RELIGION-宗教

最初に、これは日本における考えを書くものである。
我々の生活している中で自分に関わってはいなくとも必ずどこかで宗教の存在を目にしているだろう。そして宗教は様々な種類で多数存在していてその全てを確認する事は不可能に近い。存在を確認するだけで困難なのにその内側に隠されている本質を見抜くのは到底無理な話だ。それ故我々は完全に近い状態で健康な時にはその不気味さから宗教から離れがちになっている。宗教がその力を最も発揮するのは我々の肉体及び精神が弱っている時である。

宗教といってもその数は多彩だ。一般的なキリスト教や仏教等。そして新興宗教と呼ばれるオウム真理教や幸福の科学、法の華等が挙げられる。どれが危険でどれが安全かは一人の人間が決めつける事はできないのでここでは避ける。が、宗教は必ずしも安全なものばかりではなく危険なものも存在する事は確かでもある。一般的な考えを挙げるならキリスト教や仏教はその危険性は少ないかもしれない。


先にも述べたが宗教は弱っている人間に対して非常に魅力的に映る存在であるという事だ。例えば、我々は1度くらいは日常の生活の中にも困った時に無意識の内に神の存在を頭に浮かばせ、それにすがったりする事があった事と思う。普通の状態、健康を保っている状態の時にさえそういったものにすがってしまいがちになるという事は、何かあって弱っている時にはその意識が普段よりも増幅されるという事は最早否定の意を唱える事は出来ない。そして弱っていて困っていればいる程どの宗教に触れても非常に魅力的に映ってしまう。それが例え以前健康な状態の時に危険だと思っていたものであっても。そこに宗教の恐ろしさがある。


例を挙げよう。もしあなたが何かの失敗、又は被害により何もかも失う、もしくは困り果ててしまったとする。そうなった時に今まで信じてきたものをこれまで通り信じていられる事は難しい。精神力にもよるがそんなに強い精神力をもっている人間は多く見積もったにしても全体の半分にすぎない。そしてそれは大概「俺は大丈夫」と思っている人間に多い。また、そうなった時に自分の生き方は間違っていたと思いがちになり新しい生き方を探そうとする。その時に宗教は我々にとってそれを提供してくれるありがたいものに見えるのだ。そして生きる力の弱くなったあなたはどの宗教に触れたとしても魅力的に映り、すがりたくなる。

そこに危険な宗教勧誘は食らいつく。勧誘する側は寄ってくる弱った人間の心理を知っていてたくみにその心を誘惑してくる。また、宗教に近づく人間の殆どが何か心に傷を負っていたり、力が弱っている者に限られるのでその成功率は極めて高い。



べらべらと面白くない文章を書いたが結局言いたいことは、もしあなたが弱っている時に以前危険だと少しでも感じていた宗教には関わるなという事だ。油断してはいけない。あなたから近づかなくてもそれは向こうからあなたによってきたり、本や新聞雑誌、テレビ等の媒介を通してあなたに接触してくる。弱っている時にはそれだけで充分すぎる効果がある。そこにある言葉に魅せられて加入してしまうかもしれない。弱っている時には以前危険だと感じていたものは自分から遠ざけなくてはならない。


断っておくが普通の宗教は弱った人間にとって大いに力になる。あなたを救ってくれるかもしれない。ただ、世界には危険なものも存在しているのも事実だ。誤った判断をすれば自分の目には気付かないが大きな被害をうけている事もある。



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