2006 shelf 1
著者名 タイトル 出版社 20 井上荒野 誰よりも美しい妻 マガジンハウス 19 橋本治 蝶のゆくえ 集英社 18 伊坂幸太郎 砂漠 実業之日本社 17 ジャレド・ダイアモンド 銃・病原菌・鉄(上・下) 草志社 16 フィリップ・グランベール ある秘密 新潮クレスト・ブックス 15 森博嗣 四季 講談社 14 三崎亜記 バスジャック 集英社 13 サン=テグジュペリ 人間の土地 新潮文庫 12 恒川光太郎 夜市 角川書店 11 クリストファー・プリースト 奇術師 早川文庫FT 10 石持浅海 BG、あるいは死せるカイニス 東京創元社 9 ダニエル・キイス タッチ 早川書房 8 絲山秋子 ニート 角川書店 7 西條奈加 金春屋ゴメス 新潮社 6 重松清 その日のまえに 文藝春秋 5 藤谷治 おがたQ、という女 小学館 4 村上春樹 神の子どもたちはみな踊る 新潮文庫 3 辻村深月 凍りのくじら 講談社NOVELS 2 ジェレミー・ドロンフィールド サルバドールの復活(上・下) 創元推理文庫 1 鳥飼否宇 痙攣的 光文社
痙攣的 モンド氏の逆説(2005.12.29)
鳥飼否宇 光文社
実はこの本を読んだのは去年の年末。最後の最後になんだかトンでもない本を読んじゃったかも…と呆然。
構成的には連作短編ミステリ…と言ってしまっていいのか(大汗)。サブカルチャー全般について広く批評活動を行っている、全身黒ずくめの寒蝉主水(ひぐらしもんど)がさまざまな事件に巻き込まれる…というか立ち会うストーリー。いいのか。本当にそんな説明でいいのか。
最初の「廃墟と青空」を読んだときは、別段おかしなミステリだとは思わなかった。鳴り物入りでデビューしたとある覆面バンドの初ライブでプロデューサーが殺され、バンドメンバーも密室状態のライブハウスから忽然と姿を消す。果たして犯行は誰に、どのようにして行われたのか?という、ごく真っ当なミステリだったのだ。
続く「闇の舞踏会」も、会田昶という名前にひっかかりは覚えたものの普通に読み始めた。それがラストで「…は?」。いったいどゆこと? と頭の中がぐるぐる。
そして、何事もなかったようにその後に続く「神の鞭」では寒蝉はラストでいきなり驚かされる世界へ歩き出していく。ここまででもう読み手のこちらは呆然。
それが、続く「電子美学」と「人間解体」に至っては……。
これが美というものなのかしら。美って本当に痙攣的なものなのかしら。これってミステリと本当に呼べるのかしら。なんだかイカがわしいわ!!
多分、最後まで読んで本を叩きつけたくなる人、たくさんいただろうなあ(笑)。
それなのに何故か、けっこうこの作品を気に入っているわたしがいたりするのだ。
間違いなくバカミス。
でも、もしかするとこれが本当の美しさなのかも(笑)。
そんなふうに思ってしまうわたしは、果たしてイカがなものか…。
(収録作:「廃墟と青空」、「闇の舞踏会」、「神の鞭」、「電子美学」、「人間解体」)
サルバドールの復活(上・下)(2006.1.8)
ジェレミー・ドロンフィールド/越前敏弥・訳 創元推理文庫
後継者を失って古城に2人の使用人とともに住む孤独な老女。彼女の愛したたった一人の息子・サルバドールは不審な死を遂げ、3年後に彼の妻・リディアも城の塔から墜落死を遂げる。
物語はリディアの葬儀から始まる。彼女の葬儀に集まったのはこれが7年ぶりの邂逅となる、かつての彼女の大学の友人たち3人。リディアを含める4人は大学時代を同じ家での共同生活で過ごし、3人が三様にその過去がひいては彼女を死に至らしめたのだと考えていた…。
最初は4人の若き女性たちの青春模様、それからリディアとサルバドールの結婚生活とその終焉、間に絡まるサルバドールと彼の母親との異常なまでの確執、そして古城での幽霊騒動や少しずつ明らかになる老女の恐るべき計画といったゴシックホラー、間に挟まるのは意味不明な童話や大学の試験問題形式の語り部分(何だそれは??)、とにかくいろんな要素がこれでもかというくらいにてんこ盛り! しかも後半になって明らかになる事実にはもう、びっくり仰天。恐るべし、ジェレミー・ドロンフィールド。どうやら「バカミス」疑惑があるらしいのだけれど、個人的にはこれはバカミスとはちょっと違うような。まあ、愕然とする真相は確かにバカミスっぽいけれど(苦笑)、これは老女の思い込みが(思い込みでなく事実? 事実なのか???)それだけ凄まじい、と解釈。
訳文自体はまるで日本の小説を読んでいるかのように自然で読みやすかったのだけれど、そこに描かれているのはまさしく海外文学の世界。しかもストーリーは進むにつれてどんどん混迷の度合いを増し、気がつけば読者は五里霧中を暗中模索。独特だ。きっと好き嫌いは分かれるだろうけれど、わたしはこのくらいなら全然許容範囲かな。
飛蝗の農場は話題になっていたけれど結局読まずに終わったのよね…。これは読んでみなくては。
凍りのくじら(2006.1.10)
辻村深月 講談社NOVELS
高校生の理帆子はその頭のよさと美人さゆえにいつもどこにいても浮いてしまう自分を感じている。敬愛するのは「ドラえもん」と、その作者、藤子・F・不二夫氏。しかし理帆子にその素晴らしい世界を教えてくれた写真家の父・光は末期ガンに罹り家族の前から姿を消した。そして理帆子とは折り合いの悪かった母もまた、ガンに倒れ長期入院を余儀なくされていた。
家に一人残された理帆子は学校でも校外でも、上手に生きているつもりだった。そんなある日、彼女は上級生の別所あきらから、写真のモデルになってほしいと頼まれる…。
