天上の国/ネパール

大場茂之(日本画家)

はるか遠くに見えていたヒマラヤ山脈が、インドを過ぎる頃には一段と大きさを増して迫ってくる。白銀の頂に深い群青色の山陰が複雑に絡み合い、巨大な壁が延々と続いている。初めて目にするダイナミックな巨大山脈にただただ激しく感激し、その美しさに不思議な感動をおぼえていた。
 そもそも私がネパールに魅せられ、この旅に参加するようになったきっかけは、NHKテレビの「大地球」という放送番組を観た事にある。
 それは、標高差実に5,000bを流れ下ってきた谷川で、太古の海の生物/アンモナイトやベネムナイトの化石を探そうというヒマラヤ縦断の旅の映像だった。そんな地球の営みの大地を一度は訪れてみたいと思っていたところ、今回の旅行話が舞い込んできた。

巨木に囲まれた村
 旅の目的は。ネパールの子どもたちに文房具をプレゼントするため、チャクラ先生が勤めているナレスワルタール村の学校をお訪ねするというものだった 。
 村へ向かう途中、赤ちゃんをおんぶしながら子守りをしている少女と出会った。その様子を目にした時、遠い昔の自分の子ども時代の情景が蘇った。忘れかけていた時代への望郷の念でも突然にわいたのか、急に胸が熱くなり涙が込み上げてきた。
 学校に着くなり、私は巨大なガジュマルの大木たちに囲まれていた。そして私は、その中でもひときわ目立つ巨木の虜となっていた。太い幹は、まるでむき出しの血管のように複雑に絡み合い、根は四方八方に広がり、青々とした葉は枝の先まで見事に茂っていた。きっと幾世紀もの昔から、この地を見つめつづけてきたのだろう。どっしりと構えた巨木を前にして、身の引き締まる思いでいた。その自分の緊張感の一部でもいいから描いておこうと、集まってくる子供たちの視線を感じながらも懸命に写生を続けていた。
 熱烈歓迎のセレモニーの中、子どもたち一人一人の顔を見つめていた。どの子も生き生きとした瞳を輝かせていて、絵になる美しさを持っていた。贈り物を届けたつもりが実は、その子どもたちから素敵な笑顔をプレゼントされていたのだ。この事に後になってから気づき、少しだけ恥ずかしくなった。

ダンプスへの細い道
 平板な石を組み合わせた階段が、急な山肌を貫いている。ダンプス村まであと半分という所に、段々畑を思わせる棚田の美しい風景が広がっていた。それは、遠くの山の上まで地層のように重なり続いていた。きっと満月の夜には、水田に映った月光が、さぞ美しいに違いないだろう。
 ふち、一枚の絵の事を思い出した。日本画家の巨匠池田遥 の「田毎の月」という作品である。この風景はまさに、池田の世界ではないかと眺めていた。一つとして同じ形がない棚田の一枚一枚が、信州の風景によく似ていて、この国の不思議さに拍車をかけている。
 一歩進めばすぐにも出会える、数多くの絵になる美しい風景に、眩暈を起こすほど魅せられていた。

朝日に染まるスカイラインの山々
 白々と明るさを増し、山肌は青から薄いルビー色を経て赤へと染まっていく。次第にその色は濃くなっていく。寒色の中に、ポッカリと浮かんだ暖色のマチャプチャレ。朝日に照らし出される山の頂を懸命に追いかけようと、無我夢中でその姿を描き始めていた。
 これほどまでに自分の存在の小ささを思い知らされた事はなく、身も心も洗われる思いがする。いつの日か再びこの大地を訪れ、ゆっくりとわが身をそこにおく事を約束しつつマチャプチャレに別れを告げた。

カトマンドゥの道から
 雑踏。排気ガスはやはりすごい!だが、心だけはノンビリと時を過ごしている。
 神と崇められる牛たちが、車の行き交う道をゆっくりと通り過ぎていく。山羊や鶏、犬や人間も自由に道を行き交っている。信号も無く中央線すらない道を、動物たちにけたたましいクラクションを鳴らしながら、いとも巧みにポンコツ車がすり抜けていく。こういうのを「あうん」の呼吸をいうのか。
 そんな雑踏の中に見え隠れする静かな時間の中で、車は動物たちを適度に尊重している。思わず笑いが込み上げ、私はこの国が大好きになった。

群青色の闇
 帰りの飛行機の窓から、群青色に染まる空を見上げた。宇宙の果てまで続くラピス色の闇を思う。はるか下界は朱とルビー色に広がり、その一方で雲海を見降ろす。寒色と暖色の対比。地球のほんの一時の瞬きを見た。あの美しい国をもう一度思う。旅で出会った多くの人々のたくましさと優しさと心の豊かさ。かつての日本にもあったに違いない光景を、子どもたちの姿を通して見たような気がする。
 どこを切り取っても絵になるこの国に、人間本来の生活を見たように思う。実に勝手な思いだが、いつまでも人間臭い文化であり続けてほしいと願いつつ、素晴らしいネパールにエールを贈った。

作者近影