すかっ!もん| 肉体は精神の檻である ―ゲーテ― まいった! 全然更新してませんでした! 全世界の『すかっ!パラ』ファン(推定5人)の皆様、ご心配おかけしております(←まだ、かけるつもりかい!>わたし)。 んで、ここんとこイロイロ物騒な世の中になったんで、そのコトについて一寸。 我が『すかっ!パラ』のテーマは、「肉体と精神の不可分」です。 『マトリックス』見て考えました(^_^;)。 まっ、まぁ、それは置いておいて、最近の少年犯罪のエスカレートの原因に、よく「学校教育の問題」なんてコトが言われてますが、では、何が問題なのか? わたしゃ、教育現場の墓場の末端の末席を汚す者として、「肉体の限界が精神の限界」って、コトを「個性」と言う美名のもとに、蔑ろにしてきたんじゃないかと感じています。 前にも書いたと思いますが、精神(心、頭ン中)であれこれ妄想する自由は、今ンところ保証されています。多分、ずっと先までは大丈夫でしょう。『続科学の終焉(おわり)』(ジョン・ホーガン著、徳間書店2000年)読む限りではそんな気がします。が、それを一度、“肉体表現”として行ってしまうと、幾ら「表現の自由」が認められていると言っても、「ダメ!」って言われるコトも有る。 「なにを、判りきっているコトを!偉そうに!」と思っているあなた!その考えは正しい。もう少し、お付合いをm(__)m! んで、この肉体が受ける“縛り”は、規制、規範、規則といった「“規”の字(≠キの字)」の付いた言葉で表現されています。 こう考えると、「個性」だとか「自由」だとか、今、ガッコでは、金科玉条のごとく大切にされていますが、この金玉―わたしのソレの如く―大したコト有りません!精神のソレは物理的に保証されているのですから…。 がぁ、肉体のソレは“規”の“向こう側”に有るモノも有るワケで、得る為には中には「反社会的」の謗りを免れない行為に結びつくコトも有る。 つぅ、コトで「“規”の向こう側」の住人のHALが、如何に金玉が使えないかのお話をしましょう。 最近、本当に使ってません!最後に使ったのは、納屋橋の…、じゃなかった(お約束ですネ(^。^))、 もとい! 「リアルHAL」を御存知の方は、わたしが“向こう側”にどのくらい足を突っ込んでいるかお判りでしょうが、知らない方の為に。 わたしゃ、 身長183cm。 体重が100sオーバー。 ウエスト42in。 トドメは、足のサイズが30cm。しかも、臭い! 最近はそうでもないけれど、日本人の“規”格からかなり“向こう側”に住んでいる。 『五体大満足』って本、書こうかと思うくらいです。 『不満足』とかなり近いぐらい不便でなりません! 肉体の個性がコンな状況だと、精神なんてモノの個性にどう言う影響を与えるか? 一言で言うと「猛獣の孤独」です。 カッコ良すぎますか?一夢庵みたいでしょ? が、ホントのコトです。 小学校1年の時、同級生の岸君の頭を「軽く」叩いただけで、岸君の親が怒鳴り込んできました!わたしとしては、纏わりついてくるハエを追い払うぐらいの気持ちだったんですが…。 以降、母から「あんたは、他の子と違うコトを肝に銘じなさい」と教育を受けました。 「他の子と違う」=個性。これがどんなにわたしに悲しい思いをさせたコトか! 他の子が、マンガの画かれた靴を履いているとき、わたしだけ紐靴。どれだけ、ミラーマンの画かれた靴が欲しかったか!! 何度、上級生・他校の不良から「生意気だ!」と呼び出しを受けたことか! 「新入社員の分際で、オーダーの背広着てるのか」と上司に言われたり…。 ウンザリです。 まっ、ボヤいても詮無きコトなので、最近は上手く折り合いをつけていますが…。 コレほど、金玉は役に立ちません! でぇ、唐突に結論(思いこみ)。 結局、「個性」なんぞが“育てられる”モンだと思いあがっている奴等は、個性が孤独とコインの裏表と言うコトが判っていない!つぅか、そう言う連中が、一番、無個性ないんじゃなかろうか?チョットでも、個性(=孤独)を体験した人間なら、ソレが何を意味するか判っていても良いんじゃないの? そうやって、ムリに育てられた「個性」が肉体を食い破り、他者に向かえば殺人に、自己に向かえば自殺にってんじゃないの?? 個性は天賦の才。 持っていても、上手く使えなければ邪魔になる。 そう、慌ててチャックに挟んでしまうように…(T_T)。 |
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