義についても少しわかって、物語としての読み応えも十分の作品だった。
ブラック・ヴィーナス(2005.1.24)
アンジェラ・カーター/植松みどり・訳 河出書房新社
ごめんなさい。
ちょっと理解不能でした。
帯には「実話をもとに、文明や社会の禁忌を軽やかに越えて生きる女性たちの姿を豊かなイメージで描き出す。」とあるんだけれど、文章がまさにイメージの溢出という感じで、時系列も飛びまくってついていけなくなることもしばしば。もう文脈を理解しようとするのが精一杯で、その世界を愉しむ余裕がなかったみたい…。うーん、修行が足りないということか。中でちょっとハッピーな「キッチン・チャイルド」くらいが愉しめた短篇かな。
雰囲気は好きなんだけれど(苦笑)、理解できないんじゃ感想も書きようがない。これは要再読、かな…。
(収録作:「ブラック・ヴィーナス」、「キス」、「わが殺戮の聖女」、「エドガー・アラン・ポーとその身内」、
「『真夏の夜の夢』序曲と付随音楽」、「ピーターと狼」、「キッチン・チャイルド」
「フォール・リヴァー手斧殺人」)
バッテリーVI(2005.2.15)
あさのあつこ 教育画劇
ああ、とうとう最終巻になってしまった。これで巧とも豪ともお別れなのね…。
あさのあつこの『バッテリー』全6巻。これは確かに傑作だ。今回は仕切り直しとなった横手二中との試合を迎えるまでの少年たちの心の動きを中心に。前回大活躍だった横手二中の瑞垣や門脇、新田東中の前キャプテン海音寺、それにチームメイトの吉貞も大活躍。みんな大人になったなあ…。
巧と豪のバッテリーを監督の戸村から預けられた海音寺の葛藤、天才打者と言われる門脇と瑞垣との確執、ちゃらんぽらんな態度の裏に鋭い観察眼をもつ吉貞。豪の影はちょっと薄かったかな…。
この作品の持ち味のひとつは、先が全然読めないことだ。
ありがちな中学生のスポーツものみたいな、試合に向けての練習によってチームメイトの絆を強め、強豪と呼ばれるライバル校に立ち向かい、それによって成長していく、というような単純な物語ではけしてない。だいたい、主人公の巧が読者の感情移入を許さない。読者は巧の周囲の人間たちと一緒に、巧の才能に驚嘆し、彼のキリキリと音の聞こえるような神経にハラハラし、一体どこへ自分たちがたどりつくのかわからないままに一歩一歩足を進めていくしかない。
ただし、「この先一体どうなるの!?」という気持でページを繰る手ももどかしく先を急ぎたくなるような作品とも違う。どちらかというと、一行一行を大切に大切に、ゆっくりと味わいながら読みたくなる。
残りページが少なくなって、久しぶりに本当に読み終わるのが惜しい気持になった。もっともっと、巧や豪とつきあっていきたかった。
いやあ、児童文学と侮るなかれ。この作品は、子供に読ませるのはもったいないくらいだ。
白の鳥と黒の鳥(2005.2.21)
いしいしんじ 角川書店
ふわふわあっと舌の上でとろける上品な砂糖菓子みたいな19の短篇集。けれど菓子が溶けてなくなったとき、口の中に残る後味は甘かったり、ほろ苦かったり。読んだ後、なんだかふんわりと優しい気持ちになったのは、最後の短篇がよかったからかなあ。
さすがに19篇もが1冊にまとめられていると、個人的に好みに合わないものも出てくるわけだけれど、シュールな設定をさらっと読み手に受け容れさせて短い文章の中でそれぞれにきっちり世界観を作り上げ、長く残る余韻まで読者に与えるその手腕はさすが。『白の鳥と黒の鳥』というタイトルにぴったり合った装丁も素敵。
なんというか、この本を読んでいるといしい氏の世界を見つめる眼の暖かさ、みたいなものを感じる。なんだかイヤ〜な作品にすら。
個人的に好きな作品は動物の物まねが得意な肉屋の主人の「ラー」としか言えない息子の顛末を描いた「肉屋おうむ」、しろねずみとの愛(?)を描く「しろねずみ」、ひとりは女優を目指しひとりは部屋に閉じこもる双子の姉妹の物語「カラタチとブルーベル」、吹きながら願い事を思うとかなうという魔法のリコーダーを買わないかと少年が持ちかけられる「魔法のリコーダー」、おかまのちょっと切ない1日を描いた「紫の化粧」、設定がとんでもない「紅葉狩り顛末」、あるお婆さんを乗せたタクシー運転手の物語「ボウリングピンの立つ所」、ひらめ、アオヤギ、こぎゅんぱ!の「わたしの千食一夜─第百二十三回─」、編集者とカメラマンが珍しい鳥を追って訪ねた人里離れた秘境の村での生活を描いた「太ったひとばかりが住んでいる村」、あたりかしら…って、うわっ半分近いわ(笑)。
特にラストの「太ったひとばかりが住んでいる村」は、読んだ後思わず人生についてしみじみと思いを巡らせてしまった。
1篇1篇、味わいながらゆっくりと読むのが似合う1冊。
(収録作:「肉屋おうむ」、「しろねずみ」、「せみ子の黄色い傘」、「カラタチとブルーベル」、
「薄い金髪のジェーン」、「オールド・ブラック・フォスター」、「赤と青の双子」、「魔法のリコーダー」、
「紫の化粧」、「紅葉狩り顛末」、「すげ替えられた顔色」、「ボウリングピンの立つ所」、「緑春」、
「わたしの千食一夜─第百二十三回─」、「白黒の鳥の声」、「おっとせいを飼う」、「薄桃色の猫たち」、
「透明に関する四つの小話」、「太ったひとばかりが住んでいる村」)
遺失物管理所(2005.2.23)
ジークフリート・レンツ/松永美穂・訳 新潮クレスト・ブックス