上手な作品だなあ、と思う。
とってもキレイにまとまっていて、うまく伏線がはられていて、最後は切ない余韻をほんの少し残しながらも暖かく希望が残る終わり方。佳作。
でも、理帆子がイタすぎてダメだったわ。
彼女は思っているほど頭はよくないし、精神的に全然大人じゃない。周囲をバカにしているから忠告に耳を傾けない。読んでいてイラッとくる場面多数。まあでも、このくらいの年頃ってものすごく自意識過剰だし、誰もが「自分は人とは違う」「本当の自分を誰も理解していない」と思っていたりするもんだから、これは読者であるわたしがオトナにならなくちゃいけないってことなのか(苦笑)。なんか読んでいて『野ブタ。をプロデュース』を思い出した。どちらも高校生、どちらの主人公も着ぐるみを着て「うまくやっている」つもりなんだよね。
さらに彼女が痛いのは読書に対する期待の高さ。読書量と頭の良さは美しく比例するわけじゃないと思うんですが…。経験することはほとんどすべて読書であらかじめ経験済み、というそのスタンスがある意味スゴイ。たくさん本を読めばこそ、頭で知っていた感情を自分が初めて経験したときショックを受けたりしないんだろうか。読めば読むほど、自分がいかにモノを知らないかってことを思い知らされたりしないんだろうか。そんなに本読んでいないのでは?とつい疑ってしまったわたし(苦笑)。実際作品中でも、本人が自己申告しているほど本を読んでいるようには見えないし。朗読者以外には何を読んでるのか、聞いてみたい(イジワル過ぎるか/笑)。
理帆子の元カレの壊れぐあいはリアルでよかったなー。プレゼントの中身とか、彼女に送りつける郵便物の中身とか、ありそうだけれど、ありそうだからこそ、ゾッとする。
あきらはそれに比べて、少し影が薄いかな…。
神の子どもたちはみな踊る(2006.1.13)
村上春樹 新潮文庫
阪神大震災に絡めた短編集。どの作品にもあの震災が出てくる。けれどそれは主人公とは距離をおいた場所で起こる出来事として描かれている。
正直、村上春樹が震災をテーマにした作品を執筆する、ということにちょっと違和感を感じた。でも考えてみれば、『アンダーグラウンド』(未読ですが…)も書いたんだものね。
読んで明るい気分になれる作品は少ない。「かえるくん、東京を救う」と「蜂蜜パイ」が明確なハッピーエンドと言えるかな。いや、「かえるくん…」はちょっと悲しいかも。
語られることなく、謎のまま残される事柄が少なくない。「UFOが釧路に降りる」で男が運んだ箱の中身とか、「タイランド」で主人公がある人物を憎む理由とか、かえるくんはいかにしてみみずくんと戦ったのかとか。そういう謎は、もう知ることのできないこととして読者はそのまま受け容れるしかない。これがまた、なんだか大きな甘栗か何かを噛まずに丸飲みさせられたような感じ(苦笑)。
いつもそうなんだけれど、わたしは村上春樹の作品にちりばめられた暗喩を上手く受けとめることができない。何を何に例えているのか、いまひとつピンとこない。だから多分、本当にきっちりと村上春樹の作品を愉しめたことはないんじゃないか、という気がする。かなり大好きな『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』さえ。
だから、さらりと表面の雰囲気を捉えて、なんとなくその雰囲気を愉しんで、それ以上の世界に踏み込むことができない。
わたしにとってこの作品は、なんとなく宙ぶらりんで、心の中のどこに居場所を定めていいのかいつまでも決めることのできない1冊だ。
(収録作:「UFOが釧路に降りる」、「アイロンのある風景」、「神の子どもたちはみな踊る」、「タイランド」、
「かえるくん、東京を救う」、「蜂蜜パイ」 )
おがたQ、という女(2006.1.14)
藤谷治 小学館
おがたQ、ってどういう名前なんだ、と思うんだけれど読むと納得。本名が最後まで明かされない、美しく聡明な女の少し不幸な一生。
5歳の時に両親に捨てられ、石垣島のおばあのもとで初めて真実の愛情と手厚い庇護を得たおがたQは、9歳の時にやはり両親の都合で東京へと連れ戻される。彼女はそこで誰とも深く触れあうことなく成長し、映画と出逢い、おがたQという名前を得ることで自分を拒絶して生きてゆき、やがて大学に入学して海野鉄夫に出会う…。
なんとなくだらだらとしながらも独特のリズムで続いていく文章は慣れてくると結構読みやすかった。自分の不幸に目を向けることなく淡々と生きていくおがたQ。彼女の生き方は悲しいけれど美しい。自分の足で、自分の力で、自分の判断で生きてきた彼女がやがて真実を知ったとき、彼女の選んだ行動はけれど見ていられないほど痛々しい。
情緒豊かに、物語はけして展開しない。書いてあるのはあまりに淡々とした、剥き出しの事実だけ。しかもそれがなんの盛り上がりもなく時系列にだらだらと続くだけ。けれどなんだろう、読了後に残るこの独特の、なんとも言えない余韻は。
読んで少しだけ落ち込んだ。
ず〜〜〜〜ん、とは来ないんだけれど、一抹の哀しさが。
藤谷治はこれで2作目だけれど、以前読んだ『恋するたなだ君』とはまるで雰囲気の違う作品。あのだらだらっとした妙な勢いのようなものはこちらにも共通しているのだけれど。
ちょっとほかの作品も読んでみたいと思わせる、不思議な力のある作品だ。
その日のまえに(2006.1.15)
重松清 文藝春秋
身近な人、あるいは本人の病による死をテーマにした連作短編集。「朝日のあたる家」はちょっと異色だけれど。
