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無い知恵、絞ったんだけど…

 なんて言うかさ、ダメね!
 こういうコト書くと、暗くてさ。
 ボツだ!ボツ!

矢幡洋著『Dr.キリコの贈り物』河出書房新社、1999年


 「なま兵法は、怪我のもと」と知りつつ…。

【謝辞】
 当HP『すかっ!もん』第6回「電脳界って…!」において、「電脳界と実世界をごっちゃにしちゃ駄目だ!」とかいきまいていたコトをお詫びします。
 まっ、当時、所謂「Dr.キリコ事件」に対する、わたしの意見は「ネットん中で、甘い死の誘惑を、お互い“繋がる”ことで癒している自殺志願者に、青酸カリなんて云う“秘薬”でもって解決してしまった人々の事件」とか、「電脳界自殺志願者に実世界で止めを刺してしまった事件」ってモノでした。
 しかし、今回、同書を読み考えが少し変わりました。
 それが、「なま兵法は、怪我のもと」ってコトです。

 わたしは、心理学者でもないし、まして自殺志願者でもないので、この言葉は、マンマこんな駄文を書くわたし自身にも云えるコトなんですが書いちゃいます。い、いえ、「自殺を思い止まれ」なんて説教くさいコト書きません、つーか、そんなコト書けません。
 死にたい奴は死ねば良いし、死にたくなくてもそんなもん来るときは向こうから勝手にやってくるモンなんで…。まっ、―わたしにしてみれば―“死”なんてモンは2種類しかないんですヨ。“覚悟”の有る死と、無い死の2っつだけ。一寸、カッコよすぎましたか?自殺ってのは有る死の代表。

 幸い、わたし生き残ってますが、2度ほど死にかけたコトがあります。
 2回とも無い死(んでないから厳密には死とは言えないが…)の典型。まっ、1回目の方は気づいたらCTスキャンの中ってのだったんで、覚悟もクソも無く「えっ!?」って感じでした。2回目の方は、スローモーション!迫りくるトラックって感じ!「ペキンパーの描写は正しい」って後から思ったモンね。そのスローモーションの中でリアルな死を感じていたのかというと、中嶋悟先生直伝の「クラッシュのとき頚骨を守る姿勢」だとか、ブレーキ、クラッチ、ハンドルの操作で頭ん中一杯で、とても“覚悟”なんて生まれませんでした。精々が“痛みに対する覚悟”ぐらい。
 だもんで、「ま〜っ、人間なんてあっけなく死ぬときは死ぬもんだ!だったら、生きてる間中は足掻くだけ足掻いたれっ!」って、変な“覚悟”が出来てしまいました。

 Dr.キリコが行ったコトは、この「死なんて身近なモンだ!」ってのを、“青酸カリ=死”を物理的に身近に置くコトによって、志願者を足掻かせようとしたんでしょう。「あまりに想像力が貧弱」と言われても仕方ないコトですけど、間違いと一言ではかたずけられないよナ〜。
 昔〜しは、“宗教”とか云うモンがその辺をケアしてたんだろうけど…。今でも、バンジー・ジャンプのもとになった、何処かの“成人の儀式”とかなんかそんな意味合いが有るんだろうけど、スポーツになっちゃったモンね。
 まっ、Dr.キリコ自身、青酸カリを《お守り》とか言ってたらしいから、その辺の考えも有ったんだろう。だけど、青酸カリか〜ぁ?ガマとか、茸とか、サボテンとか古今の儀式で使用されていたモンもあったろうに…。
 やっぱ、「なま兵法は、怪我のもと」ってことだ。
「ナニが、「〜ってことだ」だ!偉そうに!」って言葉が返ってきそう…。自ら命を絶つって想像、わたしには出来ないモンで…。
 だけど、自殺ってのは志願者じゃなきゃ語れないの?判りません!

 だ、もんで、極々私見的なコト書いてみます。
 良く、「自殺する自由がある」とか言う人がいるけどそうなんでしょうか?
 わたし、無いような気がするんですけど…。
 わたしの考えでは、人間ってソフト(=精神)とハード(=肉体(脳みそ含む))に分かれているんだと思うんです。だから、精神(頭)の中ではナニ考えたってそれは自由だし、規制するコトも出来ない。だけど、その考えを肉体を使って表すことは、自ずと規制される。いや、ですから「自殺するな」って規制があるってコト言いたい訳じゃないのです。精神と肉体で、本当に“自分の物”って言えるのは精神だけ、ってコト言いたいんです。
 考えてみてください。あなた、自分の肉体を自分の思ったとおりに出来ますか?病気したとき、怪我したとき?
 「じゃ、肉体は誰のモンか?」って?さー誰のモンなんでしょう?遺伝子のモンかもしれませんし、ミトコンドリアのモンかもしれません。宇宙の何処かに有る意識って奴のモンかも、“神”って奴のモンかもしれません。とりあえず、わたしは、この肉体って奴は“自分の一番近くに有る預かりモノ”って考えています。で、預かっているからには有効に使おうと…。まっ、自殺するコトが有効に使うってんなら止めません。精々、“有効”に使ってください。
 だけど、可笑しいよね。自殺考えてる人間でも、息はするし、腹は減るだろうし、糞だってするだろう。体は生きようとしてるのにね。こう、精神の力で「エイヤッ」って心臓止められる人が居たら、わたしはその人のことを“真の自殺者”って、敬意を込めて呼ぼう。って、わたしに呼ばれても仕方ないと思うが…。

 しっかし、生きることには『何の意味もない』だとか、人生は『やり過ごす』ことだとか『暇つぶし』って、Dr.キリコが活躍した『安楽死狂会』ってHPには書いてあったらしいんだけど、そんなんHPで高らかに宣言して何になったんだろ〜っ?こんなことにみんな知ってても言わないことナンじゃないの?まっ、どーでも良いけど。消えたHPだし…。

 ダラダラ本文より長い私見っての書き連ねてきたけど、ココまで書いて思ったね、わたしは。
 結局、“Dr.キリコ事件”ってガキの事件。まっ、ガキってのに語弊があるなら、新入学の大学生!悪ノリして“一気”したら死んじゃった!で、ビビッて自分も後追い。

 まっ、何やっても生き残る奴は生き残るし、死ぬ奴は死ぬ。大自然の法則だ!
 お好きにどーぞ!

【PS】
 この駄文書くにあたって、大元になった『安楽死狂会』ってHP探したんだけど、案の定、閉まってました。だけど、そのHPでDr.キリコがやっていた『ドクター・キリコ診察室』って掲示板は残っていました。
 そこには、熱血バカで“お薬マニア”のDr.キリコの、ノー天気な薬学知識ヒケラカシ文章が書いてありました。
 「熱血バカの死は呆気ない」ってのは本当だね(笑)。 

文責HAL


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