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 Chic―1993年9月4日― 

番組内の千里くんのインタビュー

S:千里くん   P:濱田美和子嬢


S:ま、もとをたどれば小学校6年ぐらいのときに、野球で外野ばっかり守ってて、暇で、こう一応ボールがきたら一緒にこう動きながら、そのリズムで曲を作り始めたたっていうのが最初ですよね。

―小学校のとき。じゃ、もしそれがピッチャーだったら、今の

S:ピッチャーだったらもうちょっと違う…少なくとも曲は書いてなかったし(笑)

―そのときに歌を作り始めてそれで音楽でやっていくんだ、まで思っちゃいました?

S:そのころはアルバート・ハモンドとかギルバート・オサリバンとかすごくメロディが綺、いい、すごくメロディアスな人が一杯出てきてて、僕はあの誰だとも知らずにレコード店に行って、そのメロディを憶えていったり、テープレコーダに録音していって「これください」つってシングルを片っ端から聴いてコピーしてたんですね。

―それ小学校6年とか

S:6年ぐらいですね。6年、中学校1年ぐらいのときで。で、ピアノがまぁ弾けたから、何かギルバート・オサリバンやビリー・ジョエルもピアノ弾いて歌ってるから自分にもできるんじゃないかっていうんで作り始めたんです、ピアノで。それまではまあ「ピアノは女が弾くもん」みたいな、何かそういう感じだったんだけど。そのころからピアノで弾き始めて

―でもピアノが好きで習ってたんですよね。

S:そうです。

―「女が弾くもん」って思いながらも、片方では好きだった

S:だからみんなで遊びに行きたいときも自分で好きで始めたんだけど、自分だけピアノの練習、毎日しなきゃいけなくて、そういうの子どもは嫌じゃないですか。遊びにいきたい。結果的にあの、外野を守ってる、たまに参加すると外野だったり。外野の外野とかね。

―外野の外野(笑)

S:だからいつかやめる、いつかやめるぞ、と。譜面に目を近づけて目を悪くするようにして俺はもう弾けないようになるんだ、病気になってピアノをやめてやる、みたいな世界で

―でもそこで簡単に僕ピアノやめるっていう風にはならなかったんですか。

S:もう親父のビンタ。ピシッ!

S:10年ていわれてもピンとこないんですよね。自分でもまあ10年のあの気持ちとかいろいろしゃべったりね、してるんだけど、ホントに「あっ」。「あっ」の小さい「っ」がないぐらいの「あ」。「あ」ぐらいですよね。30を越えて少しまあ男を立たせるってことで、あの、ま、ヒップホップが好きでヒップホップばっかりのカッコしてるとか、レゲエにハマってレゲエばっかりのカッコしてるとか、まあそろそろちょっとそこらへんをこう上手く、こう自分でもっとわかりやすく自分の本来の持ち味をあのいろんな形でわかりやすく、自分ももっと楽に歌えるような方法を見つけていかなきゃなっていうような、まあそういう感じはあります。

―その1つが『Chic』だったり

S:そうですね。『Chic』は。だから大きいですよ、そういう意味では。

―そういうことを考え出したっていうのもやっぱり10年近くやってはじめてっていうところ、ですか。

S:そうですね。そうやって考えるとやっぱり10年って、それなりに

―必要なね

S:必要っていうか、ねえ。まあ一応階段1歩1歩下りては、いってないんだなって感じですよね。

S:だからライブ見て「いや、衣装がすごかったですね」って言われたときは「あ、ヤバイな」って実は思ってるんですけれど。意地張ってなかなかそのスタイルをやめない(苦笑)段々『Homme』とかあそこらへんあたりは次々に衣装の点数も増えて、あの、ライブも派手になって「次は何が出てくるんだろう」そういうニーズに応えたいっていう。自分の中にでてきて、「よし、次はもっと、もっと、もっと。more、more、more」っていう感じで、まあそれが吹っ切れたのが『Chicツアー』でもありましたけどね。『光と影』

―閑話休題―

1993年4月25日(NHKホール)会場入りした千里くん(まだリハではない)

S:(ステージへの階段を上りながらスタッフに向かって)よろしくお願いします。(ステージ上から)ここは客席がかっこいいね。(ステージ上を歩きながら)わかれているようでわかれてないんだね、座席がね。密なの?