あまり人気のなかったクラスメートが突然入院し、彼女の死を予感して戸惑いを覚える小学生を描く「ひこうき雲」。高校教師がかつての教え子たちに偶然再会し、彼女たちの現在の困難を知って背中を押してやる「朝日のあたる家」。余命3ヶ月を宣告されてかつて住んでいた町を訪れ、海で死んだ子どもの頃の同級生とその両親を思う「潮騒」。だらしない高校生がたったひとりの家族である母の再検査通告を知って動揺する「ヒア・カムズ・ザ・サン」。そして長年つれそった妻が病に倒れ、ふたりで「その日」に向けて準備をし、「その日」を迎え、そしてその後残された夫を描く「その日のまえに」、「その日」、「その日のあとで」の三部作。
それぞれの直面した死は読者の身に迫り、胸をふるわせるし、最後の作品でそれまでの短編の登場人物たちがさりげなくリンクするのも上手い、と思う。
でも、やっぱり、ベタだなあ。
死を扱う小説ってある意味反則技だと思うのだけれど、これは確信犯的に敢えてそういうテーマで連作にしている気がする。すごくうまいので、思わずこちらもグッときたりするんだけれど(個人的には「その日」の義父のセリフにグッときた!)、でも、やっぱりベタだなあ、と思う。
なんだか『鉄道員』に通じるものがある気がした。第二の浅田次郎??
(収録作:「ひこうき雲」、「朝日のあたる家」、「潮騒」、「ヒア・カムズ・ザ・サン」、
「その日のまえに」、「その日」、「その日のあとで」 )
金春屋ゴメス(2006.1.16)
西條奈加 新潮社
近未来、日本。人類は月への移住を果たした。そして同じ時代に、日本はその国の中に独立国家・江戸を抱えていた。昔ながらの江戸の生活を続けるその国へ移住するための抽選は300倍。江戸生まれの日本人・辰次郎は父の望みで裏口入国を果たすが、そこにはある目的が隠されていた…。
おもしろかったかおもしろくなかったか、と聞かれれば、面白かった…かなあ?
設定がスゴくおもしろそうだったのだ。
ちょっと近未来の日本の中に、独立国家として「江戸」がある。「江戸」は鎖国政策を取っていて、日本人が江戸に入国することは可能だけれど、人口を一定にするようにしているために倍率300倍の抽選に当たらないと入国することはできない。
近未来と江戸時代が同居する国なんて、ちょっと魅力的…??と、わくわくしながらいざ物語の世界へ。
ところが、蓋を開けてみれば、普通のお江戸ミステリに限りなく近い。宮部みゆきの時代ものですかこれは?みたいな。
辰次郎があまりにもあっさり江戸に馴染んでしまって、ギャップがないのよね。それがあまりにももったいなかった。 もっともっと、江戸と現代日本との格差を全面に出して、いきなり別世界に投げ出された辰次郎の戸惑いや、原題の知識を持っている人間ならではの江戸でのちぐはぐなやりとりなどが愉しめるかと思っていたのに。別にこれなら普通の時代ミステリでいいんじゃないのかな?と。 「現代日本の中の江戸」という設定が生かし切れていない印象。
ゴメスはキャラが立っていてこれだけでもハチャメチャ怪獣小説として一本作品ができそう。けれどこちらも出番が少なく、全然生かせてないような…。あ、でもなー、実際は見かけがスゴイだけで実は頭のよい心の大きな好人物だったりして、単に偽悪的なだけの、案外小粒なキャラになっちゃっている。もっともっと人間離れしててもよかったんじゃないかしら(笑)。
ああ、もったいない。
ファンタジーノベル大賞なのに…。
後宮小説やバルタザールの遍歴の後輩ですよ?(いやどっちも未読なんですが/orz)。
いいのか、これで。
ニート(2006.1.16)
絲山秋子 角川書店
ほとんど生きることをやめてしまった”キミ”を丸ごと引き受けようという女流作家の決意を描く「ニート」。突然婚約者を亡くし、それまで生活していた住居をひきはらうことにした友人の引越を手伝う「ベル・エポック」。生活できなくなった”キミ”を、うまくいかなくなってしまった同居人と暮らす部屋で世話する「2+1」。遠距離恋愛の恋人のもとへ向かう途中でずっと自分を育ててくれた母の従姉妹を思うホテルマンを描く「へたれ」。1日か2日、体と眠る部屋を与えようと軽い気持で部屋に連れてきた昔の知り合いに居座られ、彼を恐れつつ惹かれる女を描く「愛なんかいらねー」。
初めての絲山秋子は、ちょっとわたしには合わなかった。
ほかの短編はともかく、「愛なんかいらねー」が生理的に不快で、本を閉じたときのイヤな気持は未だにひきずったままだ。彼女の描く「愛」ってなんなんだ?? これじゃレイプと変わらないじゃないか…。
この最後の短編を読むまでは、共感まではしないものの「こういう人もいるだろうな」と、わりと好感を持って読んでいたのに。
何が描きたいのかよくわからない。
とにかく、こういうのはキライだ。
(収録作:「ニート」、「ベル・エポック」、「2+1」、「へたれ」、「愛なんかいらねー」)
タッチ(2006.1.18)
ダニエル・キイス/秋津知子・訳 早川書房
バーニーとカレンの夫婦は結婚以来子宝に恵まれず、夫婦間に少しずつ亀裂が入ってきたところに突然放射能汚染事故に巻き込まれる。皮肉にも事故の直後、カレンの妊娠が発覚した…。被害者であるにもかかわらず、汚染を広めた張本人として街の住人の憎しみの的となる夫妻。そしてそんなバーニーもまた、意図せず彼を事故に巻き込んだ会社の同僚を許すことができずにいた。妊娠を機に強くなっていくカレン、そしてひとり孤独の淵に沈み込んでいくバーニー。彼らに救いの手をさしのべようとするカレンの姉・マイラ。出産の日は近づいてくるが…?
