2006 shelf 2
著者名 タイトル 出版社 40 桐野夏生 アンボス・ムンドス 文藝春秋 39 柴田哲孝 下山事件 最後の証言 祥伝社 38 恩田陸 エンド・ゲーム 常野物語 集英社 37 古川日出男 沈黙/アビシニアン 角川文庫 36 浅倉卓弥 北緯四十三度の神話 文藝春秋 35 ロバート・R・マキャモン 少年時代(上・下) 文藝春秋 34 オースン・スコット・カード 消えた少年たち 早川書房 33 重松清 疾走(上・下) 角川文庫 32 町田康 夫婦茶碗 新潮文庫 31 東野圭吾 さまよう刃 朝日新聞社 30 津原泰水 アクアポリスQ 朝日新聞社 29 クリストファー・プリースト 魔法 ハヤカワ文庫FT 28 江國香織 赤い長靴 文藝春秋 27 琴音 愛をめぐる奇妙な告白のためのフーガ ライブドアパブリッシング 26 佐藤亜紀 バルタザールの遍歴 新潮文庫 25 酒見賢一 後宮小説 新潮文庫 24 古川日出男 13 角川文庫 23 奥田英朗 ララピポ 幻冬舎 22 町田康 くっすん大黒 文春文庫 21 伊坂幸太郎 陽気なギャングが地球を回す 祥伝社NON NOVEL
陽気なギャングが地球を回す(2006.2.6)
伊坂幸太郎 祥伝社NON NOVEL
成瀬・響野・久遠・雪子は映画館での爆弾テロをきっかけに知り合った銀行強盗仲間。しかしある時、手に入れた4千万円を現金輸送車強盗に横取りされた! さらに小学生の一人息子・慎一と暮らす雪子の様子がなにやらおかしい。嘘を見抜く才能を持つ成瀬はどうやら何かに気づいたようだが…。
タイトル通り、陽気なギャングたちの痛快クライム・ノベル。
なぜか伊坂幸太郎を読む中で一冊だけ抜けていた本書をようやく読了。そうそう、伊坂作品ってこういう軽快な作品だったよなあ。どうでもいいように思える描写がラストに向けてすべて生きてくる、達者な伏線の貼り方も。
なんだかすっかり伊坂作品も読み慣れてしまって、だいたいの伏線がわかってしまったのがちょっともったいなかった気もするけれど、でも、愉しめた。『砂漠』を読んでいなかったら、『ラッシュライフ』の次くらいに好きだったかも(笑)。
伊坂作品はすべての作品が微妙にリンクしているのが楽しいのだけれど、今回はちょっと作品が古すぎてすっかり初期の作品の登場人物たちを忘れてしまい、どの作品の誰とリンクしているのか全然気づくことができなかった! これも刊行順に読まなかったわたしが悪いのね…。ちなみに、『アヒルと鴨のコインロッカー』と微妙にリンクしているらしい。
くっすん大黒(2006.2.7)
町田康 文春文庫
ある日働くのはいやだな、と仕事を辞め、以来だらだらと日を送り妻にも出て行かれたひとりの男が、部屋にある座りのわるい金属製の大黒に腹が立ち捨ててくることを決意する。しかし大黒を捨てかねるうちに数少ない友人の家に転がり込むことになり、そこで始めたバイトで散々な目に。友人と二人して逃げるように、舞い込んだ仕事の依頼に飛びつくが、その仕事で出張した先に待っていたのは似非アーティストに心酔するおばはん集団…。
ははは。
最初から最後までなんてくだらないんだ。
この透徹する意志がスゴイと思う。
”もう三日も飲んでいないのであって、実になんというかやれんよ。ホント。酒を飲ましやがらぬのだもの。ホイスキーやら焼酎やらでいいのだが。あきまへんの? あきまへんの? ほんまに? 一杯だけ。あきまへんの? ”
こんな文章から始まって、
”「豆屋でござい。わたしは豆屋ですよ」なんて。”
で終わる。どこまでも自堕落な主人公がただ流されていく様子が流れるような独特の文体で語られる。でも、流されていく主人公が流れるような文体で綴られていはするのだけれど、その文章は、けして単に書き流した物ではない気がするのだ。
あー、『告白』の原点がちゃーんとここにある。
(収録作:「くっすん大黒」、「河原のアパラ」)
ララピポ(2006.2.8)
奥田英朗 幻冬舎
アパートの上の部屋に越してきた男が夜な夜な連れ込む女たちと行う営みに毎晩興奮する対人恐怖症のフリーライター杉山博(32)、風俗専門のスカウトで収入のために女たちの世話を焼きまくるがやがてそのうちの一人に本気で惚れてしまう栗野健治(23)、スーパーでスカウトされて熟女専門AVに出演し、女としての自分に改めて目覚めたものの家の中はゴミ屋敷の専業主婦・佐藤良枝(43)、カラオケボックスの店員だが後輩にもボックスでいかがわしい商売をする女子高生にも新聞勧誘員にもNOということができず、鬱屈した気分を近所への嫌がらせ投書で晴らそうとする青柳光一(26)、官能小説家としては成功しているものの文学コンプレックスを持ち、カラオケボックスでの女子高生との乱交につかの間の悦びを見いだす西郷寺敬次郎(52)、そしてテープリライターをしつつ実は売れっ子のデブ専裏DVD女優である玉木小百合(28)。
連作短編集なんだけれど、最初の短編を読んだときはすごーく読後感が悪くて、全然笑えなかった。「最新爆笑小説!」「いや〜ん、お下劣!」とか帯に謳ってあるんだけど、どこが爆笑なのよ…と。で、続く短編も読むたび読むたび後味が悪い。みんな「負け犬」が主人公なんだけれど、この負けっぷりというか、生き方の不器用さが痛々しくて。そしてラストがみんな救われない。なんなんだこの短編集は…。
