2007 shelf 5
著者名 タイトル 出版社 100 マイケル・マーシャル・スミス ワン・オヴ・アス ソニーマガジンズ 99 上橋菜穂子 獣の奏者 T闘蛇編 U王獣編 講談社 98 村上春樹 世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド(上・下) 新潮文庫 97 アゴタ・クリストフ 第三の嘘 早川書房 96 アゴタ・クリストフ ふたりの証拠 早川書房 95 森見登美彦 太陽の塔 新潮文庫 94 マークース・ズーサック 本泥棒 早川書房 93 伊井直行 さして重要でない一日 講談社 92 野村美月 ”文学少女”と穢名の天使 ファミ通文庫 91 伊井直行 濁った激流にかかる橋 講談社文芸文庫 90 伊井直行 悲しみの航海 朝日新聞社 89 伊井直行 湯微島訪問記 新潮社 88 桜庭一樹 砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない 富士見書房 87 アゴタ・クリストフ 悪童日記 ハヤカワepi文庫 86 ヨースタイン・ゴルデル サーカス団長の娘 NHK出版 85 ジョアン・ハリス 1/4のオレンジ5切れ 角川書店 84 別役実 ベケットと「いじめ」 白水uブックス 83 佐藤幹夫 自閉症裁判 レッサーパンダ帽男の「罪と罰」 洋泉社 82 福永信 コップとコッペパンとペン 河出書房新社 81 神林長平 魂の駆動体 波書房
魂の駆動体(2007.9.10)
神林長平 波書房
初神林長平。
車がすっかり自動制御となり、個人所有でなく公共物として、道路を走るエスカレーターのような感覚になってしまった日本。かつて車がまだそういった意味での「自動車」ではなかったころ、個人が愛着を持ちえた「クルマ」であったころを忘れられない「私」は、住んでいる老人専用集合住宅の近くのリンゴ畑で偶然、廃車同然の初期型ホンダプレリュードを見かけて愕然とする。「もう一度、”自動車”じゃなく”クルマ”で走りたい――」。彼の夢は友人の協力を得て、今、走り出す。
「魂の駆動体」というタイトルからわたしがイメージしていたのとはまるっきり、ぜんっぜん違う話に意表をつかれた。ちなみにわたしが漠然と想像していたのはマトリックス張りの未来都市で人間を越えるような知能を持つ支配者であるAIと人間たちが対立し、人間たちが自分たちだけが持つ「魂」を武器に「魂の駆動体」を開発して戦うハードSF(爆)。
たしかにこちらも設定はバリバリのSF。車が「自動車」になった近未来、限られた選ばれた人々だけが現実の不自由さを捨てて自由になれる仮想空間「HIタンク」、さらには遙か未来の翼人の存在。ただし、わたしにはこの作品がSFだとはまったく思えなかった。これってオヤジたちの古きよき少年時代を描いた懐古小説みたいだ。
車にまったく興味のないわたしには車の構造を延々と語り合う部分がものすごーーーーーくツラかったんだけれど(苦笑)、それを除けば物語は非常に読みやすい。会話が多くてテンポよくストーリーが進み、男二人が夢中になって夢を実現すべく邁進していく様子はなんというか、微笑ましい。
第二部でいきなり話が急転してちょっと驚いたけれど、それでもそれはそれで割り切って読めば普通に愉しめるし、さらにアンドロギアに魂が宿る場面では「こんな風に繋がるのか!」とちょっと感動。まあ、そこからまたまたツライ技術屋的会話が始まったりはするわけですが(苦笑)。
ただ、読んでいて、そして読了後もずっと気になったことがひとつ。
この作品には、女性が一切登場しない。
息子は出てくるのに、彼の妻はいない。
翼人は性別の観念がまるきり違うというけれど、それでも少なくとも「重く潰れた町」の人々は、男だとしか考えられない。
どこまでもどこまでも、「いくつになっても夢を失わないオヤジ」思考が続くのだ。
とっても読みやすいし、物語もおもしろいのに、一貫して底辺に流れ続けるその「夢見る少年思考」の存在にウンザリしたのが正直なところ(苦笑)。
あんたたち、女なしでやっていけてるつもりなの、あーん?みたいな(笑)。
というわけで、個人的にはイマイチでした…。やっぱり「敵は海賊」とか「戦闘妖精・雪風
」とかの超有名シリーズを読んでみた方がいいかなあ。
コップとコッペパンとペン(2007.9.12)
福永信 河出書房新社
表題作のほか、「座長と道化の登場」、「人情の帯」、「2」の4篇を収録。どれもこれも、ちょっと形容しがたいもんのすごく奇妙な短篇集だった。
「コップとコッペパンとペン」
1つの文章を読んでいるうちに時間がどんどん経っていくそのスピードに呆然とした。ストーリーは一応あるんだけれど、なんだろう、ウナギのようなのだ(笑)。右手で掴んだらどんどんウナギが進んで逃げようとするから左手でさらにその前を掴んで、さらに右手でその前を…って、ウナギって掴んでるつもりがどんどんどんどん進むでしょ。そんな感覚の文章(どんなんだ/笑)。さらにウナギの動きに合わせて足も前に出ちゃったりするでしょ、そんな感じで、一体どこに連れて行かれるのかまったく見当がつかない。
あわわわわ…という感じで最後までたどり着きました(苦笑)。
「座長と道化の登場」
ざ、座長と道化はいったいどこに…。
