世界は夜明け前。
あたりは薄暗い。
黒い小柄なシルエットがひとつ。
細長い勺杖を持ち、関節のはっきりしないゆったりとした衣服、ローブを着ている。
てっぺんのとんがった、つばの広い大きな帽子をかぶり、軽くウェーブのかかった髪の間から
人をからかうような、それでいて妙な安らぎを感じる瞳が見える。
シルエットは魔女。
魔女は魔法を行使する。
スロークの未だ知らない技術。
不可能を可能にできる大きな力。
彼女が身長の倍ほどある杖の先を滑らすと
青白い光の筋が横に一本、空間に現れる。
彼女が長くまっすぐな杖の先を滑らすと
青白い光の筋が縦に一本、空間に現れる。
彼女が杖で円を描くと、光の筋は曲線を描いていき、やがて円を閉じる。
直線と曲線を組み合わせ、三日月のような図形が描かれ
そこに何本かラインが組み合わされる。
三日月の上部に簪(かんざし)をつけたような、三日月の底部から船のオールがでてるような
そんな青白い図形。
現実的な質感のない不思議な図形。
それは莫大なエネルギーをもっているのだ。
魔女が杖を振ると、図形も杖の先についてくる。
彼女は図形を目の前の岩盤に押し当てる。
図形は信じ難い灼熱をもって岩を溶かす。
岩?
違う。これは自分だ!
自分が溶かされている。
熱さが皮膚を焼き、骨を溶解させ、
血と体液が蒸発し、細胞全てが死滅していく。
自分が壊されていく。
あがらうことすらできずに。
未知なる膨大な力。魔力!
息を吐くと同時に目を覚ます。
あたりは明るい太陽の光に満ちていた。
木目の入った、壁の隙間から、日の光が漏れてきている。
スロークは寝ていたらしい。
ということはさっきのは夢だったわけだ。
だが、感じた気持ちは幻とは思えない。
それは...。
スロークは上半身を起こすと、周りを確認した。
自分が寝ていたのは、藁の上。
粗末な小屋の中らしく、壁は木造だが、穴が開いていたりする。
そのおかげで、窓は無いが小屋のなかは外の光が入ってくる。
扉があり、そこから先はさらに明るくなっているのがわかる。
半開きになっているのだ。
横手には幅の狭い階段もある。
上の階があるらしい。
逆の横手を向くと、そこには茶色い毛が視界いっぱいに広がっていた。
ふいに視界が真っ黒になり、生暖かいものが自分の顔の表面を撫でる。
「・・・・・・・・・・・・っ!?」
慌ててスロークは後ずさる。
ズームアウトしてみると、茶色い毛は牛の顔だった。
どうやら、この牛になめられたらしい。
スロークと牛は、しばらく見つめあっていたが、牛の方が飽きたらしく、ふぃっと横を向いてしまった。
藁に牛。ここは牛舎と思って間違いないだろう。
夢と混乱した現実の記憶を整理する。
自分は学院の追っ手から逃げていた。
学院内の最機密である研究結果を多方面に売り歩いて商売をしていたからである。
これは建前で、本当は親がスロークを学院に戻そうとしているのだ。
追っ手を撒こうとして、船から河に飛び込んだ。
そこまではよかった。
だが、スロークは自分が泳げないとは思っていなかったのだ。
そのまま溺れて、流されてしまったらしい。
よく助かったものだ。
捕まらなかったのも幸運だ。
学院の手の者なら、こんな粗末な小屋に、拘束もなしに寝かせておいたりしないだろう。
もし捕まっていたとしたら、今ごろは護送車で王都に一直線である。
上の方から突然に足音、というよりかは足と床面との衝突音が聞こえてくる。
けたたましい音を立てて、階段から女の子が降りてくる。
転がり落ちるのと大差ないスピードだ。
10歳くらいだろうか。
黒い髪を二つにしばっていて、赤い安物のワンピースを着ていた。
腕に籠をかかえているが、進行方向が死角になっていて、中に何が入ってるかは確認できない。
ここの管理者の娘だろうか?
