2007 shelf 4


著者名 タイトル 出版社
80 シャン・サ 碁を打つ女 早川書房
79 梨木香歩 沼地のある森を抜けて 新潮社
78 アマドゥ・クルマ アラーの神にもいわれはない 人文書院
77 テリー・ビッスン ふたりジャネット 河出書房新社
76 サミュエル・ベケット ゴドーを待ちながら 白水社
75 銀林みのる 鉄塔 武蔵野線 新潮文庫
74 夏目漱石 こころ 角川文庫
73 東野圭吾 夜明けの街で 角川書店
72 古川日出男 ハル、ハル、ハル 角川書店
71 東野圭吾 赤い指 講談社
70 北村薫 玻璃の天 文藝春秋
69 最相葉月 星新一 一〇〇一話をつくった人 新潮社
68 森見登美彦 夜は短し歩けよ乙女 角川書店
67 若島正・編 エソルド座の怪人 早川書房
66 宇月原晴明 廃帝綺譚 中央公論新社
65 小松左京 果しなき流れの果に 徳間文庫
64 カズオ・イシグロ わたしを離さないで 早川書房
63 サラ・ウォーターズ 夜愁(上・下) 創元推理文庫
62 マーク・ハッドン 夜中に犬に起こった奇妙な事件 早川書房
61 クリストファー・プリースト 双生児 早川書房



























    双生児(2007.6.28)
クリストファー・プリースト/古沢嘉通・訳   早川書房


 歴史ノンフィクション作家のスチュワート・グラットンは、とある町でサイン会を開催中にひとりの女性から彼女の父親の書いた手記のコピーを手渡される。グラットンは構想している次回作の取材の一環で、チャーチル首相の回顧録のなかで触れられていた「英空軍爆撃操縦縦士でありながら、同時に良心的兵役拒否者である」ソウヤーという名の元空軍兵士についての情報を求める広告を出しており、彼女は父こそがグラットンの探しているソウヤーではないかと考えたのだ。
 彼女の父親が本当に自分の探している人物なのか、疑念を抱きながらもグラットンは手記を読み始める。果たしてそこに書かれていたのは――。

 さすがさすが、さすがのプリースト。
 読み始めて彼の紡ぎ出す言葉の迷宮に迷い込むこの快感は、他のどんな作家から得られる快感とも違って独特だ。どこまでが現実でどこまでが幻想なのか。何が本当で何が本当じゃないのか。そもそも、事実はほんとうに1つしか存在しないようなものなのか。

  第1章のラスト、そして第2章のラスト、とにかくもう、茫然自失。さらに、2度目の救急車の中のシーンでは文頭でぞわっと鳥肌が。読んでいる自分の感覚すらがなんだか信じられなくなってくる。ちゃんと年譜までメモしながら読んだのに(笑)!

 ああ、これこそが小説の快感、フィクションの快感。ストーリーについては触れない、呆然ポイントを明かしただけでネタを割ってしまったかもと危惧するくらいなのだから。ポイントは注意深く読むこと。ゆめゆめ読み流していいような作品じゃない。心して読むべきだ。それだけの、それ以上の価値のある作品なのだから。

 読了してから同じ絵の色調を変化させた表表紙と裏表紙を見比べて、なんだか感慨にふけってしまったわ…。


    夜中に犬に起こった奇妙な事件(2007.6.30)
マーク・ハッドン/小尾芙佐・訳   早川書房


 15歳のクリストファーは母親を亡くして父親と二人暮らし。ある日夜中に家を抜け出して、近所の犬のウェリントンが殺されているのを発見する。いったい誰がウェリントンを殺したんだろう? クリストファーは犯人を見つけようと決心する。しかし父親はそんなことはしてはいけないという。どうしても犯人を突きとめたいクリストファーは、父親に内緒で犯人探しを始めるが、やがてわかってくるのはまるきり違うことの真相だった…。

 クリストファーは自閉症(アスペルガー症候群)で、人の表情から感情を読みとったり、曖昧な言葉の意味を汲み取ることができない。自閉症だということは、クリストファー自身が書いた、という設定の本書のどこにも書いていないことなんだけれど、読んでいればちょっとクリストファーが普通とは違う、ということは読者にはわかるし、解説などでそのことがわかる。

 クリストファーの世界は、曖昧さがまったくない明快な世界だ。しかしそれは現実の世界とは相容れないことが多いので、必然的に彼の人生は困難だ。周囲の人は彼の障碍を理解する必要があるのだけれど、なかなか全員が彼を理解するというのは難しい。

 読んでいてわたしはどうしても親目線になってしまうので、父親に寄り添った読み方になってしまって辛かった。理解できないのは仕方のないことなのだ。でも、切なすぎる、辛すぎる。どうしてもわかってくれないクリストファーにわたしはやっぱり「なんでわかってくれないの!」って叫び出したくなってしまう。そんな叫びは無意味だし、彼を怯えさせるだけだとわかってはいるけれど。

 彼は一生懸命生きているし、父親も一生懸命生きている。
 その二人が理解し合えない。
 父親は息子を理解しようとすることができるけれど、クリストファーには理解しようと勤めること自体が困難だ。

 それでも二人の間に愛情がある限り、幸せな瞬間はやってくるだろう。
 ずっと続く幸せじゃなくても、それでもやってくるだろう。
 父親はそんな瞬間が時たま訪れる、それだけでやっぱり幸せなんだろう。
 だってクリストファーを愛しているんだから。