ダニエル・キイスの最新刊。
読み終わってびっくり、1968年に執筆された作品じゃないか〜! 一応新たに書き直した改訂版なのだけれど、道理で放射能汚染の描写など、微妙に違和感を感じたわけだ…。詳しいことは全然知らないけれど、なんとなーく「こんな風に汚染って広がるものだっけ??」というのがあったので。
えーと、会社の放射能汚染事故に巻き込まれた夫婦の絆の崩壊と再生の物語、かな。
感動的なラストなんだけれど、ちょっとストーリーが脱線気味…な部分もあって、うまく物語に入りきれなかった。夫と妻、そして妻の姉の三角関係が最初は重要っぽかったのにあっけなく解消されてしまったり、あまりにも夫婦の感情のアップダウンが激しすぎてときどきついていけなかったり。途中で出てくる宗教の話も姉との関係とともにかなり消化不良。三角関係だけでも、宗教との絡みだけでも、絞ればひとつすごい作品が作れそうな感じなのに、どちらも投げ出されているのがもったいないというか無駄じゃないか?というか…。
感動しそうで感動できなくて、なんとなくこちらが落ち着かない気分になった(苦笑)。
BG、あるいは死せるカイニス(2006.1.20)
石持浅海 東京創元社
高1の遥の異母姉・優子が学校の裏庭で殺された。天文学部の元部長だった姉はその日、学校の屋上での夜中の天体観測会に出かけたはずだった。美人で聡明、誰からも慕われ、男性化の筆頭候補と言われていた姉の死に、学校中は騒然とする。
何人かの人間が、遥が優子の秘密を知っているのではないかと近づいてくる。どうやらカギはBGにあるらしい…。 BGとは都市伝説で、優れた男性で、「別格」。 姉はBGになることを夢見ていたようだが…??
何も知らなかった遥は、優子の秘密を知るために動き出すが、浮かび上がってきた真実は…。
なんじゃこの設定は(笑)。
もう、設定だけで個人的にバカミス決定(笑)。
すべての人間が女性として生まれる世界が舞台。 ほかのことは現在の世界とほぼ一緒だけれど、優秀な女性のみが、出産を経て男性に性転換できる。 男女比はだいたい1:4で、男性になったら一夫多妻、通い婚が普通。 母系家族で子どもは母親の家に属する。
経産婦が男性に転換してその後の生活を違和感なくおくれるなんてどうしても思えないよ〜!4分の1の男性のうち、半分近くは激変する環境に適応できずに社会不適格者になりそう(笑)。 子ども産んで、今さら男になんてなれるかっつーの(笑)。
まあ、そういう世界として読んだからいいんだけど。
『扉を閉ざされたまま』に続いて、これが石持作品2作目なのだけれど、この作者はなにか女性に対してかなーり屈折した感情でも持っているのかしら??(笑)
劣等感と、それを裏返した矜持みたいなものを感じた(BGの屈折した感情のあたりに特に)。
でも、全体的にはおもしろかったかな?
うん。愉しめました。
なんだか無駄にカッコいいタイトルもよかったわ(笑)。
奇術師(2006.1.23)
クリストファー・プリースト/古沢嘉通・訳 早川文庫FT
新聞社に勤めるアンドルー・ウェストリーは見知らぬ女性から1冊の本を送りつけられる。それはおよそ100年前のある奇術師の数奇な運命を書いた自伝だった。自伝を送ったケイト・エンジャによって彼は彼女の屋敷へと赴くことになる。そこで彼女はアンドルーが自伝の著者・アルフレッド・ボーデンの曾孫、自分がもう一人の奇術師、ルパート・エンジャの曾孫に当たり、ふたりの奇術師の間には複雑な確執があったことを告げ、さらにアンドルーが誰にも話したことのない、彼の双子の存在を指摘する。驚くアンドルーに彼女はルパートの遺した日記を見せる。二つの手記、そしてケイトの話から浮かび上がってくるのは驚くべき真実だった…。
まったく何の前知識もなく読み始めたわたしは気がつくと混乱のるつぼへ。なぜか純粋なミステリだと思って読んでいたら、これって幻想文学だったのね〜!! しかもカバー見返しにはちゃんと「世界幻想文学大賞を受賞」って書いてあるじゃん!!orz
ちょっと異質なファンタジーだけれど、すごく愉しめた。質の高い、内容の濃い作品。ファンタジーと今書いたけれど、どちらかというとホラーか、SFっぽいかな? でも、素晴らしい作品の前にはジャンル分けなど無用、というのがよくわかる。
物語は大きくはアンドルー視点、アルフレッドの手記、ケイトの視点、ルパートの日記の4つに分かれる。そして最後にエンディング。同じ事実が見方によってまったく違って見えることにびっくり。真実は最後まで具体的にはっきりとは書かれていないので、読み手が内容から真実を導き出さなくてはいけなくて、そういう点でも刺激的な読書だった。
さすが、世界幻想文学大賞!