「おい!そこの・・・」
「お兄ちゃぁぁああああんっ!!ペギタにご飯あげたあああああぁぁぁっ!?」
ものすごい大きな声で子供が叫ぶ。
スロークの呼び止めようとした声はみごとにかき消された。
女の子はそのまま速度を落とさず階段を降りきると、一目散にドアの外へと走り去ってしまった。
「・・・・・・・・・・なんなんだ?」
あわただしい朝の風景というやつである。
が、スロークには順応できない世界であるようだ。
とりあえず、少女が出て行ったあとを追ってみるのがよいだろうか、などと考えているうちに少女が戻ってきた。
こちらに目線をやり、目が覚めたのに気づいたらしい。
バケツを片手に近づいてくる。
「ここの・・」
家の者か?とスロークは尋ねようと口をひらいたが、遮られた。
少女はぺちぺちとスロークの頬を軽く叩く。
「お、おい?なにを・・・」
「お兄ぃちゃぁぁあああああんッ!!金髪が起きたあああああッ!!」
あまりの大音量に窓ガラスがビリビリと震える。
スロークはたまらず耳を塞いだ。
小屋のそと。
荷車にさっきの牛がつながれている。
「さぁ押して押して」
ヤタツが勝手に話を進める。
少女に呼ばれて小屋の二階から降りてきた兄が彼だった。
12歳の小柄な少年である。
「ちょっと待て、何を始めるんだ?」
スロークが問い掛けると、ヤタツはさも当然のように
「牛乳配達だよ。オイラたちの朝の仕事さ」
荷車を見るとたしかに牛乳の入った金属製のでかい容器が乗っかってる。
「たち?」
ヤタツとその妹をみるが、ニュアンスとして明らかにスロークも含まれている。
先ほど、妹のほうの名はミーフェと紹介を受けた。
「朝飯食べたんだから、その分と寝てた宿代分きっちり働いてよね」
朝食とは、どうやら出会い頭にいきなり口に押し込まれた、パンのことを言っているらしい。
宿代とは3日間、気を失っていた間のことだ。
荷車がゆっくりと動き始める。
「ちっ!」
スロークは足元にあった小石を思いっきり蹴飛ばすと、しぶしぶついていく。
ぱっと見ただけでも、兄妹の生活水準が低いのはわかる。
食費ひとり分が増えただけでもかなりの負担になるだろう。
寝ている間世話になったのは本当であるし、河で流されている間に財布を落としたのか、それに報いるような金銭も持ち合わせていなかったので仕方なかった。
「こらっ!文句言わないのッ!!」
ミーフェの大音声が隣で響く。
この声は文字通り耳に痛い。
耳に当てていた手を下ろし、溜息をつくと、今度はミーフェに聞こえないように舌打ちした。
道はなだらかに下っており、押しているスロークには負荷は全くかかっていない。
「おい。牛が引っ張ってるのに、なんで人間が押さなきゃならんのだ?俺は帰るぞ」
「ま、ま、そーいわずに。こいつはもう年寄りだしね。じきにわかるよ」
やがて、道は上り坂にさしかかった。
急に牛の歩みがのろくなる。
「さぁ!しっかり押してよっ」
荷車の後ろに三人並んで、全力で押す。
「お、重ぃ・・・」
壁に向かって手をついている、そんな感じだ。
押しても押してもほとんど前に進まない。
「腕で押すんじゃないって。腰を入れて足の力で押すんだよ」
「金髪、もっとしっかり押せぇ!」
兄妹の叱咤激励が飛ぶ。
ミーフェの声に耐えながらも、かなりスロークの癪に障ったようだ。
「このっガキどもっ!いい加減に・・・」
「ミーフェ、やっちゃいな」
「やかましいぃぃぃぃ!!」
反抗の姿勢有りとみるや、ミーフェがスロークの耳元で叫んだ。
やかましいというレベルではない。
過剰な負荷が聴神経にかかり、スロークはうずくまった。
時報塔の鐘が8時を告げる。
牛乳を配り終えて、帰ってくるまでにたっぷり2時間以上かかった。
スロークが文句をいう度に、ミーフェの大声を耳元に注入され、イヤイヤながら働かされたのだ。
俗にいう調教というやつか。
スロークには自覚はないようだが。
「ぜぇぜぇ。な・・なんで俺がこんな肉体労働をせねばならんのだ」
兄妹が牛と荷車をしまっている間、スロークは小屋の前で大の字にへばっていた。
つかの間の開放された時間をひたすら愚痴ることに費やす。
「俺は頭脳労働派なんだぞ・・・くそっ」