ところが最後の短編でそれまでのイメージが一新。うわっ、この本ってこういう話だったのか! ララピポってそういう意味か!と。その転換の仕方がもう、鮮やか。
それぞれの短編同士の絡まり具合とか、ちょっと角度を変えると今までと違うものが見えてくる、という描き方とか、さすが奥田英朗、という感じ。上手い。
読み終わるとそれまでのいや〜んな感じがきれいに払拭されて、なぜか少しほんわかした気分にすらなった。
というか、ララピポ読んで和んでるのはやっぱりわたしだけなんだろうか(笑)。
しかし、表紙カバーをとった中表紙のあまりのお下劣さにはひきましたがね(苦笑)。
(収録作:「WHAT A FOOL BELIEVES」、「GET UP, STAND UP」、「LIGHT MY FIRE」、「GIMMIE SHELTER」、
「I SHALL BE RELEASED」、「GOOD VIBRATIONS」)
13(2006.2.11)
古川日出男 角川文庫
”一九六八年に東京の北多摩に生まれた橋本響一は、二十六歳の時に神を映像に収めることに成功した。”
物心ついた頃から母の働く図書館で過ごした響一。彼の描く絵の人並み外れた色遣いに両親は震撼した。やがて入園前健診で、彼は片方の目だけが色弱であることが判明する。利き目ではないその目で世界を見たときのみ、世界はまったく違う姿を現した。ずば抜けたIQも持つ響一は、ただ目立たないようにすることにのみ神経を注ぐ無口な少年として成長する。やがて一人の少年との出逢いが響一の運命を変えた。アフリカから来た少年、ウライネ。
中学を卒業するとすぐにアフリカのジャングルへ旅立つ響一。圧倒的な森の色の洪水の中へ。そこで起こる「黒いマリア」との一瞬の邂逅。無二の兄弟との別れ。
そしてそこから一転して第二部は10年後のなんとハリウッド。ここで26歳の響一は神を映像に収めることになる。しかし成功した映像をもって響一は再びジャングルの奥地へ。ハリウッドに遺されるのは映像のコピーと一人の天才の伝説のみ。その伝説の人物をひとりの女優が探し始める…。
読むのに3日も掛かってしまった。とにかく文章が精緻でかつ怒濤のようなので、溺れるようにして。あっぷあっぷ。
物語は色彩に溢れている。彼の目を通した世界を、わたしも一度この目で見てみたいと思う。響一の孤独、両親の愛情、理解ある美術教師との出逢い、そしてウライネとの衝撃的な出逢い。物語は丁寧に丁寧に進む。だからこそ、普通の人間とは桁外れの響一に素直に共感することが出来る。
マジックレアリズムにぴったりの舞台である熱帯のジャングルでは物語は事実として淡々と描かれ、そして嘘と作り物の世界であるはずのハリウッドで小説は突如マジックレアリズムじみてくる。
やっぱり古川日出男って独特だ。
圧倒的な力強さを持った独特の文章。
圧倒的な「物語」。
さらっとは読み流せない。読み流すことを文章が許さない。
なんというか、「捕まった」という感じだわ(笑)。 もうすっかり古川日出男に夢中になってしまいそうだ。
後宮小説(2006.2.14)
酒見賢一 新潮文庫
栄えある第一回日本ファンタジーノベル大賞受賞作。
1607年、先帝の崩御と同時に新しい後宮のための宮女を集めるために宦官たちが各地へ出立した。自らの出身地から宦官・真野が連れ帰った宮女候補はただ一人、まだ道女(一人前の女性)となる前の美しい少女・銀河だった。
後宮の入り口で、銀河は謎めいた黒ずくめの美女・双塊樹(コリューン)と出会い、宮女となるべく数多の宮女候補たちとともに仮宮に住まわされる。同室に割り当てられたのは高貴で美しく、冷たい玉遥樹(タミューン)、気位の高い世沙明(セシャーミン)、そして無口で無表情な江葉の3人だった。そして世にも奇妙な宮女教育が始められる…。
おもしろかった。
もっとマジメなファンタジー(笑)かと思っていたら、全編これパロディというとんでもない本。一瞬中国の歴史に基づいたストーリーだと信じそうになってしまったわ! 滅び行く国の後宮の物語なのだけれど、その原因を作る乱を起こす反乱軍の主要メンバー、混沌のキャラが秀逸。
中華ファンタジーの一種なのだけれど、実際にあった史書に基づいている、という形式を取っていて(もちろんこの史書もでっちあげ!)、なんというか、作者の距離感が絶妙なのですな。
やっぱりデビュー作だからなのか、ちょっと話の流れがぎくしゃくした部分があるにはあるのだけれど、そんな些細な瑕疵はどうでもよくなってしまう痛快な作品でした。
バルタザールの遍歴(2006.2.17)
佐藤亜紀 新潮文庫
第三回日本ファンタジーノベル大賞受賞作。第二回は大賞該当作がなかったので、実質的には二回目の大賞受賞作。
ひとつの体に宿った二つの魂、メルヒオールとバルタザール。彼らを本当に理解してくれたのは従妹のマグダのみだった。
公爵の爵位を持つ二人はハプスブルグ家が没落しナチスの台頭する時代の中で転落の一途の人生を辿る。放蕩により財産を食いつぶし、父が財産整理をしてただひとつ残していた広大な屋敷も父の死後叔母に奪われる。父の後妻として家に入ったベルタにバルタザールは夢中になるが、彼女も父の死と同時に姿を消す。結婚の決まったマグダに想いを残しながらも二人は屋敷のあるウィーンを出てゆく。どこへとも当てのなかった二人は思いつきでアフリカを目指すが…。