 でも、やっぱり切ない。
 つらい。


    夜愁(上・下)(2007.7.7)
サラ・ウォーターズ/中村有希・訳   創元推理文庫


 1947年、ロンドン。まだ戦争の爪痕が残る街で怪しげな治療を施す医師のアパートの2階に間借りするケイは、働くこともせずに無為の日々を過ごしている。ダンカン青年は「叔父」と同居し、毎週彼に付き添って「怪しげな治療」を施す医師の元に通っている。ダンカンの姉・ヴィヴは同僚のヘレンと共に結婚相談所に勤めている。そしてヘレンは、恋人の小説家・ジュリアと同棲生活を送りながらも抑えられない嫉妬に苦しんでいる。

 サラ・ウォーターズといえば茫然自失の結末、息を呑むどんでん返し、そういう衝撃的な物語を書くイメージだったのだけれど、今回の作品はまるきり雰囲気を変えた、抑えた筆で描かれた「静」の物語。物語は1947年から始まって、1944年、1941年と時を遡っていく。劇的な事件は起こらないけれど、それぞれの人物が抱えている秘密が、時を巻き戻すことによって少しずつ明らかになっていく。なぜケイは絶望を抱えているのか。なぜダンカンは捕らえられたのか。なぜヴィヴは必死に誰かを捜しているのか。なぜヘレンは幸せじゃないのか。

 秘密はやがて明らかになるけれど、重要なのはそんなことじゃない。秘密はこの物語にとってはスパイスに過ぎない。

 彼女たちに寄り添うように、物語を追っていく。少しずつ、丁寧に、ロンドンの夜を一緒にさまよい歩く。そしてラストまで辿り着く。
 辿り着いたとき、きっと読者は物語を冒頭から読み返さずにはいられないはずだ。
 そして、読み返して初めて、「ああ!!」と思うのだ。

 なんという展開、なんという伏線の張り方。再読して初めて、わたしたちはそこに驚きの感嘆を感じ得る。著者の細やかさに呆然とする。

 読了したからといってぼんやりと本を閉じてはいけない。
 やっぱりサラ・ウォーターズ、一筋縄ではいかないのだ。


    わたしを離さないで(2007.7.9)
カズオ・イシグロ/土屋政雄・訳   早川書房


 長年「介護人」を勤めていたキャシーは、その職を辞するにあたって自分の来し方を振り返る。施設で育った子ども時代。そこで知り合ったトミーとルースとの、愛憎入り交じった複雑な友情。心に残る幾人かの保護管たち。そして、隠されていた施設の目的。こっそりと囁かれる特別なチャンスの存在…。

 や、個人的にはあまりにも淡々と進み、淡々と終わる物語にどこにも入り込む隙が見つけられず、戸惑ったまま本を読み終えることになってしまった。
 かなりシリアスなテーマで過酷な運命を背負わされているはずの登場人物達が、あまりにも大した葛藤もなくその運命を当たり前のように受け容れてしまっているので、なんというのか、作品自体が完全に「閉じて」しまっていて読者の入り込む余地がないというか。

 わたしだったらどうしよう…とそこで悩むこともできない。
 冷淡に言ってしまえば「そうですか、まあ好きにやってください」とでもいうような(苦笑)。

 彼女たちはどうして疑問をもたないんだろう。どうしてもっともっと悩まないんだろう。隔絶された環境で育ったとは言うけれど、コテージに移った後はテレビ視聴も自由だったようだし、読書も特に制限されているようには見えない。というか読書量を競い合っていたくらいだ。それなのに世間の状況にあまりにも疎い。自分たちの置かれている境遇をもう少し把握しようという試みはまったくといっていいほど持たれない。

 彼らの運命に対する受け容れ方もそうだけれど(まあキャシーは行動を起こさない訳じゃないけれど、それだって隠された規則の存在を確認しているだけだ)、なぜキャシーがルースから離れられないのか、それもちょっと理解しがたかった。いや、こういう関係ってあるなあとは思うのだけれど、”彼女たち”があえてその関係に固執する理由がわからない。

 作品を読んで連想したのはコミック2作。
 清水玲子『輝夜姫』と聖千秋『サークルゲーム』。
 輝夜姫は同じテーマを扱っているけれどこっちの登場人物達の方がものすごく共感できる。サークルゲームはキャシーとルースのような女の子二人のものすごい確執を描いているんだけどこれまたものすごく切ない。
 普段本を読んでコミックを連想することって殆どないんだけど、これってテーマがコミック的ということなのか、単にわたしの連想力がちょっとヘンなのか(笑)。

 でもって、このキャシーって、かなり意地悪で性格悪いと思う(笑)。ルースばっかり悪い感じで描かれているけどアナタもかなりのタマですぜ!


