「バイクにまつわるエトセトラ」
 俺はバイクが好きです。スカして「単車」なんて呼ぶ人もいますが、俺はあくまで「バイク」と呼びます。「バイクの操縦は戦闘機の操縦に似ている...。」なんて以前何かの雑誌で読みましたが、果してそうなのですか?俺は戦闘機を操縦した事がないからよく分かりません。戦闘機乗りで、しかもバイク乗りの方、いらっしゃいましたら教えて下さい。

でも、峠なんかでさ、バイクがコーナー攻めに発進して行く様は、映画『トップ・ガン』のワン・シーンに似ていなくもない。戦闘服(ツナギ)に身を包み、各々装飾が施されたメットも、戦闘機乗りのそれに似ていなくもない。「ほんじゃ、ちょっくら気合い入れて攻めて来るわ!!」と言ってバイザーを「ジャッ」と閉める仕種も戦闘機乗りのそれに似ていなくもない。こんな話ばかりしていると「バイク乗りって凄くカッコイーなぁ。僕もバイク乗りになるのだぁりゃぁ!!」なぁ〜んて決めてしまう青少年がいるかも知れないから、バイク乗りの“真の姿”と言うか、“汗臭さ”と、俺のバイク遍歴(御遍路歴とも言う...)等を少し書いて行こうと思います。ここまでは語尾が「です。ます。調」です。ここから荒れるぜ!!たあぁりゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!

 俺がバイクにココロを奪われたのは“火葬場が見える丘高校”時代である。当時は車にもバイクにも全く興味を示さず、ひたすら麻雀に打ち込んでいた万年寝不足気味の俺の前を、ある冬の寒い朝、一台のバイクが風の様に通り過ぎて行った。色鮮やかなライム・グリーンの車体に紺色の字で「Kawasaki」と書いてあった。当時バイク方面には全くと言ってよい程無知だった俺は「乗ってる人が川崎さんって言うのか!?チャリじゃあるめぇし何で姓名書いてんだろ!?」と思ってしまったのである。しかし、4ストの重いエギゾースト・ノートを冷気鋭い朝の空気に轟かせて、俺の前を通り過ぎて行ったそのバイク、後に「KAWASAKI ZXR-400」と判明するのだが、その日以来、俺は完全に「ZXR」の虜になってしまったのである。

「速攻で免許取ってバイク買うべぇ!!」と固く決意はしたが、免許を取得してバイクを買う...と言う事は当時、独り暮らしをしていた俺にとってはかなり難しい事であった。バイトはしていたが、麻雀の借金と社食代金で給料の殆どが消えてしまうし、仕送りはCDやら書籍を買い捲りで飯もろくに食えない...様な生活をしていたのでバイクなんて夢のまた夢だったね。さらに、所謂「3ナイ運動」なる運動が学校内で活発だった事、両親が俺の計画を察知して妨害工作を開始した事等など、色々な要因が重なって結局、高校時代はバイクに乗れずじまいで自由登校になってからようやく原チャリの免許を取得したのであった。

原チャリ免許と言えども、取り敢えずこれでバイクに乗れる様になった俺は、浪人確定していたにも関わらず、速攻で新しいバイトを決めて、その足で当時発売されたばかりのスーパー50「HONDA NS-1」を買ってしまったのである。もちローンでね。両親にはメチャクチャ怒られた。納車迄は殆ど眠れない夜を過ごした...と記憶している。

いよいよ「NS-1」が納車されると、早速出撃しようとやる気マンマンキック・スタート、エンジン点火ぁ!!。しかし...その後暫くガレージから出る事まかりならなかったのである。何故?何故なんだろう??それは...走らないのである。走り出さなきゃ華麗なるパリパリ伝説も始まらないのである。2スト特有の白濁色の排ガスがガレージに充満してくる中、俺は初めて取扱説明書なるモノの存在に気が付き、それを読み始めた。

「シフト・チェンジ??クラッチ??」未知の単語が俺の脳味噌を苦しめた。それまで俺はスクーターにしか乗った事がなく、変速機の存在を全く知らなかったのである。左のレバーは当然ブレーキであるはずなのに制動の手応えが全く無い。左右足元には何やら変なペダルがある。いったいこれは何なのであるか?暫く説明書を読んでやっと気が付いた。「これは、オート・マチックではないのだな!!速度に合わせて自分で変速してやらねば走らないモノなのだな!!所謂マニュアルってヤツだな!!」と気が付いたのである。それから暫くは近くの駐車場でシフト・チェンジの練習に明け暮れて、3日後、ようやく公道デビューしたのであった。