これはなんだか不条理ホラーに近い感じ。着替えるために入ったデパートの試着室や、用を足すために入ったトイレなどでいきなり話しかけられるシチュエーションを描いているんだけれど、こちらも話を切り上げてサッと立ち去ることができない状況なだけに怖い。相手はどんどんわけのわからないことを言ってくる、けれどどうしても相手を黙らせることもできない。立ち去ることもできない。しかもなんだかこういう状況にある日突然自分が遭わないとは限らない気がしてくるから不思議(笑)。ぞわぞわするけれど、でもなんだかユーモラスでもあるんだよなあ。
「人情の帯」
待っている相手が待てど暮らせどこない女子高生。
なくしてしまった携帯電話をなんとか取り戻そうとしている小学生。
奇妙な視点で描かれる、集めた情報の断片を並べたような作品。「――」を駆使してまったく流れをブツ切りするような文体で、端から見て「おそらくこうだろう」という情報を細かく細かく延べていく、その文章の読み心地はこれまた異様。だいたいこの叙述者が何者なのか全然わからないのが不気味。何者とも知れない観察者の視点で描かれた村上春樹の『アフターダーク』を少し思い出した。
「2」
「人情の帯」の、続編と言っていいんだろうか。
とにかくどの作品も前衛的というか、奇妙、としか言いようがない。宿命的にメインストリームにはなり得ないような。ただしそれだけのアクがあって、印象的。ちょっと忘れられないわ。
(収録作:「コップとコッペパンとペン」、「座長と道化の登場」、「人情の帯」、「2」)
自閉症裁判 レッサーパンダ帽男の「罪と罰」(2007.9.14)
佐藤幹夫 洋泉社
2001年4月、東京・浅草で19歳の女子短大生がレッサーパンダ帽に白と黒の縞模様のハーフコート、ひどく汚れたニッカポッカという異様な出で立ちの男に殺害された。男は事件の前にもしばしば同様の出で立ちで歩いているのを目撃されており、被害者の女性との面識はなかった。
加害者は自閉症だった疑いが強いが、それは報道されることがなかった。さらに、裁判でも彼が「自閉症」であるのか「自閉症傾向」であるのかが争点になった。
わたしは自閉症について詳しくは知らないし、さらにこの事件はセンセーショナルだったこともあって知ってはいたけれど、犯人が自閉症の疑いがあるなんてまったく知らなかった。
著者は長年養護学校の教諭を務めてからルポライターに転身したという経験から福祉サイトの情報にもそれなりに詳しいけれど、加害者・被害者どちらの側にも偏ることなく、こういった「目に見えない障碍」を持った被告を裁くさいの裁判のあり方に対して一石を投じている。
あとがきにある著者の喩え話。
「ある国に出向き、事件に巻き込まれる。言葉がうまく通じないまま取り調べが始まり、やがて法廷に連れ出され、身に覚えのないままに審理が進んでいく。このとき、通訳をつけれほしいという要求が当然出されるだろうが、それが冤罪ならば、誰もが当然の訴えであると納得するだろうと思う。しかしもし事件の当事者であり、しかもそれが殺人という重大事件だったならば、この要求はどのように受け取られるだろうか。」
知らないことは怖い。
何を考えているのかわからない相手は怖い。
予測がつかないことからはなるべく距離を置いていたい。
だれもがそう思うんじゃないかと思う。それは自分の身を守るための本能なんじゃないかな、と思う。
その対策としては、その対象を知る、それしかないんだけれど、これがなかなか難しい。
中にはちょっとだけ情報を得て、それですっかり判った気になる人もいる。こうなると「まったく知らない」よりさらにタチが悪くなったりする。
「自分は知っていない」と自覚しなければ行けない。何か情報を手に入れても、それは一面的な情報じゃないかとつねに疑わなくてはいけない。知ろうと努力しなくてはいけない。知らない、ということは、それだけて罪に値することがあるのだから。
そのために、マスコミは役に立てるはずなのに、そういう風に本当の意味で機能しているマスコミはほとんどない。一面だけからみた情報を振りかざす人たちと、それを煽るばかりのマスコミがどれだけ多いかと思うと心が暗澹としてくる。
ベケットと「いじめ」(2007.9.16)
別役実 白水uブックス
本書は1980年代に、劇作家の別役実が岩波書店主催の研究会で数回に渡って講演した内容をまとめたもの。演劇界の80年代までの流れ、その中でベケットの占めた位置とベケット離れが起こった要因、さらにベケットの脚本を書く上での理論と当時話題になっていた「お葬式ごっこ」で中学生が自殺した事件との共通点、を語っている。
正直ベケットはこの間『ゴドーを待ちながら』を読んだだけ、という人間で、かつ地方に住んでいる人間の悲しさで演劇というものにほとんど触れたことのない経験から、強い興味で読み始めたわけじゃなかったんだけれど、お葬式ごっこの被害者鹿川くんの、意図して行ったわけではなくおそらくは本能で行ったのであろう行為が、あまりにもベケットの「意図的な」演劇の上での実験と符合することに鳥肌が。さらにその共通点に目をつけた別役実という人のその鋭さにも鳥肌が。
社会が、まず人間ありき、人間が出会うことから社会が発生する、という「個」の時代から、まず社会ありき、まずその「場」ありき、その場での関係からそれぞれの人間の輪郭を探り合う、という「孤」の時代へと移っている、というのは個人的にすごく納得のいく考えだと思った。だからこそ「いじめ」が発生し、それがなくなることがない。今までの「個」ありき、の考え方ではその社会に対応することができない。
演劇界でもそれは同様で、芝居も「孤」の社会を描く形に移っていく。