腕がだるい。
小屋は小高い丘に建っており、遠くの景色がなかなか良く見える。
空は透けるような水色で、雲がかすむように浮かんでいる。
そろそろ高くなってきた日が、じょじょに空気を暖めていく。
村の中央に向かって、先ほど牛乳配達へ向かった道が伸びていた。
そこをひとつの人影が歩いてる。
黒っぽい人影だ。
近づいてくる。
だんだん影がおっきくなってくるにつれ、その容姿は見たことのある記憶と一致する。
濃い紺色のローブととんがり帽子。
かるくウェーブのかかった髪の間から、いたずらっぽいやさしい瞳が見える。
あの魔女だ。
今朝見た夢がその影に重なる。
夢で見た記憶の魔女の衣服は完全な黒だったが、現実のそれは濃い紺色だった。
彼女は手を伸ばせば届きそうな位置まで近づいてくる。
「貴様はっ!?」
思わず上半身をガバッと起こす。
「あら。あなた目が覚めたのね。よかったじゃない」
厳しい形相のスロークに対して魔女はにっこり答える。
「私の名前はリッチェルよ。よろしくね」
「おまえは一体・・」
「あ、リッチェルお帰り」
「お帰りいいいいっ!!」
少年が魔女に挨拶し、それに気づいた妹が叫ぶ。
一瞬、状況が飲み込めなかった。
「・・・・・・・・おまえら!知り合いなのか!?」
少し間抜けな叫び声を出す。
ヤタツとミーフェがこちらに駆け寄ってきた。
「リッチェルは日が昇ってる間、うちに泊まってるんだよ」
ヤタツが答える。
「悪いヤツを追っかけて旅をしてるんだけど、お昼と夜が反対になってるんだよねぇ」
ミーフェが補足する。
少女の叫び声以外の声を初めて聞いた気がする。
得体の知れない技を持った、黒っぽい昼夜逆転女を泊めているというのか。この兄妹は。
「お前ら、こいつがどういった人種か知っているのかっ!?」
スロークの剣幕に対しても、ヤタツは相変わらず呑気だ。
「リッチェルは中央の生まれっぽいよねぇ」
中央とは王都付近のことだ。スロークもそこの生まれ。
白っぽい肌と高めの身長が特徴だ。
ヤタツとミーフェは浅黒い肌であるので、東部国境付近の生まれということになる。
「そーいうことを言ってるんじゃないっ!こいつは魔法をつかうんだ!!魔女だぞっ!?」
声を荒げるスローク。
この国において、魔法は禁忌とされている。魔道の類は厳重に法で罰せられるのだ。
ゆえに魔道師などは存在じたいが悪とされる場合も多い。
怒声を攻撃的なものと思ってないのか、はたまたわかってないのか、ヤタツが嬉々として答える。
「うん。リッチェルはすごい魔法使いだよね。」
少年は村の中心部を指差した。
「村の真ん中に一本杉っていう高い木があるんだけど、最近病気にかかって枯れそうだったんだ。ジナフ爺さんが何ヶ月も治療を続けたのに治せなかったんだ」
そして羨望のまなざしでリッチェルを見る。
「でもリッチェルは1時間で治しちゃったんだよ。ホントにすごいよ」
惜しみない賞賛を送られたリッチェルは、はにかむような笑顔を浮かべた。
そして少年の言葉に付け足す。
「ジナフさんっていうのは、この村の魔法使いの老子のことよ」
その言葉はスロークを驚かせた。
「他にも魔道師がいるのか!?ここは・・・ひょっとしてイデアブルク国外!?」
完全に戸惑ったような、まるで迷子になった、そんな目になる。
よほど可笑しかったのか。
それをみてリッチェルは吹き出した。
「あは。まだ、国内よ。国境は結構近いけどね」
スロークが笑われてムッとしたのにもかまわず魔女は続ける。
「もう魔道類法が通用するところなんて王都とその衛星都市くらいのものよ?王都とほとんど接触のないこの地域ではもう十年以上も前から魔法をつかっていたわ。世間知らずに育ったのね」
くすくすっとリッチェルは笑う。
笑われるということは馬鹿にされているということだ。
スロークは頭に血が上った。
「貴様ァ!!」
立ち上がろうとする。
が、一瞬前にリッチェルが人差し指をスロークの額にあてた。
とたんに立てなくなる。
「魔法なんてほとんど見たことが無いんでしょ?」
押し当てられた人差し指が、ぼんやりと青白く光っている。
魔女のいたずらっぽい目がスロークの神経を逆撫でた。
ぶん殴ってやろうか!?