ヘンリーの新しい職場は鉄道の遺失物管理所だった。彼はいっぺんにその職場が気に入った。上司のハルムスも、ベテランのブスマンも、そしてもちろん美しいパウラも。
遺失物管理所にはさまざまな人が訪れ、またさまざまな物が集まってくる。ある忘れ物から彼は一人のバシュキール人・フェードルと知り合い、親交を深めるようになる。ヘンリーの姉のバーバラも彼に惹かれていく…。
遺失物管理所という舞台から、さまざまな人間模様が描かれるのかと思ったら、それはおまけのようなものだったのがちょっと意外。物語はどちらかというと淡々と進んでいく。まるでさらさらと流れる小川の底の小石たちのキラキラ光る様子を描いたような作品、とでも言う感じかしらん。
明るくて前向きだけれど上昇志向のないヘンリー。彼がちょっかいを出す人妻のパウラ。行動的なヘンリーの姉・バーバラ。そして純粋すぎるほど純粋なフェードル。
ちょっとヘンリーの性格のつかみどころのなさに戸惑った。明るくて人なつこくて、パウラに何度でもちょっかいを出して、ただその場をすーっと泳いでいるようかと思うと、横暴な暴走族と話し合おうと彼らを捜し回ったり。彼にとって一番大事なものって何なんだろう?
フェードルの後半の唐突な行動にもややびっくり。
読んだ後は心地いい気分になれたんだけれど、後から考えてみると少し、わたしとは隔たりを感じるというか…(苦笑)。
とっても雰囲気のいい作品なのだけれど。
雪の夜話(2005.2.28)
浅倉卓弥 中央公論新社
美しい雪の夜、高校生の和樹は雪子と出会った。真っ白なコートのフードをすっぽりとかぶり、たった一人雪の公園で遊んでいる彼女は不思議な女の子だった。
やがて和樹は東京の大学へ進み、そこで就職し、多忙な日々を送る。雪子のことを思い出す日はほとんどなかった。そして失意のうちに帰郷した彼は、やがて雪子と再会する。
雪の夜の、あのピンとはった空気がありありと心に蘇る。というか、今まさに毎日がそんな状態ですが…(笑)。ともかく、北国のあの独特の夜が、ほんとうに美しく描かれている。
なんというか、白石一文をわたし好みに練り直したような感じ。
「世界で一番俺が苦しんでいる」系の主人公が、自分の甘えに気づき、少しずつ自分の道を歩き出す話。読んでいて清々しかった。
雪子のキャラはちょっと説明が多すぎて、「なにもそこまで説明しなくても…」という気持になる部分もあったんだけれど、一歩間違えばただのファンタジー(この言葉ちょっと語弊があるなあ…)になったところを、そのギリギリで留まっている感じ。
たぶん舞台は札幌だと思うんだけれど、地名は出てこないので違うのかしら。でも、街を分断して流れる川の描写といい、和樹の住んでいる場所の描写と言い、わたしが子供時代を過ごした場所のごくごく近所のあの場所だとしか思えないんですが。そういうのがもしかすると、この作品を贔屓目で読ませてしまっているという可能性は否定しきれない。誰でも生まれ育った場所には愛着があるんじゃないかと思うので。
それにしても、とにかく上質な大人の童話。甘すぎず、情緒的すぎず。個人的には『四日間の奇蹟』よりはかなりポイントが高かった。
回転する世界の静止点(2005.3.3)
パトリシア・ハイスミス/宮脇孝雄・訳 河出書房新社
非常にレベルの高い短篇集。
没後10周年を記念して出版された未発表作品を中心とした短篇集なのだけれど、これがどうして死後10年も日の目を見なかったんだろう…というくらい高レベル。それぞれの短篇がばらばらの個性を持っていて、けれどどの作品にも硬質な文章で緻密な描写が溢れている。
登場人物の個性がホントにばらばらなのよね。なのにどの人物もその内面描写がリアル。これって凄いことじゃないかな…。
読んでいて、登場人物の不安がじわじわとこちらの浸食してくるような作品が多い。ある意味ホラー。新しい生活を始めようと移ってきた親しみやすそうな田舎町の排他性、ヒステリックな女教師、都会の生活の中で突然田舎から訪ねてくる姉を心から歓待しようと強迫観念のように神経をとがらせてしまう女、どうしても馴染めない田舎生活を理解してくれない夫をもつ妻、好きになれないけれど離れられない年老いた女同士の生活、などなど。
表題作の「回転する世界の静止点」もいいけれど、個人的には贋作ばかりを集める自分の目の確かさを確信する男が、挫折と小さな希望をみつける「カードの館」と、ラストを飾るにふさわしい「ルイーザを呼ぶベル」が好きかなあ。
実はパトリシア・ハイスミスを読むのは初めて。『リプリー』や『見知らぬ乗客』も読んでみたいわ〜。
(収録作:「素晴らしい朝」、「不確かな宝物」、「魔法の窓」、「ミス・ジャストと緑の体操服を着た少女たち」、
「ドアの鍵が開いていて、いつもあなたを歓迎してくれる場所」、「広場にて」、「虚ろな神殿」、
「カードの館」、「自動車」、「回転する世界の静止点」、「スタイナク家のピアノ」、「とってもいい人」、
「静かな夜」、「ルイーザを呼ぶベル」)
燃えよ剣(2005.3.11)
司馬遼太郎 文藝春秋
新撰組、というより土方歳三の半生を描いた作品。土方歳三、かっこいい…(笑)。幕末の時代の激流の中で、ただただ己と、新撰組を強くすることだけを目指した男。彼の前にあるのは思想ではなく、煌く白刃のみだ。
自分と、剣と、古くからの仲間だけを信じてきた男が、初めて一人の女を愛するようになるその流れもいいっ。くー。遼太郎節炸裂!?