    果しなき流れの果に(2007.7.19)
小松左京   徳間文庫


 白亜紀の地層から発掘された、永遠に砂の落ち続ける砂時計。N大学理論物理研究所助手の野々村は、大泉教授とその友人である番匠谷教授にその砂時計の謎を調べる研究に参加するよう求められる。砂時計の発掘現場でかいだ不思議な匂いとあり得ない場所から聞こえてくる足あと。しかし謎に迫る前に大泉教授は突然亡くなり、番匠谷教授も何者かに襲われ、さらに現場までのドライバーを勤めた学生までが消息を絶つ。彼らの与り知らぬ場所で、時空を越えた戦いが繰り広げられていることを、野々村らは知る由もなかった…。

 読んで最初に受けたイメージは「昔懐かしい、まさに日本産のSFだなあ」ということ(笑)。
最初に砂時計が発掘されて、その砂の謎がわからなくて野々村と教授達が頭をつき合わせているとき、さらっと出てくるセリフが「この現象を説明できる解釈は、ただ一つですね。この容器の上と下が四次元空間でつながっているということです」。今のSFなら絶対アリエネー(笑)!
 なんというか、時間的にも空間的にも非常にスケールの大きな作品なのにそこはかとないB級の薫りがして、個人的にその辺りがすごく好きだった。

 ただ、砂時計が魅力的なのに使い方がちょっともの足りない印象も。恐竜時代に岩の隙間でなる電話とか! この出だしでわたしはけっこうヤられちゃったんだけどなあ(笑)。

 読んでイメージしたのは山田正紀の『神狩り』。ちょっと方向は違うけれどこちらも壮大な話。発掘調査とかも出てくるし(笑)。主人公達が大いなる者へ果敢に戦いを挑むあたりも。

 個人的には、この作品は考え込まれた緻密で周到かつ老獪な作品ではなくて、若さのエネルギーでとにかく突っ走ってみました、というイメージ。スケールもでかいけれど穴もけっこうデカイ、みたいな(笑)。
 でもそのエネルギーがとても魅力的。
 純粋にエンターテイメントとして、満喫させていただきました〜♪


    廃帝綺譚(2007.7.20)
宇月原晴明   中央公論新社


 『安徳天皇漂海記』と対をなす、美しくも悲しい4人の廃帝の物語。

 マルコ・ポーロが残した奇書はもはやその言葉を読める人もなくやがて失われるが、彼が持ち帰った水蛭子の欠片である蜜の一部は悲しい人の最後の望みを叶える。
 神剣を得られなかった安徳天皇の弟帝・後鳥羽院は淡島の小珠を伝えられ、潰えた希望の後に兄に再会する。

 誰もが運命に翻弄され、抗えど敵わず、けれどそれが物語となったときにいかに美しく悲しく輝くことか。黄金の蜜が彼らをやがて引き受ける。ここまで美しいものを見せられた後に、もはや言葉はない。

(収録作:「北帰茫茫──元朝篇」 、「南海彷徨──明初篇」、「禁城落陽──明末篇」、
      「大海絶歌──隠岐篇」)


    エソルド座の怪人(2007.7.24)
若島正・編   早川書房


 早川書房から装いも新たに刊行された異色作家短篇集の、20巻目を締めくくるアンソロジー。いやあ、本当に異色だった。よくもまあこれだけ聞いたことのない作家を集めたものよ(苦笑)。かろうじて知っているのは(読んでいるとは言わない/笑)、レイモン・クノー、エリック・マコーマック、G・ガブレラ=インファンテくらい…。

 お国柄なのか、それとも作者が個人的に異色なのか、そのあたりは判断がつかないのだけれど、のっけから容疑者不明な「容疑者不明」で呆然。独特の雰囲気のある「奇妙な考古学」も素敵。そしてトリニティ・カレッジに逃げた猫のその後(逃げ込まれたカレッジのその後?)を思い、オレンジ・ブランデーに酔っぱらって、トロイの馬にひじ鉄を食らう。死んだバイオリン弾きの言葉に圧倒されて、ジョヴァンニとその妻の歌声に自失し、セクシードールで妄想にクラクラして金歯でそっと自分の奥歯を下で触ってみる。誕生祝いはその発想に唸り、そしてエソルド座の怪人は頭にアンドリュー・ロイド・ウェーバーが鳴り響く。

 なんて贅沢な一冊。
 どの作品も、一度読んだら忘れられない強烈な印象を残す。
 個人的にはゴシック調な言葉しか解さないトリニティ・カレッジに逃げた猫や、なんだかわけがわかんないんだれどナゼかキライになれないトロイの馬が好きかなあ(笑)。

(収録作:「容疑者不明(ナギーブ・マフフーズ)」、「奇妙な考古学(ヨゼフ・シュクヴォレツキー)」、
      「トリニティ・カレッジに逃げた猫(ロバートソン・デイヴィス)」、
      「オレンジ・ブランデーをつくる男たち(オラシオ・キローガ)」、「トロイの馬(レイモン・クノー)」、
      「死んだバイオリン弾き(アイザック・バシェヴィス・シンガー)」、
      「ジョヴァンニとその妻(トンマーゾ・ランドルフィ)」、「セクシードール(リー・アン)」、
      「金歯(ジャン・レイ)」、「誕生祝い(エリック・マコーマック)」、
      「エソルド座の怪人(G・カブレラ=インファンテ)」)


    夜は短し歩けよ乙女(2007.7.28)
森見登美彦   角川書店


 ああ、なんて愛らしい小説なんだろう!!!!
 とびきり清々しい甘さが口の中ですっととろけて、後味もさやわかな、そう、まるで恋愛小説の和三盆のような本だ(笑)。

 大学のサークルの後輩に一目惚れした先輩は、彼女がとことこと歩いていく先々に必死で回り込み、あるいは回り込もうとして失敗し、彼女の視野に入るための努力を惜しまない。春の先斗町、夏の古本市、秋の学園祭、そして風邪が街中を席巻する師走。

