・・・論より証拠、事実は目の前にある・・・・    我々の全身至る所に満ちているのだ 我々の精神・・・もしくは生命意識はどこにもない・・・ | 我々の精神意識はどこにある |     泣く者は泣け  笑う者は笑え 喝采する者は喝采せよ 拍手する者は拍手せよ     そうしてそれに関する全ての迷信、妄信を清算せよ・・・ この戦慄すべき脳髄の悪魔ぶりを正視せよ ・・・目を開け・・・・・・・







DOGRA・MAGRA-ドグラ・マグラ


夢野久作の「ドグラ・マグラ」は1935年、大正時代に発表された精神世界を題材にとった推理小説だ。夢野久作はその次の年に死んだ。
ドグラ・マグラは夢野久作が10年以上の構想を練って発表された作品でその原稿はあの時代の一個の作品としてはかなり量の多いものになっている。10年とあるが、ドグラ・マグラは夢野久作の作品では最も末期に発表されている。ドグラ・マグラ以前の作品は全てドグラ・マグラを書く為のただの過程に過ぎないと言っても差し支えは無いだろう。それほど、夢野久作の作品の中でドグラ・マグラだけが突出して目立っている。

内容は複雑で1度読んだだけでは完全には理解できない。俺の様な者ならば何度読んでもその言わんとしている事を理解する事はできないかもしれない。本ではページ数650枚。その中の時間はほぼ停止していて一瞬間の間にあらゆる場面が出てくる。凝縮された一瞬を理解する事は非常にむずかしい。余りに細かく記されていて返って不可思議な印象を受けざるを得ないが作者の意図かもしれないしわからない。我々がドグラ・マグラの中から真の作者の意図を見いだすのは極めて困難であろうと思う。手易く感じとれる作者の意図は無数に現れている。精神病に関する誤解、精神世界の自分の考え、精神病院に於ける惨たらしい実態に対する批判、マインドコントロールの容易さの危険性等、そういったものは誰にでも読み取れる。こういったものは本の中の「解説」といったものの中にも様々書かれている。けれど俺はこんな内容が夢野久作のこのドグラ・マグラの書かれた真の意図だとはどうしても思われない。確かにそういったものも言いたかったに違いはない事は解る。


夢野久作は人間の精神、精神病等に非常に興味をもっていたと解説等には書かれている。実際に人間の精神に関する作品も多い。ドグラ・マグラもあからさまに精神についてだ。ドグラ・マグラを完成させる迄に精神や精神病の事等も様々知ってきた事だと思う。その怪しい雰囲気や狂気の中に含まれる美を表現する事も追求した事と思う。そういったものを含めてドグラ・マグラの中には先に述べた[精神に対する思想、精神病に関する誤解等]が表記してあり示唆している様にもとれる。

だが俺は確信は持てない。そして夢野久作の意図するところもわからない。そういったものはこの本の中に隠れているというより、書かれていない為に存在していないのかもしれない。全く見出す事ができない。感じとれる様子もない。

夢野久作は精神について興味をもっていると解説等にはよく書かれてあると先ほど書いたが、俺は思う。それは興味ではなく「憧れ」だったのではないかと。作品を見ていれば解るが夢野久作はそれを或いはその異常性を美しく書こうとしているふしが見える。狂人の妄想や生み出したその妖艶さや狂おしい感情の流れ、恐怖、謎、そういったものに憧れを感じていたのではないか。誰も完全に理解する事の出来ない精神世界の力強さや脆さ、我々が未知の存在に憧れる様に。そうしてひょっとすると次第に夢野久作は自分自身の中に理想を作り出してそれになろうとしたのかもしれない。「本能の赴くまま」という言葉がドグラ・マグラ中にあったと思う。それは夢野久作の言葉という風には書かれていないが、俺が今この文章を書いていて思い出した言葉だ。本能、夢野久作はただドグラ・マグラ或いはそれ以前の作品を自分の欲求の為にだけ書いたのではないだろうか。精神等の持つ未知の美しさや魅力を追求したかった。その中に精神関連を知る内に学んだ問題をその中に登場させた、もしくは夢野久作本人も気付いていなかったのかもしれない。精神や精神病等に関する事を提起しようとしていた事に本人は気付いていたが、精神に曳かれそれを自分のものにしようとしていた事には無意識だったかもしれない。俺の自分勝手な考えだが、もしそうならそれが本文中の「本能の赴くままに」という言葉に出たのだろう。


そういった意味も含めるとドグラ・マグラは人間の精神と同じ様につかみどころのない存在でも不思議ではない。ドグラ・マグラという題名だけで我々には怪しい雰囲気を感じとれる。内容も題名から来る期待を裏切らないものになっている。最初の部分の「ブゥゥゥーーーーン・・・ンンーー」で始まり最後も「ブゥゥーーーンン・・・ンンーー・・・」と全く同じ場面で終わっている。丸いパノラマの中心で360°回って最初に戻ってきた様な感じだ。

 ↓  この矢印から回り始めてまた元の場所に戻ってくる。
 
その中心に主人公となる者がいる。
推理形式という形で読み手を引き付けているがその答はハッキリとは出されない。何故かはわからない。そんなものはどうでもよかったのかもしれない。俺にとってはそれはどうでもいい。この作品の雰囲気、世界が魅力的に書かれているのだ。夢野久作自身がそだった様に読み手もそのあらゆる意味での世界に引き付けられるのだ。書かれている数時間の間の精神の流れをひとつも省く事なく書かれている。作り物ではあるが一人の人間の精神の流れを余さず表現している部分に興味を覚えるのかもしれないしそれはこの小説以外には余り類を見ないからだろう。少なくとも日本では無いと思う。アメリカの作者ジェイムズ・ジョイスの本で「ユリシーズ」という作品があるがドグラ・マグラと形こそ違え人間の意識の流れを深く表現した作品があるがやはり人々の興味をそそっていた。


文庫本でそんなに高くない値段で売ってますよ。





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