ベケットといじめ問題にこれだけ共通するものがある、ということは、つまり「いじめ」の問題は日本だけの得意な現象じゃない、っていうことなのかな。たまたまその現れ方が日本では「いじめ」の形になった、という。
なくそうなくそう、といくら声高に叫んでもいじめは全然なくならない。そして、その渦中の子ども達は驚くほどその現状に、その「場」に適応していっている。自殺者が出るのは命が失われるということだから、それは絶対的に「悪」なんじゃないかとわたしは思うけれど、でも自殺する子どもはわたしたちが考えるような一方的な「犠牲者」じゃなくって、ある意味戦略的にやっている。そのあたりもちゃんと理解できていなければ、大人たちがいじめをなくすことはなかなか難しい。
わたしは人の親だし、これからますます「いじめ」なんかには神経を尖らせていくことになる気がするので、どうしてもそっちの方に気を取られて読んでしまったんだけれど、これは基本的には演劇に興味がある人が読む本なんだよな(苦笑)。
演劇って思った以上に敏感に社会を反映し、そのエッセンスを汲み上げる必然性を孕んだものなんだ、というのはよくわかった。
1/4のオレンジ5切れ(2007.9.18)
ジョアン・ハリス/那波かおり・訳 角川書店
『ショコラ』『ブラックベリー・ワイン
』に続く、ジョアン・ハリスの「食の三部作(フード・トリロジー)」完結編、ということになるらしい。ただし舞台は別の村。でも確かに相変わらず美味しそうなお菓子やお料理がふんだんに描かれて、読んでいる最中ふんわりといい匂いに包まれるような感じ。しかしショコラのあの不穏さは健在(笑)。さらにブラックベリー・ワインのあの、強引で自己中心的なイヤな女、の存在も健在(笑)。
フランスの片田舎、レ・ラヴーズ村にある日移り住んだ老女・フランボワーズ。彼女はうち捨てられた果樹園を蘇らせ、自宅に小さなクレープ屋を開き、少しずつ村人たちに溶け込んでいく。しかし、彼女が幼い頃この村で、この果樹園で育ったことはけして誰にも明かすまいと彼女は決めていた。愛情の表現に乏しく、頭痛に苛まれては子ども達に過干渉と放置を繰り返す母親の元で育った3人兄妹の末娘。それを知られればけして村にはいられない事情が彼女にはあったのだ。
死んだ母親が残した雑記帳を紐解きながら、フランボワーズは母親の秘密も知っていく。ある日彼女のクレープ屋を兄の息子夫婦が訪れる。それこそが彼女の平和な日々を崩していく最初の一石だった…。
とにかくおもしろくて一気読み。
あまりにも似てしまった母娘の悲しい確執。
無邪気な子どもの無知がひきおこす悲惨な事件。
魅力的な敵国人。
漂ってくるオレンジの不穏な香り。
涎の出そうなごちそうの数々。
こんなにも惨酷で、無知で、かわいらしいからこそ子どもは輝いているのかも知れない、と思う。
子どもには子どもの世界があって、なわばりがあって、愛情があって、憎しみがある。飛び上がるほどの喜びと、胸が張り裂けるような悲しみがある。
一心に願う願い事は叶えられる。思いも寄らない形で。
やがて大人になって、世界は穏やかに変わる。
あんなに苦しくて、あんなに幸せな、あんな日々は思い出の中でしか蘇らない。
サーカス団長の娘(2007.9.20)
ヨースタイン・ゴルデル/猪苗代英徳・訳 NHK出版
「帯がネタバレ」で一部有名なので(笑)、図書館本にもしっかり貼り付けられていた帯は見ないように見ないようにしながら読んだ(笑)。
ペッテルは幼い頃から頭から次から次へとあふれ出るアイディアをもてあます少年だった。小説家になろうとはまったく思わないのにあふれ出るアイディアはメモにして書き出していかなけれは頭の中が飽和してしまう。やがて彼はそのアイディアを小説家たちに売ることを考える。彼のビジネスは成功し、彼はやがて「蜘蛛」と呼ばれるようになるが、自らの紡ぎ出す糸にいつしか絡め取られていく…。
読了して帯を読んで納得。なるほど、これは確かにネタバレだ!(笑)
自信過剰、自意識過剰で鼻持ちならないペッテルなんだけど、彼の紡ぎ出す物語は確かに魅力的だったりする。しかし「アルテミス・ファウル」を読んだときも思ったんだけれど、主人公が自分で思っているほど頭がよくないってちょっとイタイ…。まあ、でも彼の場合は「先のことは考えられない」って自分で言っているから許容範囲内なのか。
彼に絡みついていく糸の先に見つかる謎の答えは、まあ予想のつくものなんだけれど、個人的にはこの「入れ子構造」の作品全体のストーリーの流れよりもむしろ入れ子の中身が断然楽しめた。ペッテル自身の物語もけして退屈なものではないし、これは一冊で二度オイシイ、かなりお得な作品かも♪
悪童日記(2007.9.21)
アゴタ・クリストフ/堀茂樹・訳 ハヤカワepi文庫
戦争が激しくなって食べ物もなくなったぼくらは、お母さんに連れられて住んでいた「大きな町」を出て、おばあちゃんの住む「小さな町」にやってきた。お母さんはぼくらをおばあちゃんに預けるとどこかに行ってしまった。ぼくたちは働かなくてはいけない。おばあちゃんだけに仕事をさせるのは恥ずかしいことだからだ。ぼくらはぼくらだけで勉強を続ける。ぼくらはお互いを痛めつけて惨酷なことに慣れる。ぼくらは自分のものは自分で守る。ぼくたちは世界を理解したい。
淡々と続くおばあちゃんとぼくらの暮らし。双子の彼らは舌を巻くほど頭がいい。驚くほど惨酷さを発揮する。しかし彼らにはちゃんと信念があって、筋の通った倫理がある。彼らの目を通して、読者はいかに世界に筋が通っていないか、いかに世界が惨酷か、を突きつけられる。悪童なのは、いったい誰なのか?