 「やあ、たまたま通りかかったものだから。」

 涙ぐましい彼の努力はまるきり彼女に通用しない。ある時は追跡の最中にズボンを盗まれ、ある時は彼女のために果敢に真夏のコタツに挑み、さらに命がけの屋上ダイブを果たし、あるいは竜巻に巻き上げられて、情けない先輩は、どうしてどうして男前なのだ(笑)。

 対する彼女はあくまでもマイペース。ころころ転がるリンゴにダルマ、憧れるのは幻の偽電気ブラン、古本市では少年との素敵な語らい、背中に巨大な鯛を背負って図らずも果たすのは恋の仲立ち。凶悪な風邪すら彼女に害を及ぼすことはできず、誰からも恐れられる三階建ての電車の主は彼女の楽しいお酒の前にそっと自分の杯に手で蓋をする。

 こんなに気持ちよく読める本はメッタにあるものじゃない。
 どんな人にもにっこりと差し出すことのできる希有な本。
 読んでないなんてあまりにももったいない。
 ぜひぜひ、絶品のファンタジーをお試しあれ。


    星新一 一〇〇一話をつくった人(2007.8.6)
最相葉月   新潮社


 ショート・ショートの名手・星新一。巨大企業・星製薬の御曹司として生まれ、のちにSF作家となり日本のSF界の大家として数多の作品を世に送り出した人。しかし最後まで賞には恵まれなかった。その名を知らぬ人はほとんどいないにも関わらず、彼の本当の人となり、業績をきちんと知るものは少ない。

 とにかく力作。
 最相葉月は『絶対音感』を読んで以来だったんだけれど、ホントに緻密な取材をする人だなあ。そして、書き手の存在を徹底的に消した客観的な文章は見事。最近森達也とか柴田哲孝とか、やたら情緒的なノンフィクションを読むことが多かったので、非常に新鮮だったし、なんというか、「職人技」を見た気がした。

 最近SFに興味があるので内容も非常に興味深かった。星作品は小学校高学年から中学時代にかけて夢中になって読み漁った経験があるけれど、いつのまにかパッタリと離れてしまったのはわたしも著者と同じ。内容もほとんど覚えていない。さすがにボッコちゃんとか「おーい でてこーい」は衝撃的で忘れられないけれど。
 わたしが考えていた以上に星新一がSF界で果たした役目は大きく、彼なかりせば今の日本SFはなかったんじゃないかと思うほど。星新一から離れて筒井康隆でトラウマを負い、日本沈没に怯え、新井素子にはまり、平井和正にどっぷり浸かったわたしは無自覚のままド真ん中で星新一の影響力に晒されていた、と言えるのかもしれない。

 数々の洗練された、スマートな作品を生み出す陰でアイディアの枯渇に怯え、孤独を抱え、SF界の大御所として神様のように祭り上げられながらも正当な評価を得られず苦しんだ星新一。いつまでも作品を活かし続けたいという願いの元に、偏執的に作品を書き直し続けた星新一。特に後半はその情緒を排した文章にも関わらず、こちらの胸のうちにこみ上げてくるものがある。

 大人をターゲットに書き続けた作品が子どもにばかり評価されて戸惑った星だったけれど、もしかしたら、小説に偏見のない子どもだけが彼の作品の本当のよさを無意識に嗅ぎ分けていたのかも知れない。

 これを読んだらきっと誰でも改めて、星新一のショート・ショートを読んでみたくなってくる。


    玻璃の天(2007.8.9)
北村薫   文藝春秋


 『街の灯』に続いて、昭和初期の商社のお嬢様・英子と彼女の専属運転手・ベッキーさんがさまざまな謎を解いていく連作短篇集の第2作。

 「幻の橋」では英子の学友が家同士いがみ合う仲の相手と恋に落ちてしまい、英子とベッキーさんがそもそもの諍いの原因となった事件の謎を解く。
 「想夫恋」は英子と一緒に校庭の片隅にこっそりと花を植えた少女が失踪してしまう。「足ながおじさん」が縁で親しくなった彼女は箏の名手で、英子の書いた手紙を利用して届いた暗号文が実家に残されていた。
 「玻璃の天」では英子はひょんなことから経済界に大きな影響を与えているといわれる末黒野家の新築パーティに招待される。兄と出かけた資生堂パーラーで英子が彼を見かけたとき、彼は印象的な男と同席していた。その男とも末黒野家で再会した英子だが、パーティの最中に事件は起こった。

 相変わらず、上品で、清楚で、純真な英子と只者ではない鋭さをもつベッキーさん。時代はどんどんと後戻りできない方向へ流されていき、今はあと少しというところでかろうじてその場に留まっているかのような雰囲気。
 与謝野晶子の有名な「君死にたもうことなかれ」についてのくだりがちょっと衝撃的だった。今までいかに自分が一面的にものを見ていたかを突きつけられた気がした。

 今回はベッキーさんの秘密が少し明かされるんだけれど、全体的に観ると彼女の魅力がいまひとつ伝わらないような。お抱え運転手という立場もあって常に影に控えている彼女なんだけれど、もう少し活躍して欲しいと思うのは贅沢かしら。