そして、解説で「『魔法』と密接な関係を持っている」と書かれていたとあっては、こちらも読まないわけにはいかないわ〜!!
夜市(2006.1.24)
恒川光太郎 角川書店
第12回日本ホラー小説大賞受賞作である表題作と、書き下ろし「風の古道」を収録。
いずみは高校時代の同級生・裕司から夜市に誘われる。そこはおよそあらゆるものを売っている、この世ならぬ異界だった。幼い頃裕司は弟とともに夜市に迷い込み、そこで弟を売って「野球の才能」を手に入れた。その罪悪感から彼は、弟を買い戻すためにここを訪れたという。意を決していずみは言った。「あなた、私を売るつもりでしょう?」
これがデビュー作だということにまず驚く。このクオリティの高さ、エンタメ度の高さ、そしてホラーとも和製ファンタジーともつかない独特の雰囲気をきっちりと確立した完成度の高さ。読み終わった後にいつまでも続くなんともいえず深くもの悲しい余韻。恒川光太郎、今後絶対に注目しようと決めたわ〜!
弟を売ってからずっと罪悪感に苛まれ、それがいつしか虚無感となり裕司をしっかりとつかまえる。彼の気持ちがよくわかるから予想もしなかった彼の行動がすんなりと納得できるし、胸が詰まる。弟の人生がまたきっついのよね…。彼らの行く末をいつまでも考えてしまった。
そして、同時収録の「風の古道」がまた、「夜市」に勝るとも劣らぬ作品なのだ。ふたつの作品の世界観がさりげなくリンクしているところも個人的にはちょっとおいしかったわ。ラストの「これは成長の物語ではない。」からの一節がすごく好き。そうだよなあ、際限のない迷路だよなあと。
人を選ばずみなに自信を持ってオススメしたい一冊!
(収録作:「夜市」、「風の古道」)
人間の土地(2006.1.25)
サン=テグジュペリ/堀口大學・訳 新潮文庫
サン=テグジュペリといえば『星の王子さま』。それ以外の著作を読んだのは実はこれが初めてだったのだけれど、そのあまりの真摯さ、高潔さに圧倒された。
郵便機の定期航空の操縦士として働いていたサン=テグジュペリと彼の同僚たちの様々なエピソードを淡々と描いているのだけれど、その文章の中に彼の「生きる姿勢」ともいうべき矜持がにじみ出ている。今の時代こんな人はまずいないだろうし、今の時代こんな本はまず書かれないだろう。けれどもしかしたらこういう本は今こそ読まれるべきなのかもしれない。
アンデス山脈飛行中に消息を絶ち、必死の捜索にもかかわらず見つからなかった同僚ギヨメが7日後に発見されるまでの壮絶なエピソード。
砂漠の不帰順族に捉えられ、奴隷にされていた男が、解放された後その圧倒的な自由さから逃れるために与えられた金銭をすべて遣ってしまうエピソード。
そしてサン=テグジュペリ自身が砂漠で遭難し、発見されるまでの、『星の王子さま』の発想のもととなったと言われるエピソード。
どれもこれも、おもしろおかしく描かれているわけではない。
けれど、そこには、万人に共通の、原始的で、尊い、そして忘れ去られがちな大切なものが流れている気がする。
”人間であるということは、とりもなおさず責任を持つことだ。人間であるということは、自分には関係がないと思われるような不幸な出来事に対して忸怩たることだ。人間であるということは、自分の僚友が勝ち得た勝利を誇りとすることだ。人間であるということは、自分の石をそこに据えながら、世界の建設に加担していると感じることだ。”
この文章を読んで、思わず襟を正さずにいられる人がどのくらいいるだろうか。
バスジャック(2006.1.26)
三崎亜記 集英社
近所づきあいをすべて妻に任せてきた夫が、妻の出産帰省中に近所の人に「いいかげん二階扉をつけてください」と苦情を言われる。回覧板もロクに見たことがなく、「二階扉」なるものもよく知らない主人公は、言われるままに扉をつける工事を頼むことにするが…(二階扉をつけてください)。
『となり町戦争』で衝撃的なデビューを飾った三崎亜記の第2作となる短編集。読んでみて思ったのは、デビュー作でも感じたのと同じ事…。
この人の作品って、やっぱりイメージ先行というか、最初に設定ありきな気がする。設定を書くために物語を書く、みたいな。それって物語? …いや、そういう物語すべてがダメというわけじゃないんだけれど。もう設定だけでオッケー!という場合もあるし。シャングリ・ラとか。
たぶん発想がすべてできっちりその周りを作り込んでない感じがするからしっくりこないのかなあ。以下ネタバレにつき反転。
たとえば二階扉。この扉が便利なのはわかったけれど、なんで近所中でそれをつけることを強制することになるわけ? それは主人公がわけのわからないまま二階扉をつける、という流れに持っていくために必要だから。でも物語的に説得力はない。なんで業者がみんな同じ人(のようにみえる)なのか。なんで子どもが取り付けるのか。その方がおもしろいから。以外の理由がみつからない。
たとえば二人の記憶。二人がつき合っていくって共通の記憶を積み重ねていくことが大事なんじゃない? 最初の記憶だけ共通ならオッケー、ってそれどうなの? こんなことになったらもっとものすごいジレンマじゃないのか。彼女がまったく意に介さないのがまた違和感。主人公はそういう考え方ということでまあ納得するとしても、彼女がどういう人間なのか全然わからない。