「ぼくら」はけして欺かれない。誤魔化されない。書き続けられる日記は鮮やかに世界を映し出して、そして見いだした世界に「ぼくら」はけして自分たちの考えを差し挟まない。
淡々と綴られる文章は、けれど読者には衝撃を与え続ける。
衝撃的、衝撃的、衝撃的。もうそれしか言葉がない。
こんな作品があったなんて。
それを今まで読まずにきてしまったなんて。
第2部、第3部も近いうちに必ず読むわ。
砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない(2007.9.22)
桜庭一樹 富士見書房
桜庭一樹は『赤朽葉家の伝説』しか読んでいなくて(いや1作アンソロジーに入っていたのを読んだけど)、周囲の絶賛にも関わらず「合わないかも…」と思っていた。
でも、やっぱり一冊で見切るモンじゃないなあと。
これ、ものすごく好きかも知れない。
元々ラノベでロリロリの表紙で発売され、その表紙と中身のギャップが話題になり、地味に売れ続けて挙げ句ハードカバーで再発売されたというちょっと変わった経緯のこの本。周囲からはとにかく痛い、後味が悪い、と聞いていて、なかなか手が出なかった。
でもでも、読んでビックリ。
なんて真っ当な成長小説なんだ!!!
中学2年生の山田なぎさははやく大人になりたい。生きて行くには”実弾”(つまりカネ)が必要だと切実に思っている。ボロボロの公団に母親と兄と3人暮らし、しかも兄は優雅な引きこもりで生活力はまるでない。この不幸な生活から逃れるためには実弾を手に入れるしかないから、彼女は中学を卒業したら自衛隊に入隊するつもりだ。
そのなぎさのクラスに転入してきたちょっと変わった美少女が海野藻屑。エキセントリックな元有名バンドのボーカルを父に持ち、女優の母譲りの美貌の藻屑は、自分のことを「人魚」だと言い張り、体のあちこちについた傷跡を「海での汚染」だと言う。なぎさにとって彼女の放つ言葉はみんな、「砂糖菓子でできた弾丸」みたいに聞こえる。まるきり現実に対して威力のない、実弾とは正反対の甘い甘い弾丸…。そしてなぎさは気づき始める。もしかして、あたしより、藻屑の方が、不幸?
読み始めてしばらくは、これは子どもの子どもによる子どものための物語、なのかなあ、と思っていた。大人はわかってくれないよね、大人に振り回されるだけのあたしたちって不幸だよね、というだけの物語なのかな、と。
でも、違った。
著者はちゃんと大人で、子ども達に、不幸にならないために、メッセージとしてこの物語を撃ち込んだんだ、と思う。
「砂糖菓子の弾丸じゃ戦えないんだよ」
というメッセージ。
そのメッセージのために、藻屑は死ななくちゃいけなかった。
そして、なぎさはちゃんとその死を受けとめた。
「当てたらヤバいクイズ」はけっこう衝撃的だったなあ。
『赤朽葉』よりこっちの方がずっとずっといい、と思う。
桜庭一樹はわたしが思っているよりずっとわたしが好きな作家かもしれない。
とりあえず、次は『少女には向かない職業』を読んでみようかな。
湯微島訪問記(2007.9.23)
伊井直行 新潮社
めでたく文庫化した『濁った激流にかかる橋』を購入し、最初に解説を読んでいたら(笑)笙野頼子氏がこの作品と『悲しみの航海
』、『湯微島訪問記』を合わせて「巨人物三部作」と呼んでいたので、それじゃあせっかくの機会だからと三部作まとめて読んでみることにした。
でもって『湯微島訪問記』(読んでから『悲しみの航海』が先だったかと気づいたがまあいいか)。
湯微島をめぐる連作短篇集なんだけれど、読んでも読んでも、湯微島にたどり着かない(笑)。
最初に尋ねた人は言う。「残念だったな。俺がいたのは、湯微島じゃないんだ。湯微島の隣にあるちっちゃな島でね。」
それはドロボー島と人は言う。島民全部がドロボーだというのは本当なのか嘘なのか。流れの土木作業員としてその島で働くことになった語り手がそこで体験した出来事は。
次に尋ねた人は言う。「三年前ですか。このまちに、三年前のことを覚えてる人なんて、いないんじゃないでしょうか。」
”身長が高い”と言われる範囲より10センチ身長が高すぎたことで世間に溶け込むことのできなかった青年は、昔修学旅行で訪れた湯微島で自殺しようと試みる。そこで和田君と彼が見たものは。
さらに次の人は言う。「ここは湯微島ではありません。わたしは行ったことがないのですが、この近くの山の頂きに登ると、湯微島の天司山が見えるそうです。」
聞き手はどうやら湯微島に向かう途中のフェリーから転落したらしい。助けてくれた夫婦は何やら事情がありそうだ。夫のいない隙に妻は語り出す。彼らがかつて、いかに湯微島で理想的なカップルと呼ばれていたか。そして島に湧き上がった映画話がいかに彼らの運命を変えてしまったか。
そこから訪ねた人は言う。「うーんと、君の話を聞きながらやねえ、ずっと考えておったのやけども、どうもそれにぴったり当てはまる人間やら映画やらを思いつかんのやねえ。」
蕩々と語られるのは湯微島交通を育て上げた男の一代記。驚くべき湯飛湖の秘密。