(収録作:「幻の橋」、「想夫恋」、「玻璃の天」)


    赤い指(2007.8.11)
東野圭吾   講談社


 妻と中学三年になる長男、そして認知症の母と4人暮らしの昭夫。疲れて帰っても同居に始めから反対だった妻からの抗議や愚痴に晒され、長男は部屋に閉じこもったまま彼とまともに口を利こうとしない。ある日妻からの電話で重い足取りながら早めに家にたどり着くと、彼を待っていたのは庭に打ち捨てられた少女の死体だった。

 容疑者X以来、お久しぶりの東野圭吾。
 なんだけど、うーん、ちょっと、これは。

 冒頭から昭夫を始めとする前原家の面々に嫌悪感。まあそれはそういう人物像だからいいとして、なんというか、あまりに重い話を軽く描いてしまった印象。
 最初から最後まで、前原家の人間たちの中には深い葛藤がないのよね。昭夫は最後まで父親として息子と向かい合わないし、母親も何一つ変わらない。当然息子に反省の色はない。昭夫の母親が一番わからない。彼女の行動の本当の意図って結局なんだったの?? 少なくとも昭夫の母であり長男の祖母である彼女は、それで満足だったわけ?

 名刑事という噂の加賀だけれど、彼の手腕は結局前原家の人々の心には何にも届いていないから、彼がそこまですごい刑事にはとても思えない。

 それからもう一つこの作品には柱があって、それが加賀刑事と彼の父親の親子関係なんだけれど、これもなんだか納得いかないのよねーーー。「そうだったのか、そんな深い事情が!」と感動するというより、「え、そういう理由で? は?」というのが正直な感想。

 あっという間に最後まで読めるんだけれど、後に何にも残らない。
 なんというか、空しい読書だったわ。。。


    ハル、ハル、ハル(2007.8.13)
古川日出男   角川書店


 古川日出男って夏に読むのが似合う気がする。
 そして古川日出男の作品はどんどん小説から音楽に近づいている気がする。

 最新作は表題作、「スローモーション」、「8ドッグズ」の3篇を収めた短篇集。どれも古川節炸裂。この言語感覚はもう、他の追随を許さない域だよなあ、と思う。そしてどんどん好き嫌いは分かれてゆく気がする。

 ここまでくると、なんか古川日出男って「わかるやつにはわかる。わかんないヤツはセンスない」みたいな踏み絵っぽくなってきてるような感じがした。わたしは今のところついていけてるけど、正直言うと「アラビア」とか「ベルカ」、「13」なんかで感じた、文章で溺れるような感覚を、今回わたしは感じることができなかった。それって長編じゃないから? それともわたしが古川節に慣れきっちゃったのかしら。
 だんだん読者と作者の距離が離れていってる気がする。「ついてこれるやつだけついてこい」というメッセージを行間から感じる。二〇〇五年十一月から僕は完全に新しい階梯に入った。って著者自ら言ってるし。

 物語自体は好きだ。
 どの短篇もラストがいわゆるオープンエンディングになっているんだけれど、とくに姉の子ども達を預かることになったフブキの日記の形で描かれた「スローモーション」のラストなんて痺れる。フブキが30代女性ってのは文章が恥ずかしくてちょっと(いやかなり)ヒくけど(苦笑)。

 次の作品が出るのが楽しみだけれど、ちょっと不安。
 もしかしたらわたし、振り落とされちゃうかもしれない。

(収録作:「ハル、ハル、ハル」、「スローモーション」、「8ドッグズ」)


    夜明けの街で(2007.8.18)
東野圭吾   角川書店


 不倫する奴なんて馬鹿だと思っていた。ちょっとした出来心でつまみ食いをして、それが元で、せっかく築き上げた家庭を壊してしまうなんて愚の骨頂だ。…でも、どうしようもない時もある−。
 もう男ではなく「オヤジ」であり、会社の女の子に「ギリギリ若手」と言われる渡部。家に帰れば優しい妻とかわいい盛りの娘が待っている。恋に堕ちるなんてことはもう二度とないと思っていたのに、彼は新しい出会いにどんどんのめりこんでいく。しかし恋の相手である秋葉には、人には言えない大きな秘密があった−。

 なんていうか、もうバカかと(苦笑)。
 とにかく主人公の渡部の情けなさ、ダメダメさ、自分本位さは、腹を立てるのを通り越して笑ってしまった。
 これが既婚男性には身につまされるのか。
 男ってみんなこんなにバカなのか〜(笑)。
 物語は不倫ラブストーリーを殺人事件で味つけしてミステリ仕立てにしてあるのだけれど、とにかくミステリよりもラブストーリーの割合が強くて、大の男がやれクリスマスだバレンタインだホワイトデーだと全力で努力するのがちょっと哀れを誘う。
 作者が達者だからついバカかーと思いながらもどんどん読めてしまえて、ミステリ部分もそれなりにお上手。ラストのオチもちょっと気が利いた感じで、何か読みたいなーと思うけれど何もないときに読むにはかなりオススメだけれど、かといって読んだ後心に何か残るかと言えば何一つ残らない(笑)。男性側の心理は微に入り細を穿って描かれているのに対し、女性側は書き割りというか、描かれていないのも気になった。まあ、でもこれは「女ってわからない」ということを言いたかった作者の狙いなのかもしれないな。

