すかっ?本


別冊宝島455『自殺したい人びと』宝島社,1999年

 前に、ボツになったネタで『Dr.キリコの贈り物』つー本の話したけど、その後、『私が死んでもいい理由』(美智子交合著 太田出版)、『インターネット自殺読本』(相田くひを著 マイクロデザイン出版局)てなタイトルの本が、矢継ぎ早に書店に並んだ。
 “Dr.キリコ事件”について書いた手前、本当は2冊とも読まなきゃなんないんだろうけど…。ナンかコノ事件に関しては、自分的には“見きった!”って言うか、“おわりッ!”って感じに成っています。一寸、違うな…。正直に書くと、「どうでも良いや!」って投げやりに成っています。だ、もんで、コノ2冊は読んでいませんし、読む気にもなっていません。
 でも、最近の“自殺事情”ってヤツに興味を持ったコトも確かなんで、こんな本読んでみました。

 んで、まぁコノ本、「未来世紀のための憑き物落とし!」なんて、裏表紙に書いてあるけど、“落とし方”がねぇ。
 どう言う“落とし方”が書いて有るかってーと、「自殺は人に迷惑がかかる」ってトコまでは良いんだが、その「迷惑」つーのが、“経済的”損失。具体的には、若者が死ぬと、労働力、生産力が失われるって書いてある。
 まっ、確かに、コレから高齢化社会を迎えるにあたって、爺さん婆さんを支える若モンが一人でも減ると、それだけ負担が大きくなるのは解かる。解かるが、コンな説明で自殺を思いとどまる人間が居るのか?
 わたしなら、余計に「わたしの“生”は、爺婆を生かす為に有るんじゃない!」とか理由つけて、自殺すると思うけど…。

 前半で言っている、最近の自殺の分析、「『自分』が、世界に対し、無条件で『高み』に立つための究極の消費財」って話は面白かったんだけどネ。
 しっかし、こんなコトは、今更、目新しくもナンとも無いんだけど…。
 特に、日本なんかは、“ハラキリ”って伝統が有ったわけで、これなんか一種の“美”まで、上り詰めてしまった消費財だと思う。まっ、“美”って言っても、様式美ってヤツに成るんだろうけど…。そんなコトは置いといて…。
 消費財なんて、ムツカしい言葉使わなくても“ネタ”って言った方が、わたしにはシックリくる。
 “ネタ”ナンすョ。“ネタ”。
 知り合いに、“自殺”の話されたら、一応、話聞くでしょ?
 「俺、この前、眠剤飲んだんだ!」とか告白されて、「へ〜、そう。ところで、日米ガイドライン法案ってさァ」って、話逸らすコトできる?多分、殆どの人は、原因を聞くなり、思いとどまらせたり、兎に角、告白した人間が話題の中心に成れるでしょ。
 つーコトは、“ネタ”ナンですネ。わたしに言わせると。
 んで、Dr.キリコが預けた「死なないためのお守り=青酸カリ」ナンて、アイテムがあったりすると、もう、“話題の中心はあなたのモノ”状態!青酸カリなんてモン手に入らなかったら、手首の一つでも切りゃ良い。
 まっ、一寸前、おネーちゃんの居る店にバイアグラ持ってって、ウケを狙うヲヂサンと五十歩百歩。ふぅ。
 “生(性?)”を語るにゃ、バイアグラ。“死”を語るにゃ、青酸カリ。ってか!

 コンなコト書くと、「真剣に死のうと考えている人に対して無神経だ」って言われそうだが、自殺者の数って毎年2万人〜2万5千人の間で推移していて、激増したり激減したりはしてないんすョ。それに、最近はリストラ食らったお父さん達の自殺が増えている。
 進退極まって“テンパッ”た人は、どんな言葉をかけても死んじゃうンです。その人達には、わたし何も言えません。前は、偉そうに「人間ってソフト(=精神)とハード(=肉体(脳みそ含む))に分かれているんだと思うんです。だから、精神(頭)の中ではナニ考えたってそれは自由だし、規制するコトも出来ない。だけど、その考えを肉体を使って表すことは、自ずと規制される。いや、ですから「自殺するな」って規制があるってコト言いたい訳じゃないのです。精神と肉体で、本当に“自分の物”って言えるのは精神だけナンて書いたけど、ムダですネ。ご自由に。でも、一寸だけ足掻いてみては…。

 だ、けんど、インヤ、だからこそ、自殺をネタにして、話題を掻っ攫おうとしてるヤツはゆるせん!そう言う、ヤツらはDr.キリコみたく、トットと逝って!
 って、コンだけ“ネタ”にした、わたしが言うなって!?「アッチョンブリッケ!」

目次へ 前回の記事へ