最後に電話した男は「会長が湯微島に帰られたのは本当です。」と認めるものの、「そろそろ、別のちゃんとした仕事をせなならん時間なんで、これで切らせてもらいますわ。それでは、さようなら。」
結局湯微島ってなんなのか。
姿の見えない聞き手は、最後までその島の地を自分で踏むことなく物語は終わる。
なんだなんだなんなんだ一体。
おもしろいじゃないかー!(笑)
悲しみの航海(2007.9.26)
伊井直行 朝日新聞社
東京から造船の町・穂屋町にやってきた「僕」は、町が長く待ち望んでいた”その船”が港に入ってくるというので興奮に包まれている中で、ミケと再会した。ミケは眼鏡をかけた公務員、二十歳の高専生の土屋正雄、そして高校生の坂上裕子と一緒に船を見るために岬へ出かけるところだった。
長く国土を持たず流浪していたアスパシア人にとって、”その船”アスパシア・アンは、かつて国民が国民であるための心の拠り所であった代々の処女アンの役目を引き受ける船だったが、その役目も穂屋で終わろうとしていた。そして船の入港と同時に、港は悲しみで満たされた。
青白い光との奇妙な体験や東京で知り合った福田伸一との経緯に疲れて穂屋に戻ってきたミケは、モテなかったことがなかった。
土屋正雄は穂屋の隣町の唐野市に住んでいるが、ある日海を対岸まで渡りきったところで時間に迷い、赤い巨人と出会った。
坂上裕子は「僕」と一緒になりゆきで穂屋に入ってきた大型客船・アスパシア・アンの船内で行われるパーティに行き、そこで人生が変わるような経験をした。
田崎みつ子は元巨人に恋をした。
死者は生者と同じ言葉を通じ合わせることができないという点で生者との違いが際立っていた。
いったいこの小説を何と説明したらいいんだろう。
「僕」という一人称で語られるこの小説は、それなのに神の視点を持っている。「僕」が結局何者で、なぜ穂屋にやってきたのか、結局最後までよくわからない。「僕」は主人公ですらないようだ。
じゃあ主人公は誰なのか。
ミケなのか、正雄なのか、裕子なのか、アスパシア・アンという船なのか、それとも穂屋町か。
人も、船も、国も、巨人も、すべてが同じ重さで語られるこの物語は時間の流れさえとりとめがない。
読んでいる読者まで土くれとなって溶けて海に流れ込み、風に舞いあがっていく。
舞いあがってゆっくり町に降りていくときは悲しみでいっぱいな気持なのに、いつかその悲しみは地に積もって空気からは消えていく。
ああ、なんだかじんわりと、しみじみと、暖かくて寂しい気持だ。
濁った激流にかかる橋(2007.9.30)
伊井直行 講談社文芸文庫
文庫化を記念しての再読。
濁った激流が町を分断し、増改築を繰り返す巨大な橋が左岸と右岸を繋ぐ唯一の交通手段となっている町を舞台にした連作短篇集。開発から取り残された右岸の人々は左岸に気後れを感じ、左岸の人々には右岸に対するそこはかとない偏見がある。町にはさいづち頭の巨人を先祖に持つ人々が住んでいる。激流の底には誰も知らない清流が流れ、橋は鉄道・自動車・歩行者・自転車が入り乱れ、常に混乱していて転落者も日常茶飯事、対岸に渡るのは至難の業だ。
どうよ、この設定(笑)!
もうわたしはこの町を愛していると言ってもいい。
9篇の作品が微妙に絡みながら織りなされる町の景色。それは、美しくて、切なくて、なんだか夕日に染まっているかのような疲れた色合いで、でも暖かい。右岸でだらだらパッとしな人生を送ってみたくなるし、果敢に橋を征服してみたくなるし、うっかりすると橋から激流に身を投げたくすらなってくる。
町の住人がまたみんな愛しい。
あくどい中子不動産のお爺さん、おでこのかわいい服部遼子ちゃん、水源保全協会に全力で挑む兼高みずほさんやドエル・リバーサイドで幽霊に出会った溝口先生、市長のすべてをかけたような恋、なんでも公式記録にしたい服部房子さん、ラジオ局に抗議に行ったいつまでも大人になれない小藪君、氾濫原のバレリーナ…。
繋がっていないようで繋がっている9篇を読んでいくうちに、「ああ、あの人はこうなったのか」という歴史がわかっていくのも楽しい。
なんでこんなにこの町が懐かしくなるんだろう。
非現実なことこの上ないような町なのに、まるでこの町が故郷みたいな気持になるのはどうしてなんだろう。
あまり知られていない作品だっていい。わたしが、この作品の素晴らしさを知っている。
こんなにもこんなにも、この作品を愛している。
この愛を伝えるだけの言葉の技量を持たない自分が本当にもどかしくて仕方ない。
”文学少女”と穢名の天使(2007.10.1)
野村美月 ファミ通文庫
文学少女シリーズ第4作。
この作品でこのシリーズはしっかりと地位を確立した、と思った(エラそう/笑)。ずっと続けて読んできて、それなりに大好きなシリーズではあったんだけれど、今まではいつもラノベ特有のこっぱずかしさというか、あの独特のノリについていけない部分がどうしてもあって、いつもいつも”大人”の自分を意識させられるところがあったんだけれど、今回初めて、まったく抵抗なく物語に入れたわ。あ、もしかしたら「きゃうん!」だの「ああ〜〜んっ」だのと叫びまくってわたしをヒかせる台詞をはきまくる遠子先輩が今回出番が少なかったからなのか?(笑)