 個人的には物語が終わった後の渡部家の行く末が気になってしかたないんだけれど(笑)。

 帯の「東野圭吾の新境地にして最高傑作」はそれにしてもあんまりじゃないか(笑)。


こころ(2007.8.20)
夏目漱石   角川文庫


 言わずと知れた夏目漱石の超有名作品。ちなみにわたしが読んだのは角川文庫版。タイトルは『こゝろ』になってるー。

 ある夏の海水浴場で、「私」は「先生」と出会った。まるで恋に落ちたかのように先生を熱烈に慕う私だが、先生には過去に何か重大な秘密があるらしかった。学生生活をそろそろ終えようとする私は父が倒れたという報せを受けて帰省する。そこへ届いたのは先生からの分厚い封書だった…。

 わたしがこの作品に出会ったのはご多分に漏れず国語の教科書の抜粋部分。その後通して読んだものの、今回再読してみると、教科書部分以外はほとんど忘れてたわ…(苦笑)。

 物語は「先生と私」、「両親と私」、「先生と遺書」の3部構成になっているんだけれど、とにかく先生と遺書が長い。かすかにそんな記憶はあったんだけど、こんなに長かったとは。「先生と私」で腐フラグがまったく立たなかったわたしはやっぱり腐の才能がないのねー。嬉しいような寂しいような(笑)。

 やっぱり時代を感じたけれど、それは「古くさい」という感じ方じゃなかった。明治の息吹、なんて言えばちょっと大げさすぎるけれど。

 私と先生の関係も、先生とKとの関係も、お嬢さんを間にした三角関係も、先生の結婚が決まるくだりも、そしてKや先生の死も、明治じゃなかったら起こりえないようなものだった。わたしは誰にも共感できなかったけれど、わたしと明治を隔てている分厚い何かにちょっとだけ偶然隙間ができて、そこから一瞬流れてきた吸い慣れない空気を鼻先に感じた。

 明治天皇に殉死するのと、今の天皇に殉死しようとするのでは、まるっきり意味合いが違ってしまう。だから現代のわたしたちが「天皇に殉死するなんて…」なんて言ったところでまるきり意味は持たない。

 ただ、時代が違う、考え方が違うとは言っても、今でも変わらない部分も確かにあるのだ。
 正しくありたい自分に確かに存在する卑劣さへの悩みとか。
 若い人が年上の人の反応に感じる苛立ちや上の年代の人が若い人に感じる歯がゆさとか。
 尊敬する人間が抱える陰の部分を知りたいと思う気持ちとか。

 そして個人的には、作品終了後にはたして”私”は父の臨終に間に合うことができたのか、それが異常に気がかりだったりする(苦笑)。


    鉄塔 武蔵野線(2007.8.22)
銀林みのる   新潮文庫


 小さかった頃から鉄塔に魅せられてきたわたしは、小学5年生の夏休み、ずっと気になっていた異形の鉄塔に「武蔵野線 75−1」という金属製の板が掲げられていることを発見する。では隣の鉄塔は「75−2」と「75−0」なのだろうか? わたしの夏休みの冒険が始まった…!

 第6回日本ファンタジーノベル大賞受賞作。
 なんというか、ものすごく異質なんだけれど、たしかにこれはファンタジーだ。「わたし」の目を通すことで、読者には今まで見ていたのに見えていなかった、もう一つの世界が鮮やかに現れる。鉄塔には鉄塔の世界があるんだなあ!!

 ただただ、武蔵野線と名付けられた鉄塔を追いかけていくだけなのに、そこにはワクワクドキドキのドラマがある。次々と立ち現れる魅力的な鉄塔の数々。大量の鉄塔の写真がそれぞれ個性的に見えてくるんだから不思議。剣も魔法もドラゴンも出てこないけれど、これは確かに異世界の冒険の物語。

 終盤近くになって、ものすごくビックリすることがある。その展開が非常に衝撃的に思えたのは、やっぱりそれまでどっぷりとわたしも主人公と一緒に冒険の世界に浸っていたからだ。

 ただ、その後の展開はちょっと好きじゃなかったな。この終盤が本当のファンタジーなのかもしれないけれど、わたしにとっては上質のファンタジーがここで一気にまがい物になってしまった気がした。ここはきっと好き嫌いが分かれるところかも。

 ちなみにわたしが読んだのは新潮文庫版で、ハードカバーとはラストが少し変わっているらしい。文庫の方があっさりしたラスト、という話だけれど、これがあっさりしてるんだったらハードカバーはどんななのかなあ。ちょっと確認してみたいわ。

 さらに、この作品は最近写真をさらに追加した完全版が出たらしい。息の長い作品ですなー。


    ゴドーを待ちながら ベスト・オブ・ベケット1(2007.8.24)
サミュエル・ベケット/安藤信也・高橋康也・訳   白水社


 ふたりの男が一本の木の下でゴドーを待っている。待てど暮らせどゴドーはこない。いったいいつまで待てばいいのか? 彼は本当にやってくるのか?

