すかっ?もん


超常現象体験

  わがHP、“すかっ!本”に、わたしの超常現象体験について書いたところ、友人のNORYさんから、以下のようなカキコが伝言板に有りました!
 最初に言っておきますが、私もHALと同じで「懐疑派」の人です。霊的体験もしたことないし、小学生時代から天体観測してますがUFOも見たことありません。

  えーそれは、私が大学の天文サークルで山奥に1週間の合宿に行っているときでした。
 天文サークルの合宿って、晴れてれば日の出の2時間くらい前まで観測をするし、曇れば朝まで酒盛りをするんで、けっこう体力的にきついんですよ。
 合宿も5日めに突入して、そろそろ体がきつくなり始めたとき…。
 来ました「金縛り」が!!
 いやー、話には聞いてたけど、自分がなるのは初めてだったんで、最初は「な、なんなんだー!!」と思ったけど、それまでの知識を総動員して「は、はーん、これが、金縛りか」と推理をたてたしだい。
 「懐疑派」の私は自分の推理を確認するために…
 まず、腕を動かしてみる…「動かない」。
 次に、寝返りを打ってみる…「動かない」。
 さらに、目をあけてみる…「開かない」。
 最後に、声を出してみる…「…出ません」。
 以上の人体実験を試みて、「なるほど、皆が言う通りだ。これは金縛りに間違いがない」と確認。わかってしまえばそれまで。
 体は動かない状態で唯一できる行動…そう、「寝る」ことです。そのまま私は再び深〜い眠りの世界へと埋没…。

 …それからどれくらいの時間がたったのでしょう。なんか、自分の回りで子供が走り回ってる気配がするんだよ。「あー、もう!! 人が寝てんのに鬱陶しい!!」と思ってたら、その子供たちがいきなり私の体の中を走り抜けていくじゃないか!!「わぁ、わぁ、なんだ〜!! 気持ち悪ぃ〜!!」とおもって目覚めても、そんなところに子供なんているわけなく。
 わたしは、「?????」。

 うーん、何だったんでしょう。きっと疲れていてへんな夢を見たのでしょうね・・・それにしては目覚めた瞬間のリアルな感触が気になるが。
 ちなみに、私が寝ていた場所は、その村が天文観測用の合宿所に改築した廃校になった小学校の教室でした。
 超常現象体験って、難しいんですよ、実は。
 なぜって、人間の脳みそのことが、全然、解ってないから…。
 NORYさんの「目覚めた瞬間のリアルな感触」なんてのはその典型。
 だから、NORYさんと同じような“リアル”な超常現象を体験したとしても、人によってその解釈は違ってくる。よって、この場合、間違い無くNORYさん(の脳)が体験したことであるから、もしNORYさんが、「わたしは超常現象体験をした」と言っても嘘では有りません。
 ここで少し、“わたしの解釈”をすると、「自分の回りで子供が走り回ってる気配」ってのは、多分、走っていたんだろう。それは、他の天文部員だったかもしれないし、ネズミその他の小動物だったのかもしれない(こっちの方が嫌だ!)。あくまで、“気配”であって、見たわけじゃなかろう?
 「その子供たちがいきなり私の体の中を走り抜けていく」ってのは、彼ら(天文部員)または、奴ら(小動物)が、NORYさんの体の表面をさわったか、文字どおり“走った”(あわわ…(゚.゚))からじゃないかな?
 それらの刺激と、「廃校になった小学校」っていう情報などによって、脳が体験させてくれたモノのような気がします。
 まっ、勿論、「戦争中に爆撃された子供達の霊」と解釈しようが、「数年前、UFOにさらわれた子供達のアストラル体」と解釈しようが、「自分の持っている水子の霊」と解釈しようが、それはその人の勝手です。