あらすじを書いてみたところでこの小説の魅力はひとつも伝わらない。佐藤亜紀、恐るべし。まるで翻訳小説のような佇まいのこの作品は品格ある文章で読者を一気にメルヒオールとバルタザールの二人に惹きつけて離さない。そこにあるのは退廃の美だ。二人は二人であるがためにいつでも孤独ではない。彼らは彼らの世界の中に完結している。つねに最悪の選択肢を選んでしまう彼らはそれ故にけして転落した先から這い上がることがないけれど、その転落に悲壮さはない。
彼らをとりまく登場人物もまた魅力的。
従妹のマグダ、義母のベルタ、ナチの少尉エッグハルト、叔父のグラーベンメッサー、使用人にして父の秘密を知るロットマイヤー。
一筋縄ではいかない登場人物たちに、一筋縄ではいかない物語。物語は終わっても、二人の遍歴は続く…。
「読書」の醍醐味を思う存分堪能することができた一冊。
愛をめぐる奇妙な告白のためのフーガ(2006.2.17)
琴音 ライブドア パブリッシング
第17回日本ファンタジーノベル大賞で優秀賞を受賞したものの、賞を辞退したことで話題になった作品。
一切の感情がない「私」は、元恋人のキオミが自殺したことを知り、彼女の部屋を訪れて1枚の手書きの地図を見つける。地図を頼りに訪ねた先は、東京にありながら誰にも省みられない、不思議な町だった。彼女はそこで客の「告白」を聞く仕事に就くことになる。そこで出会ったパンノキ、アヤメ、ミシンと海亀、天使、革命家、占い師の老人、そしてとりわけ葉(イップ)との関わりにより、「私」は感情を取り戻していく。しかし葉はある日を境に突然「私」に対する態度を変えたのだった…。
個人的にはやたらに句点の多い文章はちょっと読みづらかったかな…。「フーガ」と題する意図はなんとなくわかったけれど、別々の人間が別々の文脈で「フーガ」を比喩に使うのはちょっとくどくてひっかかった。あと、かぎかっこをつけない会話文というのもよくあるけれど、この作品ではそのやり方が少しわかりづらい。『おがたQ…』なんかは全然違和感なかったんだけどなあ。
主人公が「感情がない」ので、感情移入するのが難しい(笑)。かといって桐野夏生の小説のように感情移入を拒むような作品であるわけでもない。というかこれを読んでものすごく感動する人は感情移入しまくりなんだろうし。
なんというか、せっぱ詰まった人間のせっぱ詰まった心情をそのまんまナマで出されたようで、読んでいて痛々しかった。この痛々しさがある種の読者をものすごく刺激するのだろうことはよくわかる気がする。とにかく痛々しいのよ…。いろいろな意味で。
最後まで違和感というか、よくわからなかったのは、なぜ葉は「私」のことがそれほど好きだったのかということ。二人が唐突に恋愛関係に陥るので、置いてきぼりをくった感じでちょっと面食らった。葉は確かに魅力的な人物だと思うけれどね…。
たぶん、受ける人にはめちゃめちゃ受ける本だろうなーと思う。
でも、わたしにはあんまり必要ない本だったかな…。
赤い長靴(2006.2.18)
江國香織 文藝春秋
結婚して10年になる夫婦の微妙な心情を描いた連作短編集。
妻の日和子は園芸店のパートをし、週に数日テニススクールに通い、時には学生時代の女友達と集まったりする平凡な主婦。無口だが、なぜか夫の逍三といると饒舌になる。夫の実家とは反目しているわけではないが、微妙な食い違いを感じている。
夫の逍三は勤め先で部長をしている。自分と世間とのあいだに常に目に見えない膜がある感触を感じ、表面的なやりとりで真面目な返答をする習慣を持たない。妻といるときだけ、自分がリラックスしていることを感じるが、彼女の性質についてはよくわからない。
なんだか読んでいて不安になってくるというか、この夫婦の「愛」がないのに「情」があるような、そういう関係に妙に心がざわついた。
夫がいないときの方がより夫を愛していると感じる妻。
妻がいやだと言っているのにそれをまったく理解できずに同じ行為を繰り返す夫。
あまりに夫の行為の無理解が大きいと、怒ったり泣いたりするかわりにくすくすとわらいだしてしまう妻。
妻がいないと自由を感じ、しかし彼女のはめた足枷のように思うバナナを捨てることもできずに食べるとやはりおいしいと感じる夫。
こんな関係は不健全だと思う。
けれど二人の関係は、破綻しそうでいてあやういバランスの上に持続する。
それにしても、ここまで微妙で、何の事件らしい事件も起こらない話って、普通小説に仕立て上げるのはかなり難しいんじゃなかろうか。けれど江國香織は最後まで読ませきる。エピソードとも言えないほどの、本当に小さな小さなエピソードが、小さな雪の欠片のようにいつしか降り積もってゆく。
やっぱり愛しているのか。こういうのも愛なのか。
わたしには、この二人はちょっと苦しすぎた。
(収録作:「東北新幹線」、「買い食い」、「マミーカー」、「旅」、「シール」、「膜」、「煙草」、「テニスコート」、
「結婚式」、「箱」、「夜」、「ゴルフと遊園地」、「足枷」、「熊とモーツァルト」)
魔法(2006.2.20)
クリストファー・プリースト/古沢嘉通 ハヤカワ文庫FT
報道カメラマンのリチャード・グレイは爆弾テロに巻き込まれ、重傷を負い、テロ直前の数週間の記憶を失った。ある日施設でリハビリに励む彼の元に、彼の元恋人だというスーザンがやってくる。やがて彼はスーザンと出逢い、別れるまでの記憶を取り戻し、ふたりはロンドンの自宅へと戻ったが、そこで彼女から聞かされたのは彼の記憶とは食い違う、驚くべき物語だった。はたして真実はどこにあるのか…?