 あまりにも有名な戯曲を今さら読む。なぜ今まで読もうとしなかったのかなあ。

 舞台は2幕に分かれている。ある1日と、その次(?)の1日。ふたりの男、エストラゴン(ゴゴ)とウラジーミル(ディディ)は、ゴドーが来るまでの待ち時間を潰すために話し続ける。もしくは死んだ声たちを聞かないために。
 ゴドーが来さえすれば自分たちを救ってくれる。
 けれどゴドーはこない。
 こない。

 ゴドーは神(ゴッド)のもじりと解釈されることが多いらしいけれど、本当のところはわからない。
 彼らは本当は何を待っているのか、彼ら自身にもわかっているとは思えない。
 実を言えば「待っている」という事実すら、ゴゴなどはすぐに忘れてしまう。

 もう行こう。
 だめだよ。
 なぜさ?
 ゴドーを待つんだ。
 ああそうか。

 話が噛み合っているようで噛み合っていないような、奇妙なふたりの会話はさらに通りがかりのふたりの男たち、ポッツォとラッキーの出現でますます奇妙さを増してゆく。

 けれどそこから物語は発展しない。

 何度読んでも不思議。
 読んでいるとなんとなく寂寥感を感じるのだけれど、きっと舞台で観ると、これってまったく違う印象なんだろうなあと思う。
 きっともっと、楽しい舞台なんだ。
 掛け合いの場面では笑い声があがるような。
 なのに、文字で読むとなぜこんなに寂しい感じがするんだろう。

 手元に置いて、何度でも読み返してみたくなる。
 そこからは何でも読みとれる。
 だって物語は始まらず、物語は終わらないんだから。


    ふたりジャネット(2007.8.30)
テリー・ビッスン/中村融・訳   河出書房新社


 もっと読みづらいんじゃないかと勝手に考えていたんだけど思った以上にサクサクよめる軽めのSFでした。SFとファンタジーの中間くらいなイメージ。

 どれもかなり奇想天外な設定なんだけど、その奇抜な設定を登場人物たちがさほどの葛藤もせずに受け容れてしまうのがおかしい。設定は飽くまで設定であって、重要なところはそこじゃないのだ。ってそういえばつい最近もそういう話を読んだ気がするんだけどなんだっけ…。どうも最近鳥頭に拍車がかかっていかんわ。orz

 「熊が火を発見する」は熊が火を発見する話(笑)。けれど熊たちは火を見つけたからと言って急激に知能が発達したり文明が発達して人間に取って代わろうとしたりそういうことをする訳じゃない。ただ、冬眠をしなくなって、冬の間熊たちでたき火を囲むようになる、それだけ。
 言葉のない動物がだまって火を囲む静かな時間。
 そこで過ごし、沈黙に包まれた懐かしいような不思議な時間。

 「アンを押してください」はなんともユーモラスなATMの登場する話。いきなりお金をおろそうとしてこんな選択肢がでてきたら!

 「未来からきたふたり組」は、未来から来たふたり組がまだ描かれていない傑作絵画をきたる厄災から救うために買い付けに来る話。

 「英国航海中」は英国が航海する話(笑)。

 「ふたりジャネット」は、アメリカ南部の田舎町になぜかゾクゾクと作家たちが引っ越してくる話。そうか、トマス・M・ディッシュってマイナーな作家なんだな。

 「冥界飛行士」は目の見えない画家が死後の世界を描いてくれるよう依頼を受け、実験で死を体験する話。これはちょっとこの短篇集の中でも異色。

 「穴のなかの穴」、「宇宙のはずれ」、「時間どおりに教会へ」は万能中国人ウィルスン・ウーシリーズ3部作(?)。むちゃくちゃです(笑)。

 個人的には「熊が火を発見する」と「英国航海中」がすごく好きかな。突出している気がする。どちらもしみじみと胸に染みる。全然違うはずなのにアリステア・マクラウドの「彼方なる歌に耳を澄ませよ」を連想したわ。

(収録作:「熊が火を発見する」、「アンを押してください」、「未来からきたふたり組」、「英国航海中」、
      「ふたりジャネット」、「冥界飛行士」、「穴の中の穴」、「宇宙のはずれ」、「時間どおりに教会へ」)


    アラーの神にもいわれはない ある西アフリカ少年兵の物語(2007.9.3)
アマドゥ・クルマ/真島一郎・訳   人文書院


 ぼくはビライマ。ちびニグロ。フランス語話すのがへただから、ちびニグロってこと。
 ぼく、学校はあんまり上までいかなかった。だって大学のお免状があってもさ、フランス語圏アフリカのくさったバナナ共和国にいてごらんよ。どの国だろうが、看護士にも学校の先生にもなれやしないんだから。
 ぼくがこんなふうにみなさんとむかいあって話すこと、ほんとにゆるしてほしいです。だってまだほんの子どもですから。ぼくときたら、もう長いこと村のしきたりなんてくそくらえだった。だってぼく、リベリアにいたから。カラシニコフで、ひとをおおぜいぶっ殺したから。大麻とか、きついドラッグにどっぷりはまっていたから。
 リベリアとシエラレオネで、ぼくは罪のないひとをおおぜいぶっ殺しちまった。部族戦争をやらかす子ども兵だった。きついドラッグで、ばりばりドラッグ漬けになってたんだ。だからぼく、いまニャマ(「ニャマ」は個人の死後にとどまる影。邪悪な内在力となり、罪なき人を殺した者につきまとう影。)に追っかけられてる。ぼくもぼくがすることも、この先みんなだめになっちまうんだ。ニャモゴデン(ててなし)!