時間を見つけてのんびり読もうと思っていたのに、ついつい先が気になってなかなかわたしを放してくれなかった本。わたしは1冊の本で読んだけれど文庫だと上下巻。でもあっという間に読了してしまった…。
幕末が今頃マイブームで、やっとこの作品も手にとったわけだけれど、先日読んだ『竜馬がゆく』から受ける新撰組のイメージとは全然違う。それにしても、これだけイメージが違うものを、同じ作者が、しかも同時期に連載していたなんて、司馬遼太郎ってやっぱりスゴイ人なのね…。
幕末について何も知らなかった私は、だんだん崩壊(?)していく大政奉還後の新撰組はもう落ちぶれる一方だと思っていたのだけれど、この本の土方の生き生きとした様子といったらない。ああ、これからは五稜郭もまったく違う目で見てしまうんだろうなあ。
さあ、次は新撰組血風録、かな?
彼方なる歌に耳を澄ませよ(2005.3.28)
アリステア・マクラウド/中野恵津子・訳 新潮クレスト・ブックス
とくべつに何が起こるわけでもない。けれども静かに静かに、厚みを増していく物語。久しぶりに「読書体力」を要する本を読んだ気がする。
18世紀末にスコットランドからカナダの島に渡った男とその家族。彼らの子孫は「クロウン・キャラム・ムーア(赤毛のキャラムの子供たち)」と呼ばれ、島のあちこちに存在した。
一族の歴史を語るような内容に『百年の孤独』を連想した。クロウン・キャラム・ルーアは衰亡を辿ったわけではないけれど。
正直、最初はいつまでも進まない物語に読むのが苦痛だった。さらに読み進めながらも、一向にぐいぐい読者をひっぱるような展開にならずに、退屈な本かも・・・と思ったことも。けれど淡々と読み進み、本を閉じて呆然とした。いつのまにか物語がじわじわと自分の中に侵食し、その重厚さに圧倒されていたことに気づいて。
この物語はけしてリーダビリティのある、スピード感のある物語ではない。途中で挫折する人もきっといるだろう。けれど読み終わったときのこの手ごたえ、この余韻。さくさくっと読めてしまう本ではけして手に入れることのできない幸福感。
ああ、本を読むことが好きで幸せだ。
同じ兄弟でありながら、突然の環境の変化によってその人生がまったく違う方向へ進んでいってしまうアレグザンダーと長兄のキャラムは、それでもしっかりと繋がっている。それは彼らが「クロウン・キャラム・ルーア」だからだ。道を歩いていてまったく知らない人からとお小遣いをもらう。それはお互いがクロウン・キャラム・ルーアだからだ。
キャラムの子供たちもさることながら、頑張りすぎる犬の一族もいいんだよねえ。
日ごろ軽めの読書に物足りなさを感じている人は、ぜひ読んでみてほしい。きっと本を閉じたときには静かな波のように、何かがひたひたとこころに押し寄せてくるはずだ。
グランド・フィナーレ(2005.4.5)
阿部和重 講談社
題132回芥川賞受賞作である表題作と、他3編を収録。
「グランド・フィナーレ」はロリコンで無責任な主人公が身から出た錆で会えなくなった一人娘をなんとか取り戻そうとあがく様子が、その責任転嫁の考え方と相まって非常に不快だった。といっても作品が不快なわけではなくて。そしてそんな不快な主人公がラスト近くでは・・・。
文章は嫌いじゃないかも。延々と続く心情の吐露と音声をそのまま文章にしたような会話文。ダメダメな主人公がどこまでも自分を正当化していく、そのいや〜んさがなんとも味があった。
ただ、これってけっこう面倒なテーマを抱えた作品であるわりには、そのテーマ自体はさらっと流されているような印象を受けた。結局主人公が自分の性癖事態について悩むこともないし、キャラとしてそういう性癖だ、という以上の意味を持たないのはわざとなのか、どうなのかしら。個人的にはもう少し突っ込んだ内容を読みたかったかなあ。タイトルも「グランド・フィナーレ」と言うわりに全然グランド・フィナーレっぽくないと思うのはわたしの読み方が浅いのかな・・・。
表題作以外の収録作品はちょっとわたしの好みとは合わなかった。残念。
でも、これを機会にぜひ、ほかの作品も読んでみたい作家ではある。
(収録作:「グランド・フィナーレ」、「馬小屋の乙女」、「新宿ヨドバシカメラ」、「20世紀」)
だいこん(2005.4.8)
山本一力 光文社
器量よし、気風よし、料理の腕よし、の3拍子揃った江戸の町娘の細腕繁盛記。
つばきは大工の父・安治と母・みのぶの間に生まれた長女。下にはさくら・かえでの二人の妹がいる。家は安治が賭け事に手を出したおかげで借金に追われる生活。安治の稼ぐ金は返済に消え、みのぶが働きに出て得る収入でかろうじて糊口をしのぐ生活を強いられていた。
しかしつばきには飯炊きの才能があった。それをいち早く見抜いたみのぶはつばきが将来飯屋を開けるように細々と財産を蓄える。やがてつばきは生長し、母と二人の妹の協力で「だいこん」という一膳飯屋を開くことになった・・・。
