古今東西の
金言、名言を、
わたしの自筆でお楽しみあれっ?


          元旦は冥土の旅の一里塚
                めでたくもあり、めでたくもなし
                            ―一休宗純―


 昨日、お袋の年賀状の宛名をプリントした。
 今までの住所録をそのまま使った。
 できあがったハガキの中に、ボツが何通も有った。
 ボツは、今年、亡くなった友人・知人・親類。
 打ち出された故人のハガキを見てなんとも複雑な表情をしていた。
 そして、わたしはボツになった住所の更新(=削除)を命じられた。
 少し、ヤだ。
 特に、わたしもその葬儀に参加した人のなど、二度葬るようで…。
 機械は「削除しますがよろしいですか?」なんて、澄まして聞いてくるが、わたしは複雑な思いに駈られる。
 「人の記憶も、クリック一つ(Winユーザーは二つ?)できれいに消えたら楽かもしれない」
 とか、
 「あっ、でも、消しすぎて全部なくなったら自分は何処行っちゃうんだろう?」
 とか、残された側の勝手な感傷に過ぎないと思いつつも、作業がはかどらない。

 そもそも、“死”ってのは残された側の想像(=言葉)でしか語られない。
 イタコの口寄せが嘘だとすれば。
 世が、ミレニアムだとかで浮かれている今日ただ今の、HAL的言葉でコレを少し考えてみよう。
 「死とは怖いものなのか?だとしたらその理由は?」
 まっ、大抵は“怖い”と考えられているよネ。
 理由は、@死に至る苦痛の恐怖、A自分の死後の恐怖、B死後残されたモノに対する不安なんてのが考えられる。
 AとBの違いは、Aは自分が死後何処に行くのかってことで、Bは、例えば、死んだ後、ベッドの下のエロ本の行方とか、残された家族の心配なんてコト。
 んで、@は厳密に言えば、この“苦痛”は生の範疇の問題で、死とは切り離せる。
 Aは、判りません。プチ・グル高橋さんにでも“定説”を聞いて安心してください。
 つーコトで―強引と知りつつ―、上の問いは、
 「死後残されたモノに対する不安を処理すれば、死は怖くなくなるのか?それにはどうすれば良いのか?」
って、お話になる(する)。
 じゃぁ、どうすれば未練が残らないか?

 わたし11月にレーザー・プリンターなるものを買いました。
 一度に書く現行の量がハンパじゃないので、実に快適です。A4100枚なんてタバコ吸っている間に終わります。
 んが、前なら100枚プリントしている間にできた、“ムダ”なことができず、文字通り、“一服”しかできない。
 終わらないんです。
 いや、前は「あっ(゚o゚)、ココ直したいけど時間がないや!まっ、適当に諦めとけ(^_^;)!」って、終わらせるコトができたんですけど、今は、ギリギリまで諦めきれずに粘れちゃうンです。
 効率化って正しいんでしょうか?
 実は、未練を量産するだけなんではないでしょうか?
 まっ、確かに便利になって良い面の方が多いんだとは思いますが…。

 つうコトで、無理矢理。
 考えすぎるとそれが未練になるといけないから止〜めぇよ!
   この道を行けばどうなるものか、危ぶむなかれ
     危ぶめば道はなし
   踏み出せばその一足が道となる
     迷わず行けよ
     行けばわかる

              ―一休宗純―

 良いお年をお迎え下さいm(__)m
                       HAL 


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