すかっ?本


桐野夏生 著『柔らかな頬』 講談社、1999年

 いや〜っ、「HPを動かしたい!」って“欲”に取り憑かれて、やっとのコトでTOPページだけナンとかしたHALです。
 まっ、そう言うわけで、記事の内容が面白くないかも(^_^;)。でも、大丈夫!そんな時は、“大阪弁フィルター”の力を借りて!


 てな感じで始まりました!『すかっ!本』です。
 今回の犠牲者(ん?)は、桐野夏生。この人の物語って―あんまり“一言”で物語を括るコトって得意じゃないんだけど、敢えてすると―、“落ちモノ”といえるんではないでしょうか。
 んで、この落ち方がなんとも…。
 まっ、例えると、“ひもなしバンジー”みたいな“すかっ!系”ではなく、エーっと、なんて言うか、そう、“ヘドロの海で上下の感覚が無くなって、自分では水面に上がろうと必死に足掻いているのに、実は、底に向かってる…系”。(う〜ん、やっぱ、一言で言うのがヘタなわたし(^_^;)。)
 で、読み手の方は、どっちに向かっているか判っているから、イライラすると言うか、“腑に落ちん!”って状態に成るんです。
 これが、ウケたんでしょうな、’98年度『このミス』(『このミステリーがすごい!』)で、『OUT』(講談社、1997年)は第一位に選ばれました。

 ほら、今までの“落ちモノ”系物語―一般にクライム・ノベル―って、“底”に向かうって覚悟して落ちるのがほとんどだった、大藪にしろ、大沢にしろ、北方しろ…(って、わたしが読んだ範囲だけど…)。で、“底”に落ちてからがナンボって、話だとか、落ちる過程を書いてても、一種、“落ちる美学(?)”ナンてのが強調されていたりする。
 そんな“クライム・ノベル”界に、北村薫とかが“美学”否定って言う立場をとって参入。その後、色んなフォロアーが続いた、宮部みゆきとか、桐野とか…。
 で、気付くのが、コノ立場の人たちって、ほとんど女性(゚o゚)!
 う〜ん。考えさせられちゃいます。生きることに対する、男と女のスタンスの違いって、簡単に言おうと思えば言えるんだけど…。
 わたしゃ、男だから(って、エクスキューズを入れて)、日々平平凡凡と生きているにもかかわらず、どっかで、“夢”(大金でも、名誉でも、地位でも、ナンでも良いんですが)を捨てきれなかったりするんですけど(あっ!わたしだけだったりして…)、コノ人達の物語ってその辺のトコがほとんど語られてなくって、だから、面白かったりする。

 って、ココまで書いて思いついたんだけど、コノ手の“落ちモノ”系もの物語って、ドフトエス・スキー(♂)が『罪と罰』で書いてら…。

 さて、っと、総論的なお話はココまでで、『柔らかな頬』。
 まっ、ハッキリ言って、“すかっ?”です。
 コノ人って、ホント物語を終わらせるのがヘタですよネェ〜。
 全ての物語は終わりがあるんだから、話を“収束”に持っていくってのは当たり前なんですけど、ちゃんと“収束”してないんだ。
 落ちる過程がそこそこ説得力があっただけに、ドタバタで終わったり(『OUT』)、尻切れトンボで終わったり(『柔らかな頬』)されると、その落差が大きくて失望感もより一層。

 「現代の家族のカタチ」とか、「神隠し」とか、「余命3ヶ月の元刑事」とか、アイテムは盛りだくさんなんだけど、カタのつけかたがあれじゃぁネ。本屋に行って、最後の章だけ、立ち読みすれば十分。って、言うか、買って、最後の章だけ読まないって、読み方すれば良い。ホント、最後が“蛇足”。

 「生きることに対する、男と女のスタンスの違い」ってのを、ある事件(って隠すように書いたけど、さっき「神隠し」って書いてら(^_^;))によって失われた“家族のカタチ”を復旧させる“やり方の違い”で描こうとしてんだけど、ムリに“神隠し”に決着をつけようとして台無しにしていまった。それが、最後の章。
 最近“ミステリー”ってのは、際限無くそのカテゴリーが大きくなってきてるから、“本格ミステリー”を気取って、謎解きしなくたって、例えば、宮部みゆきの初期の作品みたく、「“神隠し”は“神”隠し!人知の及ぶものではない」って潔く置いておいても良いんじゃないかと思います。まっ、「あっ!と驚く、タネ明かし」みたいなコトになってりゃより良いんだけど…。

 まっ、“本格”にこだわったが故の“過ち”とでもしておきましょう。ホントに勿体無い…。
 次の作品に期待。で、もし次も“すかっ?”だったら彼女はめでたく(?)、“文庫本作家”に仲間入り。    


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