たとえば送りの夏。
これってネクロポリスの三崎版だよね。でもネクロポリスは死者の死をきちんと受け容れるためのヒガンがそれなりに説得力のある設定だったけれど、こちらはなぜ若草荘のメンツだけにその特権が得られるのかがわからない。あと麻美があまりにも小学生らしくない。「子どもらしくない」の域を超えている気がする(たとえば泣いている幸一に膝を貸す場面とか)。それから文章的にものすごく引っかかったんだけどこれもいきなり視点が変わってるんじゃないか…。「母は」がいきなり「晴美は」という書き方になって一瞬「晴美って誰?」と思いました(わたしだけなのか?)。
動物園の話と、表題作のバスジャックはおもしろかったかな…。でもバスジャックはオチが読めるよね…。
あー、でも発想は確かに素晴らしい。
これって単にまだこれからの発展途上、ということなのかな? 作を追うごとにものすごい傑作に…という可能性はあるなかも、と思う。でも今は「ねーねー面白いこと思いついたからちょっと聞いてくれる?」という思いつきにつき合わされているような気がするんだよなあ…。
また次回作が出たらきっと読むでしょう(笑)。
(収録作:「二階扉をつけてください」、「しあわせな光」、「二人の記憶」、「バスジャック」、
「雨降る夜に」、「動物園」、「送りの夏」)
四季(2006.1.30)
森博嗣 講談社
S&Mシリーズの大物(笑)、真賀田四季博士の半生を描いた4つの季節の物語。講談社NOVELSで発表された「春」、「夏」、「秋」、「冬」の四冊を1冊にまとめた愛蔵版で読了。
とりあえず、これを読む前にS&Mシリーズ、Vシリーズ、そして百年シリーズは必読。なんというか、「シリーズを全部読んでくれた読者に大感謝サービス実施中!」みたいな話なので(笑)、シリーズ未読だとたぶんつらいし、本当のところ愉しめないのでは…。
四季、5歳〜8歳の時代を描いた「春」。これは人称がわざと混乱させるような形で書いてあるので最初は戸惑ったものの、わけがわかってくるとなるほど、という感じ。Vシリーズのあの場面に繋がるシーンではちょっと笑みが漏れたわ。天才少女の精神に体の成長が追いつかずにジレンマを感じる四季。彼女の「兄」である基志雄からみた、彼女を描く。一応密室殺人は起こるのだけれど、それは物語的にはどうでもいい感じ(苦笑)。
13歳の四季を描いた「夏」。デビュー作『すべてがFになる』で四季博士が研究所に閉じこめられることになった元の事件が起こるまでがこの作品のストーリー。四季の初恋物語と言ってもいい!? ここではVシリーズの登場人物がバンバンでてくる。そうか、ここで彼らは四季と接触があったのねー、みたいな。いつの間に彼と彼女はそんな関係に!?と驚いたり。 S&MシリーズとVシリーズもここではっきりと繋がる。
研究所を脱走してから7年後を描いた「秋」。ここではS&Mシリーズの萌絵ちゃんが主人公。一番の注目は萌絵ちゃんと犀川センセのその後ですな(笑)。実は四季博士が研究所脱走時にメッセージを遺していたことに犀川が気づき、萌絵と二人で彼女の後を追う。別ルートで同じ場所にたどり着いた保呂草&各務亜樹良とともに、4人が四季からうち明けられた事件の真相は…? ここで萌絵と紅子も初めての対面を! でもって、百年シリーズに繋がる伏線もここでチラッと出てきたりする。 でも、どうでもいいんだけど四季博士のメッセージ、見つけられなかった警察は明らかに怠慢過ぎじゃないの?(笑)
そしてラスト「冬」。この作品はすっかり観念的というか、四季の思考を追うような形の物語になっているため、時系列も場所もバラバラ。ただここではっきりと四季シリーズと百年シリーズが繋がることに。なるほど、そうきたかー。でも何で男に? いろいろよく分からない点はあるものの、何となく天才っぽい雰囲気で、シリーズのラストを飾るにはまあいいのかな。
4部作を一気読みしたのだけれど、ストーリーがどうということよりなにより、ここで3つのシリーズがキレイに一つの世界にまとまったことに感嘆。これっていったい作者はどの辺りから全部考えていたのかなあ。とにかく伏線の張り巡らし方のうまさは尋常じゃない気がする。何はともあれ、ここまで読了できたことに、大変満足♪
ある秘密(2006.1.31)
フィリップ・グランベール/野崎歓・訳 新潮クレスト・ブックス
「ぼく」は生まれつきひ弱な少年だった。間に戦争は挟まったものの、難を逃れ幸せに暮らしてきた両親の間の一粒種で、両親の愛を一身に受けて育ったはずなのに、「ぼく」は不安で、ある日屋根裏部屋で小犬のぬいぐるみを見つけたのをきっかけに、心の中に「兄さん」を作り出した。以来「兄さん」の影に隠れるように暮らしてきた「ぼく」に、やがて「兄さん」は重荷になってくる。そして15歳の誕生日を迎えた翌日、「ぼく」はある秘密を知ったのだった…。
本当に価値のある、いい作品に出会うと言葉を失う。
けして長くはない物語に、詰まっているのは本当に純粋で美しい結晶体。無駄な文章はどこにもない。
静かに、少しずつ、心の中に流れ込むような物語。