遠子先輩が受験のため遅すぎる休部を宣言した12月。心葉は同級生のななせとともに、音楽教師・毬谷に音楽室の資料整理の手伝いを頼まれる。ななせは、他校に通う親友の夕歌がクリスマスに学校の発表会でオペラの主役に選ばれたことを自分のことのように喜んでいたが、突然彼女は失踪してしまった。ショックを受けるななせに、一緒に夕歌を探すことを申し出る心葉。しかし夕歌には隠された秘密があった…。
今まで鈍感だった心葉が、初めて自分の中の「見たくなかった部分」に向き合おうとする今回。あまりにもわかりやすいツンデレでわたしをイライラさせていたこのシリーズだったんだけれど、心葉の鈍感さはちゃんと無意識な自覚があったのか!(笑)
バラバラに見えた人物関係がラスト近くで収斂していく様もお見事。ムダな部分ってひとつもないね。芥川君の不審な言動は次巻へのヒキだろうし。
いやーこの巻で、文学少女シリーズはわたしの中で「昔読みたかった本」から一気に「今現在楽しめる、続きの楽しみな本」に昇格ですよ。
てゆか、もうすでに次の巻出てるし!!(笑)
さして重要でない一日(2007.10.2)
伊井直行 講談社
伊井直行の巨人3部作を読んでしまったので初期の作品を。第11回野間文芸新人賞受賞作品で、収録の表題作と「パパの伝説」はどちらも芥川賞候補作だったそう。わたしは激流から伊井作品に入った読者なので、なんというか、どちらもけっこう「マトモ」な作品だったのが意外だった(笑)。
「さして重要でない一日」は、営業部に所属する「彼」のとある一日。仕事にさして情熱もなく、かといって辞めたいとも思わない「彼」がちょっとしたトラブルに遭遇し、よく知るはずの自分の会社の社内でさまよい歩く。
「不条理」っぽさを感じるような箇所もあるんだけれど(地下のコピーの墓場とか、”社内局”の存在とか)、なんというか、ちょっとありそうな平凡な社員のダラダラとした窮状をダラダラと描いている感じ。自分の会社をわかっているようで、実は自分の関わっている部署しか知らない、っていうこと、あるよね。
この作品って、実は時間制限があってせっぱ詰まったトラブルの話を書いているのに、まったく切迫感を感じないのはどうしてなんだろう(笑)。その辺が多分ポイントのような気がして、よくある日常を描いているようで、実はほんの少しだけ現実とこの作品の間には「ずれ」が潜んでいるように思う。ほんの少しのむず痒さというか、違和感というか、異次元感(笑)。普通通りに出社したはずなのにうっかり踏み抜いてしまった異次元の穴、みたいな。
「パパの伝説」は仕事で立て続けに大きなミスを犯して事実上辞めさせられた「僕」が、ふとした縁で知り合った経済界の黒幕と呼ばれる男・川田球一郎に、彼の自叙伝を代筆することと彼の娘の家庭教師をすることを条件に小さな山小屋を借り受け生活を保障してもらって暮らしていくうちに出会うさまざまな出来事。
川田の娘とされる加代子と牧子が対照的。ナマイキだけどパパを尊敬しているような加代子と、放置されたような育てられ方をした、魔性をもった牧子。
説明のつかない、川田の奇妙な記憶の混乱。
川田家と一族をめぐる複雑怪奇な関係。
そして起こるひとつの事件。
こっちは「異次元感」みたいなものは全然感じられない。変わった一族に関わることになった「僕」が見聞したこと、みたいな話で、確かに変わってるんだけれど。
内容的にはかなり面白かったんだけれど、何となくわたしが描いていた伊井作品のイメージと違っていたのでちょっと戸惑ってしまった。
それにしても、こうやって初期の作品を読んでも、やっぱり伊井直行って斬新な気がするわ。そして、ハルキ臭がそこはかとなくする(笑)。ハルキと伊井直行はどっちが先なのかなあ。
本泥棒(2007.10.4)
マークース・ズーサック/入江真佐子・訳 早川書房
”これは何度も生き残った者――取り残された者のエキスパートとでもいうべきひとりの者についての話だ。
とりわけ、以下のようなことについてのちょっとした物語だ。
*少女
*言葉
*アコーディオン弾き
*熱狂的なドイツ人
*ユダヤ人のボクサー
*多くの盗み
わたしはその本泥棒を三回見た。”
語り部はなんと死神だ。死神と言っても大鎌を抱えてこっそりと人間に忍び寄るガイコツなんかではない。かといって「千葉」なんていう仮名で人間世界に紛れ込んで死ぬべきかどうか評価しているわけでもない。彼は仕事に疲れており、心を持ち、ユーモアを持っている。彼はナチス政権下のドイツでひとりの少女を見かけ、彼女の物語を知ることになり、その物語に強烈に惹かれる。
愛すべき少女の物語。
美しい涙の結晶のような物語。
何度も読みながら目頭が熱くなった。アコーディオンを愛し、煙草を愛すやさしいお父さん、ハンス。誰彼となく人を罵り、養女であるリーゼルを木のスプーンでぶち、でも誰よりも大きな暖かい心をもったお母さん、ローザ。やんちゃな悪ガキで負けず嫌いのレモン色の髪の少年、ルディ。ボクサーを夢見ていたユダヤ人・マックス。貧しいけれども魅力的な、ヒンメル通りの住民たち。息子を失った町長夫人。そして、リーゼル!!