そう思うが、動けない。
それどころか、魔女が人差し指を押し込んでくると、上半身が傾く。
そのまま指一本で押し倒されてしまった。
何もできない無力感。
不快な感情。
「それじゃ、私眠いから寝るわ。おやすみなさい」
魔女はそのまま、スロークの横を通り過ぎていく。
ヤタツとミーフェに手を振るとリッチェルは小屋へと入っていった。
兄妹は笑顔で、スロークは倒されたまま見送る。
「くそっ!!なんなんだあの女!」
スロークはブラシを煙突に叩き付けた。
コロンと木の乾いた軽い音がする。
それでもムシャクシャした気持ちは静まらない。
何度も何度もブラシをたたきつける。
屋根の上で煙突掃除をやっている最中である。
兄妹の家の煙突ではない。
村にある民家のひとつである。
狭い煙突を掃除するには、小さな子供の方が向いているというので、兄妹たちが雇われているのだ。
スロークでは体が大きすぎて、煙突の中は不向きである。
よって外側担当ということになっていた。
煙突から反響した声がした。
『こら、にーちゃん、商売道具投げんなよ。借り物なんだから』
ヤタツが見えてもいないのに、煙突の中から注意する。
スロークの愚痴る癖を完全に把握したらしい。
『なくしたらああべんしょおおおだかんなあああああ!!!!』
続いて煙突の中からミーフェの破壊的な叫び声が聞こえる。
閉鎖空間だけに、中に入ってた場合のことは考えたくない。
ともかくこのまま言われっぱなしというのも癪である。
煙突の口に顔を近づけ、思いっきり叫んでやる。
「やかましいっ!!そんなに馬鹿な大声ださんでも聞こえてる」
スロークの声は煙突構内で反響し、ミーフェの鼓膜を攻撃したはずだ。
しかし大音波の発生源がこの程度の音でまいるはずもなく
『馬鹿とはなんだあああああっ!!大馬鹿ああああっ!!』
反撃が帰ってきた。
「馬鹿に馬鹿といって何が悪い!?このうすら馬鹿っ!!」
「――――――――――っ!!」
「――――――――――!!」
「――――――――!!」
「――――――!!」
不毛な攻防はスロークの喉が潰れるまで続いた。
「くそっのどが痛い」
かすれた声でスロークは喋る。
今度は干草をでっかいフォークで移動させてるところだ。
「金髪ぅ〜グチッてないでさっさとしろおおお!!」
さらに大声を出していたはずのミーフェはまだまだ元気だ。
スロークと同じように、フォークを操り干草を積み上げている。
「やかま・・・ケホッケホッ!」
怒鳴ろうとして思わず咳き込む。
「牛達が帰ってくる前に干草積んじゃわないと駄目なんだからねっ!!」
煙突掃除から帰って昼飯を食べたら、すぐにここの牧場の手伝いに引っ張ってこられた。
兄妹が経営している牧場ではない。
早朝の牛乳配達もここの牧場の手伝いの内なのだ。
ここの手伝い賃は兄妹の貴重な収入源となっている。
ヤタツが干草を山ほど積んだ荷車を押してやってきた。
「ほらにーちゃん、干草追加だ。サービスしといたよ」
それを見たスロークはフォークを地面に力いっぱい突き立て、どさっと腰をついた。
「もうヤメだっ!やってられ・・・ゲホッゲホッ!」
咳き込んでまで駄々をこねるスロークに対しヤタツは冷たい。
「ちゃんと働かないと晩飯抜きだからね」
そのまま少年は作業を続ける。
生きるためには食わねばならない。
それすらも放棄した場合は音量地獄におとされることだろう。
スロークはイヤイヤ、フォークの柄を握った。
食うために働き、くたくたになって一日を終える。
小屋に戻ってくると、出掛けのリッチェルとすれ違った。
魔女は疲労の顔をあからさまに見せるスロークをからかっていったが、彼にはひと睨みする程度の気力しかのこってなかった。
ささやかな晩飯を食べると、この日を振り返ってる余裕もなく眠りに落ちる。