読み終わってしばし呆然。えーー、こういう展開になっちゃうのか!!
ファンタジーというか幻想的な部分は『奇術師』に通じるけれども、誰にでもわかりやすいエンタメだった『奇術師』に対して、こちらは思いっきり読者を選びそう。なかなかネタバレしないで話をするのは難しい。
基本的には三角関係の話、と言えるんだろうけれど、この三角関係がそんじょそこらの関係じゃない。スーザンが間に挟まって苦しむのは、グレイと、作家志望の青年ナイオール。ナイーブで自意識過剰でやっかいものだと思っていたナイオールが突如豹変するラスト近くは鳥肌もの。といってもホラーっぽいわけじゃないので念のため。
とにかく、読んでみないことには話にならない。
それにしても、どうやらこの作品、絶賛された『奇術師』とは対照的に黙殺された…というはなし。妙に納得してしまったわ。きっとこの作品はとびっきり”グラマラス”なのに違いない。
アクアポリスQ(2006.2.23)
津原泰水 朝日新聞社
空虚後10年。12歳になったばかりのタイチはQ市の沖合、かつて大地震で海に沈んだ地区にあらたにつくられた海に浮かぶ都市、アクアポリスに暮らしていた。ある日クラスメイトのカンナから学校で全長7メートルはある牛が暴れた、と聞かされたタイチは、暴風雨の中その真偽を確かめに行き、そこで「エンプティ」であるサイトと出会った。しかし彼は一羽の鴎の死体を残して姿を消す。後にタイチが見たものは海の向こうに見え隠れする巨大な2本の角だけだった…。
それから5年。中高一貫のエリート校であるSSS(トリプルズ)に入学し、入寮してQ市の陸側に移り住んだタイチの前に、謎の女が現れる。「5年前、君はヌレオンナを見たはずなんだ」…。ヌレオンナに牛鬼、突然の銃撃に今はすでに収束したはずのモンスタレーション…タイチの周囲は急激に動き始める。「あなたはアクアポリスを救う人です。」 果たして破壊されそうなアクアポリスをタイチは救うことができるのか…?
今まで読む作品読む作品アタリまくりだった津原泰水。とうとうイマイチ合わない作品に当たってしまったみたい。
うーん、津原氏の本領が発揮しきれていないような…。
相変わらずの美しい文章が、このラノベちっくなSF設定の上で浮きまくっている気がした。
なんというか、SF小説によくみられる、「設定に命かけてます!」というような延々と続く状況説明、独自語説明がすぽんと抜けているので、くどさはないけれど親切さもない(笑)。最後まで意味のよくわからない単語が続出。雰囲気で読む小説…?
キャラもちょっと書き込みが足りなくてもの足りない。
だいたい主人公の少年がまるで優等生っぽくもなければ何か抱えるものがあるようにも見えない。本人が言うとおりの「普通の少年」なので、彼がアクアポリスを救えるというその彼の資質がさっぱり見えなかった。未だに何で彼がアクアポリスを救えたのかわからない(笑)。
サイトとも友情が芽生えたようには全然見えなかったなー。だいたいサイトが何を考えているのか、この作品では最初から最後までまったくうかがい知ることができなかった。この作品世界の中で、「エンプティ」であることの重みって並大抵のことではない気がするのに、その辺りの事情がまったくわからない。
Jもサイトもジギーもニレも、もっと厚みがほしかった。すごく素敵なキャラになりそうだったのに、なんてもったいない…。
全体的に短すぎた、あるいは長すぎた。
ただ、可能性を感じさせる終わり方は好き。未来に不安ばかりが募る世の中で、年を重ね、成長していくのは素敵なことだと信じさせてくれるような素敵な終わり方だと思ったわー。
さまよう刃(2006.2.25)
東野圭吾 朝日新聞社
妻を亡くし、高校生になったばかりの娘と二人暮らしだった長峰。ある花火大会の夜、娘の絵摩は帰宅せず、数日後に変わり果てた姿で発見された。呆然とする長峰の元に匿名の電話が入る。「絵摩さんはスガノカイジとトモザキアツヤの二人に殺されました。これは悪戯電話ではありません。」
長峰は匿名電話の情報を頼りに伴崎の部屋で絵摩が陵辱されているところを収めたビデオテープを発見、ちょうど帰宅した伴崎を逆上したまま殺害し、さらにもう一人の犯人である菅野に復讐することを決意、伴崎が死の間際にもらした言葉をもとに、菅野が潜伏していると思われる長野へと向かう。かつての趣味だった猟銃を手にして…。
二人の子どもの親であるわたしとしては、読み終わって憂鬱な気分にならざるを得なかった。
娘を思うあまり少年たちに復讐を決意する長峰、子どもを事故でなくした刑事の久塚とペンションの経営者の娘和佳子、息子の悪行を薄々わかっていながらもかばおうとする少年の母親たち、殺人犯となにか関係がありそうな娘の行動に不審を抱くペンション経営者の隆明。どの親にも感情移入してしまう。この物語にすっきりと清々しいエンディングなどありえないのは最初から自明のことなのだ。
だからこそ作者は読者にあまりにも難しい問いを突きつける。