死神は何度も、物語の先を明かしながら物語を進めていく。”ミステリに仕立てていくことに興味がないのだ。ミステリなんか退屈だ。わたしは何が起こったかを知っているし、あなたもそうだというわけだ。”
ハンスはどうなったか。レモン色の髪の少年はどうなったか。マックスはどうなったか。リーゼルはどうなったか。読者は前もって知っている。けれどそれはこの物語にとってなんの瑕疵にもならない。
「我が闘争」を白いペンキで塗りつぶして、その上に描かれた物語のなんと力があることか。
あまりにも魅力的な人々。
だからこそ、読み終わった後に戦争への怒りが湧いてくる。
ナチスの時代の物語は山のようにある。
けれど語り継いでいくべき時代の物語は、いくらあったっていい。
太陽の塔(2007.10.8)
森見登美彦 新潮文庫
第15回日本ファンタジーノベル大賞受賞のもりみんデビュー作。ようやく読んだ〜! すべてのもりみんの原点がここにある。
”何かしらの点で、彼らは根本的に間違っている。
なぜなら、私が間違っているはずがないからだ。”
のっけから強烈な文章で始まるこの作品。京大5回生にして現在休学中の”私”は、”あろうことか、この私を袖にした”2期下の水尾さんを対象に「水尾さん研究」を行っている。
”この研究は昨今よく話題になる「ストーカー犯罪」とは根本的に異なるものであったということについて、あらかじめ読者の注意を喚起しておきたい。”
水尾さん研究で知り合うことになった遠藤正との丁々発止の戦い、イケてない男たちで集まっては男汁溢れる部屋で妄想に溺れる日々、「なんでこれがファンタジーノベル大賞?」なんて疑問を頭に浮かべてはいけない。これはある意味確かにファンタジーなのだから。
植村嬢の「邪眼」に怯えながら繊細で傷つきやすい彼らは自意識をずんずん肥大化させ、クリスマスファシズムの席巻する京都で勝ち目のない戦いを挑む。ことことと叡山電車が走り、路地にはむやみに植木鉢が溢れ、「京大生狩り」が出没するファンタスティック京都!
怒濤のような自意識バリバリの文章に呑まれ、気づくと「ええじゃないか」と叫びだしてしまいそうななんだかおもしろおかしくもちょっと切ない読書体験。
とっても幸せでした。
ふたりの証拠(2007.10.9)
アゴタ・クリストフ/堀茂樹・訳 早川書房
『悪童日記』の続編ですが…なるほど、これは2作目で止める、なんてあり得ない作品ですな。手元に『第三の嘘
』があってよかった。
前作で初めて別れ別れになった双子たち。明かされたふたりの名前はリュカ(LUCAS)とクラウス(CLAUS)。今回メインになるのは、国境を越えずにおばあちゃんの家に残ったリュカ。戦争は終わり、彼はいつか帰ってくるだろうクラウスのためにノートを書き続ける。父親との間に子供を儲けて町にいられなくなったヤスミーヌとその息子を引き取り、図書館に勤める未亡人・クララに惹かれ、ホモセクシャルの共産党書記と友情をはぐくむリュカ。彼は壮絶なまでに孤独だった…。
前作の「ぼくら」から三人称へと変わり、エピソードをいくつもいくつも積み重ねていく手法も今回は取られていないけれど、淡々と事実だけを語り続けるような文章は今作も健在。とにかく、グイグイ読ませるのは文章の力か、翻訳の力か、それとも物語が内在する力なのか。
ヤスミーヌが都会へと出ていって彼女の息子・マティアスとふたり暮らしを始めるリュカの元へ、かつて知り合った少女が成長して現れてから物語はクライマックスを迎えるのだけれど、その後物語は急展開。どひゃー!! そうきましたか!!!!
こんなところで物語を終えられたら、立て続けに次の作品を読まずにいられない。
とりあえず、これから、『第三の嘘』に行きますっ。
第三の嘘(2007.10.9)
アゴタ・クリストフ/堀茂樹・訳 早川書房
タイトルからして曲者…。
何て言えばいいんだろう。
これだって嘘かも知れない。タイトルからして嘘じゃないとはとても言い切れない。けれどとりあえずこれを基本に考えてみる。
『悪童日記』は充分以上に衝撃的だったし、絶望的だった。
けれど、3冊読んでみると、『悪童日記』は二人にとって考え得る限り幸せな物語だったんだ、と思わざるを得ない。
あんな生活を、夢見ていたんだ。ふたりとも。
それはなんて悲しいことなんだろう。
以下完璧にネタバレにつき反転。
「この作品は書き手がふたりに分かれている。クラウス(CLAUS)とクラウス(KLAUS)。
小さな町に旅行者としてやってきたもののヴィザが切れた後も長期滞在を続け、必要な身分証明書を持っていないために投獄されたクラウス(CLAUS)は自分の生い立ちを振り返る。兄弟と別れてリハビリセンターに送られ、家族が誰一人見舞いに訪れることなく、戦災にあっておばあちゃんの家に送られ、そこで「悪童日記」を綴った後に亡命を果たし自分をクラウス(CLAUS)と名乗った。
彼はやがて強制送還されることになるが、同時に彼の兄弟が見つかったと告げられる。
一方、父と母の諍いから兄弟の一方がリハビリセンターに送られ、父を亡くし、母とも離ればなれになったクラウス(KLAUS)。