それにしてもここまで才能に恵まれて運勢にも恵まれた主人公の話だと、たとえ本人がいろいろ悩んだり苦労したりしても、全然共感できないのは凡人の僻みのせいだろうか(苦笑)。
全編を通して主人公・つばきにまったく感情移入できなかったのが痛かった。すべて自分ひとりで頑張ってる、という姿勢がどうも・・・。彼女がお店を開けたのはまず母親のお陰だと思うんだけれど、なにか困って安治に相談することはあっても、終始みのぶに対しては見下したようなつばきの態度がちょっと鼻についた。
序盤で出てくる、彼女とは因縁のある伸介が、最初に思わせぶりな割にはあっさりと退場してしまうのも物足りない。もう少しつばきの人生と直接に絡んでほしかったなあ。彼が店から手を引くことになった原因となる芳三郎のことも、回想ではまったく出てこないし。人物関係が薄い感じ。
つばきがいろいろと苦労しているようでいて実はやたらご都合主義な話の展開、正直、あまり楽しめなかったかな・・・。
横須賀Dブルース(2005.4.11)
山田深夜 寿郎社
横須賀のバイク乗りである著者が主人公の短篇集・・・というよりはショートショート。上下2段組とは言え3百ページ強の本に50編がつまっている。バイク雑誌に連載してあったというだけあって内容は全編を通してバイク乗りの仲間意識というか、美意識というか、そういうものに溢れている。バイカーには頷ける内容なのかしら。
「トリスとゴールデンバットさえあれば誰にだって優しくなれる・・・」と帯の惹句にあるように、不良オヤジのちょっとほろりとさせる人情モノ、とでも言いましょうか。最初のうちは結構面白くて、人にプレゼントしてもいいかも・・・と思いつつ読んでいたのだけれど、読み進むにしたがってだんだんと話が「嘘っぽく」なってきて、飽きがきたこともあって正直少し鼻白んでしまった。障害者、難病患者、幼児虐待、というような街の弱者に向ける優しい視点、みたいなテーマが何度も何度も繰り返され、正面きっては突っ込みづらいのがまた何とも。必ず最後にオチがつくのだけれど、そのオチもだんだんわざとらしくなってくる気がした。でも、なんだかこういう内容の話に素直に感動できないと、なんとなく自分が本当に悪人なんじゃないかと思えてきちゃうなあ。
続編もあるらしいけれど、個人的にはもうごちそうさま。
比類なきジーヴス(2005.4.12)
P・G・ウッドハウス/森村たまき・訳 国書刊行会
イギリスではホームズより有名なのがこのジーヴスとバーティのコンビなのだとか。古きよきイギリスの上流階級に属するバーティと執事のジーヴスが織り成すバカバカしくもほのぼのとしたドタバタコメディがどっさり収録された連作短編集。なんだか読んでいて「トムとジェリー」を思い出したわ・・・。
ダメ男(と言っても語り文を読むと十分に知的)のバーティと頭脳明晰なジーヴス、烈女のアガサ伯母さんに惚れっぽい親友のビンゴ。彼らが繰り広げる予定調和な喜劇は、安心して読めると同時にくすりと笑わせる。ユーモアのセンスが日本とは一味違う感じ。そしてドタバタコメディなのに引用されまくりのキース、バイロン、テニソン等の数々の古典。よくわからないけれどさすがイギリス(笑)。バカバカしくって笑えるだけの物語なら数あれど、下品なものが昨今多すぎる。気持ちよく笑えるこのシリーズ、時代には合わないのかしら。でもわたしは好きだな〜。そして、こういう作品が好きな自分がちょっと好きだったりする(笑)。
この後さらに、国書刊行会から『それいけ、ジーヴス』、『よしきた、ジーヴス』が続けて刊行されるとか。こちらも読んでみたい。さらに文藝春秋からもジーヴズシリーズを収録したウッドハウスの本がでるらしい。なんだかわくわくするなあ。
(収録作:「ジーヴス、小脳を稼働させる」、「ビンゴが為にウエディングベルは鳴らず」、
「アガサ伯母、胸のうちを語る」、「真珠の涙」、「ウースター一族の誇り傷つく」、
「英雄の報酬」、「クロードとユースタス登場」、「サー・ロデリック昼食に招待される」、
「紹介状」、「お洒落なエレベーター・ボーイ」、「同志ビンゴ」、「ビンゴ、グッドウッドでしくじる」、
「説教大ハンデ」、「スポーツマン精神」、「都会的タッチ」、
「クロードとユースタスの遅ればせの退場」、「ビンゴと細君」、「大団円」)
オテル モル(2005.4.26)
栗田有起 集英社
最高の眠りを提供するホテル、オテル・ド・モル・ドルモン・ビアン。「誘眠顔」を見込まれてフロントに採用された希里はプライベートはかなり深刻。地下13階建て、光の全くささないこのホテルは完全会員制、一見さんお断り、稼働率99パーセント、リピーター率88パーセントで本当に眠りを必要としている人にだけ門を開くのだ。
この設定がかなりファンタジー。個人的にかなり好き。
チェックインは日没後、チェックアウトは日の出まで、ただただ宿泊客は眠るためだけにここを訪れる。
このファンタジックなホテルの描写と、プライベートの希里の生活とが、けれどかみ合いそうでかみ合わない。精神の破綻した双子の妹・沙衣と彼女につききりの両親が離れた病院で暮らすために、希里は沙衣の夫と娘と3人で暮らしている。彼は希里の昔の恋人だ。