S:あ、そうだ、いけねえ(と、楽屋通路でいきなりUターンする。向かったところは楽屋の中のバスルーム。ジャージャーと水の音)ヤバイよ(と、慌てて蛇口を閉める。危うく溢れるところだった。スノコをひき)冷めないように蓋しとこ(と蓋をする)ざばーって入る。NHKホール利用してる人でこれだけあの周辺機器を活用する人も、フルに活用する人も珍しいよね。

―場面転換―
黒いTシャツとパンツを身につけた千里くん。
S:(自分を鏡に映して)何か不思議なダンサー風だよね。

P:そう、こういう人いるもん。

S:こういう人いるよね。

P:5、6、7、8(と、すぐさまカウント始めるペコちゃんが素敵)

S:(踊りだす)

P:1、2、3、4、5、6、7、8(笑)

S:(最後決めて)こういう人いるよね。

―お芝居関係、映画とかドラマとか。そういうのにも昔から何かすごく多いっていうほどじゃないかもしれないんですけれども、割にコンスタンスに出てますよね。

S:1番最初に芝居をやったのが「法医学教室の午後」っていう大森一樹さんのまあテレビ映画みたいなやつで、それの僕の役が大森さんが僕のデビュー曲の『ワラビーぬぎすてて』の、あの、(プロモーション)ビデオを見てて、何かそっからイメージがわいて(←梯子かついで歩いてるところとか?/や、そんなことはないだろうけど)その役柄ができたっていう、それが口説き文句だったんだけど。僕も台本もらってすごく自分に重なるところがあって。まあこういう世界に入ってまだ2、3年のその、こう日々新しいとかドキドキしてる感じとその法医学教室に入って右も左もわからない、ね、男の気持ちっていうのは「あ、これはやれるな」って思って、単純におもしろかったんでやったんですけど。学芸会でも馬の足とか(笑)それぐらいしかやったことがなかったもんで、最初こう3人で、3人ぐらいの登場人物がこう歩いてくるときとかしょっちゅうこう後ろに重なって顔が見えてないところで声だけが聞こえる、背後霊のように(笑)ただもう音楽をまあ選んでそれをやり続けてる以上は、ま、そこで陽の目を見たいですよね。あの「マルチ」とかっていう言われ方がね、すごくね

―嫌なの

S:うん、嫌なんですよね、そんな。選んだっつっても、もう自分でねデビューするためにありとあらゆることをやって。まあみんなそうだと思うんですけど。やっとの思いで歌手になって、やっとゴールを切ったな、と思ったら全然売れないで、あ、次はやっぱり続けるってことが大事なんだって思って。いやあ続けるだけじゃだめだ、やっぱ売れなきゃいけないって。1人でもたくさんの人に聞いてもらわないと次が作れないんだっていうことがわかって。で、今度は規模がちょっと大きくなるとそれをさらに広げないとやりたいことは、自分のホントにやりたいことはできないんだ、って。まあそうやってね、どんどん目的が変わって、まあできれば最終的にそれが今やり続けていることが、ま、ちょっと時間はかかるかもしれないけど、どっかでこう音楽のステージでガッとこう集結させたいなというのはあるんですけどね。

S:これから?これからですか。えー、ま、これからは、そうですね。ま、10年やってきて、で、1周トラックを回って今2周目にこう入りつつあるっていうか、気持ちは、だから割と裸に近いような状態で。ま、なすがままというか、ま、自然の自分のおもむくままにね、いきたいなっていうような気持ちですけども。ま、よくね千里は詞がいいから詞にもっとね、集中できるようにビジュアルを抑えてくれとかね、ちょっと派手に走りすぎるんじゃないかとか言われることもよくありますけど。うーん、ま、音楽かビジュアルかっていうような分け方が自分の頭の中でできなくてね、ま、それは一体となったもんで自分の中では音楽がこう演奏されるときね、自分の歌をこう自分で歌うときのシチュエーションというかそういうのすごく今まで拘ってきたし、それは今後も変わらないし、もっともっと拘り続けたいっていうのは自分の中にすごくあるんですよね。で、まあこれまでプラスの、ものをくっつけたりとか照明を派手にしたりプラスの方法っていうのが1つあったとすれば、今度は引き算っていうかね、マイナスをして、で、より自分が作ったときの気持ち、伝えたいものっていうのがダイレクトに伝えられるようなね、そういう方法もとっていきたいなって。

S:まあ男の子もそうだし、お母さんとかねお父さんと一緒に来てる人とかいますね。あとずっと聴き続けてて育児が完了して子ども(の耳)に綿詰めながら一緒に見に来てる夫婦とか。悪くない。この『悪くない』っていうの今ハマってんですよ。悪くないねえ(にやり)

S:多少10年なり積み上げると、まあ出来て当り前。で、違う新鮮なものでしかも『大江千里』。何かそういうものをこう出していかなきゃいけないって。自分でもそこらへんでもシャカリキになってるところが、何かどっかあるんですよね。それが吹っ切れたときに何かたまにすごく自分で好きな曲ができるんですよ。