悲しく、つらい秘密を知って、それを抱えて、昇華させてゆく「ぼく」。読み進むうちにしんしんと胸の中に何かが降り積もっていくようだ。
フランスで「高校生が選ぶゴングール賞」という、高校生が選ぶ賞を取った作品らしいのだけれど、こういう作品を選びうるフランスの高校生の質の高さに驚きと羨望を感じた。
ちなみにこれは作者の自伝的小説と言っていいみたい。訳者あとがきで、作者グランベールへのインタビューの内容が触れられている。
”…両親の物語を書こうと思いついた。…夢中で書き上げた。だがそれから苦労が待っていた。文章が感情に流され、あまりに思い入れたっぷりであることに気がついたのだ。…「残ったのは骨の部分だけでした。結局、それだけが必要だったのです」。”
ああ、これこそが、この作品を明確に「手記」ではなく「物語」にしている理由なのだ。
とにかく胸に染みる一冊。巡り会えた幸せに感謝する一冊。
銃・病原菌・鉄(上・下)(2006.2.3)
ジャレド・ダイアモンド/倉骨彰・訳 草志社
なぜスペイン人は少ない人数でインカの王様を捕らえることができたのか。なぜシマウマは家畜にならなかったのか。アメリカ先住民はなぜ旧世界を征服できなかったのか。なぜ中国ではなくヨーロッパだったのか。 人類は1万3000年の歴史の中で、持てる者と持たざる者をはっきりと分けてしまった。その直接の原因はいったい何だったのか…? 人類史の謎に挑戦する意欲作。1998年度ピュリッツァー賞一般ノンフィクション部門受賞。
読んでいてかなり刺激的だった。
へー、そうなの、ほぉーと驚くこと、感心すること多数。
読む価値はあると思う。 たとえば今のキーボード配列がQWERTY配列になってるのは、昔のタイプライターがあんまり早くキーを打つと絡まってしまうためにわざと使用頻度の高い文字を左手で打つようにし、さらに上中下段にばらしてタイピング速度を遅くするためだった…とか、アフリカの大型動物はずっと人類と一緒に進化してきたから人類の怖さを知っていて、彼らから逃げることを知っていたので絶滅しなかったけれど、ほかの大陸の大型動物たちはあとから移動してきた人間を怖がらなかったのであっという間に絶滅してしまった…とか。なぜ農耕が始まってからも頑なに狩猟生活をやめずにいた人たちが残ったのか…とか。「えーそうなの!」というトリビアがどっさり。
ただ、ひっかかったのは、著者が自分が思っているよりは結構「西洋主義」だなー…ということ。全然自覚してないんだろうなあ(苦笑)。
「日本人が、効率のよいアルファベットやカナ文字でなく、書くのがたいへんな漢字を優先して使うのも、漢字の社会的ステータスが高いから」で、無名のジーンズよりブランド物のジーンズを選ぶ心理と一緒なんだそうで(爆笑)。そんなバカな、と思うけれど、そうだよね、アルファベットしか使わない人には漢字って「書くのが大変」、で、非効率的に見えるのかもね…。 日本の漢字使用に対してはどうしても否定的なようで、もしかすると生理的に漢字は苦手なのか?(笑)
こういう記述があると、もしかするとほかの記述も結構著者の勘違いは多いのかも…と疑ってしまうけれど、そういう疑いを差し引いても、それ以上の濃さのある内容だと思う。
読んでおいて損はナシ!
砂漠(2006.2.4)
伊坂幸太郎 実業之日本社
東北の国立大学に入学した北村は、個性的な仲間たちと出会う。調子がよくて、将来はスーパーサラリーマンになる、そうしたら遊べないから今思い切り遊びたいという鳥井、美人だけれど無表情で人を寄せ付けない雰囲気の東堂、いつもおだやかな微笑みを浮かべる日だまりのような南、そして世間の常識からは懸け離れた、けれどいつも堂々としている西嶋。
鳥井から「周囲を見下している、鳥瞰型」な人間と言われた北村は、彼らとともに大学生活を送り、いくつかの事件を彼らと経験していくうちにいつしか、自分が地面に近づいてきたと感じる。社会という「砂漠」へ出ていく前のつかのまの学生生活が、いとおしいものになってゆく…。
なんといっても西嶋のキャラが秀逸。『チルドレン』の陣内にかぶる部分もあるんだけれど(彼にもらった本に影響を受けているくらいだから当然なのか?)、一見非常識で場を読めない、周囲から敬遠されがちな人物なのに、つきあえばつきあうほどよさがわかってくる、その西嶋のわかりづらい「よさ」が、読者には非常によくわかるように描かれている。
北島が少しずつ「地面に近づいてくる」様子もよくわかる。それが唐突でなく、とても自然にそうなっていくように感じられるのは、やっぱり丹念にストーリーが積み重ねられているからだと思う。
いくつかの事件が起こるのだけれど、それは物語の本筋ではなくて、あくまでも「重要なエピソード」の連なり。彼らがいかにお互いを仲間とみなすようになり、「砂漠」へ出ていくための力をつけていくか、いかに素晴らしい学生生活を送ったか、大事なのはそういうことだ。いわば伊坂版『夜のピクニック』。
「夏」で起こる事件は中でもあまりにも重くて胸が痛んだけれど、彼らはそんな深刻な事件さえも乗り越える力をつけていく。
サン=テグジュペリの『人間の土地』がところどころで効いていて、ニヤリ。