夢も見る間も無く、次の朝日が昇る。
「起ッきろおおおおぉぉぉぉぉっ!!!」
耳に凶悪な衝撃を受けた次の瞬間、スロークは壁に叩き付けられた。
目を覚ますと、ミーフェがこちらを見て満足そうに納得して駆けてくのが見える。
「音は物体を吹っ飛ばすことが可能なのか?」
寝床代わりのマットの上で、スロークはしばし呆けていた。
パンとミルクを胃袋に流し込むと、スロークは今日も牛乳配達に引っ張り出されることになった。
朝の空気は、まだわずかにひんやりとしている。
少しだけ目が覚めた気になるのはこのせいだ。
太陽は昇ったばかりで、明るいのだがまだ低い。
牛がひっぱる荷馬車。
牛乳缶を山ほど積んでるのは昨日と同じ。
上り坂になると壁のように重くなるのも昨日と同じ。
つまりは大体、昨日と同じ状況なのである。
同じ状況であるから、景色もかわらない。
丘から見えるのは山と河、道と家。
河があって、平行して山があって、その間に道がある。
道は馬車が二台程度通れるくらいの広さ。
舗装はされてない。
道沿いにポツポツと建っている建物が家だ。
王都に比べれば、数はほとんど無いといってもいい。
つまりは田舎ということだ。
この道をずっとたどっていくと、かなり広い大通りと交差する。
大通りも舗装はされてない。
山と河を結んでいる。
河に港があり、そこから伸びている通りだ。
通り沿いには家屋が集中している。
ゆっくりと道を進み、家ごとに牛乳を配達してまわる。
やがて大通りに出た。
大通りには飲食店や雑貨などが並んでいる。
が、まだ当然だが開店はしていない。
道筋の民家の軒先で朝の体操をしている中年の男がいた。
上体を大きく旋回して腰を回している。
こちらに気がつくと声をかけてきた。
「よぉ。おはようヤタツ、ミーフェ、金髪のにーちゃんも」
「おはよう。ライゼルさん」
「おっはよおおおっ!!」
少年が挨拶し、その妹が叫ぶ。
スロークは黙ったままだった。
「どーしたにーちゃん?挨拶もできないようでは立派な大人になれないぞ?」
中年はにこやかだ。
大人になれないだと?
自分はこんな辺鄙な村で暮らしてるような、中年親父なんか比べ物にならないくらい、王都では荒稼ぎをしてたというのに。
経済面は十分のはずだ。
「ヤタツもミーフェもちゃんとできてるじゃないか」
少年が口を挟む。
「駄目だよ、ライゼルさん。このにーちゃんヘソ曲がりだから」
「そうっ!ヘソ曲がりのおおバカものなのっ!」
「やかましいっ!とっとと行くぞっ!!」
スロークが先に行こうとすると、中年が呼び止めた。
「あぁそうそう。今度はダレンとこの家がやられたの知ってるか?」
スロークは興味なかったが、ヤタツは違ったようだ。
「やられたって、例の怪物?」
「あぁ。なんでもまた夜中にやられたらしい。酷いモンだったぞ。大黒柱が真っ二つに折られててな。壁もはがされて、一から建て直さなきゃありゃ駄目だろうな」
「ふーん。ダレンさんとこは配達の途中で通るから見てみるよ」
「そうか。お前んとこも気ぃつけるんだぞ」
「一ヶ月くらい前からかな?村に怪物がでるようになったんだ」
荷車を押しながら、事情を知らないスロークにヤタツが説明する。
「家の屋根まで背の届くでっかい怪物で、必ず夜中に現れるんだ。家をバラバラにされるんだ。怪物にとっては進むのに邪魔な物をどけてるだけなのかもしれないけどね。それで家族の中の誰かひとりが殺される。怪我とかはしないのに魂が抜けたみたいに死んじゃうんだ。一人だけで他の人間には目もくれないんだけど」
針葉樹林が中心の雑木林の道を抜けると、朝早くだというのに道の脇に人だかりができていた。
「あそこがダレンさんの家だよ」
そういうとヤタツは荷車を置いて人だかりに歩いてく。