 衝撃的だった。
 今もちょっとキーを叩く指が震えるほど。

 10歳か12歳くらいの少年ビライマは、早くに父を亡くし、次に母を亡くし、マーン叔母さんを頼って村を出るが、子ども兵として内戦に巻き込まれていく。旅の同行者はグリグリマン(呪物師)のヤクマ。彼らの行く先にあるものは、死、死、死ばかり。

 けれどビライマの語りには悲痛感も、絶望感も、凄惨さもほとんど見られない。どちらかといえばユーモラスに、彼は自分のほんの短い人生経験を語る。希望を知らなければ絶望なないのだ。平和を知らない人間に戦争が悲痛だったりはしないのだ。ただ、迸るような怨嗟がある。ふっと姿を見せる怒りがある。語り得ない沈黙が、ある。

 どこまでも平和な遠い遠い日本に、この西アフリカの少年の言葉はどこまで伝わっているんだろう。わたしに著者の言葉のいったい何パーセントが通じているんだろう。

 日本で暮らすわたしのような読者に、巻末の訳者の解説は必須だ。衝撃を持って本文を読み終わり、訳者の解説を読んでその衝撃は何倍にもなる。わたしは何にもわかってなかった。著者の言葉は、作品を読んでもわたしには全然伝わってなかった。そのことがただショック。

 語り尽くせない現実を150キロずらした寓話に変えて、語るべきものと沈黙すべきものとをユーモアでくるんで、そうしなければ伝えられないものがあるんだ。

 なんでこんな作品が選ばれるんだ、高校生ゴンクール賞。
 フランスの高校生にはこれがわかるってことなのか。

 あんまりこの言葉は使わないんだけれど、必読。


    沼地のある森を抜けて(2007.9.6)
梨木香歩   新潮社


 心臓麻痺で亡くなった叔母から、マンションと先祖伝来のぬか床を譲り受けた久美。しかしそのぬか床は信じがたい現象を巻き起こす。なぜ私がこんな目に…?

 いやー読んでビックリ。
 これをファンタジーのようなSFと言おうか、SFのようなファンタジーと言おうか。台所の隅のぬか床からはじまる生命の神秘、進化の不思議。壮大なスケールの物語。

 子供を産むとこの話がすごくしっくりくる。産まなくってもしっくりする人はしっくりするんだろうけれど、わたしの場合はきっと独身時代はこんなに深く頷けなかったかもしれない。
 遺伝子がプログラムしていようが、わたしの意志を何かが操っていようが、そんなことは関係ない。わたしは親からもらったバトンを、子ども達に受け渡した。それはものすごい安堵感で、たとえ子ども達がそのバトンを誰にも受け渡さずに終わろうと、それは子ども達の人生の問題だ。

 わたしたちは生き物で、つまるところは動物で、その目的はやっぱり繁殖なんだ、全体としては。

 怖いぐらいの、深いところからの生命礼賛。

 もちろん今は個人がすごく大切な時代で、それはけして間違っていなくて、積極的に守らなくっちゃいけない。ひとりひとりが自分の人生を自分の責任で選んでいく権利がある。
 でも安心するんだな、バトンを渡すと。
 なんか、役目を果たした気がする。
 それはもちろんわたし個人の価値観。

 ホントに、わたしたちは遺伝子レベルで絶対的な、すごいくらいの孤独を植えつけられているのかもしれない。
 ずっとその孤独を抱え続けていなかくちゃいけないのかもしれない。
 殖えに殖えたわたしたちは、ひとりひとりが「個人」になって、「たくさん」になって、それでもやっぱり独りぼっちなのかもしれない。

 でも、その寂しさと同じところから湧いてくる力。ばかすか起こる細胞分裂。みんな同じ「命」を抱いているというあったかさ。

 なんだかシンと冷たい寂しい孤独を内包しながらも、照れるくらいに暖かい物語だった。


    碁を打つ女(2007.9.7)
シャン・サ/平岡敦・訳   早川書房


 1937年、日本人が押し寄せている満州で、一人の少女が町の広場で男たちに混じって碁を打っている。彼女にとって、碁を打っている間だけが彼女だけの時間。
 同じ時期、母から 「卑怯者になるか死ぬかと言われたら、迷わず死をお選びなさい」と言われて満州軍に配属された日本人士官がいくつもの死を越えて少女のいる町にやってくる。抗日分子を見つけだすために変装して碁を打ちにいった彼は、いつしか少女と碁盤を挟んで向かい合う時間だけが無心になれる時間になっていく。

 中国人の若い女性がこの作品を書いたというのが驚愕。戦時中の日本人の姿が日本人のわたしにとってまるで違和感なく描かれていた。しかもフランス語で書いたって一体!!

 二人はほとんど言葉を交わさない。
 お互いの気持ちは知る由もない。
 けれどそれがお互いにとってものすごく大切な時間なのはしみじみと伝わってくる。
 たとえ「現実からの逃避でしかない」と言われても、「本当に愛し合っているわけじゃない」と言われても、そしてそれが本当だとしてもそれがどうだというのか。碁盤に向き合っている静謐な時間、それが心から大切なのは嘘じゃないのだから。

 結末はなんというか、非常に映画的。
 頭にいつまでも余韻が残るような。

 恋に恋するような夢物語かもしれない。
 けれど、その美しさは格別だった。