薬物中毒の沙衣が家を離れたことで、彼と希里との関係は微妙なものになり、彼女はそんな張りつめた生活から距離を置くためにオテルで働き始めた。
けれどオテルは彼女の生活とは最後まで切り離されたまま。沙衣に本当に必要なものが「本当の眠り」だとすんなりとは考えられない。希里の葛藤も淡々とした描写の中にはほんの少ししか伺えない。いつもピカピカの台所くらいかな…。
村上春樹の『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』に雰囲気がとても似ている。けれど『ハードボイルド…』のあの交差する物語は、きちんと二つの物語がはっきりと別々に描かれているにもかかわらず有機的に結びついていたのに対し、こちらは地続きに語られるにもかかわらずまったく関係のない二つの物語に見えてしまう。
ものすごく好みな設定なだけに、ちょっと残念だなー。
でも、他の作品もぜひ読んでみたいと思わせる作品だった。
さくら(2005.4.28)
西加奈子 小学館
お互いに深く想い合う父と母、二人のもとで何不自由なく育つ3人の子供たち。ハンサムで性格がよくてモテモテの長男・一、「超」がつきそうな美少女だけれど性格がかなり規格外な長女・美貴、そして二人の間に挟まれて目立たないけれどマイペースな次男・薫。そして家族をずっと見つめている愛くるしい犬のサクラ。
いろいろあるけれど幸せな家族、しかしそんな幸せは思いもしない出来事で破綻する。
ひとつの家族の崩壊と再生。
とってもよいお話だ。
そして「よいお話」と言って切り捨てるにはもったいない魅力があることも確か。語り手の薫の淡々とした語り口もいいし、家族それぞれの生き方がいい。サクラもいい。一の恋愛もいいし、母が娘に語る「性教育」もいい。転校して以来文通を続けていた薫とクラスメートの女の子との淡い恋と再会の顛末もいいし、お父さんの浮気疑惑もいいし、フェラーリのエピソードもいいし、妹と同級生との話もまた、いい。
小さいけれどキラキラしたエピソードを地味にきちんと丁寧に積み上げていくから、話が浮つかなくて、それが衝撃の展開を一層重いものにする。
でも、個人的には、うーん。
これって合わない、としか言いようがない。
いや、別に何がどう悪いわけじゃないんだけれど。
あんまりネタばれしたくもないから詳しく書けないけれど、一の選択はやっぱり残念だし、そこを乗り越える家族の壮絶さが妙にほのぼのとしていて、それが多分この作品の「いいところ」なんだけれど、やっぱりなんとなく違和感が拭えない。
なぜこの壮絶さがこんなにもきれいにほのぼのと描きあげられてしまうのか。
その必然性がわからない。
逆に言えば、このほのぼのとした物語になぜこの壮絶さが必要なのか。
『ナラタージュ』を読んだときと同じような違和感。いや、あそこまではいかないけれど。
でも、いい作品ではあると思うのだ。
でも素直に絶賛できないのは単に個人的な問題だとは、思う。
ナターシャ(2005.5.1)
デイヴィッド・ベズモーズギス/小竹由美子・訳 新潮クレスト・ブックス
旧ソ連ラトヴィアからカナダに移住してきたユダヤ系移民・バーマン一家の物語。どれも切ない物語が繊細に描かれている。移民して間もない頃、慣れない生活と差別とに(特に両親が)苦労する中で、同じ移民の夫婦から日中の世話を頼まれた犬を事故に遭わせてしまう冒頭の「タプカ」でいきなり心を掴まれた。
連作短編の形になっており、主人公であるバーマン家の息子・マークの視点でストーリーは進んでいくのだけれど、やっぱり圧巻は「ナターシャ」。いい人だけれど貧しい大叔父と結婚して旧ソ連からやってきた女の連れ子としてマークの前に現れた14歳のナターシャは、16歳のマークを性的な意味で翻弄する。その奥の彼女の抱える哀しさのようなものに、振り回されてばかりのマークは気づいてやることができない。
読みながら、けれど結局わたしにはバーマン一家の本当の意味での悲しみや、喜びは理解できないのかもしれない、と思った。ユダヤ人でなく、移民でなく、本当の意味での差別も受けたことのないわたしには。
けれど「わからないことがわかる」というのが大切なんじゃないかな、と思う。
「わからない」と認めるのは、相手を認めないこととは違う。「わからない」と了解しているからこそ共感できるものもあるし、歩み寄れる部分もある。まったくわたしとは違う生活を送る彼らの生き方は、確実にわたしの中のどこかを刺した。
思いがけない鋭い痛みは、けれどわたしにはとても大切だ。
(収録作:「タプカ」、「マッサージ療法士ロマン・バーマン」、「世界で二番目に強い男」、
「思い出を偲ぶ場でケダモノのように」、「ナターシャ」、「コインスキー」、「ミニヤン」)
告白(2005.5.2)
町田康 中央公論新社
新聞連載当時とても楽しみに読んでいた作品。途中で連載が終わってしまったときはショックだった!