 で、問題となるのが“超常現象へのアプローチのやり方”です。
 数多の“否定派VSビリーバー”の対決(もうそろそろ『たけしのTVタックル』あたりで特番やるだろう)を見ると、どうもこのやり方が食違っているため、両者の話がなかなか前に進まないことがよくあります。
 では、超常現象に対して、それぞれがどのようにアプローチしているかと言うと、否定派は「“現象”と言うからには、物理的(科学的)観測が出来なければならない」とし、ビリーバーは「“超常”であるため、物理的(科学的)観測など出来なくとも良い」としています。で、この「物理的(科学的)観測」ってのが曲者で、“見た”、“聞いた”、“体験した”等、個人の主観的観測は、コレとは違うのです。
 ですから、わたしの体験やNORYさんの体験は、ビリーバーのやり方でいくと、立派な超常現象体験(゚o゚)!であり、否定派のやり方でいくと「脳の何らかの作用による、幻覚または、錯覚」ってことになるでしょう。
 この辺をちゃんと整理しないと“否定派VSビリーバー”は、いくら議論を重ねても不毛なものでしかないでしょう。
 例えば、NORYさんの体験を否定派は、「体の中を走り回る子供などは観測されなかった、よって、何らかの脳内現象である」とするのに対して、ビリーバーは「観測されなかったからこそ、それが超常現象の証拠だ」って主張する。UFOはじめ、ほとんどの超常現象は、否定派が“科学的”にそんな現象は観測されないと、主張すればするほどビリーバーは「科学で解明(実は、科学的観測が出来ないだけなのだが…)されないからこそ、超常現象は存在する」と有頂天になる。
 極端な話、この論法でいくと、「ゴジラが存在しないことは観測されていない。よって、ゴジラは存在する」ってことになってしまう。
 まっ!TV番組ですから、そんな、こ難しいことは置いておいて見る方が楽しめるのですが…。

 で、懐疑主義者のやり方ってのは、ゴジラの例でいくと、まず、ゴジラが科学(生物学)的に存在する可能性が極めて低い生物であること(体長に対して体重が重過ぎる。放射能が生物を巨大化させる可能性。放射能を吐く。etc.)を提示する。その後、ビリーバーに目撃談、写真、映像など、(ビリーバーが考える)物的証拠を提示させ、その一つ一つを潰していく。その結果、潰しきれないものがあれば、存在する可能性をそれに見合っただけ、修正する。ってことを行なう。
 そうなんです。否定派との大きな違いは、頭っから「ゴジラなんか居ない!」とは、決して言わないことなんです。「常識すら疑う」これが懐疑主義者です。
 そんな、懐疑主義者―わたしは、成り損ないの“ビリーバーを笑うもの”です―の究極は、「自分すら疑う」っていう人達です。一歩間違うと虚無主義に陥ってしまいそうな人達です。んで、彼らを繋ぎとめている“命綱”が“信仰”だったりするので、一層、この人達は面白い!
 蛇足ながら、大槻教授を(TVなんかで)見て―JAPAN SKEPTICSの会員だったりしてました―、「????!!」って思っちゃうのは、彼が“火の玉信仰”の信者だったりするからです。
 まっ、“信仰”なんてと、“元祖超常現象”みたいな感じがしちゃうけど、彼ら懐疑主義者の皆さんは、ちゃんとその辺を整合させていらっしゃいます。その信仰とは、民主主義です。「科学と民主主義はどちらも、実験による判決を積極的に受け入れる思想である」とセーガン博士もおしゃっております。民主主義における実験とは、ありとあらゆる政策のことです。例えば、政策Aが失敗した場合、それを諦めて政策Bに切りかえるとか、今まで成功してきた政策Aも時代に淘汰されそうな場合、政策Bにシフトするとかってことを“実験”と博士は言っています。

 「実験による判決を積極的に受け入れ」ているとは言い難いこの国において、真の懐疑主義者の出現など望むるべくも無く、精々が“火の玉信仰”のオッサンか、“ビリーバーを笑うもの”ぐらいしか出てこないでしょう。

 い、いかん!“学業モード”から抜け出せん!


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