ミーフェもそれに続いた。
スロークは少し迷ったが、ついていくことにした。
人だかりは倒壊した家屋に群れていた。
中年の男が言ったように、壁の一面が剥がされ、家の中がむき出しになっている。
もうそれは住居とは呼べなかった。
主柱を失った屋根は崩れ落ち、半分は上から踏まれたように潰れている。
洪水や土砂崩れなどの自然災害があった、と考えた方が納得いく光景であった。
「うわぁ・・・」
ヤタツが苦悶のつぶやきを漏らす。
少年は近くにいた野次馬に声をかけた。
「ねぇ、ダレンさんたちは無事だったの?」
希望を託した質問であったが、今までの例からダレン家の誰かが犠牲になっただろうことはわかっている口調ではあった。
声をかけられた野次馬は若い男だった。
彼も苦々しい表情で答える。
「なんでも奥さんが亡くなったそうだ。今、教会に運ばれたトコだ」
「そう・・・」
それを聞くとヤタツはスロークに声をかけ、人ごみを抜け出した。
「兄ちゃん、行こう・・・」
今日の煙突掃除は、破壊された家から少し登った家だった。
屋根に上ると壊れた壁の破片や、折れた柱など、なんとか片付けようと作業している人々が見える。
「なんか怖いよね」
そういいながらも、兄妹は日々の仕事をこなしていく。
一時の衝動に身を任せて、恐怖に日常を行うことを放棄してしまえば、近い将来飢えなければならないからだ。
彼らには、衝動に走ることを許されるような、庇護してくれる者はいない。
だから恐怖を考えないようにしているのだろうか。
まだ年端もいかない年齢なのに。
スロークが自分を守ってくれている環境から背を向けたのはいつだっただろう。
ヤタツよりも2年ほど成長してからだったはずだ。
周囲の押し付けがましい意見が嫌で、生まれ育った学院から逃げ出した。
だが、もしかしたら自分はまだ庇護されているのかもしれない。
自分が庇護されていることから目を背けて、自立しているような気になっているだけかもしれない。
親はまだスロークを連れ戻そうとしているし、学院もそれに荷担している。
本来、違法行為である商売をしても捕まったことは一度もない。
裏で学院が手をまわしているのではないのか。
そもそも自分が商売をして金を儲けてるのは、すべて大学のコネクションを利用した物だ。
はたして、それなしでひとりで生きてこれただろうか。
『――――ってよ』
煙突の中からヤタツの声が聞こえる。
考え事から引き戻された。
『ねぇ!兄ちゃん』
「ん?どうした」
煙突を上から覗くと、ヤタツがこちらを見上げていた。
『ブラシ取ってよ。どーしたの?ボーっとして』
「あ、ああ。なんでもない。ほれ」
中にブラシを落としてやると、ヤタツは上手に受け取った。
『サンキュー』
ニパっと微笑むと仕事に戻っていった。
小さい兄妹が、自分よりとてつもなく強い存在のようにスロークは感じた。
午後の仕事である、牧場の手伝い。
昨日と同じく干草をつんでいく。
それが終わりに差し掛かる頃、家畜たちをつれて牧場主である初老の男が帰ってきた。
「やぁ、兄さん。ごくろうさん」
スロークに声をかけてくる。
「人手があるとホント助かるよ。婆さんが死んでしまってから忙しくてなぁ」
にこやかに語りかけてくる。
スロークはややうつむいた。
「俺なんか別に。たいした助けにはなってないだろう?あの兄妹のほうがよっぽど・・・」
「おや、昨日と違ってやけに殊勝だな。わはははは。そりゃ確かにヤタツとミーフェはすごくがんばってくれてるよ。あいつらがいなけりゃどうなってることやら。でも兄さんもちゃんと働いてるじゃないか」
牧場主の老人は、スロークの肩をかるく叩く。
スロークは顔を上げ、老人の目を見た後、兄妹が働いてるほうを見やった。