河内音頭のスタンダードナンバー<河内十人斬り>をモチーフにした長編小説…といわれても、わたしは河内音頭なんて聞いたことがない。だからまったく前知識なしに読み進んだ。
河内は水分の百姓の総領息子・木戸熊太郎。かれは日々仕事もせずに博打に溺れ、近隣の人々にはあほうな奴と見下され、堕落した日々を過ごす。あかんではないか。
しかし、彼は極度に思弁的な人間であり、その思考を自ら使う河内弁で表すことができないことにいつも苦しんでいた。思いは常に言葉に届かず、言葉は常に人に届かない。周りの人間たちはなぜこうもやすやすと生きていけるのだろうか?
読んでいてとにかく痛い。リズムがあってさくさく読めて、しかも笑いどころもあるのに、でもやっぱり痛い。「極度に思弁的」な熊太郎の葛藤は、思い当たる人は多いんじゃないだろうか。こういう悲劇はきっとたくさんあるのかもしれない。けれど思索が言葉と結びつかないから、誰にも理解されずに悲劇が存在したことすら周囲に認知されることがないのだ。
「人はなぜ人を殺すのか」。この小説を読んでもその答えは見つからない。けれど熊太郎が殺人に至るまでの心情はここまで書き込むかというくらい書き込まれている。桐野夏生
『グロテスク』を読んだときに感じた、「小説が現実を超えうるパワー」をここでもビシビシと感じた。
ただ、結局ドールとモヘアの兄弟の件の真相はどうだったのか? がわからず、その辺に少し欲求不満が残ったな〜。
いつかパラソルの下で(2005.5.20)
森絵都 角川書店
児童文学の森絵都が一般小説デビューした『永遠の出口』を読んだとき、あまりにも自分の世代とかぶるような内容に身悶えしたものの、これだけ世代を限定してしまうような小説ってどうなんだろう、と思った。これからもこういう小説を書くつもりなんだろうか…と。
けれど今回、この作品を読んでそんな心配はまったくの杞憂だった、と知った。これはまったく上質な、大人のための家族小説だ。
つきあっている彼の部屋に転がり込んで、友人のショップを手伝いつつその日暮らしのような生活を続けている野々は、兄・妹とともに20歳まで厳格な父の下で育った。その父の厳しさは常軌を逸するほどで、野々も兄の春日も、父の支配する家から飛び出すことだけを願いながら10代を過ごし、結局のところ妹の花だけが家に留まって両親と暮らしていた。
その父が事故で死亡し、それまでしっかりものだった母の様子が一変する。父には家族にはひた隠しにしてきた秘密があった。
父の秘密とは何か。
1周忌を前に、父の秘密を調べ始めた兄妹3人は、とうとう父の故郷である佐渡まで出かけることになる…。
父の支配から飛び出したものの父の呪縛から未だに逃れられずにいる野々。彼女は自分がそれを自覚することもなく、自由を謳歌しているつもりでいただけだったことに気づく。
ここまで極端な親というのは珍しいだろうけれど、若いうちは親との葛藤って誰でも多かれ少なかれ抱えているものじゃないだろうか。
かつて絶対的な存在だった人間だけに、子供は親に過大な期待をし、裏切られ、その欠点を許せずに苦しむ時期がある。親を一個の人間として受け容れることができて初めて、成長する部分が子供には確かにあるんじゃないかと思う。
読みながら、ときに娘として、ときに母として、さまざまなことに思いを巡らせた。どきっとしつつ、うんうん頷きつつ、そしてユーモアににやにやしつつ、読んだ。
兄の彼女の一喝が素晴らしい(笑)。
カギ(2005.5.9)
清水博子 集英社
見栄っ張りで世間知らずで無責任で卑屈な妹と、夫の遺産で金銭には不自由しないけれど引きこもって世間と関わろうとしない姉の日記が1年分、一日ずつ交互に挟まれる形の作品。妹が日記をwebに公開し、その日記を受ける形で姉がこちらは非公開の日記をつけている。しかし姉の日記は妹に盗み読まれており、それを姉も実は知っている、というのがまたスゴイ…。
読み始めて、ああなるほど、あのカギか、と思った。言わずとしれた大谷崎の『鍵』。内容も登場人物も全く似ていないけれど、日記形式で書かれた、隠微なあの雰囲気。でもこちらは姉妹の日記と言うことで、隠微というよりは陰険か…? 作品の中でも谷崎に触れた箇所が出てきて、やっぱりタイトルはそこから取ったのね、と納得。
姉妹の確執がリアルで怖い。しかし姉を気絶させてその間に日記の入ったフロッピーを探したり、寝室に何日も監禁して姉の金で勝手に姉の家で生活したり、妹の感覚はわたしの理解の限度を超えてるよ…。特にものすごい重大事件が起こるわけでもなく(いや、監禁って重大といえば重大事件よね…)、姉妹の思考がだらだらと続いているだけなのについ引き込まれてしまう。怖いモノ見たさのようなもので、これはまさに人の日記を読んでいる感覚だ。
それにしても、最後まで読んでみてびっくり。こんな終わり方ってあるのね!