けれど、こんなにも考えさせられ、ブルーにさせられる本なのに、作品自体はは完璧なエンタメなのが東野圭吾のすごいところだ。 読み始めたときはものすごく気が重かったのに、気づいたらページを 繰る手がやめられない止まらない。 重いテーマを扱っていると同時に、手に汗握るスリルとサスペンスなのだ。
なんというか、簡潔だ。 余計にだらだら長くない。執拗な書き込みがないのがいい感じだった。だからこそあんなにスピード感が出てくるんだろうなあ。
読んでいる間はもうドキドキ。そして、読んだ後はどよーん(苦笑)。
ああ、親ってホントに気苦労ばっかりだ。
夫婦茶碗(2006.2.27)
町田康 新潮文庫
二人して壁に向かってソファに座ったまま黙っている夫婦。夫には金もない、仕事もない、したがって二人には食べるものもない。妻は蒲公英の葉をアク抜きして天麩羅にしたり夫の言いつけにしたがってなるべく冷蔵庫の鶏卵を前の方から使ってみたりうるおいのある家庭を作ろうとしたあげく「永井荷風。」と言い捨てて出ていった。残る道はただひとつ。メルヘン作家として身を立てるのだ…!(夫婦茶碗)
演劇をやったりバンド活動をしたあとドラッグのせいで東京を追われ、祖母の旅館に転がり込んで集まってくる猫たちの生態観察に楽しみを見いだしたもののまた東京に舞い戻り、今度は女でトラブルを起こして大阪へ流れていく清三郎。しかし彼にも娘たちへの愛だけはあった…。(人間の屑)
『くっすん大黒』 (感想はこちら)と同系統のダメ男の堕落小説。相変わらず主人公はどこへ流されていくのやら。あまりの堕ちっぷりに笑えると同時に切なくなったりして。そして、今回はそこにうっかり「愛」を見てしまったりして。夫の愛、父親の愛。ダメ男にだってちゃんと愛はあるのだ。
そして考えてみれば、彼らって立派な”ニート”なのよね。けれど、昨今のいわゆるニートを扱っている小説と比べて、町田作品に出てくる男たちに嫌悪感を抱かないのはどうしてなんだろう。愛嬌があるからか。ボケツッコミを自分でかましているようなユーモアがあるからか。ダメっぷりが徹底してどこか突き抜けているからか。
いや、やっぱり、愛かなあ。
(収録作:「夫婦茶碗」、「人間の屑」)
疾走(上・下)(2006.3.1)
重松清 角川文庫
リゾート開発の波に大きく遅れながらさらされ、頓挫した開発に無惨な姿をさらすことになってしまった干拓地。その干拓地のすぐそばにすむ少年・シュウジ。
それなりに幸せだった少年の生活は足下からどんどん崩れていく。進学校に入ってから壊れていく兄。兄の機嫌を伺って息を詰めるように生活する我が家。そして壮絶ないじめ。惹かれていた少女の転校。家族を捨てた父、そして母。彼が息をつけるのは、干拓地に取り残されたように建つ、小さな教会だけだった。
ヤクザの愛人のアカネに会うために大阪に向かったシュウジを、さらに襲う壮絶な体験。日陰の逃走生活…。
ひとりの少年につらい出来事がこれでもかこれでもかと襲いかかってくる話。全編二人称で語られているのだけれど、それも突き放したような効果を与えている気がする。彼はその火の粉を振り払うことすらできない。ずっとひとり。ひとり。ひとり。両親も彼を守ってはくれない。友達も誰も残らない。どんどん追いつめられる少年。どんどん暗い目になっていく少年。それでも誰かとつながりたい。つながりたい。
なんというか、これも痛々しい話だ。
でもやっぱり痛々しいのは少年であって作者じゃないのが大事なところだ(笑)。
イメージとしては、重松版『白夜行』。
まったくアプローチの仕方は違うし、主人公たち(?)の性格も違うけれど。弱い少年少女がいかに社会に踏みにじられてしまうか、という点で。
それにしてもやっぱりこの兄弟の両親はひどいよなあ。エリの両親もたいがいだ…。 それがホントに一番やりきれない。
やっぱり家庭が一番大事なのか。
親に恵まれなかった子どもは絶対幸せになれないのか。
いっそ、愛せないなら捨ててくれればいいのに。なぜなら、それでもシュウジは最後まで、母親を愛し、母親の愛を求めていたのだ。
そんなことを思った人の親のわたし。
読んでよかった。
消えた少年たち(2006.3.6)
オースン・スコット・カード/小尾芙佐・訳 早川書房
父親の得た新しい職のためにノースカロライナのストゥベンへ引っ越してきたフレッチャー家。しかし父親ステップは職場で卑劣な上司に性癖のよくない同僚に悩まされ、母親ディアンヌは教会の一筋縄ではいかない人間関係に悩まされ、そして三人兄弟の長子スティーヴィは転入先の小学校で担任の教師が率先するいじめを受けることになる。
次々と起こる問題をひとつひとつ、話し合いながら解決していこうと試みるステップとディアンヌだが、やがてスティーヴィは空想の友人たちとばかり過ごすようになる。様子のおかしくなる息子を心配しながらも見守る二人だが、やがて物語は予想もつかない展開を…!