なりはまだ小さいのに、スロークと同じペースで干草を積み終え、今は細々とした掃除をしている。
老人もスロークの視線を追って兄妹を見る。
「あいつらの母親が死んだのは1年ほど前でな。病気だったらしい。今まで自分たちでやってた煙突掃除だけでは食ってけないってんで仕事を探してたんだよ。丁度、うちも人手がたりなかったので雇ったんだ。最初はこんな子供で大丈夫かとも思ったんだが、この村は人が少なくてな。しぶしぶ雇ったんだが、想像以上によくやってくれる。ホントいい子達だよ」
牧場から小屋に帰ると、丁度リッチェルが出てくるところだった。
今日もいつもの深い紺色のローブを身にまとい、3メートルほどの杖を持っている。
「あら、おかえりなさい」
にこりと魔女が挨拶をする。
「ただいまっ!!」
「ただいま。リッチェルは今から出かけるの?」
意味のない会話。
ゆったりとした空間。
スロークは表情のない顔でやりとりを見つめている。
ぼぉっとしてるように見えたのだろうか。
こちらを見ると魔女が問いかけてきた。
「どうしたの?彼」
「さぁ?なんかちょっとさっきから変なんだ」
ヤタツがいう。
「なんでもない。気にするな」
「そう?ならいいけど」
リッチェルは不思議そうだ。
「じゃあ私は行くわね」
「いってらっしゃーい」
「いってらっしゃあああいっ!!」
魔女が行こうとすると兄妹が見送りの言葉を述べる。
そのあとにスロークもつづけた。
「ああ、いってこい」
とたんにリッチェルが驚いて振り返る。
一瞬呆けたあと、プッっと吹きだした。
「っくく。ど、どーしたの。あはは」
スロークが挨拶したのがよほど意外だったらしい。
腹を抱えて笑いを堪えようとしている。
実際はこらえきれてないが。
「なんか悪いものでも拾い食いしたのかしら?アハハ」
「やかましいっ!!行くならとっとと行け!!!」
「ふぅ」
小屋に上がり、寝床がわりのマットに寝転ぶと、スロークの両脇に兄妹が滑り込んできた。
さほど広くもないので、スペースを有効利用するなら一番大きいスロークが真ん中のがよい。
あお向けに寝っ転がると天窓の向こうに星空が見えた。
「今日も星がきれいだよね」
ヤタツが話し掛けてくる。
昨日はすぐに寝てしまったスロークが、今日は起きているので興味を惹かれたのだろうか。
「・・・・・・ん」
うるさいと言って拒絶しない。
だが、否定するわけでも肯定するわけでもない。
ただの何気ない返事を返す。
「不思議だよねぇ。なんで星は空から落っこちてこないのかな?」
普段なら無知と笑い飛ばすような疑問にも、今日のスロークはゆったりつきあう。
「地動説ってのがある。知ってるか?」
「ううん」
「惑星は太陽を中心にして円運動しているという説のことだ」
天窓はそれほど大きくはなかったが、それでも十数個の星が窓の向こうに瞬いていた。
「我々のいる星も太陽を真ん中に円運動している。まわってるんだ。そして、太陽もより重い星を中心に円運動している」
「うん」
「そして太陽と同じような恒星がいくつもいくつも、そのより重い星を中心にまわって銀河を形作っている。空に見える星はその銀河の一端にしか過ぎないんだ。銀河はとてつもなく巨大で遥かかなた宇宙のはてまでつづいているという」
「宇宙の果てまで行くと何があるの?」
「さぁな。観測技術が発展すればわかるようになるのかもしれんが」
わかったところでそのまた向こうには何がある?
知る必要はないのかもしれない。
現に知らないこの子たちはちゃんと生活している。
「そっかぁ」
ふと見るとミーフェは静かな寝息を立てて目を閉じていた。
何気なく掛け布団をかけてやる。
「もう寝ろ。明日も早いんだろ」
「うん・・・・・・兄ちゃん」
「ん?」
「おやすみ」