評価は難しいものがあるけれど、間違いなく印象深い作品だった。
泣かない女はいない(2005.5.9)
長嶋有 河出書房新社
同棲している男がいるけれども会社の男に心が移ってしまう睦美の、日常生活を淡々と描いた表題作。浮気して家を出ていった夫が借りたままにしていたアダルトビデオを返却に行く妻を描いた「センスなし」。そして、初めてデートする男女のワンシーンを切り取った、「二人のデート」。
とくにどうということもない、恋愛とも言えないような恋愛小説なのに、最後まであっという間に読んでしまった。先が気になって仕方がない、のとは違う。思いっきり感情移入して物語に引き込まれたのか、というとそれとも違う気がする。気がつくとそっと物語が寄り添っていた感じ。
幸せな恋愛ではないけれど、不幸な恋愛というわけでもない。思わず横で、うんうん、と頷いてあげたくなってしまう。
聖飢魔Uだのルパン三世だのブルーハーツだのといった固有名詞も、同世代としてはツボ。こういうのに反応するのは反則かもしれないけれど、やっぱりぎゃ〜〜と身を捩りたくなってしまった(笑)。
それにしても、後ろの著者紹介のところの収録作の初出一覧をみて、3つ目に載っている「二人のデート」。探しまくったけれど、まさかカバーの裏だとは…!!
(収録作:「泣かない女はいない」、「センスなし」、「二人のデート」)
象の消滅(2005.5.10)
村上春樹 新潮社
村上春樹の、アメリカで翻訳された短編をアメリカ版の短編集の順番そのままに逆輸入した形の短編集。中でも翻訳された英文を村上春樹自らが再度日本語に翻訳した、いわば「逆輸入」のかたちの短編「レーダーホーゼン」が目玉になるのかしら。
個人的に、そんなに村上春樹は好きってわけじゃない。そんなに読んでいるわけでもないけれど、好きだと言えるのは『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』くらいだ。けれど今回初めて短編集を読んでみて、初めて「村上春樹的世界」にちょこっと触れた気がする。この中には、ハルキのエッセンスがぎっしりと詰まっている。ああ、ハルキってこんな作品を書く作家なのか、と今さらながら。
なんだか庭を眺めていると、緑の獣が出てきそうな気がする。このまま何時間でも眠らずに平気で生きていけそうな気がする。郵便受けに見知らぬ人から送りつけられたテープが入っている気がする。天気のいい日曜日には思わず昼間からビールのプルトップを抜いてしまいそうだ。
改めて、きちんと初期作品から、村上作品を追いかけてみたい気になった。やっぱりハルキは本家なのだ。
(収録作:「ねじまき鳥と火曜日の女たち」、「パン屋再襲撃」、「カンガルー通信」、
「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」、
「眠り」、「ローマ帝国の崩壊・一八八一年のインディアン蜂起・ヒットラーのポーランド侵入・そして強風世界」、
「レーダーホーゼン」、「納屋を焼く」、「緑色の獣」、「ファミリーアフェア」、「窓」、「TVピープル」、
「中国行きのスロウボート」、「踊る小人」、「午後の最後の芝生」、「沈黙」、「象の消滅」)
むこうだんばら亭(2005.5.30)
乙川優三郎 新潮社
江戸時代の銚子を舞台にした連作短編集。
海辺の飯沼村に流れ着き、「いなさ屋」を始めた孝助には、桂庵(女稼ぎの口入れ)という別の顔があった。海辺の町には貧しさに対して為す術のない女たちがおり、密かな稼ぎ口を見つけたやったその後の彼女たちの中には、そこから這い上がるものも自滅していくものもいる。すべての女たちを救ってやることはできない。孝助が救えた女は後にも先にも一人きりだった。
さまざまな事情から「いなさ屋」と縁を持つ人々。
彼らの運命はさまざまで、孝助は少し離れたところから、彼らを見守り、見放していく。諦念をもって人生を送っているような孝助だが、関わる人々によって彼も少しずつ変わっていく。少しずつ少しずつ。銚子の荒々しく、恐ろしく、そして恵みをもたらしてくれる海が、彼らをじっと取り巻いている。
クライマックスに向かって上り詰めていくような物語ではない。
けれども水が浸食するように、じわじわと心にきいてくる。
抑制のきいた文章が、抑制のきいた哀しみを描き出す。けれど哀しいだけではなく、最後には荒々しい海がそっと彼らの背中を押してくれる。
直木賞、山本周五郎賞受賞作家というのはだてじゃない、と唸った。
(収録作:「行き暮れて」、「散り花」、「希望」、「男波女波」、「旅の陽射し」、「古い風」、「磯笛」、「果ての海」)
ベジタブルハイツ物語(2005.6.1)
藤野千夜 光文社
大家の娘によって部屋に野菜の名前をつけられたとあるアパートに住む住人たちの生活を、大家一家(の特に長男長女)の生活と織り交ぜながら綴るほのぼのとした作品。
大学ではオチこぼれ、写真教室では浮きまくるものの彼氏を見つけ、自分にも何か取り柄があればいいのに…と考える2のアボカドのかすみ。
まったく存在感がなく、影が薄かったのに同級生たちが立ち上げたインターネットの掲示板に書き込むようになってから毎日が絶好調だと感じる2のブロッコリーの明彦。