えー、嘘!!
とラストにはかなりショックを受けた。
それまでは丹念に丹念に家族の様子が描かれる。わたしとはまるで懸け離れた、敬虔なモルモン教徒の家族の物語。コンピュータ業界でのソフトの利権に絡まる丁々発止の水面下の戦いの物語。ひとつの物語の中にたくさんのエピソードが描かれているのだけれど、それでもこんな切ない展開になるだなんて…。
丁寧な筆運びのためになかなか話が動かないような印象を受けるのだけれど、それだけ細かいエピソードが書き込まれているからこそ、この素敵な家族の姿が浮き彫りにされ、ラストの切なさも際だつ。本当に、最後は泣きそうになったわ。スティーヴィ、君はなんていい子なんだー!
けれど、ストゥベンの住人たちが、一部を除いてあまりにも気味の悪い人ばかりなのはちょっとウンザリ。ある意味異常者ばっかり。いくらなんでもここまでイヤな人、ヘンな人ばっかり集まるものかしら。
そして、丁寧な物語の必然性はよくわかるけれど、それにしてもやっぱり、ちょっと冗長すぎるんじゃないかな…という感は拭えなかったのが残念。
もう少しすっきりまとまっていたら、もっと心から感動できた気がするなー。
個人的には好きな物語なだけに、余計にそのあたりが残念。
少年時代(上・下)(2006.3.13)
ロバート・R・マキャモン/二宮磬・訳 文藝春秋
時は1960年代。アメリカ南部の小さな田舎町ゼファーに両親と愛犬レベルとともに暮らす少年コーリーは、父親の朝の牛乳配達につき合っている途中、凄い勢いで湖に突っ込んでいく車を目撃した。父はすぐに湖に飛び込み、車中の人間を救おうとするが、人相がわからなくなるほど殴られ、ピアノ線で首を絞められ、手錠でハンドルに繋がれている死体を見てしまう。その日以来父の精神は少しずつ壊れていく。
一方ゼファーの町でコーリーは少しずつ成長していく。町を流れる川の中に棲んでいる化け物、夏休みの一日だけ楽しめる空中散歩、年に一度訪れるカーニバルでやってきた失われた世界の生物、ほのかな初恋、黄金の瞳をもつ自転車、裸で町を歩く有力者の息子、いつもコーリーたちを苦しめるいじめっ子兄弟、どこともわからないアジトに住むギャングたち、野球の才能があるものの両親に理解されず、町から町を渡り歩く転入生、OK牧場の決闘を間近に見たという老人、町の知り合いもメンバーに入っていると噂されるKKK、流れてくるアメリカナチの噂、愛犬レベルの事故、不思議な力を持つとして人々から畏怖され、あるいは忌避されている106歳の黒人ザ・レディー…。
ゼファーはけして平和なだけの町ではない。人種差別は横行し、ギャングたちが賭博や娼館を牛耳り、殺人事件は解決されず、近隣にできたスーパーマーケットのせいで職を失う人たちがいる。しかしそこには確かに、「古き良きアメリカ」がある。
登場人物がひどく大勢いるのだけれど、彼ら一人一人に個性があり、町の一部になっている。彼らがいるからゼファーがあるのだとよくわかる。
一番の要は最初に起こる殺人事件の真相なのだけれど、それ以外の膨大なエピソードがそれぞれ小さなミステリや、成長物語になっている。手に汗握るスリリングな場面もどっさり。
マジックレアリズムっぽさが全編の基調になっていて、わたしはそういうのはわりと好きなのだけれど、もしかするとその辺りにひっかかる人がいるかも。
非常にいろんな要素が詰め込まれていて、気を抜くとちょっとわけがわからなくなるんだけれど(笑)、あちこちにさりげなく伏線がちりばめられており、小さな謎が大きな謎へと繋がっており、かなり読み応えのある作品だった。
北緯四十三度の神話(2006.3.14)
浅倉卓弥 文藝春秋
両親を事故で亡くし、祖父母の家に住む姉妹。姉の菜穂子は地元の大学を出てそのまま大学に残り、現在は生物工学の助手。妹の和貴子は東京の大学を出て地元のラジオ局のアナウンサー。それぞれ自分の道を確立しているかに見える二人にはお互いに対する人には言えない葛藤があった。中学・高校時代の菜穂子の淡い初恋の相手・宏樹が和貴子の婚約者となり、その後彼が事故死したことによって生まれたわだかまり。両親の事故死以来の目に見えなかった確執に端を発した姉妹間の亀裂は、いつの間にか分厚い壁となって二人の間にそびえるようになっていた。お互いに、このままではいけないと思ってはいた二人だったが…。
あー姉妹ってこういうのあるよね。
一番近いから一番憎み合いやすいのよね(笑)。 物心ついたときからライバルだから。
同性だし。 相手ばっかりいい思いをしてる気がしたり。
そのへん著者は男なのによく知ってるなあと感心。
ただわたしはラジオパートはすんごい嘘っぽい気がしてダメだった。感想あちこち見てみるとそこが上手いといっている人が多いのだけれど。
あんなラジオありますか??
