すかっ!もん


ヘンリク・ミコワイ・グレツキ『悲歌のシンフォニー』(交響曲第3番 作品36)

 久々であ〜る。
 皆さん、わたしが、十分充電して再開したので、さぞ期待も大きいコトであろう。
 しかぁ〜し!世の中そんなに甘くない!なんたって、今回の充電は、一説によると、ただ単に、“逃げた”だけらしい。いや、全くそのとーり!NORYさん家に転がり込んで、酒と、ドリキャスと、おしゃべり(議論とは呼べない)の日々。“ネタ探し”なんて、すっかりドッカに飛んでいっていました!反省m(._.)m。 


 で、反省しながらも、充電中の話題でナンとかなりそうなモンを物色しているうちに、そういえば、今回、よく「言葉(言語)って奴ぁー、ホント、相手に上手く伝わらネーよな!」って考えてたコトに思い当たった(゚o゚)。
 よっしゃ〜っ!こいつで一発書いてみるかってコトで、我が愛機の前に座った訳である。テーマは決まった。後は、料理する素材さえ決まれば、いつものように“イタコ”状態になり、言葉の奔流に任せればどうにでも成る。っと思ったが、大甘。
 言葉の能力の限界を、言葉を使って書くなんて…。このもどかしさを、CGなりMIDIなり別の記号で表現したいのだが、日常PCをワープロと大して変らない使い方しているため、それはムリ!焦りました!自分の能力を恨みました!もっと、ちゃんと勉強しておけば良かったと後悔しました!
 んで、もろもろのコトに身悶えしながらグルグル部屋の中を歩いていたら、「いっ!て〜ェッ!」、スピーカーに足の小指をぶつけてしまいました!
 すると…
 スピーカーの上に積んであったCDがバラバラとこぼれ…、一番上にのっていたのが、このCD―ヘンリク・ミコワイ・グレツキ『悲歌のシンフォニー』(交響曲第3番 作品36)―…。
 なんて、上手い話があるわきゃ無い。
 まっ、天才に付きものの“お話”ってコトでご勘弁を…。


 ヤバイぞ!コンなに前置きが長くなるのは!
 だけど、まだ続いたりする(^_^;)。
 わたし、交響曲のCDってコレしかもってないんよ。クラッシックなんて全然聞かない。だ、もんで、解説なんて書けないんだ(キッパリ)。で、ライナー片手にナンか書こうと思ったんだが…。
●交響曲第3番作品36「怨歌のシンフォニー」 1976年の10月から12月にかけてカトヴィーッェで作曲された《交響曲第3番》は、ソプ ラノとオーケストラのための作品である。語法の点でも内容の点でも、第2番の方向を一 歩押し進めている。他の作品と同様、すべての楽章に遅いテンポが指定されており、記号 の上では3つともほとんど差はないのだが、グレツキは同じレントでもじつに豊かなニュ アンスがあることを教えてくれる。ソプラノが歌っているのは、いずれもポーランドの女 性の悲しみを綴ったテクストである。[白石美雪]
なんて書いてあるんだ〜っ!
 う〜ん、塩沢先生ゴメンナサイ。あなたの授業中、爆睡していたわたしが悪かった!
 まっ、これなんか言語の限界ちゃぁ、限界で、良い例ナンだけど…。


 そうなんです!言葉ってのは相手の資質に負うところが大きいんです。
 伝え手と受け手の間に、“ナンか”ないと伝わらないんスョ。で、この“ナンか”が100%同じ人なんか絶対いないわけで、いたらいたで気持ち悪ぅぅぅ〜いし、誤解が生まれるコトにナンの不思議は無い。
 特に、文字。コイツは、ホント厄介。それが、活字になった日にゃぁ、あんた!手書きのときには、まだ、なんとか字体とかから読み取れた情報が、削ぎ落とされて“情報の結晶”状態!

 充電中に、酒浸りの日々の中、“呑み屋の話題”的に「これからの活字メディアの方向は―電子メディアとの関係からの一考察―」って話が出た。あっ、あくまで“呑み屋の話題”ですから、“呑み屋”の…。
 そん中で、ある人が「“本(=従来の活字メディア)”の場合、人は文字情報だけでなく、その装丁、紙質、文字組み、匂いetc.(=“質感”)からも情報を読み取る。だから、“本”が消えるコトは無い」って意味のことを言ってました。もう一人は、「それらの情報は、電子メディアでも十分置き換えが可能だし、携帯電話の普及や、CDの普及なんか見ると、決して“本”が消える可能性が“0”だとは言えない」って…。
 まっ、酔っ払いの戯言だから結論なんてモン出ッこ無いし、出すつもりも無いから良いんですが、電子メディアってどこ行くんでしょうネ?
 “本”と違って、音出たり、絵が動いたりするから、そう云うことで言うと“情報の結晶化”は避けられるのか…?それとも、“質感”自体から、わたしらは無意識に情報を読み取ろうとしているから、“擬似”的に質感を再現してもピンとこないのか…?


 あ〜っ!ナンだかまとまン無いョ〜(゚.゚)!
 で、強引(=脈絡無く)に、戻す。
 ヘンリク・ミコワイ・グレツキ『悲歌のシンフォニー』(交響曲第3番 作品36)であ〜る。
 ライナーは(わたしにとって)未知の言葉で書いてあるから、なんで、コンなもんがわたしん家にあるかって話をば。
 札幌時代ラジオで流れてて、“(゚o゚)!”っとしたからナンです。
 この曲、1976年に作曲されたモンらしい。それが、1991年イギリスで演奏されて、それがBBCだかで放送されたのを機にブレイク(?)!
 はるばる海を越えてそのエピソードが、わたしの知るところとなり、こうやって電脳界の片隅―カス―HPにて紹介される羽目になった。
私の愛しい、選ばれた息子よ、
自分の傷を母と分かち合いたまえ。
愛しい息子よ、私はあなたをこの胸のうちにいだき
忠実に仕えてきたではありませんか。
母に話しかけ、喜ばせておくれ。
わたしの愛しい望みよ、あなたはもうわたしのもとを離れようとしているのだから。
〔聖十字架修道院の哀歌、 「ウィソグラの歌」より。 15世紀後半〕沼野充義訳
なんて、ソプラノが歌っている。その歌声は、“悲歌”そのもの。この他に2曲あるのだが、どれもポーランド語で歌われている。英語さえ覚束ないわたしだが、始めて聞いた瞬間から、“(ToT)”の感情が伝わってきました。
 「伝え手と受け手の間に、“ナンか”」にビンビン響いてくるモンが合った!

 「言葉(言語)って奴ぁー、ホント、相手に上手く伝わらネーよな!」って事実は、物凄ぉ〜く、悲しいコトなのかもしれない。逆に、だから“救われる”って一面も有るけど…。
 っだ、けんど、ぅんだからこそ、あたしゃ、不確かな言葉でもって、ネチネチと駄文を今日もUPするんであった。


 お〜ぉ!
 なんだコリャ!
 文に成ってねーぞ!
 まっ、しかし、こういうのもアリってことで…。
 申し訳無い! 


 戻る
  目次へ 前回の記事へ