アルアイノウタ
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第四章
『8畳バストイレ別、フローリングでケーブルテレビは無し、 共益費、駐車場代込みで、5万6千円』
そしたらあの『ストーカー』、 『ありがとうございました』 って頭下げて帰っていったよ。
どう言うことだか分からないって?
ごめん、まだるっこしい言い方して。
結論から言うとね、 あの人はストーカーなんかじゃなかったんだ。
まだ分からない?
あの人はただ、部屋を探してただけなんだよ。
誰のって? そうじゃない。 あの人自身の引っ越す先として、ふさわしい部屋を、だよ。
『事件』は、2階の住人が引っ越した時に始まったんだ。
2階の住人が引っ越したことで、何が起こった?
アキが夜、非常識な物音に悩まされることが無くなったって? そう、もちろんそれもある。
でも、それ以上に重要なことが起きてるんだ。
何がって?
アキは知ってるはずだよ。 俺にそのことを話してくれたのも、アキだったんだから。
その顔は、気がついたみたいだね。
そう、あの看板だよ。 2階のベランダにかけられた、 『空室あり 入居者募集 女性歓迎』 って言う、あの看板。
アキのアパートは、学校からも近いし、日当たりもすごくいい、 それに駐車場もあるし、ベランダもついてる。 そう言えばエアコンもあったっけ?
客観的に見ても、引越し先の候補として、なかなかの優良物件だと思わない? 実際中に入ってみると、部屋もキッチンも、結構広いしね。
でもあの人は、そこまで知らなかったんだ。
部屋はなかなか広そうだし、 場所も環境もいい。
何より、今空室がある。
これはいい。 さあ、細かい条件は?
でも、肝心の看板には、家賃のことも、間取りのことも、全然書かれてなかった。
普通なら、それでもすぐに大家なり不動産屋なりに電話して、 その辺のところを確認するんだろうけど、 あいにく看板には不動産屋の名前しか書かれてない。
実際に不動産屋に行って話を聞くって言うのは、 かなりエネルギーを使うんだよね。
服を買いに行って、店員の押しに負けてそれほど欲しくない服を思わず買っちゃう って言う体験、誰にでもあると思うんだ。
部屋を決めるのは、そんなに簡単なことじゃないって?
そう、だからこそ、あの人は不動産屋に行けなかったんだ。 きっと、他の人なんかよりよっぽど押しに弱い人だったんだろうね。
自分が、そういう押しにものすごく弱い人間だって知ってたからこそ、 あの人は、不動産屋に行く前に、部屋の条件とかを知っておきたかったんだ。
部屋のこと中途半端にしか知らないままで不動産屋に行って、 それで、 もしもあのアパートが、バストイレ共同だったら? もしも家賃が7万円とかしたら? もしも部屋よりも玄関の方が広かったりしたら? もしも床がガラス張りだったら?
それならまた別の部屋を探す? そう、アキや俺なら多分そうする。
でもその人が、 バストイレ共同で、家賃が7万円もして、 しかも部屋よりも玄関の方が広くて、 床がガラス張りだったとしても、 そんな部屋でも、押し切られると契約してしまうかもしれない、 そう思ったとしたら?
もちろん、単純に不動産屋に行くのが嫌いなだけかもしれない。
理由はともかく、あの人は、部屋の詳細を知る前に、 不動産屋に行きたくなかったんだ。
さあ、どうする? 不動産屋に聞くことは出来ない。 それが出来るなら、そもそもこの『事件』は起こらなかったんだから。
あの『ストーカー』さんも悩んだと思う。
そんなとき、目にとまったのが、 一日中レースのカーテンしかしていない、ある部屋だったんだ。
しかもその部屋は、問題の空室の真下の部屋だった。 同じアパートの上と下なら、当然間取りは同じだろうしね。
そう、それがアキの部屋だったんだ。
不動産屋はいやで、人の部屋を覗くのは平気だったのかって?
さすがに明らかに人がいる部屋を覗くのは勇気がいるかもしれない。
でも、そのころのアキの生活は完全に昼夜逆転してたから、昼間は大抵寝てたからね。 留守だと思ってたとしても、何の不思議も無い。
多分一回や二回じゃ無かったんだと思う。
そうやって何度か部屋の様子を窺ってたけど、 結局のところ良く分からなかったんじゃないかな?
それでもあの人は部屋について知りたかった、 だからアキの部屋を直接訪ねたのかもしれない。
そんなこと無かったって? 分からないよ、アキは寝てたらドアチャイムなんかじゃ絶対起きないんだから。
直接訪問でも、知りたい情報は得られなかった。 だから意を決して、部屋の住人であるアキに直接声をかけようとしたんだ。
あの人にしたら一大決心だったんだと思う。
でも、その試みは失敗に終わった。
アパートに向かうアキの姿を見て、 あの人はアキがあのアパートの住人なんじゃないかって、見当をつけたんだと思う。
確証があったわけじゃなくて、見当をつけたってぐらいだったんだと思う。
アキがちゃんとあの人の顔を見たことが無かったように、 あの人もアキの顔をちゃんと見たことは無かっただろうから。
だから、部屋に入ろうとするぎりぎりまで声がかけられなかったんだ。
最後の最後まで、自信が持てなかっただろうから。
それで後をつけて、 アキが部屋に入ろうとしたそのときに、間違いないって、 声をかけたんだ。
結果は残念ながら、アキを怖がらせただけだった。
決死の思いで住人に直接聞こうとしたのに、 それすらも失敗。
だからあの人は、 あの日もう一度アキの部屋を覗こうとしたんだ。
だから俺は出て行って、 あの人に、あの人が知りたがってた情報を教えてあげたんだ。 そう、アキのアパートの詳細をね。
これで、くだらない昔話もおしまい。
何で、今更こんな話したかって?
さあね。 何でだろ?
俺がアキについたたった一つの嘘だったから。 それが気がかりだったのかも。
なんてね。 特に深い意味は無いんだと思うよ。
ただ、あの頃は、確かにアキがこっち向いてくれてたなって。 ちょっとだけ、思い出に浸ってみたかったのかも。
未練がましいかもしれないけど、そういう人間だから。
長い時間ごめん。
それじゃ。 実験頑張って。
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