ストーリーの都合上確かに重要なパートなんだけれど、実際にあんな番組流したらわたしだったらリスナーとして耐えられない。あんな自分語りばっかりばっかり聞きたくないわー。あれだけ聴いたら異常なシスコン?とか思って気持ち悪くなっちゃうと思う。しかも精神状態がモロ番組に影響。あんなパーソナリティ、プロとして失格ですよ。10代のアイドルとかがやってるならわかるけど…。
や、でもラジオパート以外はけっこう好きでした。
姉妹の確執が非常にうまく描かれていると思う。風船のエピソードなんて秀逸。
うん、少なくとも『四日間の奇蹟』よりずっと好き。『雪の夜話』よりもよかったかな…? ということは、一作ごとに好き度がちょこっとずつ増しているのかも。
わたしのあんまり好きじゃない、「ピュア」な作品なんだけれど(笑)。
でもってあの雪子ちゃんはやっぱりあの、『雪の夜話』の雪子ちゃんなのかしら…?
沈黙/アビシニアン(2006.3.20)
古川日出男 角川文庫
美大に通う薫子の弟は小学生の頃に失踪し、保護されて家に戻ったときには弟ではなくなっていた。「世界はすりかえられてしまったんだよ」と彼は言う。
薫子は祖母の遺品の中に入っていた手紙から大伯母・靜と知り合い、やがて猫とともに一人暮らしの彼女の屋敷に下宿するようになる。屋敷の地下室にはレーベルをはぎ取られた膨大な数のレコードが眠り、そこで彼女は靜の甥で故人の修一郎が残した11冊のノートを発見する。「音楽の死」と題されたノートには修一郎がかつてとらわれた音楽”ルコ”に関する膨大な記録が断片的に綴られていた。やがて彼女は音楽だけが悪と対峙しうることを理解していく。彼女は「獰猛な舌」を手に入れる…。(沈黙)
「わたし」は中学を卒業したその足で、かつての飼い猫が解放された中野の公園に向かった。名前を捨て、過去を捨て、人間であることをやめて猫とともに公園で暮らす「わたし」は、やがて公園を去ることになる。そのとき「わたし」は文字を失った。
「ぼく」は世界と自分とを結びつけるために「言葉」を書きとめることにしがみつく。しかし”エンマ”との出逢いで「ぼく」の「物語る」行為は本質を変容させていく…。(アビシニアン)
私生活がいろいろあったこともあるけれど、読むのにものすごく時間がかかった。とにかく中身がびっしりとつまっていて1行たりとも読み飛ばすことを許さないような作品。『ベルカ、吠えないのか?』を読んだときも感じたんだけれど、この作品もスケールが大きすぎてわたしの手に余った。
なんというか、本を体の中に取り入れることが出来ない感じ。逆に本に呑み込まれてしまう。
だから、わたしの体積からはみ出た部分がどうしても出てきちゃって、そのあたりはわたしの手に届かないからわたしは完全に理解することが出来ない。
でも、呑み込まれるのは気持ちいい。
全身が音楽に、ことばに、包まれる感じ。
ものすごく密度の濃い、キメの細かい、液体にどっぷりと浸かってしまう。
頭までもぐってしまう。
こんなでっかい物語にはなかなかお目にかかれない。なんて希少な作家なんだ、古川日出男!
(収録作:「沈黙」、「アビシニアン」)
エンド・ゲーム 常野物語(2006.3.20)
恩田陸 集英社
拝島一家はつねに「あれ」との戦いを強いられてきた。「裏返す」か、「裏返される」か。いつ何時現れるかわからない「あれ」との戦いはつねに日常生活に緊張を強いられる。最強と言われた夫は「裏返され」て家族の元から去った。母娘は怯えながら暮らしていたが、ある日娘・時子のもとに母・暎子が倒れたとの連絡が入る。母もついに「裏返され」たのか…? 時子は縋る思いで、両親の残した万一の時の連絡先に電話をかける。現れたのは黒曜石のような瞳を持つ「洗濯屋」・火浦だった。果たして彼は敵なのか、味方なのか。そして時子は両親を取り戻すことができるのか…? 壮絶なオセロ・ゲームはいよいよ終盤を迎える…。
思いっきり期待しないで読んだのがよかったのか(笑)、意外に面白かった(笑)。
これはあれですな、トラウマ物語。
トラウマを引き金にして不毛なオセロゲームを続けなければならなくなった家族の物語。
読むポイントは、常野一族の話じゃないと思いこんで読むこと(笑)。
以下ネタバレにつながるかもしれない部分は、反転。
[だってこれが常野一族だったら、「裏返す」相手も同じ能力をもっているんだからもうひとつ、常野に対立する反常野一族が存在しなくてはいけなくなっちゃう。でもって、反常野一族はけして人間じゃない存在ではなく、ほとんど常野と同じ一族、ということになって、そうすると反常野一族にもやっぱりしまう人間とか遠目の人間とかもいないとおかしなことになっちゃう。光の帝国に対する闇の帝国が…。]
そうなると収拾がつかなくなるしつじつまも合わなくなる。だから常野じゃない!と思いながら読む。そうするとあら不思議、愉しめる(笑)。スリリングだし、先が読めないし、恩田陸らしいぞわっとくるホラーっぽさもある。
読むときに焦点をあてる部分を、「なぜ時子にはピンにみえるのか?」とか、「結局どうしてお父さんはいなくなったのか?」とか、「果たして誰が敵で誰が見方なのか?」とかそいういうところにするとベター(笑)。
けどツッコミどころはいろいろありますな…。
結局コトノ薬局の人たちは何者?とか、
頑なに老婦人が名前を明かすことを拒む理由はナゼ?とか、
なんで古い洗濯屋は包みたがるのか?とか、
あの輪回しの少年は何者だったのか?とか。
こういう謎をちゃんと拾わないでほっぽり出すところは相変わらず。いきおいで描いてるんだろうなあ、と思わずにはいられない(笑)。
下山事件 最後の証言(2006.3.23)
柴田哲孝 祥伝社
著者の祖父の二十三回忌の席で、彼の大伯母はぽつりと言った。
「あんた、下山事件て聞いたことあるだろう。」
「あの事件をやったのはね、もしかしたら、兄さんかもしれない……」
ジャーナリストである著者はその後、急速に下山事件の謎に没頭していく。祖父は、何者だったのか。それを知るために文献を集めて読み漁り、現場に何度となく足を運び、やがて核心を知ると思われる男の元へ赴いてインタビューを試みる。見えてきたのは今まで誰一人辿り着けなかった真相だった…!