しかし、公道デビューして調子にのっていた俺を待ち受けていたのは国家権力の狂犬共であった。予備校に通う途中の俺を後ろから呼び止める高音部カスレ気味スピーカーの糞ダミ声が聞こえて来た...と思った瞬間、俺の右側に白バイ野郎ファック&ビッチの片割れ、ビッチが赤い回転灯をグルングルン回転させて現れ、俺の右腕を掴んだのである。路方に停車した俺に向ってビッチは「君ねぇ、原付の法定速度は何kmだか知ってるか?」と言うのである。「30kmではないかね?」と空かさず俺も高飛車に応じた。「君何kmで走ってたか自分で分かってるの?」ビッチの質問に対して俺は「さぁ、メーター見てねぇから分からねぇなぁ。」と応じると、ビッチは「20kmオーバーだよ!!君20kmオーバー!!はい免許証出して!!」と威張りくさって言うではないか!!ビッチの言い方は「あんた大罪人だぁ!!死刑になってもおかしくないねぇ!!」みたいな言い方だったので、生まれて初めて大犯罪を犯してしまった様な気持ちになった俺は少しビビってしまった。でも話している内に「どうやら死刑にはならないらしい...。」と言う事が分かってくると、今度は“罰金”が課せられる事に納得がいかなくなり、「俺がこの罰金を払う事によって誰が得するのであるか?」と俺が言うと「君そんな事はねぇ、教習所で習っただろ?いちいち聞くんじゃないよ!!」などと言うもんだから、俺も頭に血が上ってしまい「さっきから見てんだけどさぁ、原チャリが車と同じスピードで走って行ってるじゃん?あー言うのはO.K.な訳?」と食ってかかると「えっ!?私は見てないよ。」などとトボけるのである。全く卑怯な狂犬である。「取り締まるなら平等に取り締まれよコノヤロー!!」って言葉がその時出て来なかった事が今でも悔やまれる。俺は「ザケンナよコノヤロー!!二度とその汚ねぇ面ぁ、俺の前に見せんじゃねぇぞ!!」と感情的に喚き散らして、最後はお約束の「中指おっ立て」をぶちカマしてビッチと別れたのであった。その後も、俺のバイク人生において狂犬共と幾度となく闘う事になるのだが、どうやらこの事件が狂犬共からの宣戦布告だったらしい。

「NS-1」にだいぶ慣れて来た頃、俺は浪人の身であるにも関わらず、遂に峠にも進出した。しかし、その峠に来ているのは中型バイクの猛者ばかり。峠デビュー当初は当たり前だが全く歯が立つはずもなく、いつもミジメな思いをしていた。しかし、疾駆りを重ねるに連れて、コーナー進入速度が速くなり、ライン取りもスムーズに、バンク角も深くなって行った。しかし、リミッター・カットしているとは言え所詮は50ccである。下りではほぼ互角に闘えても、登りでは全く歯が立たない。それでも気合いで挑み続けていたが、50ccの限界を嫌と言う程感じた。峠に通う内に親しくなったバカ野郎共と原チャリ同盟を結成したりもした...が、やはり所詮50ccなのであった。束になってかかっても烏合の衆であったのだ。しかし、テンションが上がってくるとツナギを脱ぎ捨てトランクス一丁でコーナーを攻めてみたり、時には生まれたままの姿で究極の“人鉄馬一体的美”を追究してみたりと、“気合い”だけは中型連合軍に負けていなかったのが何よりの救いであった。

ある晩秋の肌寒い日、調子にのり捲くっていた俺の前に「HONDA CBR250R」に跨った仲間Oが颯爽と現れた。Oは現役バリバリ大学生である。マシン・スペック及びキモチの上で現役パリパリ浪人生&「NS-1」の俺とは比べ物にならぬ程のゆとりを持っていた。その日以来俺は、O&「CBR250R」を羨望の眼差しで見つめ続ける事になった。ココロの内で「ZXR買ったら勝負しろコノヤロー!!」と熱い闘志を燃やしながら...。

そんなある日、Oの誘いにのって「サンバカらす」(※「アダ名に関する一考察」参照)は身分を偽って合コンに参加した。「俺等ブルー・マウンテン学院大学生でぇ〜す♪」と言ってはみたが、3匹とも一様に態度が不自然だったので即・バレた。しかし、そんな事はお構い無しに場は凄まじく盛り上がり、勢い付いたバカ野郎共+あまり名前を覚えていない女性陣は葛西臨海公園に向かったのである。俺は何故か愛機「NS-1」で行く事にした。多分、女の前でカッコつけたかったのであろう...と自己分析する。他の仲間達は車に分乗し、Oは「CBR250R」で行く事になった。

そして悲劇は国道357号線上で起こった。全開走行する俺と「NS-1」を残して、女性陣を得てノリノリの仲間達は猛スピードでダッシュをカマし、どんどん遠ざかって行ったのである。俺の周りには法定速度よりちょい上位の速度で巡航している数台のファミリー・カーしか残って居なかったのである。「くぅぅぅぅぅっ、サァビシィィィィィーッ!!」と俺はココロの中で叫んだ。そして、中型バイクへのステップ・アップを...「ZXR」を手に入れる事をココロに誓ったのであった。しかし、両親は強硬に反対し続けていた。

そうこうしている内に車で大事故を起こしてしまった。一発廃車であった。その事故以降、受験が間近に迫っていた事もあって、車は勿論、バイクも暫く強制的にお休みする事になった。俺は、机の前に「ZXR」の神々しい御姿を貼り、部屋の隅の方に「日々是決戦」なる張り紙を貼って勉強に打ち込んだ。しかし、両親は「中型バイクは絶対に駄目だぁ!!」と反対し続けていた。しかし、俺は「ネバー・ギブアップ・I love ZXR!!」と受験とは全く関係の無い事を強く己の内でシャウトし、決して諦らめなかった。これはある意味“愛”である...と思うが如何なもんか?

苦闘1ヶ月半!!俺は少し燃え尽きた。しかし、この受験戦争において見事な勝利を収めた事が、その後の俺のバイク人生を大きく変える事になるのだが、それはまた別の話...。

続く...