彼は父の愛人・アントニアに引き取られ、彼女の産んだ異母妹とともに成長するが、兄弟と母のことを忘れることが出来ない。小さな町に住むアントニアの両親の元に疎開したとき、彼は兄弟と一瞬すれ違うがお互いに気づくことが出来ない。やがて大きな町に戻った彼は母親を見つけだし、彼女と一緒に暮らすことにするが、彼女は自分のせいで重傷を負いその後行方不明になった兄弟にしか関心がない。
数十年が経ち、ある日突然兄弟からの電話が鳴る。
結局二人は葬られなければ寄り添うことができないのか。
作り話に作りかえる以外に真実を語る方法はないのか。
そのとおり、と物語は語っている。」
個人的には、『悪童日記』で読むのを止めなくってよかったな、と思う。
世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド(上・下)(2007.10.14)
村上春樹 新潮文庫
再読。
最初に読んだときは衝撃的におもしろいと思ったんだけど、さすがに二度目となると衝撃はなかった。でもやっぱりおもしろい。
ハルキ流ハードボイルドタッチファンタジー。
二つの物語が交互に語られていく。
一流の「計算士」として巨大な組織の末端ではたらく「私」と、すべての記憶を失って壁に囲まれた町で「夢読み」として暮らすことになる「僕」。
「私」はある博士の依頼で、禁じ手であるはずの計算方法「シャフリング」を行うことになるが、それが発端となって「計算士」と「記号士」の暗闘に巻き込まれていく。しかも博士の秘められた思惑は「私」の人生を大きく揺るがせることになる。
「僕」は町に入るときに「門番」によって影と切り離された。影が死ねば「僕」の心も失われる。実際町の住人に誰一人心を持つ者はなく、現時点で心を持つ住人は「僕」ただ一人だ。彼は与えられた夢読みの仕事をこなしていくが、彼の仕事を補佐する女の子に惹かれていく。彼女の母親は心を持っていたために町から追放されたのだった。
二つの物語は平行しているようで交差している。一角獣の頭骨、ペーパークリップ、図書館に勤める女の子。心の「核」が暴走を始める「私」と心を失おうとしている「僕」。
ラストは衝撃的で最初読んだ当時わたしは呆然とした覚えがあるのだけれど、今回読み返してみると結構希望の見える前向きなエンディングなんじゃないかと受け取った。これは読み手によって受け取り方はさまざまなんだろうな。そんなさまざまな読み方の出来る物語の書き手である村上春樹はやっぱりすごい人だ。
やっぱりハルキの中ではこの作品がダントツだと思ったわ。
獣の奏者 T闘蛇編 U王獣編(2007.10.15)
上橋菜穂子 講談社
聖なる「真王(ヨジェ)」の治めるリョザ神王国。汚れを寄せつけない女王のために一手に穢れを引き受け、国を守る「大公(アルハン)」領の、「闘蛇」を世話する闘蛇衆たちが暮らす村でエリンは育った。エリンの母は真王領民でも大公領民でもない「霧の民(アーリョ)」でありながら、闘蛇の中でも最強の「牙」たちを世話する獣ノ医術師だったが、ある日「牙」たちが突然死んでしまった罪を受けて処刑されてしまう。母によって逃されたエリンは養蜂家のジョウンに拾われ、育てられるが、彼女はやがて彼女の意志とは無関係に、王国の運命を握る鍵となっていく…。
や、1巻2巻一気読み。児童書だからもちろん読みやすいというのもあるんだけれど、とにかく物語のもつ力にグイグイと引きこまれた。
人にけして馴れない獣と心を通わせようとするエリン。けれど彼女のその必死の努力が実はけしてしてはならない禁忌だとしたら。
読んでいる間はすっかり年を忘れて(笑)、エリンと共に泣き、笑い、ぐるぐると頭を悩ませてしまった。
わかりやすい悪役がいるところは「守り人」シリーズより単純な感じがしたのだけれど、ラストはちょっともののけ姫か?という感じも(笑)。これからもしもシリーズ化するのだとしたら、どんどん話が複雑になりそうでワクワクしちゃうなー(笑)。
シリーズ化するならエリンの恋物語に期待しちゃうんだけど、そうなると延々とツンデレになっちゃったりするんだろうか(笑)。
ワン・オヴ・アス(2007.10.15)
マイケル・マーシャル・スミス/嶋田洋一・訳 ソニーマガジンズ
人々の悪夢を他人に処理させる技術によって大きくなったレムテンプ社。そこで他人の夢を処理する能力がずば抜けて高いハップ・トムスンは、社長であるストラッテンからの指示で、違法である短期記憶の預かりを始める。しかし、ある日顧客から密かにハップに直接短期記憶預かりの依頼があり、高報酬に目がくらんでその記憶を引き受けてしまったことから、トムスンの人生は狂い始めた。依頼人・ローラの記憶は、ひとりの警部を滅多撃ちにした殺人の記憶だったのだ――!
ちょっとSF風味で味つけしたバリバリのハードボイルドかと思って読み始めると、突然目覚まし時計に話しかけられ、コーヒーメーカーの大移動に出会う。友人は宇宙人に誘拐され、天使が町を駆け回る。なんじゃこりゃー(笑)。
個人的には家電をこんなに温かい目で愛情深く描いたSFハードボイルドは初めて(にして最後だろうな、多分/笑)。大好きだ(笑)。
ユーモラスでばかばかしい話とそもそもの世界の成り立ちといった深淵なテーマと、警察や大組織から追われるサスペンスが同じ重みで、絶妙のバランスで語られる。
ほんっとにチャーミングな一冊。