下山事件関係者が初めて戦後最大の謎の真相に迫る渾身のノンフィクション。
かなりおもしろかった。
なんというか、さすが関係者の孫。ずるい気もするけど(笑)。後出しじゃんけんぽいとこもなきにしもあらず。
けれど、最初は関係者の孫というだけが強みなんだと思っていたら、轢死現場に残っていた血の道についての洞察や、事件を思い切りマクロな視点から見る考察など、おおっと刮目する部分がたくさん。
結局下山総裁がナゼ殺されたか、という核心部分においても、きっと松本説の肉付けに終わるんだろうと思ったらまるっきり松本説をひっくり返し、かつ説得力のあるものが。
今までのところ真相に一番近いところにきているのがこの本かもしれない。
けれど、肝心の所はなんでぼかしてるのか。書けない理由があるのか。
結局あなたも真実は墓場に持っていってしまうのか…。
それがすごく不満。
それからびっくり仰天なのは、森達也証言ねつ造疑惑が浮上したこと。読み始めからどうも、最初の頃は一緒に取材していたはずの森達也に対しての著者の不信感を感じるというか、そいういうところはあった。森達也と一緒に取材し、かつ後から森達也を出し抜いて名を上げようとした(?)諸永裕司に対しては好意的なのに、なぜ森著『下山事件 』は無視するのかなーと(ちなみに森著『下山事件』も諸永氏『葬られた夏―追跡・下山事件 』も取材のもとになったのは「彼」として描かれているこの本の著者・柴田氏の親族の証言)。
そうしたら、森著作には証言ねつ造部分があると爆弾発言。
うーん、こういうのは結局当事者じゃないとわからないけれど。でもどうもこの”平成三部作”には下山事件そのものに対する部分よりも取材活動中のお互いのトラブルやドロドロ、みたいなものが多い気がする(諸永著作は未読だけど)。森達也なんて思いっきり下山事件より「ボクは諸永に裏切られました」という部分がメイン?みたいになっているし。
もしも証言ねつ造疑惑が本当のことだとしたら、これまでの森氏にたいするイメージも少し変わってしまうなあ。センチメンタルに過ぎる部分こそあるけれど、正直な人だと思っていたのに。それってポーズだってことなのか?
まあでも、結局「言った、言わない」の水掛け論で、どちらの言い分も鵜呑みにはできないけれど。
ただ、森氏の作品に証言ねつ造があったとしてもそうでなくても、また、どちらの作品がより真相に迫っていたとしても、正直に言えばわたしの胸に響いたのは森達也の『下山事件』だった。ノンフィクションとしてのできはこちらの方が上だし、証言ねつ造は本当にあったとしたら許されないことだと思うのだけれど。「関係者の孫が書いた」というのはセンセーショナルだ。けれどそれだけに、その本はごく個人的なものになってしまう可能性を含んでいる。
森達也の『下山事件』を読んだとき、わたしは確かに下山事件を自分の身に引き寄せて考えることができたのだ。けれどこの本を読んだとき、その真相(?)に驚愕はしたけれど、その事件はわたしにとって「関係者の孫にとっての下山事件」でしかなかった。
渾身の作品なだけに、それがとても残念だった。
アンボス・ムンドス(2006.3.26)
桐野夏生 文藝春秋
あいかわらず人間のイヤな面ばかりを描いた桐野夏生の短編集。醜くて僻みや憎悪の感情ばかりつよい女、プライドを捨てきれないホームレス、長年の不倫で精神が壊れていく女、ローンの返済と財産を殖やすことだけを人生の目的にした女、自分の根を張る場所を見つけられない浮島のような女、私生児であることをすべての言い訳にして都合のいい妄想にふけるばかりの女、そして女たちの悪意にさらされる女…。
ただ、今回はちょっと薄い印象だった。やっぱり短編なので、あるカットを印象的に切り抜く、というような作品が多いため、いつものこれでもかと叩きのめされるような、こちらが毒にあてられて辟易するような、そういうパワーには欠ける気がする。
それから「浮島の森」はちょっと異質な感じだった。おそらく実際にあったあの有名な事件(?)がモデルなんだろうけれど、これは異色でもおもしろかったなー。いいところでプツッと切れてしまって、もっともっと先が読みたかった。
表題作の「アンボス・ムンドス」は、なんというか、『ツ、イ、ラ、ク 』の暗黒版みたいだったわ(笑)。
(収録作:「植林」、「ルビー」、「怪物たちの夜会」、「愛ランド」、「浮島の森」、「毒童」、「アンボス・ムンドス」)