今までわたしの中で伊坂作品ベストは『ラッシュライフ』だったんだけれど、これはそのベストに匹敵する作品。これまではなんというか、ストーリーの勢いとか、パズル的な気持ちよさが伊坂作品のウリだった気がするのだけれど、ここへきてその軽妙洒脱さを失うことなく、物語が積み重なっていく重厚さの片鱗が窺えるようになってきた気がするわ。ヘンだけれど尊敬に値する人物を巧みに描いているあたりも、今まで以上に著者本人の優しさ、暖かさを感じる。この作品自体が、『死神の精度』みたいな「鳥瞰型」小説とまるで違う伊坂作品の別の面を見せている。
学生生活を送って「砂漠」に出た人たちなら誰でも、自分の学生生活を振り返らずにはいられない。振り返って初めて、あの時代がいかに人生の「オアシス」であったかに気づく。そして思うのだ。「あの時はよかったな。オアシスだったな。」
なんてことは、まるでない。
蝶のゆくえ(2006.2.5)
橋本治 集英社
帯より。
孝太郎(7歳・小学生)母親の美加が18歳の時に産んだ子。美加の再婚とともに新しい父親と暮らすが、親として未熟な二人に虐待され死亡。「ふらんだーすの犬」
晶菜(26歳・OL)「男の26は若くて、どうして女の26は若くないんだ」二度も二股かけられた男に呼び出されて性懲りもなくまた会ってしまう。「ごはん」
アオイ(19歳・短大生)「私お母さんが大好きなの」いきなり夏子に告白されとまどう。女の19歳は問題が多い。「ほおずき」
静子(58歳・主婦)深夜コンビニにたむろっている若い男たちに注意したことがきっかけで暴行を受け、夫が死んだ。殺された。定年退職した直後に。「浅茅が宿」
加穂子(37歳・主婦)夫の仕事がうまく行かなくなったのを契機に夫の実家で暮らし始めたが、大学教授の舅と姑との暮らしは耐えがたいものがあった。「金魚」
孝子(57歳・主婦)毎年白菜漬を送ってくる母が怪我をした。久々に故郷に帰り同窓生に会う。「白菜」
橋本治は意識的な作家だなあと思う。どんなささいなことも、さらっと流さずに、必要なことを必要な文体で必要なだけの量の文章で描く。暴くべきことは容赦なく暴く。けれど、冷徹なようでいてどこか暖かい。
なんといっても最初の「ふらんだーすの犬」がすさまじい。深く考えずに逃避の挙げ句に親になってしまう美加。彼女に子どもを産ませたことで「これでもう自分の義務は終わった」と考える美加の最初の結婚相手・俊一。子どもがいることをうち明けられて「いいじゃん、別に」と答える、想像力の欠如した二番目の夫・幸信。こんな人々が現実を生きている姿がありありと浮かんでくる怖さ。そしてラストの1文の衝撃。しばらく続く作品が読めないくらい打ちのめされた…。
「金魚」もかなり強烈。短編だというのに、加穂子の夫の家の歴史と加穂子たち夫婦のこれまでの軌跡がありありと浮かび上がってくる。加穂子が姑に感じる哀れさに強引に共感させられてしまうような力強さがある。
ちょっとほかの作家とは比べられないような存在感。
やっぱり橋本治はどこか違う、とあらためて思い知った作品。
(収録作:「ふらんだーすの犬」、「ごはん」、「ほおずき」、「浅茅が宿」、「金魚」、「白菜」)
誰よりも美しい妻(2006.2.5)
井上荒野 マガジンハウス
園子は音楽家の夫・惣介と小6の息子・深との3人暮らし。美術館のような家に暮らし、夫の教え子たちを手料理でもてなし、夫の親友にエスコートされて夫の演奏会に出かけ、趣味のバレエ教室に通い、ときには家族で白馬の別荘で幾日かを過ごす、誰もがふりかえる美しい女だ。
彼女は惣介のことならなんでもわかる。彼の気分、今して欲しいこと、して欲しくないこと、そして今の彼の恋の相手。同じ鋭さで、彼女は息子が初めての恋をしていることも感じ取る。
夫が恋をするのはいつものことだ。彼女はそのままの夫を愛しているし、時には夫の恋人に同情すら覚える。しかし今度の恋の相手はどうやらいつもとは違うようだった…。
何とも美しく、デカダンな夫婦の愛の物語。
読み始めたときは、「これは以前の『だりや荘』の焼き直しではないか?」と多少うんざりしたのだけれど、そんな予想は気持ちよく裏切られた。『だりや荘』よりもずっとずっと、この物語は進化し、深化している。
園子・深・惣介、三人三様の心の動きを、作者は非常にていねいに、自然に、流れるように描写していく。誰もが自分とは懸け離れた人物のはずなのに、誰の心のうちも理解できてしまう自分がいる。とくに我が侭で子どもでどうしようもない惣介。彼が、園子に依存し、彼女を失うことを心から恐怖し、それでも恋することに躊躇せず、なのにコントロールを失いそうな自分の状態に動揺する、そのいわばむちゃくちゃな性格に嫌悪感以上に同情すら覚えてしまう。『だりや荘』のあの男には(そして二人の姉妹、特に姉には!)ぜんぜん同情なんてできなかったのに。
スペインからの惣介の電話には思わずこっちの胸がぎゅーーーーっと詰まってしまった(苦笑)。
作者はあとがきでこう書いている。「誰よりも美しい妻は、いったい幸せなんだろうか、それとも不幸なんだろうか。」
どちらか、と言ってしまえば園子は幸せなんだろう。周囲を巻き込んだ、はた迷惑な、それでいて実は二人の間で完結してしまっている夫婦の絆。そこには息子すら入り込む余地はない。これはひとつの究極の夫婦の姿だ。