離婚によって母子家庭となり、1のキャロットに住み着いたなつ美母娘。
会社が潰れて小説家を目指す夫を支えつつ、彼の応募原稿をつい見てしまった1のダイコンの真理。
友人のクマクラを尊敬しつつ、何となく違和感を感じる気もする2のアボカドの信夫。
ホストクラブのような美容室で美容師をしているマツ君とつきあい始めたものの、彼の秘密を知ってしまった1のブロッコリーのみづき。
そして大家の山本家の、顔はいいけれどだらしのない浪人生のタカシと、劇団の子役あがりで各部屋の名付け親でもあるさやか。
それぞれに生活があり、それぞれに悩みがある。その悩みはあまりにも等身大で、彼らの生活はまるで隣に建つアパートの住人の暮らしを覗いているかのようだ。特別に不幸な訳じゃない。特別に幸せな訳でもない。ドラマティックな展開もないのに、なぜか最後までスルスルと読み続けてしまった。こういうのが上手いということなのかも。
ついつい、彼らがみんな幸せになりますように…なんてことを考えてしまいつつ、なんとなく和んだ気持で本を閉じた。
ベルカ、吠えないのか?(2005.6.8)
古川日出男 文藝春秋
1943年、アリューシャン列島のキスカ島で、4頭の軍用犬が日本軍に置き去りにされた。やがて米軍が島に上陸したとき、犬ながらに見事なバンザイアタックで自爆した勝を除く3頭が保護される。ジャーマン・シェパードの正勇とエクスプロージョン、そして北海道犬の北。3頭はそれぞれの運命を辿りながら、殖え続ける。そして1957年、11月。ひとつの人工衛星が宇宙に飛ばされる。スプートニク二号。その年はイヌ紀元元年となる。
今まで読んだどんな小説よりも異質。まさに「犬の世紀」。運命に翻弄され、そしてそのことを知る由もない犬たち。犬に関わる老人と少女。日本兵に島に置き去りにされた犬たちはどんどん殖えてゆき、そしてある晩ふと空を見上げる。そのシーンのなんと表現すればいいかわからない神聖さ。
正直言って、わたしにどれだけこの本が理解できたかと問われれば覚束ない。力強い文章と、そして犬の生命力に圧倒され、まるで激流にのまれるようにしてラストまで辿り着いたというのが一番事実に近い。
けれどこれは評価しないわけにはいかない…ような気がする。難解と言えば難解で、あまり万人には勧められないけれど、この力強さ、この迫力は他にはまず見あたらない。まさに読者をその力でなぎ倒すような作品だ。その力に触れるだけでも、この本を読む価値があるし、読書が好きならその経験をしないで過ごすのはあまりにももったいない。
イヌよ、イヌよ、お前たちはどこにいる?
六〇〇〇度の愛(2005.7.7)
鹿島田真希 新潮社
団地に夫と小さな子供と住む「私」は、かつての自分と母、兄との奇妙に捩れた関係をいつか小説の形で書いてみたい、と考えている。女と男の恋物語として。けれどたとえ特別な言葉でそれを書き上げることができたとして、それが一体なんだろうとも思う。
団地に夫と小さな子供と住む「私」は、ある日突然鳴り響いた非常ベルの誤作動をきっかけに、衝動的に長崎へと旅立つ。六〇〇〇度の渇きを求めて。そこで女はアトピー性皮膚炎を患う青年と出会う。まるで被爆した肌のような青年の肌。傷つけられてきた女と傷つけられてきた青年はとてもよく似ていた。
「私」の独白パートと「女」と青年の長崎での交わりが交互に綴られるこの作品には、『六〇〇〇度の愛』というタイトルにも関わらず熱はまるで感じられない。むしろ冷たい。兄と母との関係を未だうまく消化し切れていない「私」と、長崎で青年との不毛な関係を築く(消費する?)「女」。どちらも狂気の側へ踏み出すことができない、死への誘惑も断ち切ることができない、乾いた絶望を抱えている。そしてその絶望を手放す気もない。
喪失するために物語を書き上げようとする私と、長崎の経験から何も生み出すことなく家庭へ帰っていく女。そこには何もない。最初から何もなかった。
「何もない」ことを言葉を費やして作り上げていく筆者の力に敬意を感じずにはいられない。
くうねるところすむところ(2005.7.8)
平安寿子 文藝春秋
30歳になったばかりの梨央は恋愛も仕事もうまくいかず、ヤケになって酔った勢いで上った夜中の建設現場でトビの徹男に一目惚れ。そのまま土建屋の世界に飛び込むことに。
一方飛び込まれた工務店の女社長・通称姫は、元社長で元夫の代わりに父が興した工務店を引き継ぐことになった素人社長。望まなかった展開に苦労ばかりが度重なり、もう最悪ー!
いやー、何というか、小説全体からパワフルなオーラが。こちらもそれにつられて一気読み。女はやっぱり度胸ですな(笑)。なんだか角田光代『対岸の彼女』がよく引き合いに出されているようだけれど、共通点は会社で働き始めた女性とその会社の女社長との視点で描かれたストーリーが交互になっている、というくらいで物語自体の印象はまったく別モノ。考えてみればかなりせっぱ詰まった状況の女二人がなにくそ!と立ち向かっていくこちらの作品は、単純になんだか気持が明るくなった。二人の土建屋の世界に対する愛がいい。誇りを持って仕事ができるってすごく幸せなことだよなあ。
これから夏バテの季節を迎える中で、この作品には元気がもらえるかも。